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新風 5

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 よもや番犬が、この方のことを言っていたとは、思いもよらなかった……。

「これより午後の訓練である。関係者以外は散れ!」

 昼の休憩中であった様子の赤騎士団が庭に出て来て、リカルド様がそう吠えた途端、集まっていた人々はあっという間に散っていた。
 中には未練タラタラに俺を振り返って見る人もいたけれど、隣にいる鬼の形相のリカルド様からは、どうしても目を逸らしたくなる様子。

 成る程、番犬……。
 苛烈な武将だと思われているリカルド様が、訓練だと言っている中、騎士訓練所で無意味にたむろしていられる猛者はいないのだなと、感心するしかない。
 そうだよなぁ。公爵ニ家の血を引く由緒正しき方。王家に夫候補として名を挙げたことすらある方だ。正直血筋で張り合える人はほぼ存在しない。役職上同列であったって、殿では呼びにくかろう……。呼び捨てや、喧嘩が当たり前のようにできてしまう陛下は本当に肝が太い……。いや、そりゃ陛下だからね。
 ていうか、俺たちもうちょっとゆっくり来れば良かったんだなこれ……。そうすればあの方々に集られることも無かったに違いない。

「馬鹿者が!    その時はそこら中に隠れている輩に数歩進むごと集られておったわ。
 そもそも、何故この少人数で警戒心無く王宮内を徘徊する⁉︎    到着したらまず知らせを寄越せ!    迎えを待て!    勝手に来るな!
 貴様は自分のしでかしたことが分かっておらんのか⁉︎」

 徘徊扱い且つ、幼児扱いされてしまった……。

 どうやら、井戸での様子を目撃していた団員がいたらしく、宿舎に着いた途端、俺の救出に向かうべく、出てきた凄い形相のリカルド様と鉢合わせし、そのまま中に拉致られ、説教を食らう羽目になった。
 近衛総長が有耶無耶にしてくださったので、事なきを得ましたから大丈夫です。と、伝えたのだけど、有耶無耶にしたことがお気に召さなかった様子。その後もずっとご機嫌が傾いでいらっしゃる。
 この調子だと、リカルド様に助けを求めていたとしたら、確かにとんでもない騒動に発展していたろうな。ファーツ様の読みは正しかった様子。
 そうして現在、用もないのに騎士訓練所の敷地内をうろつきに来る有象無象に、皺寄せが行っていた。申し訳なく思うべきかなこれ……。
 とはいえ、訓練所敷地内とて、王宮内の井戸は共同利用が基本。煩わしくとも文句は言えない。せいぜい訓練を理由に、数時間を確保するのが関の山だった。

「そもそもあんなものをここに放置していけば、これは当然の結果であろうが!」
「放置じゃないですよ……宣伝を兼ねていますから」

 ちゃんと考えがあって残しているし、使えるようにしていたのだ。

「あれの周知は現物に触れていただくのが一番なんです。言葉で説明したって伝わりませんからね」

 これから手押し式汲み上げ機あれを広く売り出さなければならない。まだ高額であるため、目下の標的……購買層は当然、貴族。
 俺がいちいち口で説明して回るよりも、触れてもらうのが断然早い。
 王宮は他領から沢山の貴族が仕官しているし、洗濯女や掃除婦。仕入業者など、街人の出入りもある。下手な広報活動より、余程速く、広く情報が伝わるのだ。しかも無償で。
 交易路計画の方も進めていかねばならないので、俺たちには王宮に長期間滞在している余裕なども無いし、なにより先程のあの輩……。直接宣伝など始めれば、ああいった輩に煩わされることになるだろうと、考えていた。
 …………いや、だから想定していなかったわけじゃなく、もっと秘密裏に接触してくると思ってたんだよな。『うちに便宜を図ってくれれば其れ相応の見返りを用意しますよ』といった風に。
 まさか頭から、堂々と、無償で進呈せよ!    と、言ってくる輩に出くわすとは思わなかった……。

「まぁ、湯屋を作ると、あそこのものは建物の中に収まります。
 ふた月以内に、王宮内で二ヶ所、あれを設置しますし、それで訓練を妨げに来る輩は、ある程度払えるでしょうから、それまで少々ご不便をお掛けすると思うのですが、お許しいただけませんか?」

