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式典 6
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父上と、ヴァイデンフェラー男爵様。同じく戴冠式に出席していた奥方様と合流し、共に、庭で時間を潰すことにして、俺たちは足を進めた。
車椅子は段差を登るには不向きだし、待合室まで行くと上り下りが大ごとだと父上がおっしゃったのだ。
アーシュが見当たらないなと思っていたら、ルフスを呼びに行っていたようだ。ヴァイデンフェラーの従者方とも合流となり、ちょっとした大所帯。
「いい加減落ち着きなさい。
サヤの強さを一番理解しているのは其方だろうに」
そわそわと落ち着かない俺に、呆れた口調で父上。
戴冠式の最中は、椅子を用意してもらえてたということで、然程苦でもなかったとのこと。体調も問題無い様子で良かったと思う。
だけど、グラヴィスハイド様が、あんなことを言うものだから……神殿でサヤがアレクセイ殿に遭遇していないか、気になって仕方がない。
アレクセイ殿も、春から司教に任じられるとおっしゃっていたし、王都にいらっしゃっているのだろうから。
「あとどれくらい掛かるんでしょう……」
「まだ神殿にも到達しておらぬわ。市街を巡っている最中だろうからな」
そう言う父上の後ろで、アーシュの視線が冷たい……。こいつここまで女に骨抜きで領主が勤まんのかよ……みたいな冷めきった表情だ……。
「セイバーンの後継殿は本当に嫁一筋なのだなぁ。まぁ分からんでもない。強い女が弱る瞬間というのはこう、保護欲を掻き立てられるよなぁ!」
知ってる! と、言わんばかりにヴァイデンフェラー男爵様。
その隣で奥方様は無言ながら、嫌そうな顔だ……。この方の場合、半分くらいは演技で弱ってそうだよなぁと思うと、なんか複雑……。
だけどそれで家庭が円満なら良いのかな……仲はとても良さそうだものな……うん。良いってことにしておこう。
夫婦円満の秘訣は奥方様にあるのだなと感心しつつ、俺たちは庭の東屋の一つを利用することにした。アーシュが使用人に飲み物と軽い軽食をお願いしてくれ、任命式前に多少腹に入れておくことにする。
「そういえば、朝方女近衛の正装をユーロディアが見せに来てくれたのだ! あれはとても良かった! あの鼻垂れ娘がとても凛々しく見えたわ!」
「貴方、ユーロディアはもう成人しましたのよ。いつまでも子供扱いはかわいそう」
不意に出た名前に、やっぱり知り合いなんだと感心する。
……まぁそうだよな。ユーロディア殿は最前線を担当していたと言った。この方も周りの制止を聞かず飛び出していく人だそうだし、お互いを見かけていないはずはないか。
「ユーロディア殿は、短槍の名手なのですよね?」
「うむ。あれは筋力こそ男に劣るが、速さと正確さは突出しておる。やろうと思えば服だけ切り裂くことだってできるだろうよ」
女性の騎士……しかも近衛という、本来であればあまり好ましく思われない職種に関しては、これっぽっちも思うところがないらしいヴァイデンフェラー男爵様。
彼女の強さをただ褒める姿が素晴らしいなと思う。
「戴冠式も素晴らしかったな。近衛の色が、陛下の白を際立たせていた」
「そうだな! 姫様はとても美しく、雄々しかった!」
「貴方、もう陛下でしてよ」
「む。そう言わなんだか?」
本気で気付いていない様子でヴァイデンフェラー男爵様。思いっきり姫様呼びしてましたけどね……と、苦笑するしかない。
白を、際立たせていた……か。
王家のあの白が病だと知ったら、父上らはどうされるだろうか……。
三日後……祝祭の最終日に、姫様は自らの白を病と公表するだろう。
