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人と獣 4
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先ほど試食もしたのだろうに、ディート殿の食欲は旺盛だ。なんの問題もなく自身の分を完食してしまう。
「ああ、今日も美味い。あと十日程しか堪能できないと思うと切なくなるな……」
「気が早すぎますよ……」
「そんなことはないぞ。俺以外にだって、言ってる奴は山といるのだからな」
そんな感じに、嬉しいけれど困ってしまう様な話を楽しみ、食事を終えた。
現在、姫様とリカルド様という、犬猿の仲の二人がこの館に居るということで、争いの元となりそうな食事の同席は控えてもらっている。
その為、食事は各部屋まで運んでいる為、平和だ。
食事を終えたら、リカルド様との土嚢壁見学の為に準備に入る。
濡れたり汚れたりしても差し支えのない服装に着替える為、自室に向かった。
着替えなので、ディート殿は部屋で待機してもらい、俺は寝室へ移動する。
「……あれ、ハインは?」
「変わって頂きました。お話ししたいことがありましたので」
着替えの為に戻ったのに、ハインがサヤと交代してしまったという。
いや、それはちょっと! だって俺の裸体をサヤに見せるとか、駄目だろ⁉︎ あいつ何考えてるんだ⁉︎
「い、いや……着替えだから……ハインを呼んで来てくれるかな? 話はその後で……」
「お気になさらず。見慣れていますから」
見慣………⁉︎⁉︎
急に凄いことを言うサヤに慌てふためいた。
見慣れている⁉︎ 一体いつ、どこで⁉︎ そもそもそういうの全般駄目なんじゃなかったのか⁉︎
物凄く狼狽してしまった俺に、サヤも赤面する。そして視線を逸らしつつ、
「ど、道場では……男性は、そこらじゅうで適当に着替えています。
ですから、下着姿くらいは、普通に見慣れています」
「ま、まさか……サヤも⁉︎」
「そんなわけあらへんやろ⁉︎
女の人は更衣室あったしっ! 男の人はどこでも構わず着替えるし、暑うなったら勝手に脱ぐし! 筋肉自慢しあって見せびらかすし‼︎ 嫌でも見慣れるわ‼︎」
………うん……まあ、男って、そういうどうでも良いことを競うとこ、あるよね……。
今更ながら知った。
そ、そうか……道場で着替えは、そんな風か……。いや、まあ……学舎でも騎士訓練所でも、そこら辺で上半身裸になってる奴はいくらでもいた。……サヤの世界も同じであったって、おかしくない。
だ、だけど……っ。
「ほ、本当に大丈夫?」
「今更、ハインさんを呼びに行ってたら、ディート様に怪しまれます!
良いからもう、着替えて下さい‼︎」
いやだって、どうしたって気になってしまうだろ⁉︎
はじめの頃、夜着を見ただけで真っ白になってた姿も見てるんだし。あんな風に震えられたら、そりゃ過剰なくらい気にしちゃうもんだろ⁉︎
焦っているうちに上着を剥ぎ取られた。
なんか俺一人でわたわたしてるのも、妙に意識してるみたいで逆に恥ずかしい。
万が一気分が悪くなったら、すぐにハインを呼ぼうと心に決めつつ、出来るだけサヤに身体を晒さない様、大急ぎで着替えることにする。
うううぅぅ、ハインくらい筋肉質なら恥ずかしくもないのだろうが、俺の貧弱な筋肉が晒されるとは……。
道場の面々を見慣れているというなら、それは相当鍛え上げられた肉体を見て来ているのだろうし、比べられたら嫌だ……もっと鍛えておけば良かった……。
心の中で勝手に傷付きつつ、長衣を脱ぎ捨てると、サヤが息を飲むものだから更に慌てた。
「やっぱり駄目だった⁉︎」
「ち、違います⁉︎
傷が……、嘘……そんな、深い……」
傷?
身体を見下ろすと、左肩から右腰にかけて走る大きなものと、右腰に小さなもの。
それ以外にも、細々としたものがいくつかある。
大きな傷代表は、二年前、兄上に斬られた傷だ。腰のものはハイン。
「ああ……、大丈夫だよ。見た目だけだから」
サヤがあまりに衝撃を受けた様子だから、出来るだけ明るく、気にするほどのものじゃないのだと伝えた。
どちらもそれなりに深いが、命が関わる程ではなかった。
俺は貴族だし、医者がすぐに呼ばれるのだから。
まあ、兄上に斬られた方は、アギー公爵様の配下の方が処置して下さったから、大事に至らず済んだ。メバックから医者を呼んでいたら、もうちょっと危なかったかもしれない。
脱いだ長衣をサヤに渡し、着替えを受け取る。
さっさと傷を隠してしまおう。……あ、傷に気を取られていたから、筋肉は注力されなかったかもしれない。まさに怪我の功名だなぁ。そんな風なことを考えていたら、急に細い腕が身体に回された。
「え? っ⁉︎ サヤ⁉︎」
背中側から、サヤがしがみついて来ていて、ちょっと強いくらいの力で、抱き締められていた。
混乱の極みだ。腕を振り解けば良いのか? いや、サヤの力に俺が抗えるはずがない。ていうかこれは、何⁉︎ どういった状況??
