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クリスタ・セル・アギー 1
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昼食を終えて、ハインとディート殿を伴って執務室に戻ろうとしていると、玄関扉を押し開けて来た来客に遭遇した。
交代の近衛の方か?
雨除けの外套で顔が見えない為、そう思い足を止めたのだが、近衛の方ではあったものの、伝令だと仰った。
伝令?俺に?
「アギー家の家紋の馬車が、こちらに向かっておられましたので、早めに知らせよとルオード様より仰せつかりました。
時間にして約四半時程でご到着の様子です。
馬車は二台で四人乗り。御者と護衛が計十名とのこと」
「十名⁉︎」
「いや、護衛の方は、数人残して戻られると思う。あの方は、過剰に護衛を側には置かぬ方だから。馬車の一台も、半分は荷物だろう。
知らせに感謝します。直ぐ準備に取り掛かってくれ。
あと、ルオード様に、後でお越しいただける様、伝えてもらえるでしょうか」
「畏まりました。では」
伝令を見送り、直ぐに食堂へ引き返す。
サヤは聞こえていた様子で、マルにはもう、事情が伝わっているみたいだ。
風呂の計画は一旦保留ですねと言われた。
「申し訳ないが、急いで準備だ。とはいえ、大半は終わっているよな。
ルーシーとハインは、俺と共にクリスタ様をお迎えする。サヤは、部屋の方を再確認。
御者と護衛の方が十名とのことだから、手拭いが大量に必要だ」
「それは整えてあります。雨季の中を来られることは、想定済みでしたから。
マルも面識がありますから、一緒に並ばせましょう。ウーヴェは帰した方が無難でしょうね。大貴族と縁を繋ぎたいなら、残っても構いませんが……」
「め、滅相もございません、では私は、お暇させて頂きます。
木材と石の購入は、進めておけば良いのですね?」
「うん。石の大きさは人の頭くらい。一人で持てる重さのものでお願いしますよぅ」
何かよく分からない指示を受けたウーヴェは、急いで外套を纏い、土建組合員の数人残る借家に戻って行く。それを見送って、マルがひょこひょこと俺の元にやって来た。
「レイ様、風呂については、夜、時間の空いた際に報告に伺います。
クリスタ様の件、夜の賄いを増やす連絡は、ウーヴェに知らせる様、頼んでおきました。護衛の方は、到着と同時に、大半は帰路につかれるのでしょうが、昼食抜きでは流石に可哀想ですからねぇ。何か食して行ってもらう方が、心象も良いと思うのですけれど」
そうは言っても、俺たちは昼食を終えてしまったし、余った料理もそんなに無いだろう。
用意できるものなんて、何も……。
そう思ったのだが、マルの言葉を受けたサヤが、サッと手を挙げる。
「でしたら、ケチャップが残ってますから、牛肉のケチャップ炒めを麵麭に挟みます。材料も有りますし、直ぐ作れますから。あと、牛乳茶を用意します。蜂蜜を入れて甘めに。まずはそれで、体を温めて頂きましょう」
「ならば、私が部屋の確認に向かいます。サヤが調理を担当した方が良い。ルーシーはレイシール様と待機です」
サヤなら音が拾えますからと、ハインが小声で言う。ディート殿に聞こえぬよう配慮したのだろう。
そうだな。サヤなら、音を聞き分けて、出迎えに出て来れるだろう。
牛乳茶はサヤの教えてくれた茶の入れ方だ。牛乳で茶を煮出すのだが、茶の独特の苦味が抑えられ、意外に美味なのだ。あれは確かに温まる。蜂蜜の甘味も、疲れた身体に良いだろう。
ハインが大量の手拭いを玄関広間に用意し、客間の確認に走った。