反応からして、ディート殿は王家の秘密を実家にも知らせていないのだと思う。
無論、言うわけにはいかない。俺だって父上にも告げていない。だから、あれが発表された時、お二人はどう思うだろうなと、少し考えてしまった。
だけどヴァイデンフェラー男爵様は……特に変わらない気がするから不思議だ。ディート殿もそうだし、きっと頓着しないのじゃないかなと思う。
そんな風にヴァイデンフェワーの方々と交流を深めている間に、思いの外時間が過ぎていたようだ。
鈴の音に顔を上げると、どうやら刻限であるらしい。陛下の御戻りだ。
「役職を賜る方々は、待合室の方へ移動をお願いいたします!」
そう呼びかける使用人に、俺は席を立った。
「む。もうそんな時間か」
「では父上、行って参ります」
「うむ。我々は、陛下のお出迎えに向かうとしよう」
何事もなく戻ってきているならば、サヤも大丈夫そうだな……ホッとした。
東屋を離れ、今一度王宮内に足を踏み込んだ。使用人を探し、待合室の場所を確認すると、ご案内致します。とのこと。
「ありがとう」
何故か少々驚いた顔をされたのだけど、俺の髪が長いことに気付いていなかったのかな?。
その使用人に連れられて足を進め、先程とは違う、別の待合室へと案内された。
当然神殿へ同行された大臣らやルオード様はいらっしゃらず、俺と同格の方々のみが集まる場となっているようだ。
先ほど挨拶は済ませたし、ここですることは特に無いかな。
皆様方も、一番の若輩者たる俺のことは視界に入っているだろうけれど、敢えて意識しない方向であるらしい。
そうやっていないものとして扱われる状況を、懐かしくすら思った。
今更居心地悪い気もしない。慣れているし。相手が何かしら言ってくるまで、反応せずとも良いのだと思えば気が楽だ。敢えて話し掛けて、困らせるのも気がひけるしな。
ともいうわけで、極力部屋の隅の席を陣取って、暫く窓の外でも眺めておくことにする。
さて、呼び出しまでもう暫く休むかな。
◆
役職を賜るというのは、家の誉れである。
貴族出身の使用人ならば任命式への参加も認められるし、戴冠式へは出席資格がなくとも、こちらに出ようと、王都についていらっしゃった身内の方々というのが、多く参加する。
陛下となられた姫様の初仕事でもあるし、陛下を一目拝見したいと参加する者は、やはり多かった。
任命式は、まず文官位から始まるため、俺を含む文官の長に任じられた者から。
「カスト伯爵家 ビセンテ」
「はっ」
名を呼ばれた者は中央に進み出る。
陛下の座す壇上の手前まで進むと、そこには記名台が用意されているのだが、陛下が壇上にて署名捺印した任命書が、近衛の手によってここに運ばれてくる。
本日、その役は女近衛が賜る様子。
マルグレート様が、壇上の陛下から受け取った書面を記名台まで運んで来る。
陛下のもとにはリヴィ様と近衛隊長が付き従い、残りの近衛は大広間を囲う警備に割り振られている様子。
大広間の内側は近衛、外側は騎士らが担当している。
「其方を財務官長に任ずる。以後励め」
「は。粉骨砕身、務めて参ります」
署名は二箇所。上部と下部に同じ文言が繰り返し記されているのだが、そのどちらにも署名して、最後に紋章印を中央に捺印する。
ここでまた驚かされることになった…………。
記名台の筆が、どう見ても硝子筆……。
そして、壇上で署名する姫様も硝子筆を利用していたのだ。
あの特徴的な軸……赤い軸は、どう見ても見間違いじゃない……。
署名捺印が終わると、記名台に護謨板が置かれ、その署名を小刀で真ん中から二つに切り分ける。
定規などは使わない。ただ真っ直ぐ切る者もいれば、歪になってしまう者もいるのだが、とにかくどちらの紙にも印が入るようにしなければならない。
そうして、上半分を拝命した者が。下半分を王家が預かるのだ。
