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ウォルテール 8
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何度目かになる犬笛を吹いてみたけれど、やっぱりジェイドは現れなかった。
だけど彼のことだから、多分そこら辺で様子は見ているのじゃないかと勝手に思っておくことにする。
父上らの見送りに、裏庭へと戻った。
残るのはマルを除いたいつもの面々。
「じゃ、頼むな」
「明日朝一で戻りますからね⁉︎ お願いですから万全に、注意を払って! ちょっと聞いてます⁉︎」
「聞いてる聞いてる。大丈夫だよ」
「そんな軽くいわれたんじゃ帰れませんよ⁉︎」
いつも飄々としているマルの慌てぶりに、古参の方々がポカンとしている。
適当にあしらってしまったけどまずかったかな? マルの威厳が損なわれているかもしれない……まぁ、普段の彼に威厳があるかはともかく。
「親子だけを残すのは不安ですし、やっぱり女中を一人、残しましょうか?」
「大丈夫だよ。人手はギルが貸してくれるから。
それよりも、長く家を離れたんだから、早く戻ってゆっくりしてって皆に伝えて。貴女も家族が待っているだろう?」
そう言うと、なんとも複雑そうな表情。
ギルのところは慣れてるからほんと大丈夫。問題は起こらないよ。
残されたカタリーナ親子はまた怯えた表情に戻ってしまい、おどおどしていたけれど、一応事情は女中頭が伝えてくれたのだろう。少ない荷物を傍に、状況を見守っている様子だ。
「昨日はちゃんと休めたかな?」
なんとなしに様子が気になって、そう声を掛けたのだけど、カタリーナがギュッとジーナを抱きしめて瞳を泳がせるから、いや、気にしなくて良いよと伝えて距離を取った。
うーん、慣れてくれる気配が皆無。今までと勝手が違って難しいな……。
神殿の関係者だと思うと、どこまで踏み込んで良いものやらと考えてしまうし、かといって無視しておくには二人の環境が胸に引っかかりすぎる。
馬車の準備の方はというと、荷物の詰め込みは済んだものの、まだ何か手間取っている様子。
そうこうしていると、厩の方からサヤが狼のウォルテールを伴ってやって来た。
馬車の出発より、こちらの方が早くなってしまったか。
ウォルテールの首にはベルトを短くしたものが巻かれ、そこには縄が繋がっている。サヤが綱を担っているのは、彼女であれば狼のウォルテールにも力で対抗できるからだ。
ウォルテールの姿を見たカタリーナは更にジーナを引き寄せたが、それまで強張った顔で母の足に縋っていたジーナは、俺の見た時間の中では初めて、表情を変化させた。
「わんちゃん!」
「ジーナ!」
母親からすれば、人に伸し掛かり噛み付いていた獰猛な大型犬(犬だと言い張っておくつもりだ)から、娘を守ろうとするのは当然の動きだろう。
ウォルテールに走り寄ろうとするジーナを、慌てて捕まえて、その腕に掻き抱く。
そんな様子にウォルテールはというと、一度サヤを仰ぎ見てから、のっそりとその場に伏せた。
「昨日は怖がらせてごめんなさい。を、しに来ました。
ジーナちゃんが泣いてたって聞いて」
サヤがそう言うが、カタリーナはジーナを抱き寄せたまま離そうとしない。腕の中のジーナは凄く興奮しているのだが。
その様子を確認したサヤは、その場で良いと判断したらしい。
「ウォルテール、ごめんなさいをして」
そう声で指示をすると、ウォルテールは伏せの状態からさらに頭を低くし、自身の腕の上に顎を落とす。
「昨日は怒られて、喧嘩してしまいました。
だけど反省してます。もう噛み付いたりしません。ごめんなさい。って、そう言ってるの」
サヤの通訳(?)に、ジーナは感心したように頬を上気させ、けんかしたの? と、子供特有の高い声を上げる。
「そうなの。長くお留守番させられてて、我慢できなくなったのよね」
それにパタンと尻尾が揺れる。
「おるすばん? でもおるすばんも、りっぱなおしごとよ?
