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秘密 8
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今までだって、充分、気圧されるほどの闘気だった。
サヤらを取り巻く騎士が、切り込みあぐねるくらいに、サヤの闘気は周りを圧倒していたのだ。
なのに……全然、抑えていたってことか?
数人が、泡を吹いて崩折れた。サヤの重圧に耐えかねたらしい。マルからも「ひあぁぁ」と、間延びした悲鳴が上がったので、慌てて彼を支えに行く。
「大丈夫か?」
「さ、サヤくん、だ、大丈夫、なんですか?」
「ああ、怒ってるけど、怒られているのは俺たちじゃないからね」
「……いえ、そうではなく……」
やっぱりレイ様、なんかズレてますよねぇ……。と、気の抜けた風にマルが言う。
そうして、ちらりとサヤに視線をやってから、俺を見上げた。
「レイ様、は、怖く、ないんですか……」
そう言われ、サヤの背中を見る。
あの夜、人を殺すということを、胸に刻み付けた。だから……間違いようもない。
今まで、ずっと怖かった。
サヤを戦いの矢面に立たせることが。彼女を傷付けるかもしれないことが。そして彼女が誰かを、傷付けてしまうことが。
今だって、それは変わらない。けれど……このサヤには、そんなことは言えないな。
彼女は、簡単にやられたりしない。ここの誰よりも強いのは、充分、伝わる。そしてやはり、優しいのだ。本気を出すと言ったのに、あえて傷付けようとは、思っていない。
怖い? まさか。
サヤのは、殺気じゃない。闘気しか纏っていない。
「頼もしい背中だなと、思うよ」
サヤの闘気にあてられた異母様が、蒼白になって蹌踉めく。まさか一人の子供にここまでの圧があるとは思いもしていなかったろう。
もしかしたら、初めてなのかもしれない。誰かに、圧倒されること自体が。
騎士らも、誰一人、動かなかった。動けないのだ。動けばもう、自分が終わってしまうことが、想像できてしまうから。
「な、なにをしているの……あれを……あの化け物をさっさと始末なさい!」
化け物扱いしだした……。武術を嗜まない異母様からしたら、闘気なんてものはなんだか分からない重圧でしかないんだろう。その叫び声で、サヤの視線が異母様に向いたのか、ヒイッと、悲鳴を上げて、騎士の後ろの方に逃げていってしまう。
こんな異母様、想像してなかったなぁ……なんか普通に、怖がってる……。
ふと気付けば、俺の心は凪いでいた。
あんなに怖かった異母様が、まだ視界の端にいらっしゃるのに、怖くない。
兄上の姿も見えない。もう馬車の方に避難されたのかな。
お二人が下がったなら、この場を仕切れるかもしれない。認められてなかろうと、立場的には、俺も、上に立つ者だ。
サヤが怖くて襲いかかって来ない騎士らも、ずっとそうとは限らないし、怪我人も増やしたくない。サヤにも、怪我をして欲しくない。
気持ちに余裕が出てきた俺は、マルに手を貸し立たせながら、思考を巡らせた。
このままじゃ、彼らが少し可哀想だ。騎士らにも家庭がある。俺の様に身軽ではないのだから、心でどう思っていても、従うしかないということも、あるだろう。
マルを左腕で支えつつ、俺は口を開くことにした。まずは、民に、俺の考えを聞いてもらう。俺の判断を、己自身で評価して欲しいと思った。
剣を引く口実を、与えてやるべきだ。
「……先程も言いかけたのだが、あの壁は氾濫を防ぐ為のものだ。異母様にはご承知頂けなかったが、今あれ以上の手は無いと、私は確信している。
だが、成人前の未熟者な私が、正しい判断をしているか、不安に思われるのも致し方ないと、分かっている」
領主代行を務めてたかだか三年目。しかも、俺にとっては初めての氾濫なのだ。
こんな未熟者に任せられないと思われるのは、仕方がないとも思う。
「莫大な金がかかる。税金も増える。そんな部分の心配も、あるだろうな。君らの生活を我々は、あまり配慮しないことが多いから……。
