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流民と孤児 7

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「マル、ちょっと調べて欲しいことができた」

執務室に戻り、第一声。
研修を続けていたマルが顔を上げ、長椅子で寝そべっていたジェイドが片目だけを器用に開いた。

「はいはい。なんです?」
「カタリーナについて。彼女の夫のことが気にかかる」
「アギーの一般庶民ですかぁ。了解です。プローホルの神殿に保護されていたなら、その管轄内のどこかが出身でしょうしねぇ……。
名や特徴は……分からないですよねぇ。まあ、大丈夫です、調べられますよ。ちょっと時間を貰うことになりますけど」

急なことであったのに、マルはこてんと首を傾げただけで、俺の頼みをあっさり聞き入れたから、ホッと安堵の息を吐いたのだけど……。

「で、夫の何が気になるんです?」
「あっ、いや……単に気にかかるって段階だから、まだ何がとかは無くて……。と、とりあえず夫についてを調べてみてくれないか。
カタリーナ……彼女、だいぶん追い詰められている様子で……。
ああまで憔悴してる理由、可能性として一番高いのが、夫関連じゃないのかって、思っただけだから」

しまった。まだ根拠も何もないのに、ただそんな気がして発言してた。
だけどそう思うには、それなりの理由があるんだということを、マルに話すことにした。
応接室で、カタリーナがどんな状態だったか。ただ、あくまで俺の印象の話だから、上手く伝わらないのがもどかしい……。
だけど、彼女を放置なんてできない。あれは、もうギリギリだと思うのだ。
前を見ているのに、見ていない。ジーナを抱えているのに、ジーナを感じていなかった、あれは……。

「どうにも怯え方が、母に似ていて……。今に心中でもしかねないと、思えてしまって……」

俺の言葉に、アーシュも顔を上げた。母を持ち出したことに反応したのだろう。

「穏やかじゃないですね…………」
「さっきは、本当に危険だと思ったんだよ……。
正直、雰囲気としか、言いようがないんだけど……でもあれを俺が、勘違いするわけない…………」

泉に俺を沈めようとした時の、母と酷似していた。
心の闇に囚われて、闇の底にしか行き先を見出せなくなった人の目だったのだ。
せり上がってくる闇に、胸を染め上げられていく、あの感じ。
まとわりつく絶望に、抗い続けることに疲れて、折れそうになっている……。
その絶望は、セイバーンを終わらせようとした時の俺も、囚われていたものだ。俺は、どちら側も経験した。だから、間違えない……間違いようがないんだ。

「今は、多少持ち直している……。女長屋には男性の立ち入りを制限しているって言ったら、少し落ち着いたんだ。だから、暫くは大丈夫だと思うんだけど……。
あの神殿の関係者が彼女を探していると考えるより、夫の方があり得ると思ったんだ。
カタリーナ、もしかしたら、未だに夫から、追われているのかもしれない。
メバックからも、逃げてきたのかも。
なんの根拠もないけど例えば……似た人を見たとか、同じ名前の人を探している噂を聞いたとか…………」

そう言うと、マルは表情を引き締めた。

「メバックから当たりましょう。あそこならば僕は、何一つ取りこぼしません。聞き込み等しているなら、手掛かりも拾いやすいです。きっとすぐ分かりますよ」
「頼む。もしカタリーナらを探す人物が実際見つかったら、素性も洗っておいてほしい。拠点村に来ようとしていたら、それも知らせてもらえるか」
「勿論です」

マルの返事に、ジェイドは特に指示も仰がず、無言で部屋を出て行った。……暫くしてハインが耳を押さえたから、犬笛が吹かれたのだろう。
俺の思い込みでしかない事柄に、彼らが真剣に取り組もうとしてくれていることに、正直ホッとした。
気のせいとか、考えすぎとか言われてもおかしくないことだったから……。

安堵の息を吐いて、さて仕事に戻ろうと、足を執務机に向けた……のだけど。その肩をがしりと、ハインが掴む。

「何?」
「レイシール様は、お部屋でお休みください」
「え?    なんで?」
「サヤ、寝室に放り込んできてください」

俺の問いには答えもせず、問答無用でサヤと共に、執務室を追いやられた。暫く意味が分からず呆然としていたのだけど……。

「…………なんで?」
「大事を取って……ということではないですか?」
「なんの?」

そう問うと、サヤは少し、困ったように笑った。そして俺の問いを誤魔化すように。

「ハインさんを怒らせるのもなんですから、お部屋に行きましょう」

何故かサヤまでがそう言い、俺の手を引き歩き出してしまう。
結局部屋まで連行されて、なんだか釈然としない。
寝室で上着を脱がされて……。

「そのままの格好で良いですから、少しお休みください」
「こんな時間に寝ろって言われても……」
「ハインさんが休憩しなさいって言うなら、それは休憩した方が良いってことですよ」
「その理由も教えてもらえずに、納得しろって?」

