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荊縛の呪い 20

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 幼い子供みたいに、泣きじゃくるサヤ。
 一人に慣れなければいけない。自分に必死でいい含めるみたいに、頑なにそう繰り返す姿が、酷く痛々しかった。
 なんでそんな風に、孤独を選ぼうとするのか……こんなに怯えてるのに、一人は嫌だって、全身から、そう叫んでいるのに。

「……サヤの都合って、何?」
「レイがあかんのんやないの……私の個人的なこと……」
「俺が望んでるんだよ?    俺が、良いんだって、言ってる。一緒にいたいんだって、言ってる。
 サヤを独りになんてしない。だからサヤは、是と、一言言ってくれれば良いんだ……」

 細い腰に腕を回した。
 そのまま力を込めて引くと、あっけないくらい軽いサヤが、俺の膝の上に舞い降りる。
 軽くなってしまった彼女の頬を伝う涙を、唇を寄せて吸い取った。
 そのまま頬をついばみながら、後頭部で括られた、マスクの紐を引っ張って解くと、はらりと簡単に落ちてしまう。

「サヤ……」

 やっと彼女が、腕の中にいる……。痩せ細ってしまったけれど、それでも生きて、ここに……。
 そう思うと、たまらなくなった。

 唇を軽く触れ合わせると、意味を理解したのか、閉ざされていた入り口が、遠慮がちに少しだけ開いて、俺を受け入れてくれた。
 別れたあの時、最後に交わした口づけを、サヤの柔らかい唇を、今日まで何度も思い返した。思い描いた。
 そして今のサヤは……少しカサついて、ざらつく唇。
 舌先を触れ合わせると、小刻みに震えた。もうやり方を忘れてしまったのか、躊躇して、引き返そうとでもするかのように逡巡するそれを、強引に絡め取って吸い上げる。下顎や歯列を一つ一つ丁寧に確認して、彼女がちゃんと俺の腕の中にいることを、これからもここにいるのだと、刻みつけるように、愛撫する。
 次第に力が抜けていくサヤの身体を、そのまま長椅子に横たえた。
 括られていない髪に指を差し込んで、耳の後ろや後頭部を優しく撫でると、小さく肩が跳ね、声にならない声が、塞がれた口の中で行き場を失い、俺の舌に絡め取られる。

 覆い被さるようにして、長い間、彼女を貪った。
 抵抗しない彼女に、どんどん気持ちが高ぶって、もうこのまま最後までいってしまえば良いのではと、そんな誘惑に駆られ、一度それに意識を囚われると、抗い難い情動に支配された。
 いけないと思いつつ、唇を引き剥がせない。反応を確かめるように手が、指が、彼女の敏感な場所を探した。
 痩せてしまった首を撫で、肩を伝って、それでもなお豊かに膨らんだ双丘。そこに手を添えたら、それまでにないくらい、ビクリとサヤが震え、拒絶なのだと、それが手に直接伝わって我に返らなかったら、俺はそのまま最後まで……サヤの意思を無視して、支配に走っていたかもしれない。

大粒の涙を零す姿に、胸が抉られた。

「…………泣くほど、嫌だったの」

 唇を離して、自嘲気味にそう……っ、違う!

「ごめん……無理強い、して、悪かった……」

 身体を無理にでも引き剥がした。
 望まれないものを、サヤの気持ちを無視してまで求めたって、仕方がない……。
 何がいけないのか、どうして駄目なのか……それが分かるまで、まだ足掻くしかないのだと、そう思って溜息を押し殺したら……。

「違う。嫌なんやのうてな、あかんの……。私は…………レイとそういうことする資格、無いから……」

 返るはずもないと思っていたのに、サヤの言葉が返り、驚いた。
 だけど……あぁ、もう、潮時だと、そういうことなのかと納得する。

「資格……?    それは…………子ができない……ってこと?」

 そう言うと、言い当てられるとは思っていなかったとでもいうように、彼女が息を詰めた。
 その反応に、苦笑するしかない。
 涙の量を増やしたサヤに、俺は手を伸ばして、それを拭う。