その半分を手にした時、拝命者の家に連なる者は歓声を上げ、祝いの言葉を述べ、拍手を送る。これで、正式に役職を賜ったこととなる。
その祝いの声の大きさが、そのままその者の力といっても過言ではなく、ある種、祝福の声が権威の象徴でもあった。
でもって、当然なのだけど、アギー傘下の方は参加人数も、拝命者も多い……。アギー公爵様も引き続き財務大臣を拝命されるとのことだから、奥方様は皆様出席されており、三十人以上というお子の中からも、複数人が出席されている様子だ。ただ、不思議とご令嬢は少なめだな……幼き姫は多いのだけど……。
アギーに仕える子爵家の方々も多く出席しているので、歓声の大きさは常に抜きん出ていた。声の大きさで「アギー関係だな」と、すぐに分かる。
このビセンテ様も、カスト伯爵家の方ということだが、やはりアギーと関わりの深い方なのだと思う。アギーの方からの拍手も多くあがってていた。
俺は名を呼ばれ、任じられる方々それぞれに拍手を送り、順番を待つ。まぁ、百名近くいる長官方の中で、自分が一番年齢が低いと分かっているので、意外と気楽に順番を待った。
「おめでとうございます」
ビゼンテ様が俺の隣の席に戻ってきたので、小声でそう伝えると、いや、ありがとう。という返事。
手の中の任命書を、どこか感慨深げに眺めている。
王家の紋章印が半分とはいえ押された書面だ。戻ったら額縁に入れて飾られることだろう。
ごく稀に、男爵家からも名を呼ばれる者がいたけれど、やはり圧倒的に少なかった。
公爵、伯爵家に仕える子爵家と違い、領地に籠っていることの多い男爵家は、まず王家の目にとまる機会からして少ないのだから、仕方がないのかもしれない。
当然のことながら、ジェスルから名を呼ばれる者もおり、壇上に進む。
面識のない方ばかりであったけれど、セイバーンの俺がここに座ってることは理解していように、それに対する反応は一切無い。
もう完全に、縁が繋がっていないという立ち位置を取っているのだろう。
そうして一時間以上を待ち、一番最後、俺の番。
「セイバーン男爵家、レイシール」
「はっ」
「領主殿もお越しいただけるか。成人前ゆえな」
「はい」
後方の席から父上の声。
車椅子を押してくれるのは無論アーシュだ。ルフスはまた待合室だものな。
「あれ、イエレミアーシュか!」
という声がしたのでそちらを見たのだが、子爵家の集まる辺りだ……。アーシュ、貴族出身って言ってたけど、性は教えてもらっていない。まさかの上位、子爵家の者であるらしい。
車椅子にも会場が騒めいた。当然だろう。先程先王様……ヴォルデクラウド様が座していたのだから、記憶に刻まれたばかりだ。
ざわめく会場の中に、子供の「あの人お姉ちゃんじゃないの?」なんて声が混じってた気もするが……まぁそこは、気にしない方向で。おかげで緊張もほぐれたし。
「其方を地方行政官長に任ずる。以後励め」
「はっ。全身全霊で、お仕え致します」
俺の捧げられるもの全てをフェルドナレンのために。
その気持ちでこの言葉を選んだ。
俺の人生や魂はサヤに捧げてしまっているから。俺の持ちうるもの全てを出し切って、この国のために尽くす。
クリスティーナ陛下のため、ヴォルデクラウド様への、せめてもの償いに。
マルグレート様により運ばれた書面に向かい、白い軸の硝子筆を手に取った。
面白かったのは、筆を置いてある盆に「筆は墨に先端を浸すだけ。厳守!」と、書かれた紙切れが貼られていたこと。
この力強い堂々とした文字は姫様だ。
言われるまでもないけれど、墨皿の墨に筆先を浸してから、二箇所に署名。紙の中心に王家の紋章印が押されていたので、その右隣に、少し重なるようにして俺の紋章印を押した。次は父上。懐から取り出された領主印を、俺とは逆の左側に、やはり少し重なるようにして押印。
