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拠点村 16
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半ば呆然としていた俺の耳に、馬車の音が近付いてくると、それは彼らにも届いた様子。男らは舌打ちして、その場を離れた。
近くに、馬車でも置いてあるのかもしれない。
「いやぁ、乱闘になるようならしゃしゃり出ようかと思っていたが、おおごとにならず何よりだな」
音も気配も無かったのに、思いの外近くから現れた俺とディート殿に、土建組合員らはギョッとしたが、ハインが険悪なむくれ顔で馬車を進めて来たのを見て、この人たち立場考えず勝手やったんだなー……みたいな雰囲気で苦笑する。
俺を見たルカが、パッと、サヤから手を離した。
俺がまた怒ると思ったのかもしれない……。そのルカに、色々な思いを込めて「ありがとう……」と、伝えると、そっぽを向いてしまった。
ルカの手が離れ、ホッとしたのだろう。サヤが少々不安定な足取りで、こちらに来る。
「……サヤ……」
「……申し訳ありません……。
でも、判断に対しては、反省しません」
「駄目だ。反省しなさい。あんなことは、もうしないでくれ。俺は、そんな風に守られたくない……」
そう言うと、何にカチンときたのか、急に顔を怒りに染める。
「そんな風にって……あの人たちは、何も知らないで、適当なこと言って怒ってるんです!
レイシール様の考えを、勝手に決めつけた解釈で、全然見当違いのこと言ってるんです!
そんな言葉に、レイシール様が傷付けられる必要なんて、ありませんから!」
やっぱり、俺を傷付けまいとしてくれたんだな……。
ルカのこともあるから、不安を抱えていたのはサヤも同じだろうに。
そんなことはものともせず、俺のために、ああしてくれたんだ。
「…………サヤ、俺に言われている言葉は全部、俺が受け止めなきゃ駄目なんだよ。
説明が足りていない。理解してもらえるように、動かなきゃならなかった。それを怠っていたのは俺だ」
「違います! 忙しくて、他に手が足りないから、仕方なくじゃないですか!」
「それは、彼らには関係ない。
それでもなんとかすべきだった。楽観して、やるべきことをやってなかったのは俺だからね。彼らがああ解釈しても、仕方がないんだよ」
そう言うと、悔しそうな顔。
言いたいことはまだ山とある。だけどそれを、ぐっと堪えて、噛み砕いているような、そんな表情。
「だからね、サヤ。もうあんな風に、しないでくれ。俺は正直、俺に言われる言葉よりも、サヤが傷つく方が怖い……。
あんな風に出たら、サヤが槍玉に挙げられる。
大人のやりとりに、子供のサヤが割り込んでも、今みたいに扱われるって、分かったろう?
今回はルカが庇ってくれたから良かったけど、もっと酷いことを、言われたり、されたりしたかもしれない。
そんなことになったら……俺は後悔じゃ、済まないからね?」
本当は、ありがとうも伝えたかった。
俺のためにって、そうやって動いてくれたことは、本当にありがたいし、嬉しいんだよ。
サヤは俺に、少なからず心を開いてくれている。例え他に選びようがなく、仕方なく選ばれたのであったとしても、俺の望み通り、俺のことを、受け入れてくれている。
こんな時なのに、俺に気持ちを向けてくれているということが、嬉しくて、仕方がなかった。
だけど……今は駄目だと、ぐっと堪える。
黙ってじっと見つめていたら、最後にサヤは、小さくか細い声で「申し訳ありませんでした……」と、言った。
馬車を置いてやってきたハインに、サヤを少し、休ませてくれとお願いして、今度はウーヴェに向き直る。
「ウーヴェ……。これは、はじめてのことか?」
俺が何を言わんとしているか。それは過たず、ウーヴェに伝わっていた様子。
彼は、やはり何か言いたげに視線を俺に向けたけれど……。
「……いいえ」
「ちゃんと、報告しなさい」
「……はい。……申し訳、ございません……」
責務を怠っていたことは事実と、頭を下げた。
先程のやり取りからして、多分あれは、何度も繰り返されていたと思う。俺のいない時間帯を狙って……。
