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変化 6

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 ディート殿に伴われて、リヴィ様とクオンティーヌ様が訪れたのは、四時目前という頃合い。

「もう通れるだろうから、馬車で行くぞ。用意はしてある」
「あ、そうなんですか。……実は急ぎの荷物がありまして、街へ降りるついでに、預けようと思っていたのですよね」
「む、そうか……ならばどうするかな」

 近衛の正装の上から外套を纏ったディート殿。女性二人も貴族然とした、風格のある装いだ。
 ディート殿が権威を示せる服装でと伝えてくれたか、姫様の名代としてを意識してくれたのか……こちらの思惑としては大変有難い。

 そんな俺たちの会話を隣で聞いていたサヤだったのだけど……。

「レイシール様、私が途中で降りて、荷を届けます。
 帰りは歩いて帰りますから……」

 なんて言い出すから慌てた。

「だっ、駄目だよ⁉︎    これから暗くなる時間帯なのに何を言ってる⁉︎」
「え、でも男装です」
「もうそれ男装だって知ってる人は知ってるんだから駄目!」

 全力で止めた。駄目ったら駄目!    それに万が一道中で貴族に鉢合わせしたらどうするつもりだ⁉︎

 犬笛は、アギーでは控えておくことになっており、使えない。
 拠点村では獣人の数も、他に紛れていないかも把握済みであるけれど、ここプローホルは広く、流浪の民も多い。万が一聞こえる者らが混じっていては後々が面倒だ。
 だから宿を訪ねて行くしかなく、裏稼業を生業としていた彼らの常宿は下町や下層区域となる。女性を行かせるような環境ではない。

 押し問答をしていたら、盛大な溜息と共に、ハインが身を割り込ませてきて……。

「では私がシザーを伴って行って参ります。
 サヤはレイシール様に同行してください。オブシズと二人であれば、守りとしては充分でしょう?」

 そう名乗り出てくれて、どうやってハインを置いていくかな……と考えていたこともあり、俺はそれに飛びつくことにした。
 徒歩で行ってくるから馬車もいらぬとのこと。

「分かった、頼むな……有難う」

 マルのお使いもお願いしたらすごく嫌そうな顔されたけど……。いや、ついでなんだからしてあげて。頼むから。
 なんとか宥めすかしてマルのことも了承してもらった。
 そうしてお布施と寄進する硝子筆を収めた小箱を持ち、出発の準備は整った。隣室で準備をしていたオブシズに声を掛けたのだが……。

「久しぶりすぎて違和感しかありませんね」
「オブ……シズ?」

 縁が翡翠色をした、蜜色の瞳……。

 普段はざんばらな砂色の髪で常に隠していたというのに、前髪を掻き上げ、瞳を晒したオブシズが、貴族らしく見えるよう長衣を纏い、髪型も整えていた。
 少し長くなりすぎた後ろ髪も括られサッパリとしており、とても凛々しい。
 腰の剣帯を微調節し、落ち着いたのだろう。シザーに簡単な指示を飛ばし、こちらを見たオブシズは、急に動きを止めて、居心地悪そうに視線を逸らした。
 リヴィ様やクオンティーヌ様までがぽかんとした顔で、オブシズを見ていたものだから……。

 相変わらず綺麗な瞳だ。そう思い一瞬俺も見惚れていたのだけど、慌てて頭を振って、切り替える。

「良いのか?    瞳を晒すの……嫌だったんだろう⁉︎」

 権威を示せるようにとは言ったけど、無理させてまで必要だとは思ってやしないのだ。
 そう言い詰め寄ると、キョトンとした顔で見返され……。

「レイシール様は気になさらないのでしょう?」
「うん。そりゃ、俺は嬉しいだけだよ。
 だけど……オブシズが嫌なら、無理しなくて良いんだ」

 そう言うと、可笑しそうにクックと笑う。

「嬉しいって……。
 まぁ、言われずとも嫌ならしません。別にさして拘っていたわけでもないんですよ、今までだって。
 ただまぁ……きっかけが無かったというか、ね」

 そんな風に言って、では参りましょうと先に足を進めてしまうから、皆で慌てて後を追うこととなった。

 邸内を走り回る使用人らは随分と目減りしていた。
 作業の邪魔にならぬよう、極力目立たぬ場所を足早に進む。
 当然中には貴族の姿もあったのだけど、先頭を歩く、顔に大きな傷と、宝石のような瞳を持つオブシズに気を取られるのか、ぽかんとした顔で足を止める。
 それを何度か繰り返し……あぁ……と、その意図に気付いた。