護謨板を下に挟み、筆の隣に置かれた小刀でもってそれを極力中心で、二つに切り分けた。上半分を俺が手に取り、下半分はマルグレート様が、陛下のもとに運ぶ。
セイバーン男爵家からの参加者はここに立つ三人と、現在は会場内で警護の任にあたるサヤのみ。
当然、拍手も歓声も無いものと思っていた……。
そのまま一礼して席に戻ろうとしたのだけど……。
並ぶ公爵家の方々からの拍手に驚いた。
アギー公爵家だけではない。ヴァーリン公爵家までもが、手を叩いてくださったのだ。
吊られてその連なりであろう子爵家からもパラパラとした拍手。そしてだんだんと広がっていった。
「おめでとう!」
五人分かというほどの大声でそう吠えてくださったのはヴァイデンフェラー男爵様か。
ヴァイデンフェラーからは、どなたも役職を賜ってはいなかったはず……なら、わざわざ父上や、俺のために参加してくださっていたのか。
「レイシール、おめでとう!」
「おめでとう」
「また会えて嬉しい、おめでとうレイシール」
「学舎の一同もお前を祝福するからな!」
席に戻る最中も、参列者から言祝ぎの言葉が飛んだ。見知った顔……学舎で縁のあった方々がそんな声を掛けてくださった。
土嚢壁関係で関わっている方も、関わっていない方も混じり、考えてもいなかった状況に、涙腺が決壊してしまうのじゃないかと心配になるくらい、胸が詰まった。鼻の奥がツンとした。喜びの涙というものが、これほど堪え難いものだとは……。
俺が切ったと思っていた縁が、これ程までも繋がっていた。手離さないでいてくれた。そのことに感謝しかなかった。
「学舎で、良い縁を沢山得たのだな」
離れる直前で、父上がそう言い、俺の手を撫でてくれた。
だから本心から「はい」と、返事を返す。
「本当に……。俺にとって、あの十年は宝です」
掛け替えのない、宝です。
車椅子は段差を登るには不向きだし、待合室まで行くと上り下りが大ごとだと父上がおっしゃったのだ。
アーシュが見当たらないなと思っていたら、ルフスを呼びに行っていたようだ。ヴァイデンフェラーの従者方とも合流となり、ちょっとした大所帯。
「いい加減落ち着きなさい。
サヤの強さを一番理解しているのは其方だろうに」
そわそわと落ち着かない俺に、呆れた口調で父上。
戴冠式の最中は、椅子を用意してもらえてたということで、然程苦でもなかったとのこと。体調も問題無い様子で良かったと思う。
だけど、グラヴィスハイド様が、あんなことを言うものだから……神殿でサヤがアレクセイ殿に遭遇していないか、気になって仕方がない。
アレクセイ殿も、春から司教に任じられるとおっしゃっていたし、王都にいらっしゃっているのだろうから。
「あとどれくらい掛かるんでしょう……」
「まだ神殿にも到達しておらぬわ。市街を巡っている最中だろうからな」
そう言う父上の後ろで、アーシュの視線が冷たい……。こいつここまで女に骨抜きで領主が勤まんのかよ……みたいな冷めきった表情だ……。
「セイバーンの後継殿は本当に嫁一筋なのだなぁ。まぁ分からんでもない。強い女が弱る瞬間というのはこう、保護欲を掻き立てられるよなぁ!」
知ってる! と、言わんばかりにヴァイデンフェラー男爵様。
その隣で奥方様は無言ながら、嫌そうな顔だ……。この方の場合、半分くらいは演技で弱ってそうだよなぁと思うと、なんか複雑……。
だけどそれで家庭が円満なら良いのかな……仲はとても良さそうだものな……うん。良いってことにしておこう。
夫婦円満の秘訣は奥方様にあるのだなと感心しつつ、俺たちは庭の東屋の一つを利用することにした。アーシュが使用人に飲み物と軽い軽食をお願いしてくれ、任命式前に多少腹に入れておくことにする。