少々申し訳なかったが、俺とルーシーは動く二人を見送り、玄関広間に待機だ。
「ここは本当に、この少人数でよく動くものだと感心する。
過労死しそうだが……」
ポツリと呟くディート殿に苦笑が溢れた。
「ハインとサヤでないと無理ですよ。サヤは元々、効率化民族ですし、ハインも効率化には強いので」
「効率化民族とはなんだ?」
「サヤの民族を、俺たちで勝手にそう呼んでいます。
何かにつけて、そつがない民族なのですよ。食券の話などもそうだったでしょう?」
「おぉ、あれは感心した。あの話は、サヤが優れているのだと思っていたが……」
「それもあるのでしょうが、あの子の民族は何かにつけてそうである様ですよ。それが身に染み付いているみたいです」
「成る程、国風か」
そんな会話を交わしている間に、到着された様子だ。玄関外から、物音、人の声。ルーシーが伺って来たので、扉を開ける様に指示した。
扉を全開に開いてもらうと、軒先に横付けされた馬車から、荷物や人が下されている。中へどうぞと声を掛けると、一人の女中が進み出て来た。
若い女性。亜麻色の髪を背に垂らし、橙色の瞳をされた女性だ。年は三十路前後と思われる。
「アギー家、クリスタ・セル・アギー様の女中頭をしております、フレデリーカ・アグネス・ダーシーと申します。
セイバーン家、レイシール・ハツェン・セイバーン様に、御目通りを願いたいのですが」
「……あの、私です」
丁寧に名乗って、本人が目の前にいるのに目通りをと言われるとは思っていなかった為、ついそう、気の抜けた声で言ってしまった。
しかし、相手もその返事を想定していなかった様子で、目を見開く。
「あの……レイシール様は……クリスタ様と背丈のあまり変わらぬ、妖精の様に美しいお方と……伺っております……」
「ああはい、背丈、二年前まではそうでしたね。ここに戻り、随分と伸びましたから。
あとその……妖精とかはやめて下さいと、お伝え下さいませんか。それ、言わないで欲しいと、何度もお願いしているのですけど……」
正直、貴方が言うんですかと言いたい。
俺から言わせると、白磁の肌に紅玉の瞳であるクリスタ様の方が、よほど妖精だ。
なのに来訪直後、女中頭にまで言われるとは想定していない……地味に傷付いた。
だが女中頭の方は、まだ俺をレイシール本人だとは思えないらしい。眉間にしわを寄せ、俺を怪しいものを見る様な目で見ている。
「……レイシール様は、灰髪だと、伺っております」
「あー……。どうやら、こちらが本来の色である様で、洗い方を改めましたら、こうなりました」
「嘘を申すな!レイシールはその様にひょろ長くないし、均整のとれた愛らしい美少年であるのだぞ!」
馬車の中から、聞きなれた、懐かしい声。
男性にしては高めの、年の割りに可愛らしい声色。懐かしい……。
自然と、口元が緩み、笑みが浮かぶ。馬車に駆け寄って、中を覗き込みたい衝動に駆られるが、そこはぐっと堪えた。
馬車の内装が黒く、中を伺うことが出来ないが、サヤの言っていた病であるならば、それはクリスタ様が落ち着く色である筈だ。
やはり、サヤの言う、病なのか……。
「……クリスタ様……俺、もう十八です。少年という年齢は、終わりましたよ。
それから、護衛の皆様が、お身体を冷やされてます。まずはお休み頂きたいので、中へ入って頂けませんか。貴方が馬車の中では、いつまでも雨の中、外で待つ羽目になってしまう」
「っ……。レイシールの様な物言いを……」
「ですから、本人ですよ。
あーもぅ……どう言えば納得して下さいます? 俺と貴方の思い出話でもした方が良いですか?
