異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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試練の時 5

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 小走りで食事処に向かっている途中でボタリと、なにやら大きな雨粒が落ちて来た。うあっ、やばい……。
 ボタボタと、まるで水の塊といった様子の雨粒が、容赦なく地面を染め上げていく中、なんとか食事処へと駆け込んだのだけど、結局俺たちもずぶ濡れだった……。
 軒先に入り、肌に張り付く上着を脱いで、髪を拭いっていたら……

「まあぁ、ビショビショになっちゃって。早く中に入って、そこじゃ凌やしないんだから」
「えっ、カーリン⁉︎」
「中濡らして大丈夫だから。そんなこと今気にしないで、早く入って!」

 中に引っ張り込まれた。
 服や髪からボタボタと落ちる水滴が玄関を濡らすけれど、そんなことはお構いなしと、カーリンは俺たちを奥に促す。
 食事処の中には、ダニルとカーリン……二人が残っていた……。え、ダニルはともかく、カーリンは家に帰らせてると思ってたのに⁉︎

「仕込みがまだあるんだ。手伝いの子たちは返しちゃったから、雨の間も進めておこうと思って」

 あっけらかんとそう言ったカーリンが、はい使って。と、手拭いをドンと机の上に置いた。大量に……。

「着替え、あたしたちの分で良かったら貸せるから、とりあえず着替えちゃって。
 そのままだと身体冷やしちゃうから良くないよ。今、ダニルが温かいお茶用意してくれてるから……」
「かっ、カーリン!    走らないでっ、なんなら俺たち自分でするから!」

 想像以上に大きく張り出した腹部。
 それを重たそうに手で支えながら、カーリンが小走りするものだから、俺は慌てて彼女を抱き留めた。あっ、駄目だ、濡らしてしまった⁉︎

「ご、ごめんっ、冷たかった⁉︎」
「あはは、レイ様慌てすぎだって。大丈夫、今は安定してる時期だから。
 重たいから手で支えてるだけで、別になんともないよ。着替え持ってくるから……」
「て、手伝います!    カーリンさんは走らないでくださいっ。私がしますから!」

 そう叫ぶように言ったサヤが、急いで上着と中衣を脱いだ。
 ベルトにも手を掛け、止める間も無くそれを外す。ひいっ⁉︎    と、悲鳴を飲み込んだ俺とシザーの前で、ストンと袴が落ちると……今日は巻き袴であったよう……中に細袴を穿いていた……。

「わっ、凄い……」
「な、中は然程濡れてませんから、お気になさらず。場所を教えていただければ、私が持って来ますから……」
「うーん……でも説明、しにくいから……」
「で、でしたら、ゆっくり動きましょう?    階段も手を貸しますから、走ったりしないでください」
「サヤさんも大袈裟だよ……」

 手拭いを器用に使って頭の髪をくるりと巻き上げてしまい込んだサヤは、もう水滴を滴らせはしなかった。
 カーリンに手を貸して、二階の部屋に着替えを取りに行く。
 その間に俺たちは衣服を脱いで、窓から外に絞って水滴を捨てた。

「……どうぞ。熱いうちに」
「……ありがとうダニル…………」
「……」

 調理場から出て来たダニル。
 無精髭を生やし、瞳は翳っていて、目の下のくまも……。
 随分と疲れているように見えて、それ以上の言葉が続かなかった。彼の疲弊っぷりが、カーリン以上に痛々しくて……。

 カーリンも……だから何も、言わないのか……?