「そういえば、朝方女近衛の正装をユーロディアが見せに来てくれたのだ! あれはとても良かった! あの鼻垂れ娘がとても凛々しく見えたわ!」
「貴方、ユーロディアはもう成人しましたのよ。いつまでも子供扱いはかわいそう」
不意に出た名前に、やっぱり知り合いなんだと感心する。
……まぁそうだよな。ユーロディア殿は最前線を担当していたと言った。この方も周りの制止を聞かず飛び出していく人だそうだし、お互いを見かけていないはずはないか。
「ユーロディア殿は、短槍の名手なのですよね?」
「うむ。あれは筋力こそ男に劣るが、速さと正確さは突出しておる。やろうと思えば服だけ切り裂くことだってできるだろうよ」
女性の騎士……しかも近衛という、本来であればあまり好ましく思われない職種に関しては、これっぽっちも思うところがないらしいヴァイデンフェラー男爵様。
彼女の強さをただ褒める姿が素晴らしいなと思う。
「戴冠式も素晴らしかったな。近衛の色が、陛下の白を際立たせていた」
「そうだな! 姫様はとても美しく、雄々しかった!」
「貴方、もう陛下でしてよ」
「む。そう言わなんだか?」
本気で気付いていない様子でヴァイデンフェラー男爵様。思いっきり姫様呼びしてましたけどね……と、苦笑するしかない。
白を、際立たせていた……か。
王家のあの白が病だと知ったら、父上らはどうされるだろうか……。
三日後……祝祭の最終日に、姫様は自らの白を病と公表するだろう。
反応からして、ディート殿は王家の秘密を実家にも知らせていないのだと思う。
無論、言うわけにはいかない。俺だって父上にも告げていない。だから、あれが発表された時、お二人はどう思うだろうなと、少し考えてしまった。
だけどヴァイデンフェラー男爵様は……特に変わらない気がするから不思議だ。ディート殿もそうだし、きっと頓着しないのじゃないかなと思う。
そんな風にヴァイデンフェワーの方々と交流を深めている間に、思いの外時間が過ぎていたようだ。
鈴の音に顔を上げると、どうやら刻限であるらしい。陛下の御戻りだ。
「役職を賜る方々は、待合室の方へ移動をお願いいたします!」
そう呼びかける使用人に、俺は席を立った。
「む。もうそんな時間か」
「では父上、行って参ります」
「うむ。我々は、陛下のお出迎えに向かうとしよう」
何事もなく戻ってきているならば、サヤも大丈夫そうだな……ホッとした。
東屋を離れ、今一度王宮内に足を踏み込んだ。使用人を探し、待合室の場所を確認すると、ご案内致します。とのこと。
「ありがとう」
何故か少々驚いた顔をされたのだけど、俺の髪が長いことに気付いていなかったのかな?。
その使用人に連れられて足を進め、先程とは違う、別の待合室へと案内された。
当然神殿へ同行された大臣らやルオード様はいらっしゃらず、俺と同格の方々のみが集まる場となっているようだ。
先ほど挨拶は済ませたし、ここですることは特に無いかな。
皆様方も、一番の若輩者たる俺のことは視界に入っているだろうけれど、敢えて意識しない方向であるらしい。
そうやっていないものとして扱われる状況を、懐かしくすら思った。
今更居心地悪い気もしない。慣れているし。相手が何かしら言ってくるまで、反応せずとも良いのだと思えば気が楽だ。敢えて話し掛けて、困らせるのも気がひけるしな。
ともいうわけで、極力部屋の隅の席を陣取って、暫く窓の外でも眺めておくことにする。
さて、呼び出しまでもう暫く休むかな。
◆
役職を賜るというのは、家の誉れである。
貴族出身の使用人ならば任命式への参加も認められるし、戴冠式へは出席資格がなくとも、こちらに出ようと、王都についていらっしゃった身内の方々というのが、多く参加する。
陛下となられた姫様の初仕事でもあるし、陛下を一目拝見したいと参加する者は、やはり多かった。
