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社交界 17

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「…………それなんの意味があるの?」
「はっきりさせないことが大切なんです。向こうが疑心暗鬼にかられてくれると楽しいですよぅ。
 領主様からは好きに話しかけていただいたら良いんです。ただ、レイ様から話しかけることだけしない。その場合はサヤくんを通す。
 あえて目立たぬように作られた悪質な誓約です。利用してやりましょう」
「いや、だからさ……なんでそれをアギーで……」
「どこにでも目は紛れ込んでいると思いますよぅ。だから、夜会でのことも多分、報告が行きます。
 実はね、ジェスルに逃げたであろう執事長の消息を、ずっと探っていたのですけど、それらしき人物が見つかりましてね。……雪の中から」
「……えっ⁉︎」

 急に言われた内容が、一瞬頭に入ってこなかった。雪の中から……って、それは……死んだと、いうこと?

「ご大層に、僕が紐付けしていた執事と一緒に来世へと旅立っていましたよ。
 獣に食い荒らされていたようで、色合いと背格好と、その紐付け執事の人相とで判別つけた感じなんですけどね」

 ニコニコと笑うマルの笑顔が、なにやら怖い……。

「そんな偽装で誤魔化せるとはあちらも思っていないでしょうけどね。とりあえず手を打ってきたということです。
 当然、受けて立ちますよ。えぇ、どう考えても今後のレイ様の邪魔ですし、僕にとっても邪魔ですもん」

 偽装……?    マルは、執事長は死んでいないと考えているってこと?    でも、死体はじゃあ……誰の?    ていうか、紐付け執事って氾濫対策の時の横領執事だよな?
 その執事が紐付けされていたことも、バレてるってことだよな⁉︎
 相手が貴族……しかもジェスルじゃ、分が悪いんじゃないのか⁉︎

「もうある程度大丈夫ですよ。レイ様も役職を賜ることが決定しましたしね。
 それに姫様的にも、僕は必要でしょう?    だから、色々手をお借りできますよねぇ?」

 さも当然と言ってのけたマルに、姫様は渋面になった。そして怖い笑顔のマルを指差し、俺に言う。

「……レイシール、こやつはお前に仕えていると言うのだが……本当だろうな?    お前も正気か?    マルクスだぞ?」
「まだ信じてくれないんですかああぁぁ?    ほら、襟飾だって身に付けてますし、僕はレイ様と一蓮托生、この方のためなら身を削ってでもお仕えすると固く誓っているんですよぅ⁉︎」
「……胡散臭さしかないわ」

 胡乱な視線をマルに向ける姫様に、本当ですからと苦笑して俺も擁護する。
 ……獣人が絡む部分は姫様にもまだ言えない……。だけど、マルの本気は俺が一番よく知ってる。
 マルがローシェンナたちを大切にするのと同じに、俺もハインが大切だ。アイルや、イェーナ……他の獣人らだって、俺にとっても身内同然になった。
 だから、文字通り一蓮托生。マルはもう、俺を裏切ることも、売ることもしないだろう。…………俺の情報は売り買いされるみたいだが。

「まぁ、お前がそれを認めるならば……良いか。こちらの利となることならば、協力してやろう。
 では、近衛の襟飾を出せ。新しい印を渡しておく」

 そう言った姫様に、アギー公爵様が少し大きめの箱と、小さな箱を差し出した。姫様は、それを受け取って、俺の前……小机の上に並べて置いた。
 小さな箱は父上の持っていた紋章印をしまってあるものによく似ていたのだけど……。姫様はまず、大きな方の箱を開ける。

「これが鍵であり、其方の身を保証するもの……印綬だ。
 身分を証明せねばならぬ場は、必ずこれが見えるように身に付けよ。それ以外の時も肌身離さず持っておけ。
 それと、こちらは襟飾だ。其方は長となる。配下は自ら選択し、それを与えよ。
 数が足りぬなら早めにアギーへ連絡を寄越せ。紋章印入りの書類は必要だが、追加を作れる。
 そしてこちらの小さな方の箱には紋章印だ。印綬をこの錠前に使えば開く。戻ってから、一度確認しておけ」

 聖白石の、印綬……。
 これを持つことになろうなんてな……。
 箱の中の紋章印も、当然聖白石だろう。

 これを俺が持つのか……と思うと、ずしりと重い責任を、肩に感じた。
 だけど、この重さはサヤを守るためのもの……ハインや、ローシェンナ……獣人たちを、支えるための重さだ。

「紋章印は常に箱の中だ。其方の権限を振るうべき時にのみ、取り出し使え。
 戴冠式の折は、印綬を身に付け、紋章印も持参せよ。それまでは、人目に晒すな」

 つまり、明日の夜会では身につけなくて良いということ。

 注意事項を一通り述べた後、箱は二つとも俺の前に押し出された。
 そうして今度は、姫様の懐から、一つの小さな小箱が取り出される。

「それとサヤ。
 近衛の襟飾だが、こちらと取り替えよ」

 ごく小ぶりな箱だ。指輪一つが入る程度の。
 それの中には、今までとほぼ同じ、近衛の襟飾が入っていて、なんで?    と、なった。
 いや、今までのものは角型であったけれど、これは丸い……という差はある。