 会議の最後に陛下より打診があり、書類も交わした。料金も支払っていただけるそう。
 そうお伝えすると、そこではないわ!    と、頭を叩かれてしまった。ご立腹ヶ所は、汲み上げ機ではなかったらしい。

「お主、これよりどうするつもりだ。よりにもよって、オゼロに喧嘩をふっかけたのだぞ。そこは自覚しておろうな?」

 チッと舌打ち。タンタンと足が地面を踏みつける音。
 この方のイライラは、俺が公爵家に喧嘩を売ったことであったようだ。
 オゼロはアギーほどの財力は持ち合わせていないが、特殊な秘匿権をいくつも保有している。代表例が、石鹸と木炭。
 ただ持っているというだけではなく、長年その価値を維持してきている。アギーに聖白石が産出されるまでは、オゼロがこの国きっての大貴族であったのだ。
 だけど、だからってそれが、俺たちがオゼロに挑まない理由には、ならない。

「……無論です」

 干し野菜をいつか、無償開示まで持って行くつもりでいる。
 そうなると当然、乾燥剤として利用する竹炭を、世に出すことになる。
 木炭に類似した品だ……。あちらは俺たちの申請する秘匿権を調べているようであったし、放っておけば、そのうち知られてしまうことになるだろう。
 だけどまずは……まずはあれを形にできるまで持っていかねばならない。安定した製造法、保存期間を確保できなければならない。それには年単位の研究が必要だった。
 だから……。

「この先の衝突は避けて通れなかったもので……。
 ならば初めから、俺の立ち位置をはっきりさせておこうと思ったのです」

 時間稼ぎが必要だったのだ。他の秘匿権に視線を縫い止めておきたかった。そのための大盤振る舞いでもあったのだよな。
 だから自らの意思でふっかけました。
 と、宣言。
 すると、盛大な溜息を吐かれてしまった。

「秘匿権を武器に選ぶ時点で、仕方がないことでしたし」
「武器に選ぶことは良いわ!    だが無償開示……無償開示だぞ⁉︎    其方は前から秘匿権の認識がおかしいと思っていたが、ここまで狂っておるとは思わなんだわ!」
「ですけど、少々話題を攫う程度では役に立たないと思ったんです。衝撃を与えるくらい、劇的なものでないと」
「衝撃⁉︎    これが衝撃程度と?    これは激震であろうが⁉︎」
「病の発表が激震規模だったのですから、そこは致し方ありませんよね」
「貴様……っ、何故そうも振り切れておるのだ…………腹の括り方をもう少し考えろ!」

 リカルド様に怒鳴られ続ける俺を、騎士団の方々が恐怖に引きつった表情で遠巻きにしておられる……。
 訓練の妨げになってしまい、申し訳ない。大丈夫なんで、気にせず訓練してください。と、にっこり笑ってみせたのだが、何故か余計に慄かれてしまった。
 そしてそんな俺の襟首辺りをガシリと掴む無骨な手。

「貴様……私の話を聞いておらぬのか……」
「勿論聞いておりますよ……」

 よそ見をしていたのがバレてしまった……。
 広の視点を意識していると、周りの反応が見えてしまうので、つい対応してしまったのだけど、話半分で聞いていると思われてしまったようだ。
 仕方がないので、もう少し胸の内を……俺の考えを伝えておくことにする。
 俺は、会議の時だって、本音を言っていると、言ったじゃないですか。国のために身を削っているつもりは、無いんですよ……。

「……俺があの秘匿権を独占し、利益を得ることに、有益な意味など無いではないですか。
 洗濯板、硝子筆、汲み上げ機……秘匿権を行使すれば、どれもこれも高額で、男爵家の領地ではただの宝の持ち腐れ。購入者すら限られます。
 金貨二十七枚だって、民には考えられないほどの大金なんですよ?    その十倍もするような値段のもの、領内の何人が買えると言うんです」

