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門出 14

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「申し訳ない……。少し、時間が掛かりそうなので、皆様は先に拠点村へ向かってください。
 ハインは皆様を頼む。ギルも、そっちをお願いできるか?」

 状況は分からない。それでも、カーリンを泣かせているのがダニルであることには、確信があった。
 本当は、今すぐにでも彼の胸ぐらを掴んで揺さぶりたい衝動に駆られていたのだけれど、これだけの人数を前に吊るし上げるのもよくないだろう。ダニルはともかく、きっとカーリンが辛い。
 だから、笑顔で皆にそう告げた。
 すると、真っ先に否やを唱えたのはやはりサヤ。

「私は残ります」
「うん。サヤには、カーリンをお願いしたいから、頼む」
「護衛は残します。シザー」

 ハインの声に、いつも通り返事は無く、こくりと頷くシザー。
 珍しくオロオロしていないのは、場の緊張感を肌で感じているからだろう。

「馬車は残せませんから、オブシズは馬車に。馬二頭を残しておきます。……さっさと帰って来てくださいよ」
「分かってるよ」

 何度も渋るクオン様やリヴィ様を、ギルが行きましょうと促し、最後に俺をちらりと見た。あとで教えろよといったその視線に、分かったと頷き、手を振って見送って……。

「さて。カーリン、食事処に戻ろう。
 二人がここにいて大丈夫なの?」
「は、はい。昼の賄いは終わったから……」
「そうか、なら二階の部屋を借りれるかな。……ダニル、良いな」

 どうしても低くなってしまった俺の声音に、ダニルが項垂れる。そして、渋々といった様子でこくりと頷いた。
 食事処には、ソワソワとしつつ残っていた村の少女が二人いた。新たに手伝いとして雇った者らだろう。
 俺たちの登場に、少しホッとした顔で迎えてくれる。
 その子たちに洗い物や夕食の賄いの下ごしらえをお願いして、俺たちは揃って二階へと上がった。シザーは率先して廊下の中程に立つ。ここで警護を行ってくれるらしい。
 俺たちは、一番奥の元々はガウリィの部屋だったところに入り、扉を閉ざした。

「で。これはどう言う状況?
 ダニルはいったい、どういうつもりなんだ」

 カーリンが、俺に縋るような状況ってなんだよ。彼女にお前は何をした?

 しかし俺の問いかけに、ダニルは沈黙を守ったまま。
 暫く部屋の中は、カーリンのすすり泣きのみが聞こえていた。

 カーリンを寝台に座らせて、背中をさすっていたサヤが、多少落ち着いたのを確認して、俺の元にやって来た。
 そうして多分……と、前置きしてから「四ヶ月か、五ヶ月か……自信は無いですけど……多分、それくらい」と、耳元で囁く。
 お腹が僅かに、膨らんできているという。
 ギルの言った通り、間違いなく、身籠っているんだな……。
 しかしまだ、一見しただけでは分からないくらいの段階。衣服などに惑わされないギルだからこそ気付けたのだろう。そして……。

 下手をすればカーリンは、この冬の間、ずっと一人でこうして、苦しんでいたってことか?

 そう考えたら、もう怒りを押し殺してはいられなかった。
 左手を伸ばし、ダニルの襟元を掴み、引き寄せる。

「お前なんだよな。腹の子の、父親は」

 敢えてそう言葉にした。
 すると、恐怖にも似た何かを、瞳に過ぎらせたダニル。
 それは、俺にとって許せない反応だった。

 突き飛ばすようにして手を離し、左の拳を握る。右手の不自由が、少し煩わしいと感じた。もし右が使えたなら、もっと痛手を負わせることもできたのに。
 そんなことを思いつつ、ダニルの右頬に向かい拳を振り抜く。
 ダニルも元は兇手。俺の拳なんて、簡単に避けられたはずだった。でも拳は、違わず狙った場所にぶち当たる。
 けれど、やっぱり慣れてない俺の拳なんて、さした痛みも与えられなかったろう。よろめかすことすら、できなかった。

 サヤに殴って貰えば良かったかな……。

 一瞬そう思ったけれど、彼女の手を煩わせるのもおかしいかと、考え直す。
 駄目だな。思考が現実を拒否しようとしてる。ダニルがこんな奴だったなんて、考えたくないんだ……。

「言えよ。どういうつもりだったんだ。
 責任を取る気も無しに、なんで……。ずっと、共に働いてきた仲間だろう?    なのに、カーリンをそんな軽いものだって、思ってたのか!」

 もう一度襟首を掴んで引き寄せると、ダニルではなく、カーリンの震える声が「待って……」と、俺の手を止めさせた。

「あの、これは……私が、お願いしたんです。どうしてもって……」

 此の期に及んで、庇うのか?
 更なる怒りに囚われかけたのだけど、カーリンのその言葉は、当のダニルに遮られた。

「違う!    そんな理由で、したんじゃない!
 俺は……俺だって、気持ちがあったからだ!」

 無理やり吐き出すようにそう叫び、その場に崩れるように膝をつく。
 そうして、拳を自身の膝に打ち付けた。

「俺だって初めは、真っ当になろうって、思ってたんだ!
 こいつと所帯持って、いつか子が授かったらその時はって……そうでなきゃ、堅気のこいつにこんなこと、するもんかよ……っ」

 俺とは違うって分かってんのに、するもんかよ……と、絞り出すように呻き、だけど無理だったと、苦痛の滲む声で、言葉が続く。

「いつかじゃなく、今だってなったら、無理だって気持ちしか、湧いてこない……。
 分かんねぇんだ。どうすりゃ真っ当なのか、どんなのが父親なのか、結局俺ん中には無いんだよそれが!
 あんたは分かってるでしょ、俺は所詮……!」

 それ以上は口にするな!