だけどウーヴェを含め、ここの作業に携わる者たちは、それを俺に伏せていた。
少なからず、時間を取られていたろう。もしかしたら、怪我人だって、出ていたかもしれない。
その上で、それを俺には告げず、作業も遅れないよう、進めていた……。きっと凄く、無理をさせていた……。
俺たちの巡回は、数日に一度。しかも、昼からの三時間程度だ。だから、目が行き届かなかった……。これも、俺の失敗だ。
「ウーヴェ。これは、君らが責められるべきことじゃ、ないんだ。
貴族の俺から要請があれば、君らは依頼を受けざるを得ない。そう主張して良いんだよ。
自分の身を守ることを、優先してくれ」
そう言うと、何故かとても苦しそうな顔をされた。
だけどこれは譲れないことだ。この事業全体の責任は、俺にあるのだから。
今までに怪我人は出ていないかと確認すると、それはいないとのこと。そのことには心底ホッとした。
「嫌な役回りをさせて、悪かった。だけど俺のことは心配しなくて良い。
ウーヴェは、ウーヴェの責任の中のことだけ、してくれたら充分だから」
「………………はぃ……」
「っ……ぁぁぁあああ! だぁらお前は、なんでそこ、引き下がんだよ⁉︎」
怒鳴り声にびっくりして視線をやると、イライラ最高潮といった様子のルカが、犬歯をむき出しにしてもう一度吠えた。
そうしてから、ずんずんと俺に大股で近付いてきたかと思うと、ドンと、肩を突き飛ばされる。
「今のは、組合内のイザコザだ。
意思の統一が図れてねぇ、身内の問題なんだよ! だからあんたにゃ関係ねぇ!
それとな、ガキのくせに出しゃばんなだぁ⁉︎ それはテメェもだろうがよ⁉︎
こっちの問題にしゃしゃり出てくんじゃねぇよ、テメェは黙ってろ、口挟まれても迷惑なんだよ!」
「不敬すぎ。言い方も悪すぎらぁ。お前も黙れ」
突き飛ばされた肩がジンと痛む。それと合わせて、胸の痛みも酷かった。
少なからず言われた言葉に傷付いてしまったのだが、そのルカの頭にシェルトが拳を落とす。
容赦ない一撃…………意識が飛びかけたのか、頭を抑えて蹲るルカ。
その様子に一瞥もくれず、シェルトは俺の前に、立つ。
「あのよ、お嬢ちゃん」
「……それは俺のことか?」
シェルトの言い方もどうかと思う……。
そう思ったのだけど、シェルトは腕を組んで、俺の前に仁王立ち。視線の高さは俺の方が上であるはずなのに、威圧感がハンパない。
なんで俺が怒られる構図になってるんだろうな? と、不思議に思っていたのだが……。
「あんたよ、俺らをなんだと思ってんだ?」
「は? 職人の皆さん……」
「そりゃそうだけどな、俺らはあんたに雇われてんだよ。それは今現在、俺らはあんたの部下だってことだな?」
部下というか……うん、まぁ……。
こくりと頷くと……。
「それでよ、あんた俺たちに『これをせよ』なんて言わなかったよな? 雇われるかどうか、その選択は、俺たちに任されてた。断る権利があった。
だからあいつらは、その権利を行使し、雇われることを拒否した。俺たちは受けた。そうだな?」
なんでいちいち確認するんだろう……。
そうだね。と、肯定すると……。
「ならよ、俺たちは俺たちで判断して、雇われてんだよ。
何かしら問題があるかもしれねぇってことも、こんな風にいざこざが起こるかもしれねぇってことも、考えた上でだ。
考えてなかったとしても、そりゃそいつの責任だ。あんたの責任は、俺たちに選択権を渡した時点で、ねぇんだ」
「…………」
「手が足りねぇって言ったな。そりゃ、一人で全部、背負いこもうとしてるからだろうが。あんた一人で回るわけねぇだろ。
ここのことは、俺たちに任せりゃいい。
あの連中は、俺たちに言ってきてんだ。お嬢ちゃん、あんたじゃねぇ」
だけど、元は、俺が原因…………。
と、続けようとしたら、まだ続きあんだから黙れと睨まれた。
……はい。
「あとルカが言いたかったのは、サヤ坊だけじゃねぇ、あんただって成人前の小童だってことだ。
せいぜい社会経験二、三年のペーペーだろうがよ。偉そうに坊を叱れるお年じゃねぇよな?」
鼻で笑われた。
いや、それはそうだけど!
