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父の軌跡 6

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 道中で、休憩を兼ねた昼食の時間。
 サヤが準備してくれていた弁当が、良い話題を提供してくれた。

「これはなんと美味なことか!」
「マヨネーズという調味料なんだ」

 人気だなぁ、マヨネーズ。
 数種類用意されたそれは、定番のサンドイッチだ。
 タマゴサンドカツサンド、そしてミックスサンド。
 このミックスというのが、カークはお気に召した様子。本来のミックスは、卵や薫製肉や野菜を重ねて作る、俺が一番初めに食べたサンドイッチを指すらしいのだが、サヤが今回作ったものは、細かく刻んで混ぜてある。卵と胡瓜、炙った肉が、マヨネーズでまとめてあるのだ。
 俺の隣では、シザーがカツサンドに恍惚としている。
 本当は、ソースというものが欲しいらしいのだが、流石のサヤも、それの作り方は知らないらしい。
 だから、ケチャップと塩胡椒で濃いめの味付けがされている。
 肉を叩いて柔らかくし、小麦粉や卵、麺麭の粉をまぶして揚げ焼きにしてあるのだが、俺もこれはとても好きだ。そのカツにケチャップを塗り、辛子を混ぜたマヨネーズを塗った麺麭に、炒め玉葱とともに挟んである。

 あっという間にペロリと平らげてしまって、ソワソワとカツサンドを見ているシザーに、サヤがもう一つどうぞと差し出すと、言葉は発さないものの、ぺこりとお辞儀をして受け取る。尻尾があればきっと大きく横に揺れていただろう。
 まるで武官らしからぬ可愛さだ。たまに俺より年上だということを忘れてしまう……。学年が下だからややこしい。

「私が仕えていた頃は、このような美味なものは食せませんでした。なんと豊かになったことか」
「うーん……食材はほぼ一緒じゃないかな。これはサヤが、国の調味料を教えてくれたから作れるんだよ。
 この子の国は、秘匿権にはあまり重きが置かれていなくてね。情報の共有を図ることで、色々なものが我々の国より発展している。料理もまた然りなんだ」

 俺の言葉に、サヤがぺこりとカークにお辞儀をする。
 教えてくれたということに少々驚かれたが、サヤはそこに拘りを持たないのだと伝えておいた。
 ここを言っておかないと、道中で多分、もっと驚かせることになるしな……。

 三日という行程は、随分長いと思っていたのだけれど、話は尽きず、時間が過ぎるのは案外早かった。
 半ばの野宿も、俺やカークは護衛の関係上、馬車の座席で休んだから、寝台とさして変わらない快適さで過ごすことができた。
 立ち寄った街で新鮮な野菜や肉、飼葉は確保できたし、道中の食事も、街以外ではハインやサヤが見事な手際で、普段となんら遜色のない食事を提供してくれる。
 サヤは試作の乾燥させた麺を持参していたので、これを出した時にはカークも驚いていた。
 初めて食べる麺の形状にもだが、現在保存食を研究しているという話にだ。

「地方行政官という職を賜るのだけど……まだ名ばかりでね。
 交易路がつまり、そういう扱いだからついた役職名なのだけど、市政の生活向上に関わるのは、私としてもおおいに興味がある事柄なんだ。
 だから、それに関することを色々。
 前も話した通り、サヤの国では秘匿権が特別重要視はされていない。
 それによって、我々とは違った価値観のもと、道具や料理が発展していて、大変興味深い。
 だから新たに立ち上げた事業で、その思想をこの国に取り入れられないかと考えているんだよ」

 恐ろしいことに、カークは大変な聞き上手だった。
 そこまで話すつもりはなかったのになということを、つい口にしてしまっていたりするのだ。
 とはいえ、サヤの秘密や獣人については伏せていた。流石に口を滑らせて良い事柄ではない。

「なんという勿体無いことをしてしまったことか。知っていれば、滞在している間に、拠点村も見せていただけたかもしれませんのに」

 そんな風に大変悔しそうに言ってくれるものだから、嬉しくなってつい話してしまうのだ。
 ブンカケンに関して、周りからは反発しか得ていない今の俺にとって、カークの肯定的な姿勢は気持ちが救われた。

 カークをあまり良く思っていないハインは、相変わらず棘のある態度であったけれど、それ以外は概ね良好。
 ジェイドは通常より爽やかな青年を演じており、サヤと二人でやり取りしている姿は、まるで兄弟のようで微笑ましい。
 シザーはというと、道中で随分と慣れてきた様子。こっそりとサヤの性別についても伝えたのだけど、元から人と距離を取りがちなシザーは、あまり問題としていない様子で、サヤとの関係も良いように見えた。
 一人だけ女性ということもあり、時には配慮も必要だったのだが、言葉にせずともそれとなく手助けしてくれ、彼の細やかに気がきく一面には、サヤも感心していた。

 道中は、至って順調。
 そう、そのはずなのに……。
 西に進むにつれ、俺は何故か、体調を崩していった。
 理由が分からない……ふと目にした風景や、感じた土の匂い。そんなものに、急に鳥肌が立ったり、不安に襲われたりするのだ。
 はじめは気のせいかと思っていた……父上との接点を掴むと決めたけれど、やはり気持ちとしては、恐れがある。それのせいなのかもしれないと。
 だけど違う。
 父や母の話を振られても、そんなザワリとした感覚が襲ってこない場合もあるのに、ただ景色を見ていただけで、襲ってくる恐怖があったりするのだ。
 次第に調子を誤魔化しきれなくなり、馬車酔いのふりをして体調不良を耐えていたのだけど、そのうちハインにバレた。

