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影 11

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「ギル⁉︎」
「あん?   なんだよ?」
「ギル、ちょっと揶揄いすぎですって」

 マルが取り成す様にそう言うが、もう遅い。
 サヤを、恋愛対象として見るなって、言ったよな⁉︎
 今のは、今のやり取りは……まるでっ。俺の目の前で、何考えてそんな風にっ⁉︎

「ふふん。じゃあ、俺は戻る。ルーシー、お前もだ。おやすみ」
「え?   一体何?   叔父様!   全然分からないんだけど!」
「良いんだよ、分かんなくて。あと叔父って言うな」

 ギルが上機嫌で俺の部屋を後にする。それと入れ違いの様にして、ハインが戻って来た。
 入室するなり俺の顔を見て、不思議そうに問う。

「何かありましたか?」
「いやいや、なんでもないですよ。ええ」

 マルが誤魔化しつつ、自身もそそくさと立ち上がる。

「あ、そうそう。忍の件、伝えました。準備出来次第、出発してくれるそうです。
 姫様の一筆も頂きましたから、順調であれば八日で戻るでしょう。
 いやぁ、危険を冒して侵入する手間が省けて良かったです」

 本題に戻った様だ。俺は燻る怒りを、一旦押し殺す。
 仕事は、仕事だ。先に片付けよう。

「分かった……。
 リカルド様の方も、マルに言われた通りにしている。
 リカルド様の返答、是、是、否、是、是。となったわけだけど、どうするんだ?」

「是ですか。ならば森の部隊、十中八九、ヴァーリン家の長老です。
 近日中に、草から連絡があるでしょうから、それで確定出来ますよ。引き続き目的を探ります。
 お連れの配下の方の中に、信頼できる方がいらっしゃるのはなによりですね。どなたか特定はできましたか?」
「一人、確実に違うなという人物は定まったけど、まだだ」
「じゃあ、そこはそのまま、レイ様にお願いします。見定めて下さい。安全な人物が分かれば、手の打ちようがあります。リカルド様が素直に教えてくだされば早いんですけどね。
 あとは情報交換ですね。信頼して頂けるというなら、こちらもいくつか、手の内を明かして良いでしょう。その辺の匙加減もレイ様にお任せしますよ。あと何か、ありますか?」
「ハル……という人物の名が出た。誰のことが分かるか?」
「ハル……一子のハロルド様のことですかね。該当しそうな名前が他にありません」

 あれに振り回されるのは、私と、ハルの……。その後、何と言うつもりだったのだろう?
 だが、エレスティーナ様と面識があったのは、リカルド様だけではなく、ハロルド様もであった。と、考えて間違いないと思う。
 エレスティーナ様について語る時のリカルド様。あのお姿を見て、俺は彼の方が、王家に仇を成すつもりでいるとは到底思えなかった。象徴派の長となられたのにも、何か理由があるのだろう。
 森の一部隊について是と答えたことも含め、彼の方の本音を、もう少し聞き出さなくてはならない。

「明日、リカルド様に土嚢壁をお見せする約束をしたから、案内してくる。
 それと、湯屋を騎士訓練所に作りたいって言われたんだけど」
「おやまぁ、早々と湯屋の売り込みまでしてくださったんですか?」
「いや、ずいぶん気に入られたみたいなんだよ。リカルド様から言い出したんだ。
 とはいえ王都だし、近場の水源が井戸しかないみたいだから……何か水を汲みやすくする手段を講じる必要がある」
「井戸ですかぁ……。川縁とかにして欲しいですよねぇ……。
 もう、訓練の一環として毎日井戸から手桶で頑張ってもらうのじゃ、駄目ですか?」
「騎士なら訓練って言えばやるのだろうけどな……。
 国中に普及することを考えると、避けては通れない問題だと思うぞ。
 川にしたって、水車を設置しにくい所だってあるだろうし」

 井戸なら、村と名が付く場所には、必ずと言って良い程あるのだ。
 利用出来るのなら、一番確実な水源となるだろう。

「まあ、そこもおいおい、考えましょう。後回しで良いのでしょう?   今は姫様の問題が先です」
「そうだな。じゃあ、引き続きお願いする」
「畏まりました。では、僕もお暇しますよ。おやすみなさい」

 さっさと逃げていった二人にイライラが募る。
 仕事は仕事と割り切りはしたけれど、気分転換にはならなかった。
 腹立たしい。なにより、サヤの表情。
 恥ずかしげに、顔を赤らめていた。けれど、嫌そうではなかった。なにより、ギルにポンポンと、頭を撫でられていた時の彼女は……幸福そうに、くすぐったそうに、微笑んで……っ。

