上 下
688 / 1,121

五本目の指

しおりを挟む
 嗅覚師(呼び名がないと不便なのでとりあえずこう呼ぶことにした)選定をロジェ村の住人に託し、この件について細々とした擦り合わせを行っているうちに、昼を過ぎてしまった。
 一応目処は立ったので、今回はここまでということで一旦解散。
 俺たちの滞在中に決まればその場で契約。
 後日であれば、吠狼を通して連絡するとなった。

 で、休憩と昼食を取ることにしたのだけど、少し長引いてしまったため、昼食の準備はこれからだ。

 食事の支度へ向かうサヤとハインを見送り、オブシズ、シザーと共に、さてどうしようと考えて……俺は暇つぶしに、村の散策に繰り出すことにした。
 森の中を進むと家が出てくるというこの状況。気付いたら本当の森を彷徨っていることになりかねなくて、ぶっちゃけると怖い。
 一人で彷徨くことはしないようにしようと思うのだけれど、多少は慣れておかないと、万が一逸れたら死活問題だ。
 足元をよく見れば、家のある方向には目印となる玄武岩が埋め込まれていると言われたのだけど、正直それを見つけるのも難しい……。三角の形で、長い方が家のある方向を示すようにしてあるという話だけど……。

「オブシズ、これが目印かな……」
「えぇ……こっちじゃないですか?」
「…………どっちもかな?    進んでみる?」
「………………」

 ウロウロしすぎると迷子になりそう!    と、恐れ慄くシザーが、やめておこうよと服を掴んで訴えてくるが、少し歩いて何もなかったら引き返すからと約束し、足を進めた。
 けれど、やはりよく分からない……暫く進んでみても、家も全然見えてこない……。引き返そうかと思いだした頃、進行方向からきゃんきゃんという犬の鳴き声。

「お。こっちで当たってたみたいだな」

 声の聞こえたと思しき方に進むと。

「…………ウォルテール……何してる」

 全裸で子犬と戯れているウォルテールを発見してしまった…………。
 当のウォルテールも、そこはかとなくバツの悪い顔……。

「……あんたこそ……こんな村外れに何しに来たの」
「あれっ⁉︎    こっち家の方向じゃなかった⁉︎」
「こっちに家は無い」

 どうやら迷っていたようだ。 ウォルテールがいてくれなかったらヤバかったかもしれない!
 だけどそれよりもまずはお前のその格好、なんなの⁉︎

「お前、服!」

 せめて下着だけでも身につけろ⁉︎    なんで素っ裸なんだよ⁉︎
 他に人影はなく、ウォルテールが一人で子犬と戯れていた様子。見れば木陰に篭が放り出してあり、その上にウォルテールのものと思われる衣服が散乱している。
 いくら獣人の特徴を晒しても大丈夫な村だからって、解放するにもほどがあるぞ⁉︎

「服、邪魔なんだもん……」
「邪魔とか言わず着なさい!    サヤが通ったらどうするんだ⁉︎」
「村の外れだからサヤは通りませんよ……」

 と、苦笑気味のオブシズ。だけど万が一があっては駄目だろう⁉︎
 そう言ったのだけど、何故かウォルテールは服を着ることを渋る。
 口を尖らせて視線を彷徨わせ、何か言おうとしたものの……結局やめて。

「……俺のことは良いから、ほっといてよ。それより、用事かなんかないの?    早く行ったら?」
「あからさまに追っ払おうとしない!」

 これはあれだ。訳ありの何かだ。そう思ったので絶対に帰ってやらないぞと、ウォルテールの散らかした服を取りに足を進めた。
 下着と細袴を拾い上げたら…………。

「……ウォルテール、まさかその子犬……レイルか?」

 衣服の下に置かれていた大きな篭。そこにはおくるみらしき布が敷き詰められていて、赤子を寝かせるための籠だと気付いた。
 そしてウォルテールと戯れていた子犬……。
 意識していなかったけれど、レイルと同じ毛色……。

