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信頼 1

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 十日間の休暇というのは魅力的なものに思えた。手に入れるまでは。

「思えてたんだけどな……。いらなかったな、十日間も」

 ギルの採寸に付き合ったり、仮縫いの寸法合わせに付き合ったりする以外にすることがなく、俺は暇を持て余していた。
 なにせ、俺だけやることがないのだ。
 サヤは意匠師という別の顔があり、ここはバート商会だ。なにかと声を掛けられ、駆り出されていく。
 ハインも俺の身の回りのことを勝手にこなす。また、たまに入ってくる地方からの連絡を処理したりしているのだが、今のところ大きな問題も災害も起こっていない様子で、俺まで回ってこない。
 ギルは当然忙しくしており、店のこと、祝賀会のことと立ち回っていて、正直ほんと、俺だけ暇をしている状態だった。

「マルからの連絡もない……草も何も言ってこない……」

 そして俺は今、出かけられない。
 一気に注目を集めるようなことをしでかしてしまったために、結構顔を知られている俺は、好き勝手出歩けない状況に陥っている。

「……することが欲しい……」

 困ってしまっていた。
 今までこんな状態に陥ったことがないのだ。
 こんな状態……つまり誰かと恋仲になるというか……その……恋人を得るという状況だ。
 それについて考えだすと、最終的に何かの選択を間違ってしまったに違いない自分にしか到達せず、酷い焦燥に駆られる。
 その恋人であるサヤとも、人前では今まで通り、主従関係を通すしかないわけで……。更にサヤは忙しく仕事に追われているわけで……暇な俺だけが置いてきぼりを食らった心境だった。
 暇でしょうがないから、そのことについてつい考えてしまい、一人落ち込むを繰り返す……なんて不毛だ。

「……ワド、マルはまだ、見つからないのかな?」
「申し訳ございません」
「そうか……いや、すまない。急かしてるわけじゃないんだ。
 ただ俺にすることがなさすぎて、暇なだけで……」
「御身の安全のためとはいえ、申し訳ございません」
「いや……それも、ワドが謝罪するようなことじゃない。すまないね」

 全部俺のためなのだ。
 だけど貴族である俺が館内をうろついてるのも邪魔になりそうで、応接室に引きこもっているしかないのが、いい加減、苦痛になってきていた。
 裏庭に出て、投擲の鍛錬でもしてこようかな……。つい二時間ほど前にも行ったけど。
 そんな風に考えていたら、コンコンと訪いの音。
 どうぞと声を掛けると、サヤだった。
 紫紺の髪。今日も女性の装い。彼女は本日もカメリアとして過ごしていた。
 意匠師としての仕事がある時は、その姿であるように厳命されたらしい。

「あ、レイシール様、申し訳ありません、ちょっとよろしいですか?」
「うん。何かあった?」

 カメリア姿のサヤも見慣れてきたけれど、何故、服装が女性の装いというだけで、こうも視線のやり場に困るのだろうなと、いつも思う。
 ギルにあんな話をされたからというのもあるのだけれど、女性の装いの時のサヤは、普段より随分と、所作が柔らかく見えるのだ。

「いえ、何かあったわけじゃないんです。その……作りたいものがありまして……。
 特殊なものは一旦全てレイシール様に確認してからだと、ハインさんが」

 そう言ったサヤが、手に持っていた紙を俺に差し出す。
 受け取ったのだけど……?

「…………ギザギザ?」
「洗濯板です。前から作りたい、作りたいって思っていたのですけど、仮姿かりすがたとの兼ね合いのこともありますし、メバックに来れなかったこともあって、ずっと私の中で保留にしてあったんです。
 洗濯。手洗いか、石でこするとかでしょう?
 私の国では、かつてこの板を利用していたんです」

 紙に書かれていたのは、まな板ほどの厚みと大きさをした板の両面に、溝を刻んだものだった。
 表と裏で、溝の幅、深さが違う。

「使い方は簡単なんです。これをたらいに入れて、斜めに立てかけます。水を含ませた洗濯物の汚れ部分を、この溝に擦り付けるだけなんですよ。
 案外よく、汚れが落ちるんです。私の世界では洗濯機という機械が多用されているのですけれど、細かいものを洗ったりするのに、いまだ愛用している人も多い道具なんです。うちも靴下とかは、これでした」

 ただ板に溝を刻んだだけの道具だ。特別な感じは何もしない、波状の溝。これにそんな大きな効果があるようには思えないし、そう特殊なものである様子もなかった。

「ふうん……。良いんじゃないか?   木工細工職人に頼めば特注出来ると思う」
「じゃあ、ちょっとお願いしてみたいのですけど、秘匿権……どうすれば宜しいですか?」
「あー……そこか。うーん……」