「レイシール様?   いつになく険悪な顔をなさってますが、本当に、何もないのですか?」

 静かな口調のハインが、そう問いかけてきて、ハッと我に帰る。

「……ないよ」

 そう答えることしか出来ず、俺はそのまま黙って、寝室に向かった。
 腹立たしい。ギルの態度や、サヤの反応にも腹は立ったが、何よりも自分に、苛立っていた。
 サヤを見れない……。今どんな顔をしているのか、何を考えているのか、気になって仕方がないのに、怖いのだ。ギルとサヤが、二人で楽しげにしていた様子が、あまりにも……似合いの二人であるように見えて、サヤにはカナくんがいるのだと考えても、全く慰めにならない。

 夜着に着替えるのを手伝ってから、ハインが部屋を退室する。
 サヤの誤解を解く為に話をしなくてはと思っていたのに、もう、そんな気持ちはは微塵も無かった。
 もうどうにでもなれと寝台で横になろうとした時、まあ……予想していた通り、コンコンと扉が叩かれる。

「レイシール様?   宜しいですか?」
「……どうぞ」

 どうせ、駄目と言うことも出来やしないのだ。

 寝室に入ってきたサヤは、何かそわそわと、視線を彷徨わせてから、寝台に座る俺の前までやって来る。
 俺の不機嫌そうな顔を見てから、少々躊躇って、それでもやはり、口を開いた。

「あの……ギルさんは、別に、変なことは、仰ってないんですよ?」
「そうなんだろうね」
「……あ、の……怒って、ます?……」
「そう見える?   気の所為じゃないかな」

 大人気ないなと思う。
 だけど、ギルを庇うサヤの態度に、余計腹が立ったのだ。
 どうにも、気持ちが収まらない。
 ギルは俺の気持ちを知っている。なのに、あんな風に、わざと仲睦まじいさまを見せつけられたのだと思うと、簡単に割り切ることが出来ない。
 なにやら様子を伺うような、サヤの態度も、それに拍車をかけてこちらを苛立たせてくる。
 そんな俺の態度に、サヤは困ってしまった様子だ。しゅんとして、先ほどの嬉しそうな笑顔は、もう面影もなかった。

「ギルさんは……レイシール様を、大切に思ってらっしゃる、だけですよ?
 茶化していたのは、照れ隠しで……こっそりと仰ったのは……」
「良いよ別に。俺には言いたくないことなんだろうから」
「ちっ、違いますよ⁉︎   言いたくないのじゃなくて……」
「もう良いって言ってる。じゃあ、おやすみ」
「レイ⁉︎」

 寝台に足を上げて、上掛けを持ち上げたら、その手を掴まれた。
 サヤが、凄く困った顔をしたまま、「レイの夢を、教えてもろただけやから!」と言う。

「……夢?」

 すると、「まだ、終わってへんから、本当は、終わってから、言いたかったんやで……」と、前置きしてから、口を開く。

「レイが、学舎に居た頃の、夢。
 農業か、土木について学びたいって、言うてたんやろ?」

 それはギルが卒業する前日の夜に、皆を前に話したことだった。
 言いたくなかったのだ。叶わなくなる気がして……。でも、クリスタ様に促されて、言うしかなかった。
 俺は二年早く入学していたから、十年を過ごした後も、残り二年、学舎にとどまれる権利があった。だからその期間に学べるならばと、その二つを答えたのだ。
 結局、その願いは叶わず……貴族を辞めることも、学ぶことも、出来なくなったが……。

「ギルさんがさっき、言わはったんはな……レイの夢が、もう少しで叶うって、ありがとうって、言うてくらはっただけや……」

 なのに、サヤが、そう言うのだ。

「あの川の氾濫を、なんとかしたいって、思うてたんやろ?   せやから、学びたかったんやろ?」

 そう問われ、俺は……。

「残り、半分ある。まだ気ぃ抜いたら、あかんのやけど……。
 教えてもらえて、嬉しかった……レイの夢、叶うんやなって、思うたから……。
 せやし、怒らんといて。ギルさんは、レイの夢が叶うことを、喜んでただけやで」