「俺はそれでも、責任者だ」
そう言うと、これだから小童は。とでも言うように、溜息を吐かれた。
「俺は、あんたの倍は生きてんだよ。
そこの阿呆なルカだってな、十年以上社会経験積んでんだ。少しは大人を頼れや」
思いがけない言葉を言われて、面食らう。た、頼る?
「全部の責任ひっかぶろうとする根性は見上げたもんだがよ、人に任せられねぇのは、あんたの未熟さだ。
人の上に立つなら、当然求められる能力だろうが。
そこを履き違えんじゃねぇよって、あの阿呆も言いたかったんだろうが……全く伝わってなかったな」
………………。
「ルカだって、二十歳くらいのものだろう?」
いくら庶民だって、十五くらいからだよな、職に就くのって……。十年以上の社会経験は無理だろう?
つい疑問をそのまま口にしたら、ブハァ! と、組合員全員が吹き出した。ゲラゲラと笑い転げたり、突っ伏したり痙攣したり……大騒ぎだ。
「まぁな! あれだけアホ面晒してたらな!」
「何回言ってもお貴族様対応覚えらんねぇガキだもんなぁ」
「……腹が、千切れる……」
「そんなだから嫁が来ねぇんだよルカぁ。ガキだと思われてんだよお前」
「うるっせええええぇぇぇぇ‼︎」
怒ったルカがガバリと起き上がり、組合員らの輪に殴りかかっていく。
呆気にとられて見送ったのだが、ウーヴェが困った顔で「レイ様……ルカは、二十六です……」と、教えてくれた。
ハインより五つも上⁉︎
「…………見えません」
ボソリとハインも言う。
いや、でも……ルカは、土建組合の後継なのだ。未熟であれば、他の組合員らが、ルカの指示には従わないだろう。
貴族相手の対応は本当に覚えないが……彼も充分な社会経験を持つ、一人前の、大人だったのだ。
先程ルカに言われた言葉を思い出す。
組合内のイザコザと言ったが、彼らは土建組合の者ではなさそうに思う。
集団で、大きな仕事を受けることが大半の土建組合は、本当に大きな家族みたいに、連帯感が強い。
ルカの決定に、内心では違う意見を持っていようが、それを堪えて指示に従う。そんな場面は氾濫対策でも見てきた。
例え反発があったとしても、あんな風にはしないだろう。
ならあれは……身内のことだと言い訳して、俺を、庇おうとしていた?
「そもそもよ、俺らにゃ、あれくらいのやりとりは日常茶飯事だ。
もともと血の気が多い人間だらけだからよ、土建とか、石工や大工ってのはな。あんなん、争いのうちにも入らねぇ。
お嬢ちゃんにゃ刺激が強いのかもしれんが、こっちにとっちゃ瑣末ごとだ。
だから、あんたにゃ知らせる必要ねぇって判断したんだ。ひと段落したら、報告には行った。
そんなわけだ。ここのことは、俺らに任せろ。ああいうのも含めてだ。
あんたの判断を仰ぐ必要があると思うことは、ちゃんと報告すらぁな」
そう言われ……ポンと肩を、叩かれた。
その手が、優しさに満ちていて……労りが染み込んでくるかのように感じた。
周りを見渡すと、土建組合員の皆も、石工や大工たちも、皆そろって和やかな顔だ。
これは……このことを俺に伏せていたのは、責任者だけじゃない……現場の皆の総意なのだと、それを悟った。
…………なんで?