「レイル、もう獣化できるのか!」

 獣化ってものすごく練習しなければできないんじゃなかったのか⁉︎
 血が濃いだけじゃなく、むちゃくちゃ優秀⁉︎    と、驚いたのだけど……。

「違う……こっちで生まれて来ちゃったんだ……」

 俺の驚きの声に、何故かウォルテールは悲しそうに顔を歪める。
 その表情の意味が分からず困惑していたのだけど、状況の理解できていない様子の俺に、ウォルテールは渋々、理由を教えてくれた。

「こっちで生まれると……人になれないままの場合が、多い。
 狼の自分にしか、意識が向かないから」
「…………え?」
「獣化すると、頭が鈍くなって、考えたりするのが人の時よりちょっと難しくなる。
 だから、はじめから狼だと、人になることに思考が向かない」

 その言葉の意味を咀嚼するのに、思いの外時間が掛かった。
 獣人というのがどういったものか、俺はまだ理解できていないのだなと、頭の端の方では冷静な部分の俺が、そんなことを考えていたけれど。

「そもそもまず、狼で生まれてくるやつが、滅多にいないけど」

 それは、そうだろうな……。
 獣化できるほどに血が濃いこと自体が稀であると、ローシェンナも言っていたはず。
 獣人の血は、もう人と交わりすぎて、相当薄まっているのだろうし……。
 ロゼの嗅覚のこともあり、ノエミの外見もああだった。だから、あの血筋は血が濃いのだろうとは、思っていたけれど……。

「じゃぁ、レイルは……自分のことを、狼だと思って、生きるということ?」

 その質問に、ウォルテールは戸惑うように視線を彷徨わせた。

「どう……だろう……。どう思ってるかなんて、分からない……」

 そうだよな……。稀だと言っていたし、そもそもの前例が少ないのだから。
 そして獣人は、世間から隠れて生きている……。例え獣で生まれた者がいたとして、その後どうなったかの情報を、獣人同士が知っているとも限らない。

「だけど俺は…………」

 ウォルテールの言葉が続いていたことに気付いて、視線を戻した。
 何かを言いかけて、だけど言葉を飲み込むようにして無理やり押し留め、苦悩するように、顔を歪めて伏せる……。

「……ウォルテール?」

 子犬にしか見えないレイルを胸に抱いて、肉球のある後ろ足を、暫く撫でていたウォルテールは。

「これ見て」

 その足を、俺に見せるように、引っ張った。
 キューンと、レイルが鳴く。

「俺の足と見比べて」

 ウォルテールの足と?

 未だ全裸のウォルテールの足……。
 膝までは、ごく普通。人の足と認識ができる。
 だけどその下から体毛が増え出し、脛の部分が異様に短く、足首がかなり高い位置にあった。
 踵は地面についておらず浮いていて、四本の指の付け根で立っているような感じ。

「指の数、違うだろ?」

 そう言われるまで、ウォルテールの足の指が四本しかないことに、気付いていなかった……。

「レイルの足、指が少し長いし、五本あるんだ」

 そう言われて見ると……生まれて半年にも満たない赤子だ……長いと言われても短いし……よく分からない……。それに指は、レイルも四本だよな?
 首を捻った俺に、ウォルテールはレイルの足の裏側……肉球側を見せてくれた。
 そうすると、前から見たのでは分からない位置……肉球から少し離れて、足の途中から……黒く小さな爪が、伸びている……?

「俺の足には無いんだよ。この指」

 指⁉︎

 毛に埋もれているし、そもそもが短すぎて、ちっちゃな爪がちょこんとあるだけに見えるけれど、これが指らしい。
 後ろを向いたウォルテールの足には確かに、途中から伸びた爪が、見当たらなかった……。

「爪も、ちょと変だろ。丸い……。人の足に近いように見えるんだ。
 だから……少し人と混乱してるのかも……。可能性が、あるのかもしれない……。
 獣化と、人化を見せていたら……そのうちそれが当たり前だと思って、人にもなるんじゃないかって、思って……」

 言いにくそうに、視線を地面に落としたまま……。
 それで合点がいった。ウォルテールが裸だったのは、獣化を繰り返すためだったのだと。

「あれは……酷く疲れるんじゃ、ないのか?」

 獣化は、体の構造を大きく作り変える。だからとても疲れるのだと、前マルに聞いた気がする……。
 なのにそれを、何度も見せているのか?

