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自覚 8

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「次に来る時は、虫除け香必須ですね」

 げんなりした表情の、ハインの呟きに、俺は苦笑し、サヤは必死で首肯した。半泣きだ。
 毛虫。籠の中にもいらっしゃってました。
 それはそうか。あの木の下に置いていたのだし、籠なんて隙間だらけだ。
 馬に揺られる為、サンドイッチが崩れないようにと、サヤが布巾で包んでくれていたので、直接這い回られてはいなかったものの、サヤにはそれでも相当な抵抗があった様子だ……。虫の付いていなかった包みをなんとか宥めすかして食べさせるのに苦労した。

「もう、毛虫嫌です……こんなに沢山……どこにでもおる……」

 俺の背中にひっついてめそめそしている。
 そのサヤの接触が、妙に忍耐を刺激されてたまらない。

「まあ、貴族の生活圏には、基本見ないからな」

 館には香が常時焚かれているから、その近辺にも殆ど寄り付かない。
 道もなく、人も通らない場所は、当然虫も人に遠慮などしないということだ。

「サンドイッチの味も分からへんかった……変な味じゃなかったですか……」
「いや、ちゃんと美味だったよ」
「ええ、美味でした」

 サヤが用意してくれたのはハーブチキンサンドというものだった。
 油にハーブと調味料を混ぜ、鶏肉を漬け込んでから焼くのだそうだ。
 少し濃いめの味付けも、麺麭と野菜に挟むことで丁度良い塩梅に落ち着いていた。よって、食欲の落ちたサヤの分も二人でしっかり食べさせて頂いた。こんなに美味しいのに賄いには無かった。理由を聞くと、衛生面の問題とのことだ。

「私の国には、冷蔵庫という、冷やす機械があります。夏場でも氷が作れたりするんです。
 その機械を使えば、肉を冷やし、長時間保存できるんですけど、こちらでは常温管理です。夏場に生の肉を大量に漬け置きしておくのは、危険なので」

 夏場に氷を作ることすらできてしまうキカイ……。それ、もう魔法だよね?
 そう思うのだが、サヤは違うと言う。いや、魔法だよ。自然の摂理を捻じ曲げるって、もう魔法以外のなにものでもないだろうに。

「夏場にも食品を冷やす方法はいくつかあります。例えば氷室を用意するだとか。
 ……あ、この世界に氷室はありますか?」
「ああ、あるよ。
 あるけど……勝手な使用は許可されてないからね。基本的に俺たちは使えないかな」

 貴族ならば、規模の差はあれどまず持っているだろう。
 うちにも館の裏手にある。けれど、当然利用は許可されていなかった。

 そんな風に雑談をしているうちに、サヤの気持ちも落ち着いてきた様子だ。
 するとハインが、気分転換に散歩でもしてきてはどうですかと、俺とサヤを促す。

「あちらの木立の中は、多少涼しかったですよ。まあ、虫はいるでしょうが、立ち止まらなければ、降ってくることもないでしょうから」

 言外に、サヤに気分転換をさせろと言われているのが分かる。
 まあ、サヤは常時厚着をしている状態だし、日が照った中に長時間いるのは辛いだろう。
 そう思ったから、言われた通りサヤを連れ出して散歩することにした。
         
 泉の対岸からは、小川が続いていた。浅くて細い……跨いでしまえるほどの小さな流れだ。

「この泉、湧き水なんでしょうか」
「みたいだな。流れ込んでいる方が見当たらない……。それに水が綺麗だ……」

 フェルドナレンは基本的に水脈が豊かだ。だからこそ農業に適した土地が多いわけだが、セイバーンはとくに、そうであるように思う。
 試しに手を浸けてみると、非常に冷たかった。うん……湧き水だな。

「これが飲める水なら、ここを拠点に出来そうかな」
「……でも虫がいっぱいいます……」
「そんなの、人が住んで生活していればある程度減るし、俺たちの職場には虫除け香を焚くようにすれば大丈夫だよ」

 そこでふと思い至る。
 ああ……そうだ、これをサヤに、説明しておかなければ……。

「サヤ……。
 拠点を作ってからの話になるのだけど……暫く、セイバーンを離れることになると、思う。
 仮に、ここに作るのだとしても……望郷の泉からはだいぶん、離れてしまう。
 ……それを、承諾してもらえるだろうか……」