例えば……夜祭で、貴方が一番初めに手を伸ばした屋台の品であるとか? あの時同行していた面々の名前であるとか? 帰り道、体力の尽きた貴方をユーズ様が……」
「ま、待て。……其方、本当に、レイシールか……」
慌てて静止する声に、あの方にとって、負ぶわれたことが未だ恥ずかしいのだと分かって、笑みが深くなった。
そこにハインが戻り「レイシール様、準備が整いました」と声を掛けてくれたのだが、その声音に「ハインか⁉︎」と、馬車の中より声が返る。
「で、では本当に、レイシールなのか……」
「先程からそう言っております」
「変わりすぎではないか! 誰が見分けがつくと言うのだ。あの愛らしいレイシールはどこにいってしまった⁉︎ 僕は、あのレイシールに会いたくて、ここまで……っ」
「期待に応えられず、申し訳ありません。
ですがクリスタ様、俺は、早く貴方にお会いしたいですよ。
……二年前、不義理を致しまして、申し訳ありませんでした。なのに、ギルの手助けや、アギー公爵様の来訪や……今回の、支援や……沢山助けて頂いた……。
感謝の言葉を、きちんとお伝えしたいのですが、育ってしまった俺はお好みに添いませんか」
懐かしさと、甘えと、気持ちの高揚と……何か胸の奥で育つ感情に、つい振り回されてしまった。
そんな風に甘えた言葉を吐くつもりはなかったのに、あの方の前だと思うと、つい幼い頃に戻ってしまいそうになる。
「れ、レイシールは、その様な物言いはしなかった……」
「あの頃は、出来ませんでしたね。人目のあるところでは特に。
粗相があってはならないと、そればかり気にしてましたし……俺は、持ってはならないのだと、望んではならないのだと、自分にそう課しておりましたから。
ただまぁ、ここに戻りまして……俺にも色々あったのです。
新しい従者も、一人増えたのですよ。紹介しますから、出てきて下さいませんか」
そう促すと、逡巡する気配。
ルーシーに目配せして、護衛の方々に配る手拭いを持って来させ、扉が開くのを待つ。
「……リーカ」
「はい」
女中頭が呼ばれ、微笑んだその女性が、馬車の扉を開く。
暗く、重い内装の中に、紺地の細袴が見えた。
それと同時に、背後で扉の開く音がする。サヤが、準備を整えたのだろう。
「レイシール、手を貸せ」
「はい、仰せのままに」
馬車に歩み寄り、手を差し出すと、馬車の中より、細く白い手が伸び、俺の掌の上に収まった。
サヤの手の様にお小さい。
そして、現れた人物に、息を飲む。
全くと言って良い程、変わらぬ姿のクリスタ様が、馬車の中より姿を現したのだ。
当時の俺より少し濃い灰髪は、首元までの長さで、整えられている。
人とは思えない様な、見事に白い肌。そして、紅玉をはめ込んだように紅い瞳。
整った顔立ち故に、まるで人形か、はたまた妖精かといった風情だ。
馬車より降り立つと、頭一つ分近く、身長差が開いてしまっていた。
細い肩、薄い胴体。俺より年下に見えてしまう、華奢な肢体。
こんなに、お小さい、方だったか……。
これでは、まるで………。
だが、そう思うのとは別に、あの当時のままの、懐かしいお姿に、ホッとする自分がいた。
「お懐かしい。時間が戻ったかの様です」
「進みすぎてるわ! その様に伸びおって、見下ろすな馬鹿者、腹立たしい!」
「っふ、ははっ、相変わらずの悪態ぶりですね」
「煩いわ! ほら、降りてやったのだから、中に案内せよ! 早馬を出しておいてやったのだから、準備はしておろうな⁉︎」
「あんなに唐突では困ってしまいますよ。正直結構な混乱ぶりだったんですよ」
「僕がわざわざ連絡を寄越してやったのだぞ。ありがたく思え!」
「はいはい、有難いですから」
何を言われても顔がにやけてしまう。
嬉しかった。今まで通りの態度で、今まで通りの口をきいて下さることが。
不義理をしたというのに、そんなことなど無かったかの様に接して下さることが、嬉しくてたまらなかった。
逆にクリスタ様は、怒りの為か、久しぶりの再会に羞恥が勝るのか、少し頬が紅潮している。
手を取ったまま、館の中に促すと、ディート殿とハイン、マル。そしてサヤが頭を下げている。
良い、と、声がかかり、顔を上げた。
「マルクス、其方……丸くなったか?」
「最近、食が細ったのですが……まだ前より丸いですか。お久しぶりです、クリスタ様」
「うむ。ハインもな。其方は様変わりしておらぬ様で安心した。
気色悪い程に育ちおったな、其方の主人は」
「縦にしっかり伸びましたので。お久しぶりです、クリスタ様」
「……その方はこの前も会うたな」
「近衛のディートフリートでございます。……クリスタ様」
そして、サヤに視線が止まった。
「…………黒……?」