 もう、嫌だあいつ……。なんでそう……。

「かんにんな。それだけ……ほな、おやすみ……」

 俺の手を掴んでいたサヤの手が離れた。だからそのまま、上掛けを手放して、今度は俺がサヤの手首を掴む。

「ごめん……」

 そのまま引っ張ったら、本来なら、微動だにしないであろうサヤは、抗わずそのまま、すとんと寝台に腰掛ける様に、座った。

「ごめん……サヤ、怒ったりして」
「……ええよ」

 その答えを聞き、緊張の糸が切れた。
 大きく息を吐いて、どうしようもない自分が恥ずかしくて、顔を隠した。
 一人で嫉妬して、怒って、サヤに気を使わせて……本当に馬鹿みたいだ。
 そして聞いてみれば、ただただ、ギルが良い奴だっただけって、ほんと俺、ただの馬鹿だ。
 恥ずかしくて顔を上げられない。だけど、サヤの手を離したくなくて、俺の手は、まだ彼女の手を握っていた。

「忘れてた……そんな風に、思ってたこと……」

 ずっと、義務を果たすことだけを、考えていた。
 責任を負った以上、逃げてはいけないと、ただそう思っていたのだ。
 ギルはいつでも、俺より俺を知っている。
 そうだ、確かに願っていた。俺は、願いの全てを、失くしたわけではなかったのだ。
 俺の願い。それがもう少しで、手の届く場所にある。それを俺に与えてくれたのは、このサヤだ。
 忘れてしまっている俺の代わりに、そのことをギルは、サヤに、伝えてくれたのか。
 じゃあ、あの幸福そうな、くすぐったそうな笑顔は、俺の為に、喜んでくれていた?

「サヤ、ありがとう……」
「レイまで……まだ気が早いって、言うたやろ?」

 そう言いつつも、優しく微笑むから、もう、堪らなくなる。
 歯を食いしばって、衝動を抑え込んだ。その代わり、握る手に力がこもる。
 ギルがサヤに耳打ちしたのは、きっと俺とサヤの接触を増やすため。
 小さなことで腹を立てている俺に、ギルはそんな風に、悪戯を仕掛けたのだ。
 サヤならきっと、怒る俺をそのままにして、内緒話を伏せておきはしないだろうと、分かっているから。
 そしてそれを知った俺が、こんな気持ちになるであろうことも、お見通しなのだと思う。
 サヤが全部、俺にくれたんだ……。
 何もかもが、この娘を切っ掛けに、動いた。
 サヤは俺の女神だ。

「サヤ……全部、サヤが俺にくれたんだ……」
「違う。レイが、形にしたんや。頑張らはったんは私やのうて、レイと、みんなや。
 それに、まだ気ぃ抜いたらあかん。まだ半分や。雨季が終わるまで、まだ長いやろ?」

 諌めるようにそう言い、サヤの手が、膝を抱えて頭を埋めている俺の髪を、そっと撫でる。ほのかな甘い香りがした。
 サヤの香り。風呂上がりだからだろうか、そう考えてしまって、慌ててその思考を頭から払い除ける。

「ちゃんと叶うまで、見届けなあかん。喜ぶのは、それからや」

 ?

 何か、サヤの言い方が引っかかった。急に声が、硬くなったように聞こえたのだ。
 ちらりと、顔を傾けて、サヤを覗き見る。
 サヤの瞳が揺れていた。
 俺の方を見ていない。どこか虚を彷徨う視線の先には、何もない。
 ただ、何故か悲しそうな、苦しそうな、怯えたような、表情。

 見届ける……。見届けたら……。

「……っあっ⁉︎……」

 気がついた時には、もう、衝動が駆け抜けた後だった。サヤの息が、素肌を晒している俺の喉元に掛かる。
 逃げていく、離れていってしまうと、そう考えたら、身体がそれを拒否していた。
 夜着越しに、サヤの柔らかい身体を感じる。
 逃すまいと、全力で抱きすくめていた。
 無理だ。
 他の何を失ったとしても、サヤを失うのだけは無理だ。
 サヤの痕跡をどれほど残しても、思い出を山と作り上げても、そんなものは何一つ、慰めにならないのだと、今痛感した。

「レイ、どうし……」
「いなくならないでくれ」

 息を呑む音。
 サヤの身体が、緊張に強張るのが、腕に伝わる。
 だけど、状況を見守ろうとか、機会を伺おうとか、そんなのはもう、考えられなかった。
 どうせ何もしないなら、失うのだ。
 じゃあもう、足掻くしかないじゃないか。
 失えないなら、足掻くしかない。
 結局、ギルにも、マルにも言われた通り、認めるしかない。口にするしか、ないんだ。

「好きだ」

 腕の中のサヤが、びくりと跳ねた。
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