まだ昼前だよ。起きたばっかりじゃないか……。
そんな風に渋っていると、サヤはまた、困ったように笑い、少し逡巡してから、あ。と、何かを閃いた様子。
俺の顔を覗き込んで、にこりと笑って。

「なら、子守唄でも歌いましょうか?」
「子守唄…………」

この歳になって子守唄で寝かしつけられるの?
サヤの表情的に、幼子みたいに扱えば、俺がそれを嫌がって、渋々でも布団に入ると考えたのだろう。
…………なんかそんな風に扱われるのも、それを選択されたのも、癪に触った。
そう思ったのだけど、良い代案があることを思い出す。俺はお子様じゃないんだよ……。

「子守唄より……」

サヤを腕の中に捕えて、腰を引き寄せる。急に抱き寄せられたサヤは、ちょっと戸惑うように俺を見上げてきて……。

「膝枕の方が、よく寝付けそうだよ?」

にこりと笑ってそう言うと、途端に頬を朱に染めた。

「えっ」
「なんで驚くの。初めてじゃないだろ?」

前に不可抗力でしてもらったことがある。
あの時は、ただただびっくりが先に立って、サヤの膝を堪能なんてしていられなかった。
まだ恋人関係にもなっていなくて、寝ているうちにサヤへ無体なことをしてしまったのだと慌て、罪悪感で混乱してしまっていた。
でも今、サヤは俺の婚約者だもの。
俺はサヤに触れたって、良いのだ。

「駄目?」

明らかに困っているサヤに、加虐心がくすぐられ、わざと返事を急かした。
火照ったままのサヤが、頬を膨らませ、俺を上目遣いに見上げてくる。

意地悪を言わないで。

そんな風に思っているのは充分伝わっているのだけど、サヤの上目遣いは、俺にとっては煽られているも同然。
いけない方向に気持ちを刺激されてしまうから、今それをするのは逆効果だよ。
心の隅で、嫌がってるから止めなきゃ駄目だと思っていたのに、サヤの耳に唇を寄せて、駄目押しの一言を囁く誘惑に、抗えなかった。

「ギルには前、良いって言ってたくせに……俺は駄目なの?」

うっと言葉に詰まったサヤは、また顔を伏せる。
その困惑した様子に、満足感を感じていた。こうなると、サヤの返事は決まってしまうのだ。
そして、俺の想像通り。

「………………少しだけ、ですよ……」

結局そう言い、恥ずかしげに視線を逸らす。
つい心の中で拳を握ってしまった。ほぼ初めての膝枕を獲得!
内心で喝采を上げていたのだけど、サヤは少し逡巡し、何故か長靴を脱ぐ。

…………?    なんで長靴を脱ぐ?

その行動の意味が分からず、サヤの動きを目で追っていたのだけど、彼女はそのまま、俺の寝台の上に上が……えっ⁉︎

「どうぞ」

そこで横座り。

いや、ちょっと待って、それは想定していなかった……。てっきり、長椅子でやるものだと…………。

「レイ?」

こてんと首を傾げると、尻尾になった黒髪が、さらりとサヤの肩に流れ、腕を撫でて背に戻る。
たったそれだけのことに、ぞくりと身が震えた。あんな些細なしぐさで淫意を催してしまった理由が、我ながら分からない。
細袴から覗く、サヤの足先。日に焼けていない場所。薄い絹靴下から透ける、白くて細い、女性の足……。小さな爪のついた指が、少しだけ動いたと思ったら、細袴の下に隠されてしまった。
俺の視線がそこにあるのに気付いたサヤが、細袴の内に引っ込め、隠してしまったのだけど、先程より頬が赤いから、多分、足先を見られるのが、恥ずかしかったのだと、思う……。

「はよ、おいで」

その染まった頬で、恥ずかしげに視線を伏せ、サヤは少し強い口調で言った。
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