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地位と責任 8

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 村を回って、それが終わったら気になる家を訪ねた。
 カミルと同じく、そろそろ手に職をと考える必要がある者がいる家や、内職をしている家。その内職も、いくつかは秘匿権が発生している。
 とはいえ彼らは農家で、内職は本業ではない。一応ブンカケンに、家族から一人所属してもらって、そのまま内職を続けてもらえることを説明し、将来子供が大きくなれば、職人を目指す道もあることを伝えて回った。

「その場合は、拠点村のウーヴェを訪ねてくれれば良い。適性を見て、良いように取り計らってくれると思う」
「……レイ様じゃなく、ウーヴェさんなんで?」
「ん?   あぁ……ブンカケンの店主はウーヴェだから。
 それに俺は、ここを離れることが増えそうだからね」

 役職を賜ることは、まだ皆には伏せてあるから、そう誤魔化しておく。まあそれも、どうなるか分からないのだけど……。
 ……あぁ……姫様にも、手紙を書いておく方が良いかな……。
 手を煩わせてしまうかもしれないことと、地方行政官としての職務を全うできないことになってしまうかもしれないこと、謝っておかないと……。
 そうなると問題はサヤだな。一応はギルにお願いするけれど、その後をどうするか……。
 彼女の知識を知る姫様らは、サヤを放置してはくれないだろう……。だけど、サヤがどこに身を置くかは、本人に決めさせてやってほしいと、伝えておくくらいのことは、しておかないとな。
 あぁ……こんなことになるなら、彼女の帰り方、やっぱり探しておいてやるべきだった……。
 いや、今からでも良いのか。マルが帰ったら、お願いしておこう。
 あとは、サヤにどう、謝るかだな……。
 生涯を捧げると言っておきながら、その生涯が思いの外、少ないかもしれないだなんて……、彼女になんて、詫びれば良いんだろう……。
 まぁ、まだ分からない……。最悪の場合はってだけの話なんだけど……。

「あ、コダンさんですね」

 サヤの言葉で我に帰り、視線を巡らせると、確かにコダンがいた。
 …………何、してるんだろうなぁ……?    水路の水を飲もうとしているように、見えるんだが……。
 水路を跨ぎ四つん這いになった状態で、更に頭を突っ込んでいるコダンに呆れを通り越して、唖然としてしまった……。
 っと、いけない。水路の水なんて飲んだら、絶対に体調を崩す。世話をしているカーリンの家にも迷惑がかかってしまう。

「腹を下してしまうぞ。
 いくらなんでも、生でそのままは良くないと思うんだ……」

 そう声を掛けるが、反応が無い。
 それどころか更に頭が奥に突っ込まれた。
 …………くっ、仕方がない。
 シザーにお願いして、無理やり水路から剥がしてもらう。 この人ほんと、人の話聞いてないな……。

「コダン、研究熱心なのは良いけどね、人の話は聞いてくれないかな。
 ここの水は何の変哲もない、川の水を引いただけのものだ。こんなものを飲めば体調を崩すんだよ」

 そう言葉を掛けるが、シザーに羽交い締めにされつつも、全く聞いている様子が無い。何かブツブツと、ずっと呟き続けている。
 あー……このブツブツ……ずっと続いてるのか……。何なんだろうな、この人……。
 表情を見るけれど、俺たちに特別何かの感情を抱いている様子もない。というか、ここにいること自体を意識している感じすらしないのだ。
 まるで自分の世界にどっぷりと浸かってしまっているみたいに。
 頭の図書館に行っている時の、マル以上に違和感がある。

「水……の、質を確認したいみたいです。
 セイバーンが、水路を引いている理由も」

 げんなりしていると、何故かサヤからそんな答えが返ってきた。
 耳の良い彼女は、ブツブツの内容を聞き分けてしまったらしい。

 コダンに視線を戻すも、サヤのそんな呟きすら聞いていないみたいで、ものすごいクマを塗り重ねた、どこか土気色の顔が、やはりずっと水路を見て、ブツブツを続けていた。
 …………あーもう……このままってのもなあああぁぁ。

「……水路は!
 ……代々、作り足してきたものだよ。
 ずいぶん前の領主がね、きちんと水を撒いた方が、麦の実りが良いと気付いたらしい。まあ、麦も植物だものな。放置しても実るといったって、きちんと水をやる方が、より育つんだろう。
 あぁ、ここの水路は氾濫で壊れやすいから木材だけどね、他の地域はだいたい石だ。維持費を考えるなら、石の方が断然、対費用効果が高いよ。ここも今後は石に変えていくことになるだろう。
 あと……この時期に水を撒くのは、多分……氾濫効果の代替えだと思われる。
 ここは氾濫を繰り返すことで、川から運ばれた土が流れ込み、肥沃な土と入れ替えられてきたらしい。その土には、山から溶け出た草木に必要な養分が、多く含まれているそうだ。それでこの地は、特に実りが豊かだったのだろうと推測される。
 当然その養分は、上を流れる水にも溶け出ているらしい。
 勿論、土の入れ替えができればより良いのだけど、そうも言ってられない。だからやらないよりはマシだろうと、水を撒いて養分を染み込ませているのだろう。ひと月という長い期間を、水撒きに費やすのは、そういった理由だと思う」