「俺は、それも全部、受け入れてるのに?」

 そう言うと、濡れた瞳が大きく見開かれた。けれど……すぐにまた伏せられ、首が横に振られる……。

「あかん。レイは……貴族やろ」
「子を残す義務があるって?    ははっ。そんなの……そんなの律儀に守り続けているのなんか、王家くらいのものじゃないかな。
 子ができないことだって、事故や病で死ぬことだって、女しか生まれないことだって、いくらだって、なんだってあるじゃないか。
 それにたかだか男爵家だよ。田舎の下級貴族の後継が、そんなにご大層なもの?
 アギー公爵様みたいに、複数の妻を娶ってたくさん子を成せるような、そんな度量が俺には無い。サヤを妻に望んで子ができなかったとしても、それは俺の甲斐性がないからであって、サヤには、関係ないことだよね?
 サヤしか嫌なんだ。そう言ったのは俺で、選ばれた側のサヤに責任なんて無い。
 それとも……俺がよそでその努力をするなら、サヤは俺に、娶られてくれるの?   子を残す義務から解放すれば、俺を、受け入れてくれる?」

 衝撃から視線を逸らすため、ベラベラとそんなことをひたすら口走る。
 やはりサヤは、子を成せない身体だったのかと……そのことが、あまりに、重くて。
 そのうち、言葉で吐き出し誤魔化すのでは感情が追いつかなくなり、頭を掻きむしって、怒りの拳を小机に振り下ろした。
 ビクリと身をすくませるサヤに、俺は、それでもただ言葉を続けるしかない……。

「…………どんなことを、されたの」
「………………え?」
「サヤを、そんな風にした奴は、どんなことを、幼い君に…………っ」
「…………レイ?」

 駄目だ。抑えろ、サヤにぶつけたいんじゃない。

 サヤをそんな風に苦しませた奴を…………幼い彼女に、そんな酷い仕打ちを強いた奴を、俺は八つ裂きにしてしまいたかった!
 そしてそんな奴に縛られ、囚われたままの彼女を解放してやることすらできない、自分の不甲斐無さにも腹が立った。

「それでもっ、構わないって言っても、サヤは俺が嫌⁉︎    そいつが君にやったこととは全然違う。俺は、サヤを欲望のはけ口にしたいんじゃない!
 本当は、これはっ、愛を育むための行為なんだよ⁉︎    だから俺はっ……っ」
「ま、待って⁉︎
 レイ、落ち着いて、なんや、食い違うとる!」
「何が⁉︎」
「そいつって誰⁉︎    なんの話⁉︎」

 そう言われて、言葉を詰まらせた。
 なんの、話って…………。

「サヤは、子を、成せない身体にされたんだろう?   サヤを、そんな風にした奴……は…………」
「ち、違う!    なんもっ、そういうことはっ。大したことはされてないって、前も、言うたやろ⁉︎」
「じゃあ何をされてそうなった⁉︎」
「違う!    私があかんのんは、そういうことされたからやのうて、レイと私は、種が違うから!」
「…………は?」
「せやから……私は、どれだけレイと姿形が近くても、異界の……地球の、人間なんやで?
 馬とロバからは子が生まれても、馬と魚は、無理やろ?
 私と、レイは……それ以上に違う。私は、この世界では異物やから…………それが、独りっていう、ことやから……」

 言葉を重ねながら、サヤの瞳が悲しみに染まっていくのを見た。
 異物という言葉に、苦しさを。独りという言葉に、恐怖と絶望を。必死で噛み殺して、それでも彼女はそれを受け入れようと、足掻く。

「せやからな、私は、レイやのうても、誰とも、子は成せへんの。ここで私は、初めから最後まで、独りでおらな、あかんの。
 だからレイは、私に時間を割いたって、無駄なんや……。レイが私にそういうことする意味なんて、なんもあらへん……っ!    レイ⁉︎    っまっ…………っ」

 サヤを組み敷いて、唇を奪ってしまったのは、押さえつけるのに限界だった感情が、爆発してしまったからだ。
 無駄だと?    意味がない行為だと?    ならなんでサヤは、こうやって俺を、受け入れるんだ……。
 本当に無意味だと思うなら突き飛ばせばいい。力でいくらでも抵抗できるだろう?    それに…………!

「俺はサヤと一緒にいるだけで幸せだって思えるのに、それだけで充分意味があるのに、そんなこと言うな!」

 子が欲しいから愛するんじゃないだろ……。
 愛の先に、神の祝福があるんだ。子を授かるっていうのは、そういうことだろう?    そうじゃなきゃ、駄目なんだ。
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