狼狽えてしまって言葉が出ない。そんな俺の反応など御構い無しに、サヤは腕に、力を込めた。
「話したいこと、今、話すことにする」
この体勢で⁉︎
それは色々問題があると思ったから、必死で声を絞り出す。
「き、聞くから……手を、離さないか?」
「今すぐや‼︎」
……怒ってる?
サヤの声が怒りを孕んでいた。
今この状況の、何がサヤを怒らせたのかが分からない。謝るべき⁉︎ でも何に⁉︎と、またもや頭が沸騰してきて、状況に対応出来ない。
「さっきの話、レイは、どう思うて、聞いてはったん?」
さっきの話。
それはまあ、確実に、食事処でのやり取りのことだと思う。
けれど、サヤの耳がどこまでを拾っていたのか分からないから、どの話を指しているのかが、咄嗟に判断出来ない。
返事をしない俺に、サヤはしばらく沈黙した後、また口を開いた。
「エレノラさんが言うてはったこと、レイは、どう思うて聞いたん」
いや……あれはその後の衝撃が強すぎて、思うことが何も無かった……。
口付けが衝撃過ぎて、それからサヤの目を庇うことしか考えてなかった。
けど、そんなこと言っても駄目だよな。絶対納得してくれない。ていうか、口に出来ない。
答えようがない俺をどう思ったのか、サヤの腕にまた、力が篭った。
こ、これ以上締め上げられたら、やばいんですが……。
「ご、ごめんサヤ、何か、気に障ったなら、謝るから……教えてくれないか?」
このままでは駄目だと思ったので、意を決し、そう聞いた。
余計怒らせるかもしれないけれど、聞かないとどんどん締め上げられそうだ……。
そう思ったのだが、俺の問いに対し、サヤの手はするりと俺から離れ、かと思ったら、ぐりんと身体を反転させられたので、一瞬視界が飛ぶ。
「なんで、分からへんの……?」
ぶれた視界がサヤに定まった。すると、泣きそうな顔のサヤが、俺を見上げていた。
怒ってたんじゃなく、涙を堪えていたのか……? 呆然と考える。けれど、何故そんな顔をさせているのかが分からない。
サヤの両手が、今度は俺の腕を掴む。
「さっき、エレノラさん、言わはったやろ? ガウリィさんに、幸せになろうとしてへんって。
レイも同じや、レイも、全然、自分のこと、考えてへん! 自分を幸せにしようとしてへん!
せやから簡単に、忘れてええなんて、口に出来るんや!」
何故昨日のことを持ち出されるのだろう……。
「レイは初めから、私の返事なんか、求めてへんかった!
自分が幸せになってええって、思ってへんやろ⁉︎
せやからガウリィさんに、幸せを願ってくれって言うてるのに……っ。全部、ひとごとみたいに……!
そんなん、そんなん私は、納得いかへん‼︎」
ひと言の度に、サヤの手にぐいぐいと押されて、最後には、寝台に座る羽目になった。
おかげで、サヤが俺を見下ろしながら、怒った顔で、泣く姿から、逃れられない……。
化粧が崩れるとか、声がディート殿に聞こえそうだとか、思うことは沢山あったのだけれど、サヤを泣かせてしまっている事実を前に、そんな言葉を口にすることは出来なかった。
納得いかへんって……言われても……じゃあ俺は、何を、どうすれば良いんだ?