「俺はそんなに疲れない……」

 そんなに。ならやはり、疲れはするのだ。
 不思議に思った。何故それを、こんな場所で一人で行っていたのか。
 獣化できる者は他にもいるだろうし、なんなら交代で行えば良いのでは?

 ウォルテールは、ここは村の外れだと言った。つまり、人目につかない場所を選び、レイルを連れ出していたわけで……。
 敢えて人に見せていない……。内緒で行なっているのだよな、これは……。

「どうして、ひとりでやっているんだ?」
「…………だっ……って…………なるとは、限らない……。俺が、そうなれば良いなと、思ってるだけだから……。
 だから、皆には内緒。がっかりさせたくない……」

 ピリッとした……何か違和感のようなものを一瞬感じた気がした。
 だけどそれよりも、ウォルテールの言葉……。

 つまりこれは、ウォルテールが一人で考え、行動しているということだった。
 しかも、今まで縁も無かったロジェ村の住人を、悲しませたくないと考え、そうしているということ……。
 それは明らかな、ウォルテールの成長だった。相手のことを考えて、それをしようと思った。だけど、ぬか喜びさせてしまえば、逆に悲しませてしまうかもしれない。だからこうして隠れて、自分が一人疲れるのことを厭わず、幼子の相手をしている……。
 それはなんだか、口下手だけど俺のために指を動かそうとしてくれた、シザーみたいで……。

「お願い、内緒にして……」

 必死で懇願するその姿に、嘘があるようには、見えなかった……。

「分かった。内緒にするよ」

 そう言うと、ホッとした表情。
 その頭に手を伸ばして撫でると、びっくりしたのか瞳を見開き、ぺたんと耳が倒れた。……撫でられるの、好きなのかな?

「なんで撫でるの……?」
「優しい子は、褒めたくなると思うんだよ」
「…………優しい?」
「優しいよ。ウォルテールは、ちゃんと優しさを、サヤ以外にも向けてる。頑張ってるんだな、ほんと……」

 ちゃんと考えて、行動してる。成長してる。
 嬉しくて微笑んだら、口元をひん曲げて顔を伏せた。照れてるのかな?    でもそんな様子も可愛いなと思う。

「ちゃんと人になれると良いな……」
「うん……。
 ……そんなことより、早く帰りなよ。あんたがここにいると、人が探しに来ちゃうじゃん……」
「すまない。……あ、でも……どっちの方向に帰れば良いかな?」
「そっちにまっすぐ。…………今度から匂いの分かるやつ、連れ歩いた方が良いよ……」

 成る程。皆が迷わないのは、匂いで先が見極められるからか!

「分かった。助言もありがとう」
「早く行きなよ……」

 若干追っ払われている感じが少し切なかったけれど、ウォルテールの邪魔をするのは申し訳ないしな……。
 オブシズとシザーも早く帰りたそうにしていたから、言葉に従った。

 言われた通りの方向に進むと、程なくして村人と遭遇。どこに行ってらしたんですか?    と、問われたから、森で迷っていたと答えた。

「迷っていた⁉︎」
「いや、目印だと思ってた石、そうじゃなかったみたいで……」
「よく戻ってこれましたね!」
「あまりに家が出てこないから、途中で引き返して来たんだ」

 そんな風に誤魔化しつつ、集会場まで、その村人に連れて行ってもらうことにした。
 その時にはもう、ウォルテールとの会話にあった違和感を、俺はすっかり忘れてしまっていたのだ……。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...