サヤの元に、足を運ぶ。
「紹介します。新しく従者となったサヤ、異国の者なのです」
「鶴来野小夜と申します」
顔を上げたサヤが、クリスタ様を見つめ、そう名乗る。
視線の高さは、サヤの方が少し上か。そう考えると、クリスタ様がどれほど小柄かがよく分かった。
暫く、何故かクリスタ様は、サヤを見つめた。サヤも同じ様に見つめ返していたが、途中でふと、視線を落とす。あまりジロジロ見るのは不敬だと思ったのかもしれない。
雨の当たらない軒先に避難した護衛の方々に、手拭いを配り終えたルーシーも戻ったので、ギルの姪だと紹介する。
ルーシーよりは、ほんの少しだけ、背の高いクリスタ様は、気後れした様に、半歩身を引いた。
女中の姿をしているが、ルーシーもギルの一族、結構な美女だからな。
「護衛の方々に、お飲物をご用意致しました。温まりますからどうぞ。すぐに軽食もお持ち致します。
クリスタ様は、まずお部屋へご案内致します。お見受けした所、随分と、お疲れの様子ですから」
淡々とした口調のハイン。その言葉に、少し身を強張らせていたクリスタ様が、ハッとなり居住まいを正す。
「つ、疲れてなどおらぬわ! 相変わらず分を弁えぬ従者よな!」
「そうですか。ではお疲れではないクリスタ様、従者の方々が荷ほどきを早く済ませてしまいたがってらっしゃるご様子ですので、先にお部屋へご案内致します」
「……ハイン。
申し訳ありません、クリスタ様。ハインは相変わらずです。
でも、お部屋へは先に、ご案内させて下さい。
なに、時間はたっぷりございます。
後程、ルオード様もお越し下さいますから、それまでの間休憩されて、後でお茶でもご一緒しませんか? マルも加えて、懐かしい、学舎の面々で」
そう促すと、肩を怒らせていたクリスタ様が、少し怒りを沈静化させた。
ばつが悪そうに視線を逸らし、俺をちらりと見上げて、頬を染め、唇を尖らせる。
ああこの顔。懐かしい。俺の背が伸びてしまったから、お前だけずるい。そう思ってる顔だ。
ついその表情につられて微笑むと、一層顔を赤くして、プイとそっぽを向いてしまった。
「早く、案内せよ」
「はいはい、では参りましょう」
「はいは一度で良いわ!」
クリスタ様と、女中二人、従者二人。そして俺は、ハインとディート殿を伴って、クリスタ様の為に用意した客間へご案内する。
その間、サヤがクリスタ様を、視線で追っていたことには気付いていたが、流しておいた。
病の件かもしれない……。後で確認しようと、心の中で考えながら。
交代の近衛の方か?
雨除けの外套で顔が見えない為、そう思い足を止めたのだが、近衛の方ではあったものの、伝令だと仰った。
伝令?俺に?
「アギー家の家紋の馬車が、こちらに向かっておられましたので、早めに知らせよとルオード様より仰せつかりました。
時間にして約四半時程でご到着の様子です。
馬車は二台で四人乗り。御者と護衛が計十名とのこと」
「十名⁉︎」
「いや、護衛の方は、数人残して戻られると思う。あの方は、過剰に護衛を側には置かぬ方だから。馬車の一台も、半分は荷物だろう。
知らせに感謝します。直ぐ準備に取り掛かってくれ。
あと、ルオード様に、後でお越しいただける様、伝えてもらえるでしょうか」
「畏まりました。では」
伝令を見送り、直ぐに食堂へ引き返す。
サヤは聞こえていた様子で、マルにはもう、事情が伝わっているみたいだ。
風呂の計画は一旦保留ですねと言われた。
「申し訳ないが、急いで準備だ。とはいえ、大半は終わっているよな。
ルーシーとハインは、俺と共にクリスタ様をお迎えする。サヤは、部屋の方を再確認。
御者と護衛の方が十名とのことだから、手拭いが大量に必要だ」
「それは整えてあります。雨季の中を来られることは、想定済みでしたから。
マルも面識がありますから、一緒に並ばせましょう。ウーヴェは帰した方が無難でしょうね。大貴族と縁を繋ぎたいなら、残っても構いませんが……」
「め、滅相もございません、では私は、お暇させて頂きます。
木材と石の購入は、進めておけば良いのですね?」
「うん。石の大きさは人の頭くらい。一人で持てる重さのものでお願いしますよぅ」
何かよく分からない指示を受けたウーヴェは、急いで外套を纏い、土建組合員の数人残る借家に戻って行く。それを見送って、マルがひょこひょこと俺の元にやって来た。
「レイ様、風呂については、夜、時間の空いた際に報告に伺います。
クリスタ様の件、夜の賄いを増やす連絡は、ウーヴェに知らせる様、頼んでおきました。護衛の方は、到着と同時に、大半は帰路につかれるのでしょうが、昼食抜きでは流石に可哀想ですからねぇ。何か食して行ってもらう方が、心象も良いと思うのですけれど」