 俺はどうしたって、拠点での生活が増えるだろう。
 場合によっては、セイバーンとここを、異母様方みたいに、行ったり来たりして生活することになるかもしれない。

 サヤが帰る為の手がかりは、今の所あの泉だけだ。
 ギルの所に行かなかった理由の一つも、泉から離れたくないという気持ちがあったからだし、サヤは、セイバーン村を離れたくないかもしれない……。
 けれど、彼女だけをあの村に残すことは躊躇われた。
 異母様や兄上のことがあるからだ。
 俺の不在を狙って、何か仕掛けてくるかもしれない……。だから、どうあってもサヤには納得してもらわなければならなかったのだ。
 サヤの返事を内心不安に思いながら待った。けれど、彼女の反応は、俺の想像と大きくかけ離れていた。

「そんなん、気にしいひんでええ。
 大丈夫、ちゃんと一緒に行く」

 あっさりと、そう言ったのだ。
 そのことに、また妙な違和感を覚える。
 戸惑って沈黙する俺に、サヤは笑った。そして、

「そんなことより、あっちの方まで行ってみよ」

 と、俺の手を握り木立ちを先に進もうとする。
 彼女らしくない積極的な行動に、違和感が更に強まる。
 まるで意図して、話を逸らそうとしているみたいだ。
 しかもサヤの指……冷たい…………。
 我慢ができなくなった俺は、サヤの手を振り払い、その両肩を掴んだ。
 俺の急な行動に、サヤがビクリと、身を硬くし、顔を強張らせる。
 その一瞬の緊張を、俺の両手はきちんと、感じた。
 やっぱり……。サヤは無理してる。

「なあ、もう止めないか」

 意を決して、そう口にした。

「もう、止めよう。無理しなくていい……。
 姫様か?   サヤに、彼の方が何か、言ったんじゃないのか?」

 色々考えて、結論として出たのは、サヤが誰かに、こう仕向けられたのではと、いうこと。
 優しい娘だから、俺の為にとか言われて、恋人だなんて……そんなことを言い出したのではと、思ったのだ。
 サヤの性別を知る人間は少ない。その中で、サヤにこんなことを吹き込みそうな人は、姫様しか思い至らない……。彼の方は素晴らしい方ではあるけれど、目的の為には案外とんでもない手段にだって、厭わず手を伸ばしてしまう人なのだと、知っている。

「何を言われた?俺の為にこうしろって言われたの?
 こんなことされても、俺は嬉しくなんかないよ。サヤが本心そう思ってないなら、何の意味もないことだ。
 無理させてまで、欲しいものじゃないんだよ……」

 いつか壊れてしまうと分かってて、喜べるものか。
 しかも、サヤ一人に負担を背負わせて……。
 あの誓いは、こんなことのためにしたのではないのだ。俺の気持ちを正しく伝えたかっただけ。少しでも、俺を見てくれたならと思ったけれど、それは決して、こんなことを望んだからじゃない……。
 動きを止めた彼女の肩を、そっと離す。
 するとサヤは、暫く沈黙した後、

「……姫様には、助言しかもろうてへん。
 レイシールは、自ら何かを得ようとは、断じてしない。待つだけ無駄だ。
 そう教えてもろただけや」

 瞳に真摯な光をたたえ、落ち着いた静かな口調でそう言う。

「ほんまレイは、下手くそやね。自分から、やめようって……。
 私が望んでこうしてるって、なんで思わへんの?」
「そんな顔しておいて、望んでいるとは、到底思えないからだよ」

 凛とした騎士のサヤだ。決意の上での行動なのだと、その瞳が物語っている。

「何をしようとしてるんだ。サヤは何か、決めたって顔してる」

 見逃さない。今度は絶対に。
 その決意でサヤをじっと見た。
 すると彼女は、何かを言いかけ……逡巡する様に瞳を伏せた。どう誤魔化すか。それを思案する様な……けれど溜息を吐いて、止めた。言い訳は、諦めたみたいだな。

「べつに。もう帰らへんって、覚悟しただけや。
 私も、言い訳しとったし……それを止めようて、決めただけ」

 サヤの口から出た言葉に慌てた。
 帰らない⁉︎   それは、どう解釈しても、故郷に帰らないという決意にしか、聞こえなかった!
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