異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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父の軌跡 16

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「レイシール様……これ……」
「おぉ、おおおぉぉぉ、アルドナン様……っ!」
「えっ、これ……どこからこんな情報を⁉︎    俺たちだって二年、結構調べたのに、こんなの全然……っ」

 手から滑り落ちた紙に、皆が群がっていたけれど、俺はただ呆然と、虚空を見ていた。

 母の死因……落馬ではなく、鈍器で加えられた衝撃によるもの?
 え、それ、撲殺……と、いうこと?…………殺された……の、か?

 考えていなかった。
 母の死が、運命ではなく、他者に与えられたものだという可能性は……。
 誰が?
 どうして?
 あの人は、そんな風に人生を終わらされるような人、だったのか……?

 衝撃が強すぎて、何を考えたら良いのかが、分からない。
 十五年前の出来事など、頭から吹き飛んでしまっていた。

 一体何が、あった?
 信じられない。殺されたなんてそんな…………。

 …………いや。

 薄々、違和感は、感じていたのだ……。
 母の急死と、父の急病。
 それが重なっていることの違和感は、たぶん、一番初めから……。
 そもそも、アーシュは言ったじゃないか。母の落馬は、あり得ないと……。
 けれどそれを、視野に入れないように、していた……。
 自分の立っている場所が、今にも崩れてしまいそうな絶壁の端だという事実から、目を逸らしていたかったから…………。

 異母様と兄上の顔が、脳裏を過ぎる。

 あの人たちが、事情を知らないわけが、ない…………。
 何もしていない、わけが、ない…………。

 何をした?
 どうしてこうなった?
 一体何が、いつから、起こっているんだ?
 どこからが、繋がっている⁉︎

 ぐるぐると同じ思考が繰り返される。
 あ、俺、混乱している……そんな確認するまでもないことを、何故か頭の端で、考えている。

「レイ、策謀って……ジェスルの影って!    やっぱりこれ、何か理由があったいうことやないの?」

 サヤがそんな風に言い、俺の腕を揺すった。
 ジェスル……。異母様の実家。
 ジェスルの影が、使われていた?    伯爵家の策謀があったなら、一庶民である母が、理由を口外できないのも、頷ける……。
 でも、ジェスルが俺を殺そうと思う理由が、あの段階でそれをする、その必要性が、見えてこない……。見えて……駄目だ、頭が、上手く動いてくれない……!

「レイ……」
「まだ……まだ分からない……」

 母は、俺を疎んじて……ああしたのでは、ない?
 そう考えられる?    だけど、それでも母は、俺を避けていた。作り笑いしか、しなかった。でも……っ。

「行動した事実は、変わらない……」
「それでも!    ただ憎かったとかや、あらへんってことやろ⁉︎」

 そう言ったサヤが、ドンッと、俺に体をぶつけるみたいにして、抱きついてきた。
 その衝撃で、瞳から雫がひとつだけ散ったけれど、気付かれないよう、ただサヤを抱きしめ返して、黒髪に顔を伏せて……。
 考えられない頭で、必死で考えることしか、俺にはできなかった。

 十五年前の出来事にも、誰かの思惑が絡んでいるということなのか?
 そしてその理由が、俺には見当もつかない。

 母の死についてもだ。
 何故殺されなければならなかったのか。それが分からない。
 分からない、分からない!    学舎にいた間、何が起こっていた⁉︎

 母を何も知らないことが、思い知らされた。
 何一つ、記憶は助けになってくれない。俺は、何も、知らない。

 そのことが、ひどく胸を締め付けてきて、苦しかった…………。


 ◆


 馬車に乗り込み、息を吐いた。

 他の者たちは、帰りの準備。シザーだけが、馬の手綱を引いたまま、扉横に立っている。
 色々なことがありすぎて、頭が妙にふわふわとしており、思考がまとまらない。
 とりあえず、今からセイバーンに帰る。はっきり理解しているのはそれだけだ。

 カークらとは、邸の前で別れる。
 だから、今この広い馬車の中には、俺一人。
 サヤやハインは荷物の確認に行っており、御者台にはジェイドが座って寛いでいる。
 とにかく一旦セイバーンに戻り、もっと詳しい情報を、マルから得ると、カークらには約束していた。
 だから今まで通り、浅慮に走らず、最善の機会を待とうと。
 起こってしまったことを今更掘り返すより、生きておられる父上の奪還を、最優先に考えようと。
 行動を起こす場合には、必ず知らせるし、協力してもらう。それまで耐えて欲しいと。
 なんとかそう、話をまとめた。