そうは言っても、俺たちは昼食を終えてしまったし、余った料理もそんなに無いだろう。
用意できるものなんて、何も……。
そう思ったのだが、マルの言葉を受けたサヤが、サッと手を挙げる。
「でしたら、ケチャップが残ってますから、牛肉のケチャップ炒めを麵麭に挟みます。材料も有りますし、直ぐ作れますから。あと、牛乳茶を用意します。蜂蜜を入れて甘めに。まずはそれで、体を温めて頂きましょう」
「ならば、私が部屋の確認に向かいます。サヤが調理を担当した方が良い。ルーシーはレイシール様と待機です」
サヤなら音が拾えますからと、ハインが小声で言う。ディート殿に聞こえぬよう配慮したのだろう。
そうだな。サヤなら、音を聞き分けて、出迎えに出て来れるだろう。
牛乳茶はサヤの教えてくれた茶の入れ方だ。牛乳で茶を煮出すのだが、茶の独特の苦味が抑えられ、意外に美味なのだ。あれは確かに温まる。蜂蜜の甘味も、疲れた身体に良いだろう。
ハインが大量の手拭いを玄関広間に用意し、客間の確認に走った。
少々申し訳なかったが、俺とルーシーは動く二人を見送り、玄関広間に待機だ。
「ここは本当に、この少人数でよく動くものだと感心する。
過労死しそうだが……」
ポツリと呟くディート殿に苦笑が溢れた。
「ハインとサヤでないと無理ですよ。サヤは元々、効率化民族ですし、ハインも効率化には強いので」
「効率化民族とはなんだ?」
「サヤの民族を、俺たちで勝手にそう呼んでいます。
何かにつけて、そつがない民族なのですよ。食券の話などもそうだったでしょう?」
「おぉ、あれは感心した。あの話は、サヤが優れているのだと思っていたが……」
「それもあるのでしょうが、あの子の民族は何かにつけてそうである様ですよ。それが身に染み付いているみたいです」
「成る程、国風か」
そんな会話を交わしている間に、到着された様子だ。玄関外から、物音、人の声。ルーシーが伺って来たので、扉を開ける様に指示した。
扉を全開に開いてもらうと、軒先に横付けされた馬車から、荷物や人が下されている。中へどうぞと声を掛けると、一人の女中が進み出て来た。
若い女性。亜麻色の髪を背に垂らし、橙色の瞳をされた女性だ。年は三十路前後と思われる。
「アギー家、クリスタ・セル・アギー様の女中頭をしております、フレデリーカ・アグネス・ダーシーと申します。
セイバーン家、レイシール・ハツェン・セイバーン様に、御目通りを願いたいのですが」
「……あの、私です」
丁寧に名乗って、本人が目の前にいるのに目通りをと言われるとは思っていなかった為、ついそう、気の抜けた声で言ってしまった。
しかし、相手もその返事を想定していなかった様子で、目を見開く。
「あの……レイシール様は……クリスタ様と背丈のあまり変わらぬ、妖精の様に美しいお方と……伺っております……」
「ああはい、背丈、二年前まではそうでしたね。ここに戻り、随分と伸びましたから。
あとその……妖精とかはやめて下さいと、お伝え下さいませんか。それ、言わないで欲しいと、何度もお願いしているのですけど……」
正直、貴方が言うんですかと言いたい。
俺から言わせると、白磁の肌に紅玉の瞳であるクリスタ様の方が、よほど妖精だ。
なのに来訪直後、女中頭にまで言われるとは想定していない……地味に傷付いた。
だが女中頭の方は、まだ俺をレイシール本人だとは思えないらしい。眉間にしわを寄せ、俺を怪しいものを見る様な目で見ている。
「……レイシール様は、灰髪だと、伺っております」
「あー……。どうやら、こちらが本来の色である様で、洗い方を改めましたら、こうなりました」
「嘘を申すな!レイシールはその様にひょろ長くないし、均整のとれた愛らしい美少年であるのだぞ!」
馬車の中から、聞きなれた、懐かしい声。
男性にしては高めの、年の割りに可愛らしい声色。懐かしい……。
自然と、口元が緩み、笑みが浮かぶ。馬車に駆け寄って、中を覗き込みたい衝動に駆られるが、そこはぐっと堪えた。
馬車の内装が黒く、中を伺うことが出来ないが、サヤの言っていた病であるならば、それはクリスタ様が落ち着く色である筈だ。
やはり、サヤの言う、病なのか……。
「……クリスタ様……俺、もう十八です。少年という年齢は、終わりましたよ。
それから、護衛の皆様が、お身体を冷やされてます。まずはお休み頂きたいので、中へ入って頂けませんか。貴方が馬車の中では、いつまでも雨の中、外で待つ羽目になってしまう」
「っ……。レイシールの様な物言いを……」
「ですから、本人ですよ。
あーもぅ……どう言えば納得して下さいます? 俺と貴方の思い出話でもした方が良いですか?