そうまでしてもらう、理由が、見えない……。
「あんたが私欲に走れるほど器用じゃねぇってのはな、現場にいりゃ、嫌でも分からぁな。
そんなあんたが必要だって言うことならよ、そりゃあんたじゃなく、俺らに必要だってことなんだろ。
意味は分かんねぇでも、そういうことは判断できんだよ。こっちだってな」
肩に置かれた手が、今度は拳になって、コンと、俺を突く。ルカに突き飛ばされた箇所を、今度は優しく、励ますように。
「ほら、もうひと段落したんだから、飯だ飯」
シェルトはそう言って、背を向けた。
向かう先に、だいぶん遅れて到着した様子の幌馬車から、ダニルらの手によって食材が下されている。
後ろから見ても、シェルトの耳が赤かった。
照れてる……。柄にもないことを言ってしまったと、そんな風に思ってる。
呆然としていたら、横から「レイ様」と、ウーヴェの声。
「今日は、何か報告があると伺いましたよね。
代表者を集めますから、食事をしながら、話をしませんか」
そんなウーヴェの声にも労りが滲むようで、俺は腹の底の黒い沼が、いつの間にやら凪いでいることに気付いた。
…………俺、独り善がり、だったんだな。
一人で全部背負っているつもりだった。
つもりでまた、周りを見ていなかった。彼らが俺を、信頼して雇われてくれたことにすら、気付いていなかった。彼らは俺を、受け入れてくれていたのだ。
「ああ、……ウーヴェ、有難う。……頼む」
そう言うと、穏やかな表情で、にこりと笑う。
指示を出しに走っていくウーヴェを見送っていると、そっと手に触れるものがあった。見なくても誰か分かる、細い指。
微笑む彼女と……その俺たちを見てニヤニヤ笑うディート殿に気付いて、顔を引き締めた。なんか無性に恥ずかしい……。
「行こうか」
近くに、馬車でも置いてあるのかもしれない。
「いやぁ、乱闘になるようならしゃしゃり出ようかと思っていたが、おおごとにならず何よりだな」
音も気配も無かったのに、思いの外近くから現れた俺とディート殿に、土建組合員らはギョッとしたが、ハインが険悪なむくれ顔で馬車を進めて来たのを見て、この人たち立場考えず勝手やったんだなー……みたいな雰囲気で苦笑する。
俺を見たルカが、パッと、サヤから手を離した。
俺がまた怒ると思ったのかもしれない……。そのルカに、色々な思いを込めて「ありがとう……」と、伝えると、そっぽを向いてしまった。
ルカの手が離れ、ホッとしたのだろう。サヤが少々不安定な足取りで、こちらに来る。
「……サヤ……」
「……申し訳ありません……。
でも、判断に対しては、反省しません」
「駄目だ。反省しなさい。あんなことは、もうしないでくれ。俺は、そんな風に守られたくない……」
そう言うと、何にカチンときたのか、急に顔を怒りに染める。
「そんな風にって……あの人たちは、何も知らないで、適当なこと言って怒ってるんです!
レイシール様の考えを、勝手に決めつけた解釈で、全然見当違いのこと言ってるんです!
そんな言葉に、レイシール様が傷付けられる必要なんて、ありませんから!」
やっぱり、俺を傷付けまいとしてくれたんだな……。
ルカのこともあるから、不安を抱えていたのはサヤも同じだろうに。
そんなことはものともせず、俺のために、ああしてくれたんだ。
「…………サヤ、俺に言われている言葉は全部、俺が受け止めなきゃ駄目なんだよ。
説明が足りていない。理解してもらえるように、動かなきゃならなかった。それを怠っていたのは俺だ」
「違います! 忙しくて、他に手が足りないから、仕方なくじゃないですか!」
「それは、彼らには関係ない。
それでもなんとかすべきだった。楽観して、やるべきことをやってなかったのは俺だからね。彼らがああ解釈しても、仕方がないんだよ」
そう言うと、悔しそうな顔。
言いたいことはまだ山とある。だけどそれを、ぐっと堪えて、噛み砕いているような、そんな表情。
「だからね、サヤ。もうあんな風に、しないでくれ。俺は正直、俺に言われる言葉よりも、サヤが傷つく方が怖い……。
あんな風に出たら、サヤが槍玉に挙げられる。
大人のやりとりに、子供のサヤが割り込んでも、今みたいに扱われるって、分かったろう?