 オブシズ……サヤの盾になってくれているんだ……。

 サヤの目立つ黒髪……。皆は当然、それを目印にしてサヤを見つける。それをオブシズは察して……あえて瞳を晒し、前に立ってくれたのだろう。
 その気遣いに心を打たれ、相変わらずの正義感に胸が熱くなった。
 こんな風にさりげなく、しかも厭わず、自身の身をもって、盾となる。オブシズは気高い。

 その後ろ姿に見惚れていたら、俺の横に立ったクオンティーヌ様が、独り言を言うかのように口を開いた。

「左右で色の違う瞳の人は見たことあるけど、一つの瞳が二色って珍しい。
 貴方って変わった人でも収集してるの?    肌の黒い異人も連れてたし」
「……シザーは異国の民じゃないですよ。セイバーン生まれのセイバーン育ちです。肌色は先祖返りってだけで。
 あと別段、意図してるわけじゃないです」

 そう言いつつクオンティーヌ様を観察したけれど、オブシズの瞳を気味悪がっている様子は無く、ただ単純に、珍しいものを見て驚いているだけであるみたいだ。

「そうなんだ。でも……へぇ……綺麗ね。宝石みたいだった。宝石にだってなかなか無いわね、あそこまで美しいものは」

 と、そんな風に言うものだから、何やらこちらまで誇らしくなる。

「でしょう?    俺もそう思うんですよね……」
「良い題材になりそう。傷もカッコいいわね……案外粗野に見えないし……前歴は何?    あの凄い傷ってどこでこさえたの」

 …………だ、題材……。

 そこはかとなく危険な香りがするなと思いつつ……元々は傭兵ですよと教えておく。
 淑女草紙に使われちゃったらごめんな、オブシズ……。


 ◆


 用意されていた馬車は、アギーの紋が入った四頭引きのかなり大きなものだった。
 六人乗りかな。艶やかに磨かれた飴色の外装に、金箔が貼られていたり、螺鈿が貼られていたり、豪華絢爛だ……。

 俺が乗って良いのかなぁ……。という考えが顔に出ていたのだろう。

「さっさとしなさいよ!」

 と、クオンティーヌ様にぐいぐい押されて馬車に押し込められた。

「アギーのお膝元の神殿なんだもの。アギーの権威が一番効くに決まってんでしょ!」

 やはり権威を意識してこの馬車を用意してくれたのか……有難いけど居心地悪い……。

 リヴィ様とクオンティーヌ様はそれぞれ従者を一人だけ連れており、総勢八名……乗れるのかな?と、思っていたら、従者のうち一人は御者台へ。もう一人は後方の荷物を守るために連れて来たらしい。背面に立つという。

「馬車に取り憑く流民がいるのよ。それで荷物を漁られるの。だから一人は後方にいないと駄目なのよね」
「流民……ですか」
「アギーに来ても……職があるわけではありませんから……。けれど潤うこの地を、どうしても彼らは目指すのですわ……」

 ここに来たとき通った、歪な建物の群れを思い出す。外壁にへばりつくように建てられた、掘っ建て小屋の連なり……。

「やはり、北からの流民ですか?」
「多いのはね」
「昨年の春も、大火災があったと聞きましたが……」
「えぇ……でもひと月もすれば、また新たな小屋で埋まりますの。
 作りが粗雑で乱立していますでしょう?    なので一旦火の手が上がると、手をつけられず燃やすしかなくなるのですわ……」
「火の広がる先の建物を崩して食い止めるのがせいぜいね」

 クオンティーヌ様……十五歳と言えど草紙を手掛けるだけのことはある。ただ不満に思っているという雰囲気ではなく、問題意識を持ってはいるけれど、手を出せず歯がゆい思いをしているといった様子。
 雇えれば良いんだけどね……と小さく呟いたのは、俺の耳にも届いた。

「……成る程。交易路計画は、そういう意味でも期待されていると考えて良いのでしょうか」
「あら、案外察しは良いのね」
「土嚢積みは、誰でも身に付けられる技術です。難しくはない。けれど、コツを掴むには忍耐力が必要です。
 また、肉体的にもきつい仕事です……。食うや食わずでは仕事になりません」
「……何が言いたいのよ」
「ただ放り込めば済むというわけにはいかない……ということです」

 土嚢積みは、忍耐が問われる。
 ただひたすら同じ作業を繰り返すし、同じ練度を求められる。それは簡単なようでいて、とても難しい。とにかく捕まえて、人足として放り込んでも使い物にはならない。