その答えが、見つからない……。
だって、色々前提が……、サヤは異界の娘で、帰らなきゃならなくて、好きな相手がいて、もし求めようと思えば、俺は、願ってはいけないことを、願うしかないのだ。
折り合いのつく場所なんてない。
俺が求めれば、サヤに選ぶべきものを、捨てさせることになる。
「兇手に襲われた時も、そうやった……。
レイは一番はじめに、自分を切り捨てる……。
私は、そんなん、納得できひん。レイが苦しいの分かってて、幸せになんか、なれへんもん。
あっちに帰ったかて、ずっと心配して、後悔せなあかん。
それは、なんでやと思う?」
なんでって、言われても……。
「もう、レイのことかて私には、大切なんや! なんで分からへんの⁉︎」
首に手が回された。
サヤが俺の首に抱きつく様にして、肩にサヤの頭が乗っかっていて、昨日の甘い香りがまた、鼻腔を掠めた。
「やめた。忘れへんから。
レイが私を好きやって言うたこと、忘れへん。
まだ自分でも、よう、分からへんけど……多分私は、それが嫌やない、思う。
せやから、レイも、そのつもりでおって」
ど…………どのつもり? どどどのつもりでどうすればよいんだ⁉︎
「レイシール様、支度は済みましたか? 何を騒いでるんです?」
扉の向こうから、急に乱入したハインの声に、二人して飛び上がった。
心臓が、ハインの声に驚いたからなのか、サヤの発言に動揺しているからなのか、もの凄く暴れる。
「ごっ、ごめんっ、もう終わるからちょっと待って‼︎」
急いで立ち上がって、震える指で必死に長衣の釦を留め、腰帯を締めてから立ち上がる。
サヤに上着を羽織らせてもらってから、雨除けの外套を纏って扉の方に向かい、はっと、足を止めた。
「サヤは、留守番。
霧雨じゃ、化粧が落ちるから、良いね?
あと……目元、崩れてるから、後で、手直ししておいて。
それとその…………つ、続きは、帰ってからで、お願いします……」
続きがあるのかないのかすらよく分からなかったけれど、そう言うとサヤも必死でこくこくと頷く。顔が真っ赤だ。首まで赤い。きっと俺も似たり寄ったりだ……。
半ばやけくそで扉を開き、顔を伏せたまま、大股でハインとディート殿の前を突っ切る。
「行くよ! リカルド様待たせると悪いから! あとサヤは留守番だから! 部屋の片付けしといてもらうから!」
「は?」
「行くよ⁉︎ 俺先に行ってるから!」
俺を一人にするわけにはいかない。だからハインとディート殿はあわてて俺についてくる。
そうやってサヤから二人を引き剥がして、ついでに俺自身にも、心よ凪げと言い聞かす。
落ち着け、落ち着け、とりあえず保留、保留だから。さっきのやり取りについては考えちゃ駄目だ。無心になれ!
そう言い聞かすも全然暴れる心臓も、熱い顔も、収まる様子を見せないものだから、俺は雨除けの外套を目深に被り、雨の降る中で待機するしかなかった。
「ああ、今日も美味い。あと十日程しか堪能できないと思うと切なくなるな……」
「気が早すぎますよ……」
「そんなことはないぞ。俺以外にだって、言ってる奴は山といるのだからな」
そんな感じに、嬉しいけれど困ってしまう様な話を楽しみ、食事を終えた。
現在、姫様とリカルド様という、犬猿の仲の二人がこの館に居るということで、争いの元となりそうな食事の同席は控えてもらっている。
その為、食事は各部屋まで運んでいる為、平和だ。
食事を終えたら、リカルド様との土嚢壁見学の為に準備に入る。
濡れたり汚れたりしても差し支えのない服装に着替える為、自室に向かった。
着替えなので、ディート殿は部屋で待機してもらい、俺は寝室へ移動する。
「……あれ、ハインは?」
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着替えの為に戻ったのに、ハインがサヤと交代してしまったという。
いや、それはちょっと! だって俺の裸体をサヤに見せるとか、駄目だろ⁉︎ あいつ何考えてるんだ⁉︎
「い、いや……着替えだから……ハインを呼んで来てくれるかな? 話はその後で……」
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見慣………⁉︎⁉︎
急に凄いことを言うサヤに慌てふためいた。
見慣れている⁉︎ 一体いつ、どこで⁉︎ そもそもそういうの全般駄目なんじゃなかったのか⁉︎
物凄く狼狽してしまった俺に、サヤも赤面する。そして視線を逸らしつつ、
「ど、道場では……男性は、そこらじゅうで適当に着替えています。
ですから、下着姿くらいは、普通に見慣れています」
「ま、まさか……サヤも⁉︎」
「そんなわけあらへんやろ⁉︎
女の人は更衣室あったしっ! 男の人はどこでも構わず着替えるし、暑うなったら勝手に脱ぐし! 筋肉自慢しあって見せびらかすし‼︎ 嫌でも見慣れるわ‼︎」
………うん……まあ、男って、そういうどうでも良いことを競うとこ、あるよね……。
今更ながら知った。
そ、そうか……道場で着替えは、そんな風か……。いや、まあ……学舎でも騎士訓練所でも、そこら辺で上半身裸になってる奴はいくらでもいた。……サヤの世界も同じであったって、おかしくない。
だ、だけど……っ。
「ほ、本当に大丈夫?」
「今更、ハインさんを呼びに行ってたら、ディート様に怪しまれます!