今回はルカが庇ってくれたから良かったけど、もっと酷いことを、言われたり、されたりしたかもしれない。
そんなことになったら……俺は後悔じゃ、済まないからね?」
本当は、ありがとうも伝えたかった。
俺のためにって、そうやって動いてくれたことは、本当にありがたいし、嬉しいんだよ。
サヤは俺に、少なからず心を開いてくれている。例え他に選びようがなく、仕方なく選ばれたのであったとしても、俺の望み通り、俺のことを、受け入れてくれている。
こんな時なのに、俺に気持ちを向けてくれているということが、嬉しくて、仕方がなかった。
だけど……今は駄目だと、ぐっと堪える。
黙ってじっと見つめていたら、最後にサヤは、小さくか細い声で「申し訳ありませんでした……」と、言った。
馬車を置いてやってきたハインに、サヤを少し、休ませてくれとお願いして、今度はウーヴェに向き直る。
「ウーヴェ……。これは、はじめてのことか?」
俺が何を言わんとしているか。それは過たず、ウーヴェに伝わっていた様子。
彼は、やはり何か言いたげに視線を俺に向けたけれど……。
「……いいえ」
「ちゃんと、報告しなさい」
「……はい。……申し訳、ございません……」
責務を怠っていたことは事実と、頭を下げた。
先程のやり取りからして、多分あれは、何度も繰り返されていたと思う。俺のいない時間帯を狙って……。
だけどウーヴェを含め、ここの作業に携わる者たちは、それを俺に伏せていた。
少なからず、時間を取られていたろう。もしかしたら、怪我人だって、出ていたかもしれない。
その上で、それを俺には告げず、作業も遅れないよう、進めていた……。きっと凄く、無理をさせていた……。
俺たちの巡回は、数日に一度。しかも、昼からの三時間程度だ。だから、目が行き届かなかった……。これも、俺の失敗だ。
「ウーヴェ。これは、君らが責められるべきことじゃ、ないんだ。
貴族の俺から要請があれば、君らは依頼を受けざるを得ない。そう主張して良いんだよ。
自分の身を守ることを、優先してくれ」
そう言うと、何故かとても苦しそうな顔をされた。
だけどこれは譲れないことだ。この事業全体の責任は、俺にあるのだから。
今までに怪我人は出ていないかと確認すると、それはいないとのこと。そのことには心底ホッとした。
「嫌な役回りをさせて、悪かった。だけど俺のことは心配しなくて良い。
ウーヴェは、ウーヴェの責任の中のことだけ、してくれたら充分だから」
「………………はぃ……」
「っ……ぁぁぁあああ! だぁらお前は、なんでそこ、引き下がんだよ⁉︎」
怒鳴り声にびっくりして視線をやると、イライラ最高潮といった様子のルカが、犬歯をむき出しにしてもう一度吠えた。
そうしてから、ずんずんと俺に大股で近付いてきたかと思うと、ドンと、肩を突き飛ばされる。
「今のは、組合内のイザコザだ。
意思の統一が図れてねぇ、身内の問題なんだよ! だからあんたにゃ関係ねぇ!