 いつの間にか、コダンが動きを止めていた。
 ブツブツ聞こえていた声も無い……。
 コダンの急変に視線をやると…………充血した目が、ギョロリとこちらを見ていてものすっごい怖かった。

 半開きの口が戦慄いていたが、そのうち両手がばね仕掛けのように跳ね上がって、俺に摑みかかろうとするから、恐怖のあまり三歩ほど逃げてしまう。いやもう、命の危機とかではなく、背中を這い上がってくる恐怖なのだ。多分、本能的なやつ。心なしか、捕まえているシザーも涙目だ。

「な、何かな⁉︎」
「雨の後にぃ、麦を蒔かない理由はああぁぁ」
「め、芽が出にくいらしい!    雨の翌々日に植える方が、多く発芽すると言っていたけど⁉︎」
「あぁそれは……雨の後だと、土の中の空気が足りなくなるんです。麦も呼吸できなければいけないので」

 注釈を挟んだのはサヤ。
 その言葉にコダンの視線が、俺から彼女に移ったっ……っ!
 だ、駄目だサヤ⁉︎    この人真面目に君を、組み敷きにくるかもしれないから⁉︎
 慌ててサヤを抱き込んで庇う。もしシザーを振り切って襲いかかってきたら、身を盾にするつもりだった……が。

 コダンは、呼吸、呼吸と繰り返し、暫くするとまたぶつぶつが復活して、ひとしきり暴れ、シザーを振りほどいたと思ったら、その場で一心不乱、地面に何かを書き込み出した。もう、こちらのことは見ていない様子だ。

「…………し、刺激しないよう、帰ろうか……」

 そのままじりじりと距離を取り、馬に乗ってその場を離れる。
 はー……怖かった。なんか凄い、怖かった。
 あれは確かに、村の人らが恐れるよなぁ……、前いた場所の摩擦が凄かったって、ものすごい納得してしまった。
 だけど、カーリンのところの弟たちにはウケが良いって聞いたんだけど……。ウケが良いって……どういうことだろう……。
 ていうかマル……彼とどうやって意思疎通を果たしたんだ……変人同士の何か特殊な手法でもあるのか?

「変わった方ですね、コダンさん。でも本当に研究熱心」

 まだバクバクしている心臓を宥めていたら、くすくすと笑いながら、サヤがそんな風に言う。
 ……サヤ、怖くなかったのかな……?
 かなり特殊な感じの人なんだけど……なんか俺たちより全然、怖がっている風ではないよなぁ……。
 そう思いつつサヤを見ていたら、俺の考えは顔に出ていた様子。サヤが「コダンさんは、典型的な研究者気質の方ですよ。集中しすぎる人。父の同僚の方に、似た人がいました」と言った。

「生活から極力余分なものを省いてしまうみたいなんです。
 大丈夫。求めている答えに行き着いたら、目が醒めると思いますよ」

 ……マルも大概だけど、その上を行く人がいた……。

「……レイシール様、帰ったら、ここの農法を一通り、教えていただいて良いですか?」

 愕然としている俺をよそに、サヤは真面目な顔で、そんなことを言う。

「農法?」
「はい。できれば、ここ以外の農法も。私の知識と比べてみたいです。
 理由の分かることが含まれているかもしれないなって、今ので気付いて。
 ……あっ、私の農業知識、父に聞かされた程度のものなので、あまり高度なことは、存じ上げないのですけど……」
「あ、いや……。是非そうしてくれ。助かる……うん。戻ったらね。
 あと……すまないシザー。ちょっと怖かったな」

 いつも以上に縮こまっていたシザーが、こくこくと頷く。
 やっぱり怖かったよね……。
 俺からの指示だったから、離すに離せなかったのだろうな。……というか、通常時小心者のシザーには、少々刺激が強すぎる人だったよなぁ。

 そんな風にしながら戻って来ると、井戸周辺は洗濯物が山とはためいていた。
 朝の一番に洗って干したものはもう乾いている様子で、それを取り込んでいたハインが「おかえりなさいませ」と、声を掛けてくれる。

「凄い量を洗ったな……」
「どなたかが大いに汚してくださいましたので……。
 やはり数日時間が経ってしまってますし、落としにくかったですね」

 嫌味も言いつつ、それでも機嫌がよさげなハイン。
 ……料理の次の趣味が洗濯って……なんというか……うん。まあ、文句は無いのだけど……。
 苦笑していると、洗濯物の取り込みを手伝っていたサヤが「あっ」と、何かを思い立った様子。

「小さい洗濯板を作っていただくのも、良いですね。
 遠出の時に持って出られますし、酷い汚れものだけでも、その場で洗えると嬉しいですよね。
 あと、袖口とか、襟周りとか、細かい部分を洗う時にも便利なんですよ。
 私の国にもあったんです。おろし金くらいの大きさの洗濯板」
「それは是非欲しいです!」

 ぐりんと首を巡らせたハインが、とても熱い視線で俺を見る。
 …………あー……またヘーゼラーにお願いする感じかなぁ……。その前に、ブンカケンに木工細工の職人がいないか確認してみるか。

「ウーヴェが戻ったら、確認してみるから……」

 これも秘匿権登録……かなぁ……。大丈夫かな、こんなに連発してて……。
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