良いからもう、着替えて下さい‼︎」
いやだって、どうしたって気になってしまうだろ⁉︎
はじめの頃、夜着を見ただけで真っ白になってた姿も見てるんだし。あんな風に震えられたら、そりゃ過剰なくらい気にしちゃうもんだろ⁉︎
焦っているうちに上着を剥ぎ取られた。
なんか俺一人でわたわたしてるのも、妙に意識してるみたいで逆に恥ずかしい。
万が一気分が悪くなったら、すぐにハインを呼ぼうと心に決めつつ、出来るだけサヤに身体を晒さない様、大急ぎで着替えることにする。
うううぅぅ、ハインくらい筋肉質なら恥ずかしくもないのだろうが、俺の貧弱な筋肉が晒されるとは……。
道場の面々を見慣れているというなら、それは相当鍛え上げられた肉体を見て来ているのだろうし、比べられたら嫌だ……もっと鍛えておけば良かった……。
心の中で勝手に傷付きつつ、長衣を脱ぎ捨てると、サヤが息を飲むものだから更に慌てた。
「やっぱり駄目だった⁉︎」
「ち、違います⁉︎
傷が……、嘘……そんな、深い……」
傷?
身体を見下ろすと、左肩から右腰にかけて走る大きなものと、右腰に小さなもの。
それ以外にも、細々としたものがいくつかある。
大きな傷代表は、二年前、兄上に斬られた傷だ。腰のものはハイン。
「ああ……、大丈夫だよ。見た目だけだから」
サヤがあまりに衝撃を受けた様子だから、出来るだけ明るく、気にするほどのものじゃないのだと伝えた。
どちらもそれなりに深いが、命が関わる程ではなかった。
俺は貴族だし、医者がすぐに呼ばれるのだから。
まあ、兄上に斬られた方は、アギー公爵様の配下の方が処置して下さったから、大事に至らず済んだ。メバックから医者を呼んでいたら、もうちょっと危なかったかもしれない。
脱いだ長衣をサヤに渡し、着替えを受け取る。
さっさと傷を隠してしまおう。……あ、傷に気を取られていたから、筋肉は注力されなかったかもしれない。まさに怪我の功名だなぁ。そんな風なことを考えていたら、急に細い腕が身体に回された。
「え? っ⁉︎ サヤ⁉︎」
背中側から、サヤがしがみついて来ていて、ちょっと強いくらいの力で、抱き締められていた。
混乱の極みだ。腕を振り解けば良いのか? いや、サヤの力に俺が抗えるはずがない。ていうかこれは、何⁉︎ どういった状況??
狼狽えてしまって言葉が出ない。そんな俺の反応など御構い無しに、サヤは腕に、力を込めた。
「話したいこと、今、話すことにする」
この体勢で⁉︎
それは色々問題があると思ったから、必死で声を絞り出す。
「き、聞くから……手を、離さないか?」
「今すぐや‼︎」
……怒ってる?
サヤの声が怒りを孕んでいた。
今この状況の、何がサヤを怒らせたのかが分からない。謝るべき⁉︎ でも何に⁉︎と、またもや頭が沸騰してきて、状況に対応出来ない。
「さっきの話、レイは、どう思うて、聞いてはったん?」
さっきの話。
それはまあ、確実に、食事処でのやり取りのことだと思う。
けれど、サヤの耳がどこまでを拾っていたのか分からないから、どの話を指しているのかが、咄嗟に判断出来ない。
返事をしない俺に、サヤはしばらく沈黙した後、また口を開いた。
「エレノラさんが言うてはったこと、レイは、どう思うて聞いたん」
いや……あれはその後の衝撃が強すぎて、思うことが何も無かった……。
口付けが衝撃過ぎて、それからサヤの目を庇うことしか考えてなかった。
けど、そんなこと言っても駄目だよな。絶対納得してくれない。ていうか、口に出来ない。
答えようがない俺をどう思ったのか、サヤの腕にまた、力が篭った。
こ、これ以上締め上げられたら、やばいんですが……。
「ご、ごめんサヤ、何か、気に障ったなら、謝るから……教えてくれないか?」
このままでは駄目だと思ったので、意を決し、そう聞いた。
余計怒らせるかもしれないけれど、聞かないとどんどん締め上げられそうだ……。
そう思ったのだが、俺の問いに対し、サヤの手はするりと俺から離れ、かと思ったら、ぐりんと身体を反転させられたので、一瞬視界が飛ぶ。
「なんで、分からへんの……?」
ぶれた視界がサヤに定まった。すると、泣きそうな顔のサヤが、俺を見上げていた。
怒ってたんじゃなく、涙を堪えていたのか……? 呆然と考える。けれど、何故そんな顔をさせているのかが分からない。
サヤの両手が、今度は俺の腕を掴む。
「さっき、エレノラさん、言わはったやろ? ガウリィさんに、幸せになろうとしてへんって。
レイも同じや、レイも、全然、自分のこと、考えてへん! 自分を幸せにしようとしてへん!