それとな、ガキのくせに出しゃばんなだぁ⁉︎ それはテメェもだろうがよ⁉︎
こっちの問題にしゃしゃり出てくんじゃねぇよ、テメェは黙ってろ、口挟まれても迷惑なんだよ!」
「不敬すぎ。言い方も悪すぎらぁ。お前も黙れ」
突き飛ばされた肩がジンと痛む。それと合わせて、胸の痛みも酷かった。
少なからず言われた言葉に傷付いてしまったのだが、そのルカの頭にシェルトが拳を落とす。
容赦ない一撃…………意識が飛びかけたのか、頭を抑えて蹲るルカ。
その様子に一瞥もくれず、シェルトは俺の前に、立つ。
「あのよ、お嬢ちゃん」
「……それは俺のことか?」
シェルトの言い方もどうかと思う……。
そう思ったのだけど、シェルトは腕を組んで、俺の前に仁王立ち。視線の高さは俺の方が上であるはずなのに、威圧感がハンパない。
なんで俺が怒られる構図になってるんだろうな? と、不思議に思っていたのだが……。
「あんたよ、俺らをなんだと思ってんだ?」
「は? 職人の皆さん……」
「そりゃそうだけどな、俺らはあんたに雇われてんだよ。それは今現在、俺らはあんたの部下だってことだな?」
部下というか……うん、まぁ……。
こくりと頷くと……。
「それでよ、あんた俺たちに『これをせよ』なんて言わなかったよな? 雇われるかどうか、その選択は、俺たちに任されてた。断る権利があった。
だからあいつらは、その権利を行使し、雇われることを拒否した。俺たちは受けた。そうだな?」
なんでいちいち確認するんだろう……。
そうだね。と、肯定すると……。
「ならよ、俺たちは俺たちで判断して、雇われてんだよ。
何かしら問題があるかもしれねぇってことも、こんな風にいざこざが起こるかもしれねぇってことも、考えた上でだ。
考えてなかったとしても、そりゃそいつの責任だ。あんたの責任は、俺たちに選択権を渡した時点で、ねぇんだ」
「…………」
「手が足りねぇって言ったな。そりゃ、一人で全部、背負いこもうとしてるからだろうが。あんた一人で回るわけねぇだろ。
ここのことは、俺たちに任せりゃいい。
あの連中は、俺たちに言ってきてんだ。お嬢ちゃん、あんたじゃねぇ」
だけど、元は、俺が原因…………。
と、続けようとしたら、まだ続きあんだから黙れと睨まれた。
……はい。
「あとルカが言いたかったのは、サヤ坊だけじゃねぇ、あんただって成人前の小童だってことだ。
せいぜい社会経験二、三年のペーペーだろうがよ。偉そうに坊を叱れるお年じゃねぇよな?」
鼻で笑われた。
いや、それはそうだけど!
「俺はそれでも、責任者だ」
そう言うと、これだから小童は。とでも言うように、溜息を吐かれた。
「俺は、あんたの倍は生きてんだよ。
そこの阿呆なルカだってな、十年以上社会経験積んでんだ。少しは大人を頼れや」
思いがけない言葉を言われて、面食らう。た、頼る?
「全部の責任ひっかぶろうとする根性は見上げたもんだがよ、人に任せられねぇのは、あんたの未熟さだ。
人の上に立つなら、当然求められる能力だろうが。
そこを履き違えんじゃねぇよって、あの阿呆も言いたかったんだろうが……全く伝わってなかったな」
………………。
「ルカだって、二十歳くらいのものだろう?」
いくら庶民だって、十五くらいからだよな、職に就くのって……。十年以上の社会経験は無理だろう?