 ダニルは、苦しんでる……。
 日々大きく育っていく腹の中にいる子……。自分の子が育っているのに、それを認められないことを……。
 ダニルは、無責任に欲を優先するような男じゃない。カーリンを愛したからこそ抱いた。
 ちゃんと所帯を持って、いつか子が授かればと……良い父親になろう思ってたんだと、そう叫んだ。

 だけど、彼は人を殺して生きて来た。そういう生業でここまで来た。それを、忘れられなかったから…………。

 愛する人たちを、自分の罪に巻き込みたくない。来世まで不幸にしたくない。
 だから得ては駄目だと、幸せになっては駄目だと、自分を首を、自分で締め上げている……。

 俺が何も言えないままでいるうちに、ダニルは調理場に戻り、作業を再開した。
 大量の野菜を刻み、鍋で煮込む……。宿舎の人足達や、騎士らに振る舞う夕飯の準備。今は人数も多いから、たった二人と、手伝い二人だけで回すのも大変で……だからカーリンは、未だに働いている……。

「……ダニル、雨季明けには、料理人を手配できると思う。
 近くヴァイデンフェラーから数人の料理人が来る予定でね、やり方は前と同じ。カーリンやユミルとやったみたいに……お互いの手持ち料理を教え合ってくれたら良い。
 まだ到着してないから、通いになるか、住み込みになるか分からないけれど……こちらには二人、お願いしたいと思ってるんだけど、どうだろう……」
「任せるっす」
「……なぁダニル……少しこちらに来て、話ができないかな……」
「無理っす。今仕込みがあるんで」

 拒絶……。
 話すことなど、何も無いのだと、彼の纏う空気が、そう言っていた……。
 言葉を詰まらせていたら、上の階に姿を消していた女性二人が、戻って来る音……。

「ほら、なんともないんだってば」
「駄目です。立ち上がったり、重いものを持ったりは特に注意して、勢いよく動くのはやめてください。
 一回一回はなんともないことみたいに思えても、蓄積していけば、大抵のものが脆くなります。大切な身体なんですから……どうか楽観しないでください」

 サヤに支えられつつ、カーリンが下りてきた。彼女を無事に下ろしてからサヤは再度階段を上がり、衣服を持って下りて来る。
 俺とハインはダニルの服で大きさも大丈夫だったけれど、シザーは流石に、大柄すぎて、借りれる衣服が無い……。
 仕方ないので夜着を羽織らせてもらい、衣服が早く乾くよう、干させてもらった。
 そうすると、ハインがすっと立ち上がり、調理場へ。

「屋根を借りる礼です。仕込みを手伝いましょう」
「あっ、私も手伝います!
 カーリンさんは、レイシール様のお話相手をしててくださいね」
「えっ、そんな……悪いよ!」
「悪くありませんよ。服まで借りたんですから、お礼くらいさせてください」

 調理場から、野菜を刻む小気味良い音が響き出した。
 俺は申し訳なさげに調理場を見るカーリンを手招き、隣に座らせて。大きく張り出した腹は、座ると尚一層……。ここに、レイルやサナリみたいなものが、入っているのだよな……。

「凄いなぁ、こんなに大きくなったんだ」
「えへへ、たまにね、足型がボコって浮き上がったりするんだよ」
「えっ⁉︎    あ、足型⁉︎」
「ほんとほんと、面白いよ。よく見ててよ、たまにお腹が揺れるから。その時は、中の子が起きて蹴ってる。今は……静かだから寝てるかも」
「…………お腹の中の赤子も、寝るの?」
「あはは、寝るよぉ!    ずっとは動かないね。動く時と、全く動かない時とあるよ。夜に寝てても蹴られて、飛び起きたりすることあるから、私が寝てても中の子は起きたりしてるみたい」

 饒舌に喋るカーリン。
 ここ最近、朝に脚がつって、痛みで飛び起きたりすると言った。
 尋常じゃない痛みなのに脚に手が届かなくて、隣の兄弟を叩き起こして、足の指を伸ばしてもらうのだと。だから最近、カーリンの隣はくじ引きで負けた者が寝ると決まったらしい。