いいこにおるすばんできる子は、えらい子なのよ」
ウォルテールに興奮している様子のジーナは、それまでの様子と打って変わって饒舌だ。
まるで自慢するみたいに、そう口にした。
それは、自分が偉い子なのだという主張なのだろう……。カタリーナの表情が、更に陰った。
「ですって、ウォルテール。もうちゃんとできるよね?」
サヤの言葉に、尻尾が勢いよくパタンと動いた。そうして白目の少ない瞳が、反省してますと言わんばかりにサヤを見上げて自身の口まわりを舐める。
……なりきってるな、ウォルテール。
その様子に苦笑したのだけれど、ジーナから「……あのこわいおにいちゃんも、もうわんちゃんおこりすぎない?」と聞かれ、つい言葉に詰まってしまった。
「…………うん。一緒に謝って、許してもらうから」
なんとか取りなそうと、俺がそう口にしたのだけど、ジーナは納得いかない様子。涙を滲ませて俺を見るものだから、参ってしまう。
ううぅぅ、こればっかりはなぁ……。ジェイドはまだ出て来てくれないし、怪我の具合だってどんなだったか分からないし、とにかく必死で謝るしかないとは思っているけれど、群れの掟やローシェンナの考えもあるだろうし……。
「……えっとね……きっと、大丈夫だから」
「あのおにいちゃんがゆるしてくれなかったら、わんちゃんどうなっちゃうの?」
「ど、どうにもならないよ! 許してもらえるまで謝るから!」
「だけど、それでもゆるしてくれなかったら?」
「…………えっと……」
「ゆるしてあげるっていったのに、ゆるしてくれてなかったら?」
「…………」
ジーナは必死で俺に問い続ける。
「ゆるしてあげるっていったのに、またたたいたり、おこったりするの、いやだ」
「…………」
それは、ジーナが今まで、目にしてきたことなんだろう……。
なんとなく言葉に詰まってしまい、それ以上が続けられず、ただ黙ってジーナを見つめておくことしかできなかった。
強者からの一方的な暴力がどういったものかは、俺もよく知ってる。それがどれほど理不尽であろうと、苦痛であろうと、受け入れるしかない。そう、あれはまさしく……地獄だ。
それが分かっているだけに、気休めひとつも口にできなくて、固まっていたのだけど……。
チッという舌打ち。
聞き覚えのあるそれに慌てて顔を向けると、使用人風の服装に身を整えたジェイドが、いつの間にやらサヤの後方で、壁に寄りかかっていた。
ビクリと顔を強張らせたカタリーナ親子。
「男に二言はねぇよ」
けれどジェイドはそれだけ言って、プイと厩の方に歩いていってしまった。
…………もしかしなくても……ジーナのために、それだけ言いに、出てきてくれた?
……なんか……嬉しい。
「あのお兄さんはね、とても責任感が強いんだ。
だから、しないって言ったら絶対にしない。信用して大丈夫だよ」
心底そう思えたから、笑ってジーナにそう伝えた。
腕を伸ばして頭を撫でると、ゴワゴワとした髪の手触り。
一瞬だけビクついたジーナだったけれど、頭を撫でられること自体は吝かではない様子。逃げたり、怖がったりはなく、ただびっくりした顔で俺を見る。
けれど、カタリーナが酷く狼狽えていたから、慌てて手を引っ込めた。
貴族の俺に、子を触られたくなくて、だけどやめてくださいとも言えなくて、困っているのだと思ったのだ。
「ごめん、カタリーナ」
一応謝罪するが、更に混乱させてしまったので、気にしないでと言い置いて距離を取る。
こりゃ、慣れてもらえるまでだいぶん掛かるだろうなぁ……。
「あ、レイシール様、出発のようです」
「ん、そうか。
サヤ、ここは頼むな。俺は父上の見送りに行ってくるから」
「畏まりました」
護衛にオブシズを残し、俺はシザーとハインを伴って馬車を見送る列に加わった。
ジェイドの姿はもう無い。
けれど、こうしてわざわざジーナのために姿を現した。