例えば……夜祭で、貴方が一番初めに手を伸ばした屋台の品であるとか? あの時同行していた面々の名前であるとか? 帰り道、体力の尽きた貴方をユーズ様が……」
「ま、待て。……其方、本当に、レイシールか……」
慌てて静止する声に、あの方にとって、負ぶわれたことが未だ恥ずかしいのだと分かって、笑みが深くなった。
そこにハインが戻り「レイシール様、準備が整いました」と声を掛けてくれたのだが、その声音に「ハインか⁉︎」と、馬車の中より声が返る。
「で、では本当に、レイシールなのか……」
「先程からそう言っております」
「変わりすぎではないか! 誰が見分けがつくと言うのだ。あの愛らしいレイシールはどこにいってしまった⁉︎ 僕は、あのレイシールに会いたくて、ここまで……っ」
「期待に応えられず、申し訳ありません。
ですがクリスタ様、俺は、早く貴方にお会いしたいですよ。
……二年前、不義理を致しまして、申し訳ありませんでした。なのに、ギルの手助けや、アギー公爵様の来訪や……今回の、支援や……沢山助けて頂いた……。
感謝の言葉を、きちんとお伝えしたいのですが、育ってしまった俺はお好みに添いませんか」
懐かしさと、甘えと、気持ちの高揚と……何か胸の奥で育つ感情に、つい振り回されてしまった。
そんな風に甘えた言葉を吐くつもりはなかったのに、あの方の前だと思うと、つい幼い頃に戻ってしまいそうになる。
「れ、レイシールは、その様な物言いはしなかった……」
「あの頃は、出来ませんでしたね。人目のあるところでは特に。
粗相があってはならないと、そればかり気にしてましたし……俺は、持ってはならないのだと、望んではならないのだと、自分にそう課しておりましたから。
ただまぁ、ここに戻りまして……俺にも色々あったのです。
新しい従者も、一人増えたのですよ。紹介しますから、出てきて下さいませんか」
そう促すと、逡巡する気配。
ルーシーに目配せして、護衛の方々に配る手拭いを持って来させ、扉が開くのを待つ。
「……リーカ」
「はい」
女中頭が呼ばれ、微笑んだその女性が、馬車の扉を開く。
暗く、重い内装の中に、紺地の細袴が見えた。
それと同時に、背後で扉の開く音がする。サヤが、準備を整えたのだろう。
「レイシール、手を貸せ」
「はい、仰せのままに」
馬車に歩み寄り、手を差し出すと、馬車の中より、細く白い手が伸び、俺の掌の上に収まった。
サヤの手の様にお小さい。
そして、現れた人物に、息を飲む。
全くと言って良い程、変わらぬ姿のクリスタ様が、馬車の中より姿を現したのだ。
当時の俺より少し濃い灰髪は、首元までの長さで、整えられている。
人とは思えない様な、見事に白い肌。そして、紅玉をはめ込んだように紅い瞳。
整った顔立ち故に、まるで人形か、はたまた妖精かといった風情だ。
馬車より降り立つと、頭一つ分近く、身長差が開いてしまっていた。
細い肩、薄い胴体。俺より年下に見えてしまう、華奢な肢体。
こんなに、お小さい、方だったか……。
これでは、まるで………。
だが、そう思うのとは別に、あの当時のままの、懐かしいお姿に、ホッとする自分がいた。
「お懐かしい。時間が戻ったかの様です」
「進みすぎてるわ! その様に伸びおって、見下ろすな馬鹿者、腹立たしい!」
「っふ、ははっ、相変わらずの悪態ぶりですね」
「煩いわ! ほら、降りてやったのだから、中に案内せよ! 早馬を出しておいてやったのだから、準備はしておろうな⁉︎」
「あんなに唐突では困ってしまいますよ。正直結構な混乱ぶりだったんですよ」
「僕がわざわざ連絡を寄越してやったのだぞ。ありがたく思え!」
「はいはい、有難いですから」
