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死の予感 1

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 傷の治療を終え、しばらくしたら、部屋を移されることとなり……。

「……落ち着かない……」
「我慢してください」

 すごく機嫌の悪いハインに、否やなど言えるはずもない……。シザーに止められたことを、いまだ根に持っており、ずっとこんな感じだ。
 本館三階の、客間のひとつ。
 別館では警備に不安があるということで、ここに移された。
 ジェスルはだいたい捕らえたのだけど、逃げた執事長や、バンス別邸の管理に残っていた者らもいるから、油断はできない。
 兵士長の取り計らいで、各地域にジェスルよりセイバーン奪還という知らせが向かい、バンス周辺には残党の警戒と捕縛。別邸の捜索も命じるよう、手配がされた。

 その辺りで、俺の意識が途切れている。
 出血と、体力の消耗とで飛んだらしい。
 そもそもが寝不足であったし、食事もまともに摂っていなかったからだろう。
 痛みで何度か意識が覚醒したものの、そのまますぐに闇に落ちる。それを繰り返した。
 それから暫く……多分、結構な時間が経ったのだと思う。

「レイシール様、起きてください!」

 切羽詰まった声のハインに叩き起こされ、半覚醒のまま、寝台から無理やり引き下ろされて……。

「うあっ、あっ、あああぁぁ!」

 予期してなかった激痛に、蹲って悲鳴を上げた。

「申し訳ありません。ですが、急いでください。
 早く逃げなれば、火に巻かれてしまいます!」

 何を言われているのかが、いまいち飲み込めない。
 兄上の部屋は、もう鎮火してたよな?    今どうして、また火に巻かれてしまうなんてことに、なっている?

「夜襲です。
 残党が潜んでいたらしく、一階数カ所から出火したのですが、鎮火に駆け回っている間に、上階にも火玉が投げ込まれました」

 火玉⁉︎

 ハインの早口な報告に、ギョッとして顔を上げた。
 火玉というのは、危険な道具だ。
 かつては戦などで使われていたこともあったが、あまりに非人道的な成果を上げるため、これを作ること自体が禁忌とされている。
 作り方自体はいたって単純で、小ぶりの壺や瓶等に油や強い酒など、燃えやすいものを詰め、口を布等で塞ぎ、そこに火をつけるだけ。それを目標に投げて使う。
 液体が飛散した場所を瞬時に燃やし、消しにくいのが特徴で、人などにぶつければ、まず確実に焼け死んでしまう、悲惨で残酷な道具だ。
 それが使われたという発言に、耳を疑った。

「死傷者は⁉︎」
「若干名……。ですがそれよりまず、避難です。このままでは我々も危ないです」
「異母様やジェスルの者はもう避難させたのか」
「貴方が先です!」
「駄目だ、俺は自力でまだ動ける。閉じ込められたままでは、火に巻かれてしまえば助からないんだぞ⁉︎」

 ハインを叱りつけ、俺は自力で下に向かうから、まずは皆にそう指示してきてくれと告げた。
 俺が命じなければ、きっと誰も動けない。俺の避難に時間をかけて、三階の異母様が手遅れになってはいけないと思った。
 渋るハインだったが、早く行かないと動かないぞと脅すと、眉間のシワ三割増で睨まれ、まったく畏まってない顔で「畏まりました」と指示に従う。

 ハインを見送り廊下に出てみれば、結構な騒動である様子。階下がかなり騒がしい。よく気付かず寝ていたなと、自分に呆れてしまう。
 三階には火玉が投げ込まれていないのか、まだあまり、危険を認識できない。
 階下から駆けつけてきた衛兵らに、まずは異母様を頼み、重度の負傷者や女性の避難を優先と指示して、俺は壁伝いに、階段に向かった。
 ずきん、ずきんと傷口が痛む。発熱もしているのか、少々だるい……。
 階段に来てみたけれど、まだ火は回っていない様子。一つ息を吐いて、そこを一旦、通り過ぎた。

 向かったのは、兄上の部屋。
 天に召されてしまった兄上の遺品を、少量でも得ておかねばと、そう思ったのだ。
 異母様に、兄上の死は、まだ伏せられている。
 だけどいつかは、伝えなければならない……その時、面影を偲ぶものが何もないのは、きっと辛い。
 それから、父上……。
 死の間際の兄上は、父上について、何も語らなかった。
 けれど、二十七年という時間を、共に過ごしたのだ。何も思っていないなどどいうことは、決して無い。
 父上を無事救出したら、兄上の最後を、父上にも伝えなければならない……。

 痛む足を引きずって、なんとか部屋に辿り着いた。
 寝室のものは大抵焼け焦げてしまったから、動かされていた家具を漁る。
 あまり兄上と接してこなかったから、何が兄上らしいものなのかも、よく分からない……。とりあえず懐にしまっておける、小ぶりな物をいくつか見繕った。