任命式は、まず文官位から始まるため、俺を含む文官の長に任じられた者から。
「カスト伯爵家 ビセンテ」
「はっ」
名を呼ばれた者は中央に進み出る。
陛下の座す壇上の手前まで進むと、そこには記名台が用意されているのだが、陛下が壇上にて署名捺印した任命書が、近衛の手によってここに運ばれてくる。
本日、その役は女近衛が賜る様子。
マルグレート様が、壇上の陛下から受け取った書面を記名台まで運んで来る。
陛下のもとにはリヴィ様と近衛隊長が付き従い、残りの近衛は大広間を囲う警備に割り振られている様子。
大広間の内側は近衛、外側は騎士らが担当している。
「其方を財務官長に任ずる。以後励め」
「は。粉骨砕身、務めて参ります」
署名は二箇所。上部と下部に同じ文言が繰り返し記されているのだが、そのどちらにも署名して、最後に紋章印を中央に捺印する。
ここでまた驚かされることになった…………。
記名台の筆が、どう見ても硝子筆……。
そして、壇上で署名する姫様も硝子筆を利用していたのだ。
あの特徴的な軸……赤い軸は、どう見ても見間違いじゃない……。
署名捺印が終わると、記名台に護謨板が置かれ、その署名を小刀で真ん中から二つに切り分ける。
定規などは使わない。ただ真っ直ぐ切る者もいれば、歪になってしまう者もいるのだが、とにかくどちらの紙にも印が入るようにしなければならない。
そうして、上半分を拝命した者が。下半分を王家が預かるのだ。
その半分を手にした時、拝命者の家に連なる者は歓声を上げ、祝いの言葉を述べ、拍手を送る。これで、正式に役職を賜ったこととなる。
その祝いの声の大きさが、そのままその者の力といっても過言ではなく、ある種、祝福の声が権威の象徴でもあった。
でもって、当然なのだけど、アギー傘下の方は参加人数も、拝命者も多い……。アギー公爵様も引き続き財務大臣を拝命されるとのことだから、奥方様は皆様出席されており、三十人以上というお子の中からも、複数人が出席されている様子だ。ただ、不思議とご令嬢は少なめだな……幼き姫は多いのだけど……。
アギーに仕える子爵家の方々も多く出席しているので、歓声の大きさは常に抜きん出ていた。声の大きさで「アギー関係だな」と、すぐに分かる。
このビセンテ様も、カスト伯爵家の方ということだが、やはりアギーと関わりの深い方なのだと思う。アギーの方からの拍手も多くあがってていた。
俺は名を呼ばれ、任じられる方々それぞれに拍手を送り、順番を待つ。まぁ、百名近くいる長官方の中で、自分が一番年齢が低いと分かっているので、意外と気楽に順番を待った。
「おめでとうございます」
ビゼンテ様が俺の隣の席に戻ってきたので、小声でそう伝えると、いや、ありがとう。という返事。
手の中の任命書を、どこか感慨深げに眺めている。
王家の紋章印が半分とはいえ押された書面だ。戻ったら額縁に入れて飾られることだろう。
ごく稀に、男爵家からも名を呼ばれる者がいたけれど、やはり圧倒的に少なかった。
公爵、伯爵家に仕える子爵家と違い、領地に籠っていることの多い男爵家は、まず王家の目にとまる機会からして少ないのだから、仕方がないのかもしれない。
当然のことながら、ジェスルから名を呼ばれる者もおり、壇上に進む。
面識のない方ばかりであったけれど、セイバーンの俺がここに座ってることは理解していように、それに対する反応は一切無い。
もう完全に、縁が繋がっていないという立ち位置を取っているのだろう。
そうして一時間以上を待ち、一番最後、俺の番。
「セイバーン男爵家、レイシール」
「はっ」
「領主殿もお越しいただけるか。成人前ゆえな」
「はい」
後方の席から父上の声。
車椅子を押してくれるのは無論アーシュだ。ルフスはまた待合室だものな。