「前のは使い古しだ。そしてこれが新たに設えたもの。裏に其方の名も刻んであるから、こちらに替えよ」

 姫様も王になる。その関係での、近衛襟飾の改定なのかな。……ん?    でも、ディート殿は従来のものを身に付けてらっしゃったように思うが……。

 不思議に思ったものの、サヤはその襟飾を受け取った。
 そうして……。

「あの、私たちからも、姫様にお渡しするものがあるのですが」
「…………私に?」

 サヤの言葉に、姫様は瞳を見開いた。
 サヤが持ってきた手荷物から、いそいそと取り出したのは、緋色の絹布に包まれた、平たい箱。
 それはサヤから俺に手渡され、俺は絹布を開き、机に箱を置いて、蓋を開く。

「…………硝子製の……筆に見えるが……」
「はい。その通り、硝子筆です」

 箱の中にあったのは、二本の筆と二枚の小皿。そして二つ折りにされた紙が一枚。
 一本が赤を基調としており、もう一本が白に色が分けられているのだが、意匠自体はほぼ一緒だ。透明な硝子と色硝子が捻り合わされ、不思議な柄を作り上げている。筆先は透明で、墨の残量がよく見えるように考えられていた。
 小皿の方には、墨を入れる窪みと、筆を置く支えが付いていて、この一枚で墨壺と筆起きの両方をこなすように改良された。
 筆に魅入る姫様。まぁ……分かりますよ。筆先まで硝子だから、不思議がっているんだろう。
 そんな様子の姫様に、サヤは少々緊張しながら、何故これを用意したかを説明する。

「筆色を紅白にしたのは、姫様のお色ということもあるのですけど……私の国で紅白は、祝いの色なのです。
 それと、婚姻などの場合、夫婦で対になる小物を贈る風習もありまして。
 姫様とルオード様に、この筆をお作りしました。受け取って、いただけますか?」
「従来の木筆より、ずっと長く墨を保てる筆です。姫様とルオード様の、政務の手助けになればと。どうか、お納めください」

 そう言い差し出すと、姫様は驚いた顔で暫し沈黙した。

「……硝子だろう?    書けるのか?」
「書けますよ。使い方は、中の紙に記してありますから、後でご確認ください」
「……分かった。有難く、いただこう」

 まだ半信半疑といった表情で、姫様は品を受け取ってくれた。

 まぁ、度肝を抜かれてください。今までの仕返しです。

 内心ではそう思っていたけれど、口にはしない。
 実際これは、姫様のお役に立つと思う。この筆が、お二人の幸福の一助となれば良い。

 想定外の贈り物で少し頬を染めた姫様に、俺とサヤは顔を見合わせて笑い合った。


 ◆


 緊張しすぎて始終黙っていたシザーと、マルを伴って部屋を辞した。
 まずはこの大変なものをしまっておかなければ心臓に悪い。
 部屋に戻り、父上の元に報告ということで出向いたのだが……。

「……こうして実際に印綬を得てくると……お前が本当に役職につくのだなと実感するな」

 箱に収められた印綬を見てそう呟いた父上。
 そして、今の今まで半信半疑であったろう古参の面々が、愕然とその様子を見ている。
 うんまぁ……俺もこうして手元にこれが来てようやっと自覚したというか……まだ信じきれない部分もあるしな。

「印綬は、身に付けられるように加工が必要だ。其方は職人とも縁が深い。
 セイバーンに戻ったら、持ち歩けるように、何か装飾を施して貰いなさい」

 そう言い父上は、早々に箱の蓋を戻した。そしてそれを女中頭に渡すと、厳重に管理しておくよう命じる。
 まだ身に付けられないし、夜会には持って来ないで良いとのことだったからな。戴冠式までは正式な場でも必要無いということなのだろう。

 父上は、普段印綬を首から下げているのだが、式典などの折は腰帯に絡めておくそうだ。当然夜会でもそうするのだろう。
 これといった決まりはないのだが、首から下げておくか、腰に吊るしておく場合が多いとのこと。

「……それなら…………サヤに、お願いしようかな」
「私?」
「うん。ルーシーに作ってやった根付。あんな風にしてくれたら、俺も腰帯に下げておけるかなって」
「あっ、印籠みたいにするんですね!」
「……インロウ?」
「私の国の、男性用アクセサリーというか……元々印や朱肉を入れていた携帯容器なんです。のちに薬入れとなって、最後はアクセサリーとして使われていました。
 腰帯に挟んで携帯するんです」
「へぇ!    便利そうだ。うん。そんな風にしてくれたら持ち歩きやすいかな。
 常に身に付けておかなきゃいけないらしいし」

 そう言うとサヤは、畏まりましたと、両手の拳を握る。

「戻りましたら、形を考えますね!」
「うん、お願いするよ」

 そう言うと、頬を紅潮させて嬉しそうに微笑むものだから……ううぅ、抱きしめたくなる。やばい。
 ロビンに頼んでも良いかと思ったのだけど……彼は多分、緊張しすぎてしまうだろうしな。なにせ聖白石だ。貴族でもなかなか触れられないものだから、彼の心臓が根を上げてしまうかもしれない。

「紋章印は、信頼できる者だけに所在を伝え、普段はしまっておきなさい。行事ごとで持ち歩くとき以外はな。
 なんにしろ……おめでとう、レイシール……。私はお前を誇らしく思う」

 父上にそんな風に言われ、面映くて頭を掻くと、女中頭ら使用人が唱和して「おめでとうございます!」と首を垂れるものだから、古参らまで慌ててそれに倣った。
 そんな彼らの表情にも、戸惑いながらもようやっと、俺の疑わしさが薄れてきているのを感じて、少しホッとする。

「微力かと思いますが……精進します……」

 うん。皆が少しでも幸せに近付くよう、精進する。
 求めてはいけないと言われてきた俺が、こうして沢山のものを得て、幸せを感じられることへの、せめてもの恩返しだ。
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