「レイシール様」

 そんな先程までの出来事を、頭の中で反芻しつつ、ただ手元を見つめていたら、少し硬い声音で名を呼ばれ、視線をやると、アーシュが立っていた。
 警戒を強めたシザーが、入り口を半分身で隠すみたいに移動したものだから、近付きあぐねて、戸惑った様子。

「シザー、大丈夫だから」

 そう伝えると。元の立ち位置に戻る。
 けれどアーシュは、それ以上近寄ってはこなかった。
 彼の表情から、何を言わんとしているかは察することができたから、先に口を開く。

「……気にしなくて良い。理由がどうであろうと、自分が母親に対して褒められた態度ではないことは、充分自覚しているんだ。
 だからアーシュの言動も、不敬だとは思っていないから」

 そう言うと、困ってしまったように顔を伏せる。

 アーシュは……母との接点が、多い役職だったのかもしれない。
 はじめから、母に強い、思い入れがあるように感じていた。
 だからこそ俺の態度を腹に据えかねたのだろうし、不快感をあらわにしていたのだろう。
 母をそこまで慕ってくれていたのだと思えば、腹も立たなかった。

「……母を、大切に思ってくれて、ありがとう。
 母の死を……悲しんでくれる人がいて、良かった…………」

 俺は……二年前だって正直、悲しめたかどうか……。
 あの時はただ、己の手から零れ落ちた幾つものモノを前に、ただ呆然とするだけだった……。
 実感のないまま、今日まで来てしまった。いないのだなと、ただそう受け止めただけで。
 今だって、まだ現実味がない。
 殺されたのだと知ってもなお、俺の心は、悲しみを抱けない……。
 こんな薄情な息子しかいないのでは、天への旅路は寂しかったことだろう。
 けれど、母の死を悼んでくれた者たちが、ここには大勢いた。それは、母の救いであったと思う。

「レイシール様、私には……弟がおります。生まれつき頭が弱く、十五を過ぎても、幼子のような弟が」

 唐突に始まった話に、視線を向けた。
 するとアーシュは、悲しみに陰った瞳で俺を見ており、静かな口調で言葉を続けた。

「セイバーンは、旅行の途中に、たまたま訪れただけでした。馬車の車軸が歪んだとかで、道端で立ち往生したのです。
 私は弟を任されて、嫌々ながら、そこらへんを暇つぶしに散歩していました。
 馬鹿にされても、虐められても、物事が理解できない彼は、ただヘラヘラと笑っているんです。私はそんな弟が、嫌いでした。
 その弟が、不意に横切った蝶を追って、川に落ちたのです。当然泳げず、溺れました。溺れた自覚があったかも、定かではありません。ただ水の中で、手をひらめかせていました。
 私は……起こったことに頭が追いついておらず、手を伸ばすことが、できませんでした。ただ呆然としてしまって……。
 弟は……そのまま流されてしまうところだったのです……その時に……」

 顔を伏せ、一度唇を噛み締めてから、上げた。

「レイッ!と、女性の声が、したんです。
 私の横をすり抜けて、小柄な女性が、川に飛び込んで。弟を助けて下さいました。
 質の良い服を汚すことも厭わず。当時十歳で、決して小柄ではなかった弟に巻き込まれれば、自身の身だって、危なかったかもしれないのに。
 私は…………その時の、彼の方の……ロレッタ様のお顔を、忘れられませんでした」

 だから、成人を機に他領の家を出て、セイバーンヘ仕官したのだと、アーシュは言った。

「あんなお顔で、とっさに我が身の危険も顧みず、川に身を躍らせるような方が、貴方を…………愛していなかったはずがない。
 過ちを、後悔されていなかったはずがない。
 似ても似つかない私の弟を、彼の方は、レイと、呼んだのです」

 母様が……?
 貴女は……一度は自ら沈めた俺を、救い出そうと、してくれたんですか?

「…………そう…………そうか……。
 俺はもう、死を望まれては、いなかったのかな……。
 そうか、母が…………俺の名を、呼んで…………っ」

 もう、言葉は無かった。
 何を言えるだろう。俺はずっとそれを知らないまま、ただ母に、死を望まれたことだけを……ずっとずっとそれだけを、見ていたなんて。
 十年のうち、一度でもここに戻っていれば、知ることができたのだろうか…………生きているうちに、母に、会えていれば……。
 勇気さえ、振り絞っていれば…………。

 こんな風になる前に、何かを、できたのではないか…………。
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