だが安心してくれ。これが成功すれば、氾濫の度に追加される税が、なくなる。もう一度だけ徴収はあるが、金額は今まで通り、そしてそれが最後だ。
氾濫を抑えた後は、あれを河川敷というものに作り変えるが、その為の資金は税からではなく、この対策の成功を願い、支援してくれる人たちからの支援金で賄うことが決まっている。
河川敷が無事完成すれば……氾濫は、押さえることが出来る」
確証など無い。だが、敢えて言い切った。
それを願っているし、そうするつもりだ。そうなる様に、全力を注ぐ。その決意を込めて。
騎士のうちの数人が、顔を見合わせ、構えた剣の切っ先を、下に下ろす。ザワリとした、お互いを探り合う気配。そこに、マルが畳み掛ける。
「えー、ちなみに、その支援者ですが、フェルドナレン王家を筆頭に、アギー公爵家、オゼロ公爵家、イングリス伯爵家、マイザー子爵家、ダウィア子爵家、他、男爵家五家から、家紋付きで支援金と、対策への支持を頂きましたよ。
個人的なものは現在四十八名。家からも個人からもという方もいらっしゃいます。それから、まだ募集中なので、きっとこれからも増えるんでしょうねぇ」
肩を押さえ、か細い声ながらも、マルが続けた言葉に、場がざわめく。
俺が直接受け取ったのは、ルオード様からの四件だけだったので、まさかそんなに沢山届いているとは思ってもいなかった。
「レイシール様は、学舎で十年の時を過ごされた。ただ漫然と過ごしてたわけじゃないんですよ。
そして、ご領主様と直接接することを許されていらっしゃらない。それは、貴方がた、セイバーンに仕えている者になら、ご存知の方もいらっしゃいますね?
奥方様に否と言われれば、普通は諦めるんですよ。仕方がないですからねぇ。
けれど、レイシール様は、ご自身の出来ることを最大限されたのです。学舎の伝手を頼りに、やろうとしていることの賛否を、貴族の方々に問いました。結果が、これです。なんと、姫君からも、支持を頂いちゃってます。これは、命令無視の暴走でしょうか? それとも英断でしょうか? 結果次第だとは思いますけど、我々は英断となる様、努力しておりますよ。
お父上に直接、伝えることが出来たなら、もっと楽に、賛同して頂けたと思うんですけどねぇ。
まあ、奥方様の、支持は、頂けなかった様ですが、これだけ多くの支持を集める事業ですから。そんなに心配はいりませんよ。
ああ、それと……王家の部隊が一つ、対策の経過観察に、滞在されますので、粗相のない様にお願いします。
ほぅら、何の騒ぎかと、見にいらっしゃいました、ねぇ」
サヤは、とうに気付いていたのかもしれない。いつの間にやら、闘気は随分と押さえ込まれていた。もう、吹き飛ばされそうな圧は感じない。
俺たちの背後、走り抜けて来た道を、整然と並んだ部隊が歩いて来ていた。
どうやら到着した様子だ。先頭にルオード様がいらっしゃる。その横にはハインが、ルオード様をご案内するかの様に先導していた。
その姿を目にした異母様が、固まる。王家の家紋をあしらった、襟飾りを全員が身につけている姿は壮観で、疑いを挟む余地すら無い。
武器を構えていた騎士らが、慌ててそれをしまい、俺たちから距離をおいて整列する。
その様子を見て、少しピリリと張り詰めていた近衛隊の気配が、若干和らいだと感じた。
先頭のルオード様が、数歩先に進み出る。そして、威厳漂う低い声で、言った。
「近衛部隊が一つ、クリスティーナ・アギー・フェルドナレン様直属、ルオード・フォル・マイザーと申す。
この度、こちらの水害対策にいたく興味をもたれた姫の命により、暫く滞在させて頂く。
訓練の一環としての派遣である為、こちらで適当にやらせて頂くので、歓待等も不要。
宜しく頼む。
……レイシールとは、久方ぶりだな。息災か」
……うわ、本気で前から居るのを伏せる気でいる。
しかもさっきのあの会話の後なのに……綺麗に爽やかな笑顔を向けられてしまった。
わざわざ外套まで纏って、一団と共にやってきたといった雰囲気だ。だが、俺に声を掛けたってことは、学舎での知り合いだって部分は示す気でいるのだよな?