 少し考えて、ワドを呼んだ。
 ちょっと連れてきてほしい人物を告げるためだ。

「申し訳ないのだけど、使用人を一人、使いに借りても良いだろうか。
 ヘーゼラーという男に、仕事を頼みたいんだ」

 ヘーゼラーは、俺が領主代行となった年の職人組合長だった男だ。
 子供も既に成人しており、本人は引退間近と言っていたのだが、なかなかに義理堅く、融通の利かない職人気質な男だった。
 確かもう引退していたはずだが、前に一つ、貸しを作っていた。
 何かのおりは手を貸すと、口約束ではあるのだが言われていたのだ。

 ワドの指示で、使用人が一人使いに出され、待機となった。
 サヤもそのまま残り、執務机にて何かの図案を一心に描いている。
 気になってその手元を覗きに行くと、不思議な図柄がいく枚も描かれていた。

「……これは何を描いているんだ?」
「あぁ……作りやすそうで、ここには無さそうな道具です。
 思いついた時に描いておけば、いつか使いどころがあるかもしれませんから。
 とはいっても……構造や作り方が分かるものはあまり無いんですけど……」

 あまり無いんですけど……と、言いつつ。結構あるように見えるんだけどなぁ……?
 また一枚描き上がった。俺はそれを手に取り、図に注目した。
 ……なんだろうこれ……トゲトゲしたよく分からない物体だ。何かを束ねてあるのか?
 こっちは……匙のようなものに割れ目と穴が空いている……しかも小さい……。小さすぎて何を掬うものなのか見当もつかない。

「あ、それもできれば早急に作りたいものです。ペン先って言うんですけど、この木筆もくひつって、あまり墨の出が長持ちしないでしょう?    はじめばかり墨が濃くなりますし……すぐに先も潰れてしまいますし、本数も多く必要だし、結構値がはりますよね。
 このペン先を作れたら、もっと長く、均一に墨を出せる筆が作れるんです。
 先だけを交換できる形のものなので、本体は何度も使いまわせますし経済的です。
 レイシール様の書類仕事も、もう少しやりやすくなると思うんですよね……」

 これ、筆なのか?
 尖って先の割れた匙ではなかったらしい。

「それは金属なのですけど……素材が分からないんです。
 多分鉄……あと、上質なものは金で作られていたと記憶しています。
 祖母の持ち物に、年代物の万年筆があって、それが金でした。
 あと、クラブの友人に、道具集めが趣味みたいな子がいて、今はもう、アナログ作業はほとんど無いのに、Gペンとか持ってて……。これはその子のペンを元に、描いてみたんです」

 言ってることの意味はとんと分からないが、サヤの膨大な知識の中から、ここで使えそうな、作れそうなものを描いてくれているのは分かった。
 俺の仕事のことまで、考えてくれてたのか……と、そんな風に思うと、愛おしさがこみ上げてくる。
 サヤへの感情は複雑だ。
 愛しいし、大切にしたいと思う。こんな風に頑張ってくれている姿を見ると、つい頭を撫でてしまいたくなるし、抱きしめたいと胸が熱くなる。愛情が、一気に膨れ上がって溢れそうになるのだ。
 けれど、一人で考えたり、何かの危険にサヤを近付けるのだと思うと、急速に感情が冷えて固まる。手放さなければ、遠ざけなければという衝動に駆られる。
 俺自身に、サヤを守るに足る自信と、実力があれば、そんな風には思わずに済むのかもしれない。
 けれど俺は、守りたいはずのサヤに守られるという、あべこべな状況の人間だから……。

「どうかしましたか?」

 急に呼びかけられて、ハッとした。
 思考にのまれていたのを、気付かれてしまったらしい。
 慌てて表情を取り繕うが、その前にサヤの手が伸びてきて、俺の頬に触れる。

「何か、考えてました?
 気持ちが塞いでいる時の表情でした」

 ……そんなに顔に、出るかなぁ……。そんなつもりはないんだけど……。

 そんな風に思ったことまで、筒抜けているのか、サヤが少し口角を上げて「レイの性格は、なんとのう、理解できてきたつもり」と、口調を崩して言う。

「レイはすぐに、いろんなこと心配して、不安になっとるの、もう知ってる」
「……頼りないよな……ごめん」
「違う。それだけ色々見えてるって、いうことやろ?
 それが悪いことなわけあらへん」

 サヤのその言葉に、胸の奥が、くすぐったいような、不思議な感情に揺れる。
 そのなんともいえない愛しさにつられて、頬に伸びたサヤの手を取って、唇を押し付けたら、凄い勢いでその手が引っ込んだ。
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