彼だって元は兇手。名すら持たなかった孤児である彼は、同じく神殿を嫌っているだろうに……。
そんなジェイドの優しさが嬉しかった。
だけど彼のことだから、多分そこら辺で様子は見ているのじゃないかと勝手に思っておくことにする。
父上らの見送りに、裏庭へと戻った。
残るのはマルを除いたいつもの面々。
「じゃ、頼むな」
「明日朝一で戻りますからね⁉︎ お願いですから万全に、注意を払って! ちょっと聞いてます⁉︎」
「聞いてる聞いてる。大丈夫だよ」
「そんな軽くいわれたんじゃ帰れませんよ⁉︎」
いつも飄々としているマルの慌てぶりに、古参の方々がポカンとしている。
適当にあしらってしまったけどまずかったかな? マルの威厳が損なわれているかもしれない……まぁ、普段の彼に威厳があるかはともかく。
「親子だけを残すのは不安ですし、やっぱり女中を一人、残しましょうか?」
「大丈夫だよ。人手はギルが貸してくれるから。
それよりも、長く家を離れたんだから、早く戻ってゆっくりしてって皆に伝えて。貴女も家族が待っているだろう?」
そう言うと、なんとも複雑そうな表情。
ギルのところは慣れてるからほんと大丈夫。問題は起こらないよ。
残されたカタリーナ親子はまた怯えた表情に戻ってしまい、おどおどしていたけれど、一応事情は女中頭が伝えてくれたのだろう。少ない荷物を傍に、状況を見守っている様子だ。
「昨日はちゃんと休めたかな?」
なんとなしに様子が気になって、そう声を掛けたのだけど、カタリーナがギュッとジーナを抱きしめて瞳を泳がせるから、いや、気にしなくて良いよと伝えて距離を取った。
うーん、慣れてくれる気配が皆無。今までと勝手が違って難しいな……。
神殿の関係者だと思うと、どこまで踏み込んで良いものやらと考えてしまうし、かといって無視しておくには二人の環境が胸に引っかかりすぎる。
馬車の準備の方はというと、荷物の詰め込みは済んだものの、まだ何か手間取っている様子。
そうこうしていると、厩の方からサヤが狼のウォルテールを伴ってやって来た。
馬車の出発より、こちらの方が早くなってしまったか。
ウォルテールの首にはベルトを短くしたものが巻かれ、そこには縄が繋がっている。サヤが綱を担っているのは、彼女であれば狼のウォルテールにも力で対抗できるからだ。
ウォルテールの姿を見たカタリーナは更にジーナを引き寄せたが、それまで強張った顔で母の足に縋っていたジーナは、俺の見た時間の中では初めて、表情を変化させた。
「わんちゃん!」
「ジーナ!」
母親からすれば、人に伸し掛かり噛み付いていた獰猛な大型犬(犬だと言い張っておくつもりだ)から、娘を守ろうとするのは当然の動きだろう。
ウォルテールに走り寄ろうとするジーナを、慌てて捕まえて、その腕に掻き抱く。
そんな様子にウォルテールはというと、一度サヤを仰ぎ見てから、のっそりとその場に伏せた。
「昨日は怖がらせてごめんなさい。を、しに来ました。
ジーナちゃんが泣いてたって聞いて」
サヤがそう言うが、カタリーナはジーナを抱き寄せたまま離そうとしない。腕の中のジーナは凄く興奮しているのだが。
その様子を確認したサヤは、その場で良いと判断したらしい。
「ウォルテール、ごめんなさいをして」
そう声で指示をすると、ウォルテールは伏せの状態からさらに頭を低くし、自身の腕の上に顎を落とす。
「昨日は怒られて、喧嘩してしまいました。
だけど反省してます。もう噛み付いたりしません。ごめんなさい。って、そう言ってるの」
サヤの通訳(?)に、ジーナは感心したように頬を上気させ、けんかしたの? と、子供特有の高い声を上げる。
「そうなの。長くお留守番させられてて、我慢できなくなったのよね」
それにパタンと尻尾が揺れる。
「おるすばん? でもおるすばんも、りっぱなおしごとよ?