「腹部に痛みなんかは?」
「んー、たまにキリキリするけど、その時は座って休ませてもらってるから大丈夫」
「…………どの辺りが痛い?」
「どのって……お腹の前の方だったり、下の方だったり……色々だよ?」
「…………やっぱり心配だな……一回医師に診てもらってみる?    今は拠点村にナジェスタがいるから、カーリンも気兼ねしなくて済むと思う」
「……女の医師様なの?」
「うん、そう。明るくて元気な人だよ。なんなら足がつらなくなる薬湯とかないか、聞いてみようか」
「そんな都合の良いもの無いって……。それに医師様は高くつくしさ……うちは母がいるし、大丈……あっ!」
「えっ⁉︎」
「今蹴られた。起きたみたい……レイ様ここに手を置いて」
「えっ、えっ⁉︎」
「そのまま触れてて。そのうち……ほらっ」
「……………………揺れた……」
「うん。結構動くんだ」
「……………………あ?…………えっなにこれ、なんかグリュってしたんだけど⁉︎」
「今凄い動き方したね……」

 くすくすと笑うカーリン。
 凄い。赤子って腹の中でこんなに動くの⁉︎    
 ちょっと夢中になってしまった。シザーも恐る恐る手を置かせてもらって、動きを感じた時は「動いたっ」って、声が出てしまって逆に驚かれた。
 その人喋れたんだ!   だって。

 そんな風に盛り上がっている間に、外の雨音は更に大きくなった。
 仕込みを終えたサヤとハインが戻り、手の空いてしまったダニルも渋々調理場を出てくる。
 手練れの二人が手伝ったから、あっという間に終わってしまったようだ。これなら、ここに料理人を二人送り込めば、なんとかなりそうだな。

「……ジェイドとアイルは大丈夫かな……」
「あっ、お二人にも一応、知らせました。返事があったから、避難されていると思います」
「そっか、良かった……。すいんぐ……すり……?    すりんぐか。それもできたの?」
「はい。ちょっとうろ覚えで手間取ったんですけど、なんとか。
 敷き布を頂いて、それでと思ったんですけど……裁縫道具をお借りした女中さんが、綿布ならあるよって、色々と出して下さって。
 丁度良い厚みのものがあったのでそれを買い取らせて頂きました。
 スリングは、こちら風に言うと抱き布……でしょうか。幼い赤ん坊ならくるんで胸の前に。少し育ったら座らせて腰の辺りにって固定できて、両腕で抱えておくよりはずっと楽に抱っこができるんです。色々抱き方も工夫できますし」
「え、なになに、なんの話?」
「あっ、そうですね……カーリンさんにも必要ですね!    拠点村に戻ったらマルさんに聞いて、秘匿権に絡むかどうか確認してみます。
 大丈夫そうだったら、カーリンさんにもプレゼントしますね。出産祝いとして!」
「……見たことも聞いたこともなかったので大丈夫ですよきっと……サヤの国は色々画期的過ぎます……」

 雨音に負けないくらい、明るく喋るサヤ。
 子育て用の道具が色々あると聞き、興味津々話に加わるカーリン。
 たまに俺やハインが合いの手を入れて、シザーとダニルは、だんまりのまま……。
 一時間を過ぎても雨は弱まらず、まるで雨季が早々に来てしまったのではないかと心配になるほど……。

「……空気が冷えてきたな……」
「あっ、お茶、入れ直すよ!    ちょっと待ってて!」
「いえっ、私がしますから、カーリンさんは座っててください!」

 俺の呟きに、カーリンが慌てて立ち上がったら、何かパシャっと、水の跳ねるような音がした。

 外で何か、落ちたかな?

 そう思い視線を窓の外に向けたのだけど、外は雨の幕が隣家も見えないほどに垂れ込めている。
 これでは何も見えないな……と、思った俺の右肩を、誰かが無遠慮に掴み、そのまま後方に引き倒さ……⁉︎

「カーリン⁉︎」

 ダニルの絶叫。

 椅子から落ちた俺の、すぐ目の前に、薄く桃色の滲んだような水溜りがあった……。
 ……カーリンの……つい先程まで座っていた、椅子の下に……それは……。

「え……なにこれ……」
「っ、は、破水⁉︎」

 慌てて立ち上がったサヤの前で、ダニルがカーリンをすくい上げるように横抱きにした。
 そのカーリンの足が、何故か雨に濡れたみたいに、水滴を滴らせていた……。
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