つい疑問をそのまま口にしたら、ブハァ! と、組合員全員が吹き出した。ゲラゲラと笑い転げたり、突っ伏したり痙攣したり……大騒ぎだ。
「まぁな! あれだけアホ面晒してたらな!」
「何回言ってもお貴族様対応覚えらんねぇガキだもんなぁ」
「……腹が、千切れる……」
「そんなだから嫁が来ねぇんだよルカぁ。ガキだと思われてんだよお前」
「うるっせええええぇぇぇぇ‼︎」
怒ったルカがガバリと起き上がり、組合員らの輪に殴りかかっていく。
呆気にとられて見送ったのだが、ウーヴェが困った顔で「レイ様……ルカは、二十六です……」と、教えてくれた。
ハインより五つも上⁉︎
「…………見えません」
ボソリとハインも言う。
いや、でも……ルカは、土建組合の後継なのだ。未熟であれば、他の組合員らが、ルカの指示には従わないだろう。
貴族相手の対応は本当に覚えないが……彼も充分な社会経験を持つ、一人前の、大人だったのだ。
先程ルカに言われた言葉を思い出す。
組合内のイザコザと言ったが、彼らは土建組合の者ではなさそうに思う。
集団で、大きな仕事を受けることが大半の土建組合は、本当に大きな家族みたいに、連帯感が強い。
ルカの決定に、内心では違う意見を持っていようが、それを堪えて指示に従う。そんな場面は氾濫対策でも見てきた。
例え反発があったとしても、あんな風にはしないだろう。
ならあれは……身内のことだと言い訳して、俺を、庇おうとしていた?
「そもそもよ、俺らにゃ、あれくらいのやりとりは日常茶飯事だ。
もともと血の気が多い人間だらけだからよ、土建とか、石工や大工ってのはな。あんなん、争いのうちにも入らねぇ。
お嬢ちゃんにゃ刺激が強いのかもしれんが、こっちにとっちゃ瑣末ごとだ。
だから、あんたにゃ知らせる必要ねぇって判断したんだ。ひと段落したら、報告には行った。
そんなわけだ。ここのことは、俺らに任せろ。ああいうのも含めてだ。
あんたの判断を仰ぐ必要があると思うことは、ちゃんと報告すらぁな」
そう言われ……ポンと肩を、叩かれた。
その手が、優しさに満ちていて……労りが染み込んでくるかのように感じた。
周りを見渡すと、土建組合員の皆も、石工や大工たちも、皆そろって和やかな顔だ。
これは……このことを俺に伏せていたのは、責任者だけじゃない……現場の皆の総意なのだと、それを悟った。
…………なんで?
そうまでしてもらう、理由が、見えない……。
「あんたが私欲に走れるほど器用じゃねぇってのはな、現場にいりゃ、嫌でも分からぁな。
そんなあんたが必要だって言うことならよ、そりゃあんたじゃなく、俺らに必要だってことなんだろ。
意味は分かんねぇでも、そういうことは判断できんだよ。こっちだってな」
肩に置かれた手が、今度は拳になって、コンと、俺を突く。ルカに突き飛ばされた箇所を、今度は優しく、励ますように。
「ほら、もうひと段落したんだから、飯だ飯」
シェルトはそう言って、背を向けた。
向かう先に、だいぶん遅れて到着した様子の幌馬車から、ダニルらの手によって食材が下されている。
後ろから見ても、シェルトの耳が赤かった。
照れてる……。柄にもないことを言ってしまったと、そんな風に思ってる。
呆然としていたら、横から「レイ様」と、ウーヴェの声。
「今日は、何か報告があると伺いましたよね。
代表者を集めますから、食事をしながら、話をしませんか」
そんなウーヴェの声にも労りが滲むようで、俺は腹の底の黒い沼が、いつの間にやら凪いでいることに気付いた。
…………俺、独り善がり、だったんだな。
一人で全部背負っているつもりだった。
つもりでまた、周りを見ていなかった。彼らが俺を、信頼して雇われてくれたことにすら、気付いていなかった。彼らは俺を、受け入れてくれていたのだ。
「ああ、……ウーヴェ、有難う。……頼む」
そう言うと、穏やかな表情で、にこりと笑う。
指示を出しに走っていくウーヴェを見送っていると、そっと手に触れるものがあった。見なくても誰か分かる、細い指。
微笑む彼女と……その俺たちを見てニヤニヤ笑うディート殿に気付いて、顔を引き締めた。なんか無性に恥ずかしい……。
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「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。
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