いいこにおるすばんできる子は、えらい子なのよ」
ウォルテールに興奮している様子のジーナは、それまでの様子と打って変わって饒舌だ。
まるで自慢するみたいに、そう口にした。
それは、自分が偉い子なのだという主張なのだろう……。カタリーナの表情が、更に陰った。
「ですって、ウォルテール。もうちゃんとできるよね?」
サヤの言葉に、尻尾が勢いよくパタンと動いた。そうして白目の少ない瞳が、反省してますと言わんばかりにサヤを見上げて自身の口まわりを舐める。
……なりきってるな、ウォルテール。
その様子に苦笑したのだけれど、ジーナから「……あのこわいおにいちゃんも、もうわんちゃんおこりすぎない?」と聞かれ、つい言葉に詰まってしまった。
「…………うん。一緒に謝って、許してもらうから」
なんとか取りなそうと、俺がそう口にしたのだけど、ジーナは納得いかない様子。涙を滲ませて俺を見るものだから、参ってしまう。
ううぅぅ、こればっかりはなぁ……。ジェイドはまだ出て来てくれないし、怪我の具合だってどんなだったか分からないし、とにかく必死で謝るしかないとは思っているけれど、群れの掟やローシェンナの考えもあるだろうし……。
「……えっとね……きっと、大丈夫だから」
「あのおにいちゃんがゆるしてくれなかったら、わんちゃんどうなっちゃうの?」
「ど、どうにもならないよ! 許してもらえるまで謝るから!」
「だけど、それでもゆるしてくれなかったら?」
「…………えっと……」
「ゆるしてあげるっていったのに、ゆるしてくれてなかったら?」
「…………」
ジーナは必死で俺に問い続ける。
「ゆるしてあげるっていったのに、またたたいたり、おこったりするの、いやだ」
「…………」
それは、ジーナが今まで、目にしてきたことなんだろう……。
なんとなく言葉に詰まってしまい、それ以上が続けられず、ただ黙ってジーナを見つめておくことしかできなかった。
強者からの一方的な暴力がどういったものかは、俺もよく知ってる。それがどれほど理不尽であろうと、苦痛であろうと、受け入れるしかない。そう、あれはまさしく……地獄だ。
それが分かっているだけに、気休めひとつも口にできなくて、固まっていたのだけど……。
チッという舌打ち。
聞き覚えのあるそれに慌てて顔を向けると、使用人風の服装に身を整えたジェイドが、いつの間にやらサヤの後方で、壁に寄りかかっていた。
ビクリと顔を強張らせたカタリーナ親子。
「男に二言はねぇよ」
けれどジェイドはそれだけ言って、プイと厩の方に歩いていってしまった。
…………もしかしなくても……ジーナのために、それだけ言いに、出てきてくれた?
……なんか……嬉しい。
「あのお兄さんはね、とても責任感が強いんだ。
だから、しないって言ったら絶対にしない。信用して大丈夫だよ」
心底そう思えたから、笑ってジーナにそう伝えた。
腕を伸ばして頭を撫でると、ゴワゴワとした髪の手触り。
一瞬だけビクついたジーナだったけれど、頭を撫でられること自体は吝かではない様子。逃げたり、怖がったりはなく、ただびっくりした顔で俺を見る。
けれど、カタリーナが酷く狼狽えていたから、慌てて手を引っ込めた。
貴族の俺に、子を触られたくなくて、だけどやめてくださいとも言えなくて、困っているのだと思ったのだ。
「ごめん、カタリーナ」
一応謝罪するが、更に混乱させてしまったので、気にしないでと言い置いて距離を取る。
こりゃ、慣れてもらえるまでだいぶん掛かるだろうなぁ……。
「あ、レイシール様、出発のようです」
「ん、そうか。
サヤ、ここは頼むな。俺は父上の見送りに行ってくるから」
「畏まりました」
護衛にオブシズを残し、俺はシザーとハインを伴って馬車を見送る列に加わった。
ジェイドの姿はもう無い。
けれど、こうしてわざわざジーナのために姿を現した。
彼だって元は兇手。名すら持たなかった孤児である彼は、同じく神殿を嫌っているだろうに……。
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