「お久しぶりです、ルオード様。この度は、有難うございます」
「なに、この対策が成功すれば、国益にもなろう。期待しているのだよ、姫も。
ところで……これは、どういった状況だ?」
涼しい顔で、血を流すマルを見る。
「おや、まさかマルクスか」「学舎以来ですねぇ、ルオード様」などと、白々しい会話まで披露してみせた。
先程のサヤを巡るギスギスした会話を知らないとはいえ……マルの心臓も相当な剛毛だな。
「いえ、大したことじゃございません。僕のはちょっと、転けて怪我をしちゃっただけですから。
えっと、セイバーンのご領主様を見舞った、ご家族のお戻りが今日であった様子で、ただ今お迎えに上がったところです」
お迎え……。この状況でよくそんな白々しいことを口にする。そう思ったが、ルオード様もそれで押し切ることをご了承の様子だ。当然のことの様に受け入れた。
「おお、セイバーン夫人であられたか。この様な場でお会いできるとは。
ご領主殿は長らくご病気だと伺っているが、献身的であられるな」
にこやかな笑顔のルオード様に、異母様も鉄の仮面を貼り付ける。場の雰囲気など微塵も匂わせない、見事な笑顔を見せた。
「お初に御目文字致しますわ、マイザー様。夫は一進一退を繰り返しておりますが、問題御座いません。この様な場所で、お見苦しい姿を……申し訳ございませんわ」
「何を仰います。遠征訓練の一環の為、我々こそ、この様な砂埃にまみれた状態で申し訳ない。
雨季の間、訓練を兼ねて、土嚢壁の経過観察に滞在させて頂く。
細かいことは、領主代行のレイシール殿に任せていると伺っているので、そちらで纏めるが、宜しいか」
一瞬だけ、異母様の笑顔が引きつった。しかし、マイザーと名乗ったルオード様に、否やと言う訳にもいかず、貴婦人のお手本とばかりに微笑む。
「……ええ……」
「では、詳細については後ほどお伝えしたい。旅の後で申し訳ないので、明日改めてお時間を頂けると有難く思う。我々も、本日到着したばかり故、少々準備と休息が必要なのでね。
ああ、その前に……レイシール、君はマルクスの怪我を見てやってもらえるか。我々も後で伺わせてもらうから。
相変わらず君は間が抜けているな、マルクス」
友人に接する様に、言う。学舎では、さして親密でもなったルオード様とマルなのだが、マルを守る為に友人然としているのだということは、言われずとも分かる。
肩の傷が、手拭いで押さえているとはいえ、転けて出来るような怪我ではないことくらい、お見通しだろう。
「えへへぇ、じゃあちょっと、失礼させて頂きますねぇ……っ、ぅわ! サヤくん……っ」
俺に支えられていたマルを、サヤがすくい上げるように横抱きにした。
女装も見たくなかったが……女性に横抱きされるマルも見たくないな……怪我人であるとしても。
心の中で思うに留めたが、近衛部隊を借家まで送ろうとしていたハインは、明らかに顔を歪めた。
最悪なもんを見た。顔がそう言ってる。
「お気になさらず。横抱きがお嫌でしたら、背負いましょうか?」
「うん、そっちがいい……お願いします」
「肩の傷に、障りませんか? まあ、マルさんが良いなら、良いんですけど……」
「うん、僕もあまり気にしない方なんだけど、横抱きは流石に……男の矜持がね……。痛い方が我慢できると思うんだよねぇ」
どこか虚ろな瞳でマルが言う。
マルが男の矜持なんて言葉を口にする日がくるとは思ってなかったな……。
まあとにかく、せっかく離れられるようにとルオード様が取り計らってくださったんだ。従っておこう。
「では後程。別館にてお待ちしております」
ハインと言葉を交わすルオード様にそう声を投げかけると、笑って手を振って下さった。
ほんと……さっきの様子が嘘のように、ルオード様らしい爽やかなお姿だ。
ハインが少し心配そうに俺を見ていたが、さっきは置いていってしまって悪かったと、目で謝っておくと、仕方ないなという顔をされた。
状況が気になるだろうが、後で説明するから我慢してくれ。
異母様方に背を向け、歩き出すと、マルが無事であったことへの安堵が胸に広がる。もし、サヤが賄い作りの為に、近くを通らなかったら……彼女の耳が特別で、いち早く騒ぎを聞き分けてくれなかったら、マルはどうなっていたろう……。
「……サヤ、ありがとう……」
「偶然ですけど……良かったです。間に合って。
もう少し早かったら、マルさんを怪我させなくて済んだのですけど……」
「いやいや、充分ですって。僕もう死を覚悟してたしねぇ。今は痛いのすら、生きてて良かったって喜びに変わる心境だし。
やあもぅ、騎士が吹き飛んだ時は、人も飛べるのかってほんと、目を剥きましたけど」
どんな状況だったんだ……。後で俺も聞こう。
とりあえず、まずはマルの手当てだ。
遠巻きにしていた人足や組合員たちが、申し訳なさげに輪を縮めてきたので、笑って気にするなと言いながら、俺は足を進めた。
本当に良かった。マルが無事で。
冗談を言えるくらいの怪我で済んだ。失わずに済んだ。奪われずに済んだんだ!