「あれ、イエレミアーシュか!」
という声がしたのでそちらを見たのだが、子爵家の集まる辺りだ……。アーシュ、貴族出身って言ってたけど、性は教えてもらっていない。まさかの上位、子爵家の者であるらしい。
車椅子にも会場が騒めいた。当然だろう。先程先王様……ヴォルデクラウド様が座していたのだから、記憶に刻まれたばかりだ。
ざわめく会場の中に、子供の「あの人お姉ちゃんじゃないの?」なんて声が混じってた気もするが……まぁそこは、気にしない方向で。おかげで緊張もほぐれたし。
「其方を地方行政官長に任ずる。以後励め」
「はっ。全身全霊で、お仕え致します」
俺の捧げられるもの全てをフェルドナレンのために。
その気持ちでこの言葉を選んだ。
俺の人生や魂はサヤに捧げてしまっているから。俺の持ちうるもの全てを出し切って、この国のために尽くす。
クリスティーナ陛下のため、ヴォルデクラウド様への、せめてもの償いに。
マルグレート様により運ばれた書面に向かい、白い軸の硝子筆を手に取った。
面白かったのは、筆を置いてある盆に「筆は墨に先端を浸すだけ。厳守!」と、書かれた紙切れが貼られていたこと。
この力強い堂々とした文字は姫様だ。
言われるまでもないけれど、墨皿の墨に筆先を浸してから、二箇所に署名。紙の中心に王家の紋章印が押されていたので、その右隣に、少し重なるようにして俺の紋章印を押した。次は父上。懐から取り出された領主印を、俺とは逆の左側に、やはり少し重なるようにして押印。
護謨板を下に挟み、筆の隣に置かれた小刀でもってそれを極力中心で、二つに切り分けた。上半分を俺が手に取り、下半分はマルグレート様が、陛下のもとに運ぶ。
セイバーン男爵家からの参加者はここに立つ三人と、現在は会場内で警護の任にあたるサヤのみ。
当然、拍手も歓声も無いものと思っていた……。
そのまま一礼して席に戻ろうとしたのだけど……。
並ぶ公爵家の方々からの拍手に驚いた。
アギー公爵家だけではない。ヴァーリン公爵家までもが、手を叩いてくださったのだ。
吊られてその連なりであろう子爵家からもパラパラとした拍手。そしてだんだんと広がっていった。
「おめでとう!」
五人分かというほどの大声でそう吠えてくださったのはヴァイデンフェラー男爵様か。
ヴァイデンフェラーからは、どなたも役職を賜ってはいなかったはず……なら、わざわざ父上や、俺のために参加してくださっていたのか。
「レイシール、おめでとう!」
「おめでとう」
「また会えて嬉しい、おめでとうレイシール」
「学舎の一同もお前を祝福するからな!」
席に戻る最中も、参列者から言祝ぎの言葉が飛んだ。見知った顔……学舎で縁のあった方々がそんな声を掛けてくださった。
土嚢壁関係で関わっている方も、関わっていない方も混じり、考えてもいなかった状況に、涙腺が決壊してしまうのじゃないかと心配になるくらい、胸が詰まった。鼻の奥がツンとした。喜びの涙というものが、これほど堪え難いものだとは……。
俺が切ったと思っていた縁が、これ程までも繋がっていた。手離さないでいてくれた。そのことに感謝しかなかった。
「学舎で、良い縁を沢山得たのだな」
離れる直前で、父上がそう言い、俺の手を撫でてくれた。
だから本心から「はい」と、返事を返す。
「本当に……。俺にとって、あの十年は宝です」
掛け替えのない、宝です。
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王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
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