せやから簡単に、忘れてええなんて、口に出来るんや!」
何故昨日のことを持ち出されるのだろう……。
「レイは初めから、私の返事なんか、求めてへんかった!
自分が幸せになってええって、思ってへんやろ⁉︎
せやからガウリィさんに、幸せを願ってくれって言うてるのに……っ。全部、ひとごとみたいに……!
そんなん、そんなん私は、納得いかへん‼︎」
ひと言の度に、サヤの手にぐいぐいと押されて、最後には、寝台に座る羽目になった。
おかげで、サヤが俺を見下ろしながら、怒った顔で、泣く姿から、逃れられない……。
化粧が崩れるとか、声がディート殿に聞こえそうだとか、思うことは沢山あったのだけれど、サヤを泣かせてしまっている事実を前に、そんな言葉を口にすることは出来なかった。
納得いかへんって……言われても……じゃあ俺は、何を、どうすれば良いんだ?
その答えが、見つからない……。
だって、色々前提が……、サヤは異界の娘で、帰らなきゃならなくて、好きな相手がいて、もし求めようと思えば、俺は、願ってはいけないことを、願うしかないのだ。
折り合いのつく場所なんてない。
俺が求めれば、サヤに選ぶべきものを、捨てさせることになる。
「兇手に襲われた時も、そうやった……。
レイは一番はじめに、自分を切り捨てる……。
私は、そんなん、納得できひん。レイが苦しいの分かってて、幸せになんか、なれへんもん。
あっちに帰ったかて、ずっと心配して、後悔せなあかん。
それは、なんでやと思う?」
なんでって、言われても……。
「もう、レイのことかて私には、大切なんや! なんで分からへんの⁉︎」
首に手が回された。
サヤが俺の首に抱きつく様にして、肩にサヤの頭が乗っかっていて、昨日の甘い香りがまた、鼻腔を掠めた。
「やめた。忘れへんから。
レイが私を好きやって言うたこと、忘れへん。
まだ自分でも、よう、分からへんけど……多分私は、それが嫌やない、思う。
せやから、レイも、そのつもりでおって」
ど…………どのつもり? どどどのつもりでどうすればよいんだ⁉︎
「レイシール様、支度は済みましたか? 何を騒いでるんです?」
扉の向こうから、急に乱入したハインの声に、二人して飛び上がった。
心臓が、ハインの声に驚いたからなのか、サヤの発言に動揺しているからなのか、もの凄く暴れる。
「ごっ、ごめんっ、もう終わるからちょっと待って‼︎」
急いで立ち上がって、震える指で必死に長衣の釦を留め、腰帯を締めてから立ち上がる。
サヤに上着を羽織らせてもらってから、雨除けの外套を纏って扉の方に向かい、はっと、足を止めた。
「サヤは、留守番。
霧雨じゃ、化粧が落ちるから、良いね?
あと……目元、崩れてるから、後で、手直ししておいて。
それとその…………つ、続きは、帰ってからで、お願いします……」
続きがあるのかないのかすらよく分からなかったけれど、そう言うとサヤも必死でこくこくと頷く。顔が真っ赤だ。首まで赤い。きっと俺も似たり寄ったりだ……。
半ばやけくそで扉を開き、顔を伏せたまま、大股でハインとディート殿の前を突っ切る。
「行くよ! リカルド様待たせると悪いから! あとサヤは留守番だから! 部屋の片付けしといてもらうから!」
「は?」
「行くよ⁉︎ 俺先に行ってるから!」
俺を一人にするわけにはいかない。だからハインとディート殿はあわてて俺についてくる。
そうやってサヤから二人を引き剥がして、ついでに俺自身にも、心よ凪げと言い聞かす。
落ち着け、落ち着け、とりあえず保留、保留だから。さっきのやり取りについては考えちゃ駄目だ。無心になれ!
そう言い聞かすも全然暴れる心臓も、熱い顔も、収まる様子を見せないものだから、俺は雨除けの外套を目深に被り、雨の降る中で待機するしかなかった。
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