 兄上の部屋を出て、来た道を引き返す。
 階段まで戻って来た時、ギクリとした。
 黒い煙……。それが、思っていた以上の勢いで、昇ってきていた……。

「これは…………」

 もう階下は、火の海ということだろうか……。

「…………やってしまったかな……」

 呆然と、そう呟くしかなかった。
 これは、困った。

 領主の館は石造りだ。室内はともかく、外壁は燃えない。
 だから、そんな大層なことにはならないと、勝手に思い込んでいたのかもしれない…………。火玉の威力を見誤ったな。
 とりあえず、手近な部屋に入り、窓の下を確認してみることにした。
 改めて外を見ると、もう時間帯は夜であったらしい。空が真っ暗だ。
 下の方が明るいのは、当然燃えているからだろう。
 廊下の燭台を一つ拝借し、空き部屋に入り、露台から外に出てみたのだけど……。

「……普段ならともかく、夜に、この脚では無理だな……」

 普段でも、いちかばちかの賭けになったろう。何より今日、兄上はここから飛んで、来世へと旅立ってしまったわけで……。
 地面は遥か下。思った以上に館は燃えていて、炎によって割れた窓だろうか?    この高さからだと、散らばった硝子片がキラキラと輝いてみえた。
 走り回る人や、呆然と座り込む人。村人や衛兵らが、井戸から桶を流れ作業で回し、水を掛けていたり……結構なことになっているなぁと、どこか麻痺した思考で考える。
 部屋の中に戻り、寝室や部屋を回って、縄の代わりにできそうなものを探した。こんな状況でもいちいち足が痛くて、作業に時間がかかることにイライラしながら。
 閉めていた扉の隙間から、もう黒い煙がこの部屋にまで流れ込み始めていて、くじけそうになる気持ちを、必死で奮い立たせ、焦るなと言い聞かせて。

「何か……あっ、小刀」

 やっとのことで集めた布地を割いて紐状にしようと思ったのだが、胸元や腰を触っても小刀が無い。当然だ。俺は夜着に着替えていたし、着ていたものは客間に置いてきてしまっていたのだ。
 なんで元の部屋まで戻らなかったかな⁉︎    と、要領の悪い自分への怒りが込み上げてきたが、そもそも、ハインの言う通りにせず、いちいち遺品を取りに寄り道をしたのは自分で、全部が全部、自分で招いた結果なのだと思うと、非常に笑えた。もうヤケだった。

「…………は、ははは、は……。よりによってっていうか……俺ってなんでこう、馬鹿なんだろう……」

 この大きな布地は、結び合わせたとしても、下まで届かない……。かといって、腕力で割けるようなものでもない……。
 つたうことができるとこまで垂らして、怪我を覚悟で落ちるしかないか。

 気合いで布を括りにかかったが、帳や敷布は括るのにも難儀した。
 布の性質なのか、すぐにするりと解けてしまう。やっとのことで体裁を整え、もう一度露台に戻ったのだが……。

「あー……遅かった感じだな……」

 呆然と、そう呟く。
 階下から吹き上げる炎が、露台を舐めていた。熱風が噴きあがり、肌をチリチリと刺激する。
 布を垂らせば、すぐに燃えてしまうだろう……。
 左隣の客室はもう燃えていた。館の左側が特によく燃えていて、右の方の部屋に移動できればあるいは……と、思ったけれど……。
 部屋の中から、パチンと、何かの爆ぜる音がする。
 たぶん……廊下はもう、火の海だ。もうじき、この部屋の扉も燃えて、炎が侵入してくるだろう。
 そして今の俺の足では、隣の露台に飛び移ることも、できやしない。

「レイシール様ーーーーーーッッ」

 呆然としていたのだけど、階下からのハインの声に、頬を殴られた心地になった。
 失敗を見咎められてしまったような、少々後ろめたい……という思いと、ホッと、何か安堵を覚える。

 炎に顔の表面を炙られつつ露台の下を覗くと、狼狽えて叫ぶハインを、必死で押しとどめているシザーやジークらが、すぐに見つかった。

 あー……こんなに燃えていても、ハインは中に向かおうとするんだ……。兄上の時も、止めて正解だったな……と、そんな風に思う。

「ハイン……」

 さして大きくない声で呟いたのだけど、弾かれたように、ハインが顔を上げた。
 目が合ってしまい、苦笑しつつごめんと、手を振ると、目を限界まで見開いて、一瞬絶望したように、表情が抜け落ちる。
 けれど、次の瞬間ギラリと瞳が光り……。

「巫山戯るな⁉︎    何諦めてやがるーーーー‼︎」

 敬語もかなぐり捨ててそう叫んだ。

「飛び降りろ、今すぐだ!    受け止める。早くしろ‼︎」

 館から吹き出す炎が危ないというのに、ジークらを振りほどいて、階下に近付こうとする。
 そんなハインにあぶないからやめろと声をかけようとして、言葉が止まった。

 背後から伸びた手が、グッと、ハインの腕を掴んだのだ。
 闇と同化した人影。
 闇色の袖から覗く、白い手首。
 振り返ったハインが、動きを止めた。

「…………サヤ」

 幻聴だと思う。遠いのに、呟きまで聞こえた。

 面覆いと仮面は外されていた。けれど、闇色の衣装に身を包んだままの、サヤ。
 高く結わえた黒髪に、きりりと引き締まった凛々しい目元。
 何故かサヤの声は、とてもはっきりと耳に届いた。

「私が行きます」
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