「ところで、賄い作り遅れちゃいますけど、良いんですか?」
「この状況でそんなこと気にしてられるか!」
「し、下ごしらえはみなさんがきっと、頑張って下さってますから……ちょっと遅くなるのは許して下さい」
そんな俺たちの様子を、ルオード様が振り返って眺めていたのだが、俺はそれには、気付いていなかった。
サヤらを取り巻く騎士が、切り込みあぐねるくらいに、サヤの闘気は周りを圧倒していたのだ。
なのに……全然、抑えていたってことか?
数人が、泡を吹いて崩折れた。サヤの重圧に耐えかねたらしい。マルからも「ひあぁぁ」と、間延びした悲鳴が上がったので、慌てて彼を支えに行く。
「大丈夫か?」
「さ、サヤくん、だ、大丈夫、なんですか?」
「ああ、怒ってるけど、怒られているのは俺たちじゃないからね」
「……いえ、そうではなく……」
やっぱりレイ様、なんかズレてますよねぇ……。と、気の抜けた風にマルが言う。
そうして、ちらりとサヤに視線をやってから、俺を見上げた。
「レイ様、は、怖く、ないんですか……」
そう言われ、サヤの背中を見る。
あの夜、人を殺すということを、胸に刻み付けた。だから……間違いようもない。
今まで、ずっと怖かった。
サヤを戦いの矢面に立たせることが。彼女を傷付けるかもしれないことが。そして彼女が誰かを、傷付けてしまうことが。
今だって、それは変わらない。けれど……このサヤには、そんなことは言えないな。
彼女は、簡単にやられたりしない。ここの誰よりも強いのは、充分、伝わる。そしてやはり、優しいのだ。本気を出すと言ったのに、あえて傷付けようとは、思っていない。
怖い? まさか。
サヤのは、殺気じゃない。闘気しか纏っていない。
「頼もしい背中だなと、思うよ」
サヤの闘気にあてられた異母様が、蒼白になって蹌踉めく。まさか一人の子供にここまでの圧があるとは思いもしていなかったろう。
もしかしたら、初めてなのかもしれない。誰かに、圧倒されること自体が。
騎士らも、誰一人、動かなかった。動けないのだ。動けばもう、自分が終わってしまうことが、想像できてしまうから。
「な、なにをしているの……あれを……あの化け物をさっさと始末なさい!」
化け物扱いしだした……。武術を嗜まない異母様からしたら、闘気なんてものはなんだか分からない重圧でしかないんだろう。その叫び声で、サヤの視線が異母様に向いたのか、ヒイッと、悲鳴を上げて、騎士の後ろの方に逃げていってしまう。
こんな異母様、想像してなかったなぁ……なんか普通に、怖がってる……。
ふと気付けば、俺の心は凪いでいた。
あんなに怖かった異母様が、まだ視界の端にいらっしゃるのに、怖くない。
兄上の姿も見えない。もう馬車の方に避難されたのかな。
お二人が下がったなら、この場を仕切れるかもしれない。認められてなかろうと、立場的には、俺も、上に立つ者だ。
サヤが怖くて襲いかかって来ない騎士らも、ずっとそうとは限らないし、怪我人も増やしたくない。サヤにも、怪我をして欲しくない。
気持ちに余裕が出てきた俺は、マルに手を貸し立たせながら、思考を巡らせた。
このままじゃ、彼らが少し可哀想だ。騎士らにも家庭がある。俺の様に身軽ではないのだから、心でどう思っていても、従うしかないということも、あるだろう。
マルを左腕で支えつつ、俺は口を開くことにした。まずは、民に、俺の考えを聞いてもらう。俺の判断を、己自身で評価して欲しいと思った。
剣を引く口実を、与えてやるべきだ。
「……先程も言いかけたのだが、あの壁は氾濫を防ぐ為のものだ。異母様にはご承知頂けなかったが、今あれ以上の手は無いと、私は確信している。
