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来世 7

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今まで、サヤの髪に触れて指が引っかかったことなど、一度もなかった。

 彼女は何も言わないが、この美しい黒髪にとても気を使い、大事にしていたのだと思う。
 常に艶やかで、絹糸のように滑らかで……癖の一つもない、美しい黒。
 祖母に贈られたという柘植櫛で、きっとこまめに手入れしていたのだろう。そしてその櫛も、大切に、大切に扱っていた。
 それは、こちらの世界に零れ落ちたサヤが、衣服以外で身につけていた唯一のものであることからも、櫛の手入れのための油を、小瓶に入れてまで持ち歩いていたことからも、分かる。

 そしてあの時……。
 あとほんの数滴しか残っていなかった油……。

 もうたった、それだけしか残っていなかった油を、サヤはきっと、カルラのために使ったのだ……。

 あれから、何日経った?
 櫛の手入れは、一体どれほどの間、されていない?
 サヤが唯一、サヤの世界から持ち込めたもの……大切なもの……。
 少しだけ、指に引っかかった髪が、サヤが失おうとしているものを、残酷なほどに表していた……。


 ◆


 旅立つカルラに贈る花を探すため、俺たちは更に足を進めた。
 サヤとは手を繋いだまま、俺が少し先行して前を進む。
 歩いていく最中も、この季節には無いはずの草木があり、当然花も咲いていたのだけれど、足は止めない。
 なんとなく……本当になんとなくだけど、これじゃないという気持ちがあった。
 俺が脳裏に描く木は、もっとずっと、外れの方にある。

「レイ……どこまで行くん?」
「山の裏側を、少し登る。そこにね、ちょっと変わった木があって……あの花が良いと、思うんだ……」

 昔は怖いとすら思ってたんだけど……カルラに手向けるなら、あれが良い気がしていた。

 花は普通、花弁を散らして、茶色く小さくなって、やがて実りを宿す。
 それはとても素晴らしいことで、美しいことだと思うのだけど……。
 そういう、どこか儚さを感じる花は、何か違う。
 散らない花……カルラにはそれが、良い気がした。
 他の花にない強さを備えているように思えたのだ。

「……変わった木って?」
「うん。まず、なんの木かは分からないんだよな。ここ以外では見たことがなくて。
 生えている場所も……この季節が狂った区画のギリギリ外だと思うんだけど……やっぱり狂ってるような時期に花が咲くし……」
「…………?」
「どう説明すれば良いのかな……ここは確かに、雪が降ってても、花が咲いている……。だから、おかしくないといえば、おかしくないんだけど……うーん……」

 狂った季節に惑わされて咲いているのか、その木の特性としてこんな時期に咲いているのか……。その判断ができないからなんともいえないのだ。
 だけど特性としてこの雪の中、あえて咲いているのだとしたら、それはもう、かなり変な話なわけで……。

「この寒い時期に花が咲いて、しかも散らないんだよね……」
「……枯れへん花なん?」
「いや、そういうことじゃなくて。うーん……花のまま落ちるっていうか……」
「……鳥が蜜を吸うてるんやない?
 私のところでは、桜の花を根元から千切って、雀が蜜を吸う習性があるけど」
「いや、雀には無理だよ。花が大きすぎる。その花、サヤの拳ほどもあるんだよ?」

 そう言うと、サヤはこてんと首を傾げた。
 うーん……俺もうまく説明できない……そもそも怖がって避けてたから、あんまり詳しいわけでもないしなぁ……。

「葉は、年中ずっとワサワサ茂ってるし、雪が積もってても花が咲くし……とにかく変わってる木なんだ。
 あ、花は簡素なんだけど、結構可憐だよ。ただ……何故か咲いたまま急にポロリと、落ちてしまうんだよな」

 そう言うと、サヤは驚いたように目を見開いた。
 うん。びっくりするよな。ほんと急にポロリと落ちるんだよ。

「まだ美しく咲き誇っているのに、そのまんま。
 あの花なら、たくさん拾えると思うし……まだ枝に付いているのを摘めば、日持ちもするんじゃないかな」

 落ちた分を拾うのが一番良いとは思うんだけどね。
 いや、枝を折るのはやっぱりなんか……ちょっと怖い気がするし……。

 サヤの返事は無かった。いまいち伝わってないのかな?
 ただ、これ以上を言葉ではどうにも説明しにくく、見た方が早いと足を進める。
 そして、思っていた場所に来たのだけど……。

「……あれ?    記憶違い……か?」

 ここだと思っていた場所にその木は無く……周りを見渡してみても、無い。
 分かるはずだ。だってあの花は、とても目立つ。そう思って注意深く景気を確認するけれど……やっぱり……無い。
 立ち止まって、もう一度周りを丁寧に見渡したけれど、結果は同じだった。
 気候の狂った区画は出てしまっているし、風景はほとんど、白と、黒と、青になっている。だから、絶対目立つはずの、あの赤が無い…….。
 ……と、冷たい強風が急に吹きつけて、俺たちは首を縮めてその風をやり過ごした。顔にピシピシと小粒の氷がぶつかる感覚。
 あまりに風が強く冷たいので、サヤを風下に回して、俺は風上に背を向けた。ただでさえ細い彼女は、きっとあっという間に体温を奪われてしまう。体調を崩してしまいそうな気がしたのだ。

 しばらく抱き合うようにして風をやり過ごした。
 そしてやっと人心地ついて、顔を上げる。

 やっぱり外套は持ってくるべきだったかと一瞬思ったけれど……。
 けど、ここまで来て取りに帰るのも業腹だ。


「うーん……もう少し先だったか?
 すまないサヤ、少し周りを見てくるから、ここで待っておく?…………サヤ?」
「行く……」

 キュッと、握っていた手に力が篭った。見下ろして、少々焦る。何かひどく……不安そうだったからだ。
 ここに置いていかれるのは嫌という明確な意思を感じて、なら……と、一緒に。もう少し先を目指そうと、足を進めることにした。
 けれど……すぐに後悔した。少しずつ深くなっていく雪に、サヤは寒くないだろうかと心配になる。そんなこともあって、少し注意力が落ちていたのだと思う。
 おかしいな……やっぱりここだと思うんだけど……そう考えながら、足を進めていると……。

「きゃっ⁉︎」
「っぅわっ⁉︎」

 くん……と、サヤに引っ張られ、踏み出した先に地面が無かった。いや、正確には……地面が崩れた。
 かなり急な斜面のきわを歩いていたことに気付かず、踏み外したらしい。傾いでしまった体勢を今更どうすることもできず、俺たちは雪ごと、落ちた。

 咄嗟にサヤを胸に抱き込んで、身体を丸める。
 転がり落ちながら、溶け気味とはいえ、雪だ。岩とか木とかにぶち当たらなければ、酷いことにはならない……と。
 そう、考えた矢先に、ガッ!    と、こめかみの辺りに何かしらとてつもない衝撃。
 俺の意識は吹き飛んだ。
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