 俺は「お前は、料理人のダニルだ!」と叫び、彼の言葉を遮った。
 勢いで、ぶちまけてしまおうと思っていたのか、ダニルは反発するかのように、怒りを露わにし、更に声を張り上げる。

「だけどそれは!」
「お前は料理人のダニルだ。家庭を知ってようがいまいが、関係無い!
 お前の家庭は、今からお前が作り上げるんだ。そう言ったろう⁉︎」

 ガウリィの時にだって、俺はそう言った。
 襟を掴んだまま揺さぶって、そう言葉を叩きつけると、ダニルの顔が皮肉げに歪む。
 本当のことを言わせなかった俺が、何を言うんだというように……。
 その表情にカチンときて、俺は更に捲し立てた。お前だけが、特別だなんて、思うなよ⁉︎

「言っとくけど、俺だって真っ当な家庭なんて知らないからな!    俺は妾の子で、父上と共に暮らした記憶なんて無いんだ。ほら、お前と何が違う⁉︎
 貴族らしくもできない。そう生活してきてないから、周りを煩わせることばかりする、不出来な貴族だよ!
 だけど俺は、後継になったしその道を進む!    それがサヤと共に歩める方法だったら、なんだってするんだ!」

 彼女を守るためにこの立場が必要で、そのために責任を担えと言われるなら、俺はなんだって背負う。なんだってするんだ!

「お前は、カーリンと進もうって、一度はそう思ったんだな?    そして子を授かった。なら、もうお前はそこに足を進めたんだよ、腹を括れ!
 その道しか無いんだ。だって子を授かったってことが、答えじゃないか!」

 そう言うと、ダニルは泣きそうな、苦しそうな顔をした。
 俺がダニルの素性を、敢えてカーリンに伝えない。それを選んだうえに、現実を受け入れるしかないと言っているのを、理解したからだ。
 くそっ。だって、言えるわけないだろう。お前はもう、後戻りできないんだ。

 ……ダニルは元兇手であり、過酷な過去を持つ。
 多分、彼も孤児。そして、獣人すら混在する組織の中で生きてきた。手だって汚してきた。
 それは、おおっぴらに口にできることじゃない。一時の感情で、身重の女性に聞かせて良い話とは、到底思えない。
 なにより、もうその腹には子を授かっているのだ。
 だから、どれだけ苦しくったって、現実が重たくったって、もう、進むしかない……。毒を腹に抱えたままでも、進むしかないじゃないか!

 だけど……。

 今ここに突きつけられたことがそのまま、俺たちの前にある大きな壁なのだと思い知らされ、俺は胸の苦しさをどうにもできず、拳を握った。
 ギルもだ……。そしてウーヴェも。
 俺に関わらせた皆が、少なからず背負わされた重荷だ。
 ギルがリヴィ様にああするのは、ギルの先にも、この現実があるからだ……。

 だからギルは、進まない方を選んでる……。
 だけどダニル、お前はもう、その壁を、越えてしまった。

「…………お前が父親にならないって言うなら、カーリンはどうするんだ。父無し子を産ませるのか……。
 それでその先彼女はどうなるんだ。子を育てるために、本当ならお前が背負うはずだったものまで背負わされて、生きていくことになるんだぞ!
 それは…………それは、お前が、お前をそうした奴と、同じことをするってことだ!」

 言っちゃいけない言葉だと分かっていた。
 ダニルが一番嫌うのは、きっと自分を捨てたであろう親で、一番恋しく思っているのも、その親だと思ったから。

 じゃなきゃ、苦しまない……。なんとも思ってなければ、真っ当な父親がどういったものか分からないだなんて、思い悩みはしなかったろう。
 案の定、俺の言葉に胸を抉られたような顔をする。呼吸を断たれてしまったように喘ぐ。
 そうして、泣きそうな顔をした彼は、俺の手を振り払って、歯を食いしばった。
 ダニルをこうさせたのは、ダニルだけのせいじゃない。分かってるけど!
 それでもお前は、今これを、受け入れなきゃならないんだ!

 もう一度ダニルに手を伸ばしたら、今度は身を割り込ませた者にそれを阻まれた。
 カーリンだ。ダニルを庇い、その首に両腕を回して、身を盾にする。

「もうやめて……私は、ダニルを責めてほしかったんじゃない!」

 そう叫ばれて、その言葉に俺も胸を抉られた。
 俺が一瞬ひるんだ隙に、カーリンは更にまくし立てた。

「一緒に仕事して、好きになって、ずっと見てたんだから、この人が普通の家庭の人じゃないことくらいは、私だって分かってる!
 家に誘っても来てくれなくて……腫れ物扱うみたいに、距離を取ろうとする……。
 優しくしてくれたかと思えば素っ気なくされたり……。
 急に何か、冷めたような顔をしたり、苦しそうにしてたり……。
 そんなの全部を、見て来たんだから……!」

 カーリンの背中は、小さかった。華奢な女性のそれだ。それでもダニルを全身で守ろうとしていた。
 カーリンに庇われたダニルも、追い詰められたような、苦しそうな表情を顔に貼り付けていた。
 その瞳に、カーリンへの愛しさと、苦痛を、ごちゃ混ぜにした感情が、暴れている。

「だから私は、この人がこんな風に苦しくならなきゃいけない、その理由を聞きたかった!
 この人は教えてくれなかった……だからレイ様に聞きたかった、それだけだったの!」

 俺の握り締めていた拳に、そっと手が添えられた。お互いに冷たい……けれど、俺の苦しさを、少しでも分かち合おうとしてくれる、優しい手だ。
 ダニルにとってのカーリンだって、きっと同じはず。それなのに……。
 俺は言葉を返せず、ダニルも動けず、その場が沈黙に支配された。
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