「でも、アギー公爵様方が、この流民と大火災を問題視しているというのは我々も理解しています。
 これを上手く利用できるやり方を模索する価値はあるでしょう。
 ……問題は、女子供も流民には多いということなんですが……体力勝負の仕事ですからね……」
「…………女子供も雇うことを考えるの?」
「重要なことですよ。男手だけ求めたのでは解決になりませんから」

 騎士らに防衛力を高める手段として土嚢作り、土嚢積みを徹底して教え込むと姫様は仰っていた。
 けれど、交易路計画は壮大すぎて、道の全てを騎士だけで作り上げるなんてのは無理な話だ。当然人足も多く雇われることになるだろう。

「幸いにも我々はもう一つの前例を持ってますから……その中で女や子供を使える手段を考えておきます。
 出来るならば、それを生涯を持って行える職となるまで昇華できれば良いのですが……」

 そうすれば、流民に逆戻りすることはない。どこかに身を置き、生活することができるようになる。

「…………そうね。そうなれば一番良い……。新たな職であれば、あぶれないわ……」

 なんとなく表情を緩めたクオンティーヌ様がそう言い、窓の外を見る。
 ひしめき合う建物や、その間の細い路地……そしてその路地の端にうずくまるようにしている、薄汚れた影……そういったものを。

「神殿に行くって言うから……そっち側の考え方をするのかと思ったわ」
「そっち側?」
「煩いわね!    独り言よ!」

 え、なんで急に怒る?

 頬を膨らませてそっぽを向くクオンティーヌ様。それを見て苦笑するリヴィ様に、なんなんですか?    と、問うと、更にしつこい!    と、怒られた。

「クオンは……街を散策するのが趣味ですの。それで、思うことが色々とあるのですわ……」
「姉様!」
「そう言えば聞いたぞ。娼館にも取材に行ったことがあるとかいう伝説を」
「しっ、娼館⁉︎」

 えっ、行った⁉︎    娼館に⁉︎

「本職に聞くのが取材の鉄則でしょ」
「いや場所は選んでくださいよ⁉︎」

 女性でしょ貴女⁉︎    娼館になんの取材に行ったんですか!    ていうかアギー公爵様⁉︎    娘さんが何しているかご存知ですか⁉︎

「うっさい!    私は必要だと思うことには妥協しないのよ!」
「貴女公爵家のご息女でしょ⁉︎」

 万が一拐かされたりしたらどうするつもりです⁉︎
 蒼白になったサヤも、きっと同じことを考えたのだと思う、肩を抱いて震え上がっている。
 実際にその恐怖に直面した彼女だからこそ、余計にだろう。

「幸いにも、酷いことは起こりませんでしたわ……。ですからそこは、ご安心なさって。
 クオンも、あの時は思い詰めていたのよね。けれど……もうあんな風に、心配させないでちょうだい」
「わ、分かってるわよ……もう私だって子供じゃないんだからそれくらい……」

 どうやら幼い頃にしでかしていたらしい。
 貴族ではまだ子供といえる年齢のクオンティーヌ様が、子供というくらいには子供の頃だったのだろう……恐ろしすぎる。

「さて、そろそろ神殿かな。
 と、その前に一応、お二人に伝えておく。
 我々は、ここでは少々思いに反したことを口にせねばならん。
 だが口を挟まないでいただけると有難い。
 神殿と渡り合う上での方便なのでな」

 ゆるりと停まった馬車。
 立ち上がったディート殿がそう言い終えたと同時に、外から扉が開かれた。

「……方便?」
「しっ。とにかく口は慎みなさいということよ」

 首を傾げたクオンティーヌ様に、続いて立ち上がったリヴィ様がそう言い、馬車の外に向かった。次が俺。

 皆が馬車を降り、従者の方が荷物を手渡してくれた。それをサヤが受け取ると、彼は馬車に戻り、また馬に鞭を入れる。馬車を置きに行ったのだと思う。

「彼らはそのまま馬車の管理に残ります」

 リヴィ様がそうおっしゃって、ならばと神殿内に進むことにした。

「立派な、建物ですね……」

 初めて神殿の敷地内に足を踏み入れたサヤがそう言い見上げたのは、大理石の建造物。

「そうだな。信仰の象徴だから……」

 余計にそう見えるのかもな……。
 だけど……その信仰は、果たして神の望む在り方なのか……。

「うん……立派だ……」
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