「何故言わないんですか!」
「いや、気のせいだと思って……」
「どこが気のせいですか!」

 最終日は、馬車の運転をジェイドに交代してもらったハインに責められつつ、サヤの肩にもたれさせてもらい、不調に耐えていた。
 寝転がると、揺れで逆に気持ち悪さが増したのだ。

「引き返し、医者を探すべきではないでしょうか……」

 心配してそう言うカークに、無理はしないからと、予定通り馬車を進めさせてもらった。
 多分、休んだって治らないと思う。熱もなければ、咳も出ないのだ。病というわけではないように、俺自身が感じていた。

「原因はいったい……食事は皆同じものを食べているのに、何故……っ」

 俺の額の汗を拭いつつ、ハインの方が体調の悪そうな顔をしている。
 ずっとカークを警戒しているけれど、彼が何か仕掛けている様子もない。
 というのも、カークも連日揺れる馬車に、少々体力を消耗し、疲れた様子だったのだ。

「私はまぁ、老体ですから」
「はは、馬車に揺られて運ばれているだけの二人が体調不良って、ちょっと笑えるな……」
「笑えませんよ!」

 本日、山城の最寄となる村に到着する予定だった。
 そこから山城へは半時間ほどで着くという。
 木々で埋もれ、麓から山城は見えないらしい。だから忘れ去られていたのだろうけれど、思いの外村と近くて、少々驚いた。

「村人にとっては日常風景の一部なのです。
 何もなければ山城は、子供の遊び場でして……。
 麓には邸が一軒あるのですが、そこももうずっと、空き家でございます。宿などはありませんから、本日はそこに」

  馬車が村に到着した。まずは一旦ここで、体勢を立て直すことにする。
 揺れから解放されれば、多少は体調も回復するかもしれない。
 サヤの差し出す手につかまり、なんとか馬車から降りたのだが……。

 その瞬間、目にした風景に、身が竦んだ。

「………………………………ぅそ……」

 足元から這い上がってくるような、恐怖。
 前かがみになっているせいで、視線が地面に近い。余計にそれは、忠実な再現がなされているようで……。

 俺が降り立ったそこは、出発地点にほど近い場所。
 見なくても、振り返れば、少し大きめで、小さな庭のある邸があるのだと、分かる。

「……レイシール様⁉︎」

 急に動きを止めた俺を訝しんだのか、サヤが俺の顔を覗き込み、慌てた様子で俺の名を呼んだ。
 多分、今まで以上に顔色が悪いんだろう。正直、頭がグラグラしていて、表情に意識すら回っていなかった。

 この先に、何があるかを、俺は知っている……。
 行きたくない…………。
 だけど……だけど確認しなくちゃ…………、ここは、ほんとうに、あの場所なのか。

「サヤ……こっちに、行こう……」
「レイシール様?……っ、レイ!    あかん、そんな顔色で……」
「お願い、お願いだから……!」
「どないしたん⁉︎    今は休まな……レイ、今自分が、どんな顔色か、自覚しとる?」
「いいから!    今はそんなことは、どうだっていいんだ‼︎」

 急に怒鳴った俺に、サヤがビクリと慄いたけれど、今の俺には気を配る余裕も無かった。
 連れて行ってくれないなら、自分で行く……。何度も何度も通った道。だから、案内は必要無い。
 そう、何度も何度も……身体に刻みつけてきた道だ。迷うこともない道なんだ。

 闇の底へと、続く道だ。

 くいと、手を引かれた気がした。
 あの日を繰り返すように、いないはずの人物が、俺の前に立っている。
 そう、繋がれていたのは、俺の右手。

 歩く。
 歩く。
 ひたすら歩く。
 手を引かれて。

 この道を歩いた。早朝だ。まだ村人も起き出してこないような時間に、俺たちは家を出た。
 朝食もとらないままに、無言で手を引かれて、前しか見ない母に、俺は、逆らってはいけないのだと感じていた。

 そう、あの時俺は、母に言葉を投げかけることも、できなかった……。
 握られた手が痛くても、黙って母に、ついていった。
 進む先に泉が見えても、それに母と、自らの足が浸されるまで、俺は状況を理解できなかった。

 そこで初めて抵抗したのは、生理的な恐怖から。
 だがまだ意味は理解していなかった。グイグイと引っ張られ、顔を水に浸す寸前にやっと叫んだけれど、そのせいで泥の混じった水が、口の中に流れ込んできた。

 あ、あ、あああぁぁぁぁぁぁ。

 ここ、だ。

 記憶の通り。

「ぅぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああ!」

 夢だったのに、夢じゃない。
 分かってた。あれは現実だって。
 過去のことだと理解してた。だけど過去じゃない。
 今もここは、かつてのままに、俺がちゃんと沈むまで、存在を消してしまうまで、口を開いて待っている、俺を、ずっと!

「レイ!」
「レイシール様⁉︎」

 意識が途切れるまでひたすら叫んだ。喉を掻きむしって、引き千切ってしまいたかった。
 夢よりも圧倒的な絶望が、現実となって俺にのし掛かってくる。
 なんでまだそこにいるのだと、問いかけてくる。
 俺はここで、死を望まれた。

 死ななきゃ、いけなかったんだ。
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