何を言われても顔がにやけてしまう。
嬉しかった。今まで通りの態度で、今まで通りの口をきいて下さることが。
不義理をしたというのに、そんなことなど無かったかの様に接して下さることが、嬉しくてたまらなかった。
逆にクリスタ様は、怒りの為か、久しぶりの再会に羞恥が勝るのか、少し頬が紅潮している。
手を取ったまま、館の中に促すと、ディート殿とハイン、マル。そしてサヤが頭を下げている。
良い、と、声がかかり、顔を上げた。
「マルクス、其方……丸くなったか?」
「最近、食が細ったのですが……まだ前より丸いですか。お久しぶりです、クリスタ様」
「うむ。ハインもな。其方は様変わりしておらぬ様で安心した。
気色悪い程に育ちおったな、其方の主人は」
「縦にしっかり伸びましたので。お久しぶりです、クリスタ様」
「……その方はこの前も会うたな」
「近衛のディートフリートでございます。……クリスタ様」
そして、サヤに視線が止まった。
「…………黒……?」
サヤの元に、足を運ぶ。
「紹介します。新しく従者となったサヤ、異国の者なのです」
「鶴来野小夜と申します」
顔を上げたサヤが、クリスタ様を見つめ、そう名乗る。
視線の高さは、サヤの方が少し上か。そう考えると、クリスタ様がどれほど小柄かがよく分かった。
暫く、何故かクリスタ様は、サヤを見つめた。サヤも同じ様に見つめ返していたが、途中でふと、視線を落とす。あまりジロジロ見るのは不敬だと思ったのかもしれない。
雨の当たらない軒先に避難した護衛の方々に、手拭いを配り終えたルーシーも戻ったので、ギルの姪だと紹介する。
ルーシーよりは、ほんの少しだけ、背の高いクリスタ様は、気後れした様に、半歩身を引いた。
女中の姿をしているが、ルーシーもギルの一族、結構な美女だからな。
「護衛の方々に、お飲物をご用意致しました。温まりますからどうぞ。すぐに軽食もお持ち致します。
クリスタ様は、まずお部屋へご案内致します。お見受けした所、随分と、お疲れの様子ですから」
淡々とした口調のハイン。その言葉に、少し身を強張らせていたクリスタ様が、ハッとなり居住まいを正す。
「つ、疲れてなどおらぬわ! 相変わらず分を弁えぬ従者よな!」
「そうですか。ではお疲れではないクリスタ様、従者の方々が荷ほどきを早く済ませてしまいたがってらっしゃるご様子ですので、先にお部屋へご案内致します」
「……ハイン。
申し訳ありません、クリスタ様。ハインは相変わらずです。
でも、お部屋へは先に、ご案内させて下さい。
なに、時間はたっぷりございます。
後程、ルオード様もお越し下さいますから、それまでの間休憩されて、後でお茶でもご一緒しませんか? マルも加えて、懐かしい、学舎の面々で」
そう促すと、肩を怒らせていたクリスタ様が、少し怒りを沈静化させた。
ばつが悪そうに視線を逸らし、俺をちらりと見上げて、頬を染め、唇を尖らせる。
ああこの顔。懐かしい。俺の背が伸びてしまったから、お前だけずるい。そう思ってる顔だ。
ついその表情につられて微笑むと、一層顔を赤くして、プイとそっぽを向いてしまった。
「早く、案内せよ」
「はいはい、では参りましょう」
「はいは一度で良いわ!」
クリスタ様と、女中二人、従者二人。そして俺は、ハインとディート殿を伴って、クリスタ様の為に用意した客間へご案内する。
その間、サヤがクリスタ様を、視線で追っていたことには気付いていたが、流しておいた。
病の件かもしれない……。後で確認しようと、心の中で考えながら。
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