 他領や富豪に売りつけたところで、有難がって眺めるだけの汲み上げ機では、その辺に置かれた調度品の壺と変わらない……。
 あれは、使われるからこそ価値があるのだ。皆が使うことで、価値が磨かれていくのだと思う。

「会議で述べた通り、セイバーンの職人で作れる汲み上げ機の量は、たかが知れております。それではこの国には行き渡らない……。使われない金の卵に、金の卵たる価値はありませんよ。
 無償開示するふたつも、手押し式汲み上げ機も、多くの者に使われてこそ、価値がある。今ある秘匿権の中にも、そういったものが山とあります。けれど、秘匿され、せっかくの価値を腐らせている……。
 だから、前例を作ることにしたんです。秘匿権の、新たな利用法として。
 無償開示だって立派な、秘匿権の価値。使用手段だと、俺は思うのですけどね」

 誰かの秘匿権を、皆で共有するという新たな価値だ。それは今のこの時代だけの話ではない。これから先の未来に、フェルドナレンが続く限り、広がる共有だ。
 たとえ製作者が一度途絶えたとしても、国が管理し、無償で作り方を開示していれば、いつかまた作る者が現れる。数多の人が作っていくうちに、もっとより良いものに、育っていくだろう。
 けれど本当は……今。今をそれに、使い続けていくべきだ。

「フェルドナレンを豊かにしていこうと思うなら、今を維持するだけでは駄目です。それは先細りの道だと、もう我々は学んだではないですか。
 この国に血を巡らせなければならない。そのために陛下は、病を公表したのです。
 王家が進むのなら、我々も進まねば。先を探さなければなりません。そのための手段を、得なければ。
 だのに、進化の可能性すら死なせている今の秘匿権では……大災厄前の文明を取り戻すどころか、フェルドナレンを今より豊かにすることすら、夢のまた夢です」

 そう言うと、言葉を詰まらせるリカルド様。
 血の巡らない肉は腐る。それは秘匿権だって、国だって同じこと。今の秘匿権のままでは、最終的には価値を腐らせることしかできない……。俺にはそう見えているんです。

「この汲み上げ機だって、まだ先があるんです。もっと良いものになる。
 秘匿し、作り方を封印してしまっては、そのための模索すら進められない……。
 少数をちまちま作っていくだけでは、検証すらままならないんです。
 製造に大金がかかるこの品を作りつづける環境も、得られませんしね」

 木炭を湯水のように使うのだ。売れなければ作れない……。
 けれど、ただ作っていくだけでも駄目なのだ。沢山の手で、沢山の模索を一度に行うことが大切。
 そうすることが、情報の蓄積、共有に大きな意味を生む。
 技術を研ぎ澄ませていく上で最も重要なのは、規模と、時間。情報が失われていく前に、それを重ね続けていくことだ。

「だが……オゼロを敵に回せば、肝心の燃料が滞るやもしれぬのだぞ。それは分かっていような?」
「…………」

 そう……オゼロは木炭の権利を秘匿し、独占している。
 多分あちらは、これからセイバーンに売る木炭の量に、制限を掛けてくるだろう。
 そうしておき、何かしらこちらに取引を持ちかけてくる。燃料を盾に、譲歩を引き出そうとしてくるはずだ。
 そうやって、オゼロは今まで、木炭の価値を高め、維持してきた。
 木炭だけでなく、秘匿権の価値と形を、思うものに維持してきている。
 だからこそ、どうやったって、オゼロとはぶつかる。
 ならば悩むまでもない。もう初めから戦おうと、決めたのだ。

「勿論、分かっています。
 ケンカを売っておいて、準備してないなんて愚は、冒してませんよ」
「…………」

 戦う手段は講じていますと、安心させるために伝えたのだけど、何故かとても疲れた顔をされてしまった。

「公爵家と戦うことが愚行だ……。既に愚を冒しておるわ……」

 しかしと、息を吐く。

「今更か……。王家にすら背いた貴様に、公爵家など、赤子の手を捻るも同然よな……」

 いやまさか。そんなわけないでしょう……。

「誤解ですよ?」
「誤解なものか。そもそも私に怒鳴られておるのに聞き流し、笑って手を振っている輩など、今までおらぬわ」
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