だが、成人前の未熟者な私が、正しい判断をしているか、不安に思われるのも致し方ないと、分かっている」
領主代行を務めてたかだか三年目。しかも、俺にとっては初めての氾濫なのだ。
こんな未熟者に任せられないと思われるのは、仕方がないとも思う。
「莫大な金がかかる。税金も増える。そんな部分の心配も、あるだろうな。君らの生活を我々は、あまり配慮しないことが多いから……。
だが安心してくれ。これが成功すれば、氾濫の度に追加される税が、なくなる。もう一度だけ徴収はあるが、金額は今まで通り、そしてそれが最後だ。
氾濫を抑えた後は、あれを河川敷というものに作り変えるが、その為の資金は税からではなく、この対策の成功を願い、支援してくれる人たちからの支援金で賄うことが決まっている。
河川敷が無事完成すれば……氾濫は、押さえることが出来る」
確証など無い。だが、敢えて言い切った。
それを願っているし、そうするつもりだ。そうなる様に、全力を注ぐ。その決意を込めて。
騎士のうちの数人が、顔を見合わせ、構えた剣の切っ先を、下に下ろす。ザワリとした、お互いを探り合う気配。そこに、マルが畳み掛ける。
「えー、ちなみに、その支援者ですが、フェルドナレン王家を筆頭に、アギー公爵家、オゼロ公爵家、イングリス伯爵家、マイザー子爵家、ダウィア子爵家、他、男爵家五家から、家紋付きで支援金と、対策への支持を頂きましたよ。
個人的なものは現在四十八名。家からも個人からもという方もいらっしゃいます。それから、まだ募集中なので、きっとこれからも増えるんでしょうねぇ」
肩を押さえ、か細い声ながらも、マルが続けた言葉に、場がざわめく。
俺が直接受け取ったのは、ルオード様からの四件だけだったので、まさかそんなに沢山届いているとは思ってもいなかった。
「レイシール様は、学舎で十年の時を過ごされた。ただ漫然と過ごしてたわけじゃないんですよ。
そして、ご領主様と直接接することを許されていらっしゃらない。それは、貴方がた、セイバーンに仕えている者になら、ご存知の方もいらっしゃいますね?
奥方様に否と言われれば、普通は諦めるんですよ。仕方がないですからねぇ。
けれど、レイシール様は、ご自身の出来ることを最大限されたのです。学舎の伝手を頼りに、やろうとしていることの賛否を、貴族の方々に問いました。結果が、これです。なんと、姫君からも、支持を頂いちゃってます。これは、命令無視の暴走でしょうか? それとも英断でしょうか? 結果次第だとは思いますけど、我々は英断となる様、努力しておりますよ。
お父上に直接、伝えることが出来たなら、もっと楽に、賛同して頂けたと思うんですけどねぇ。
まあ、奥方様の、支持は、頂けなかった様ですが、これだけ多くの支持を集める事業ですから。そんなに心配はいりませんよ。
ああ、それと……王家の部隊が一つ、対策の経過観察に、滞在されますので、粗相のない様にお願いします。
ほぅら、何の騒ぎかと、見にいらっしゃいました、ねぇ」
サヤは、とうに気付いていたのかもしれない。いつの間にやら、闘気は随分と押さえ込まれていた。もう、吹き飛ばされそうな圧は感じない。
俺たちの背後、走り抜けて来た道を、整然と並んだ部隊が歩いて来ていた。
どうやら到着した様子だ。先頭にルオード様がいらっしゃる。その横にはハインが、ルオード様をご案内するかの様に先導していた。
その姿を目にした異母様が、固まる。王家の家紋をあしらった、襟飾りを全員が身につけている姿は壮観で、疑いを挟む余地すら無い。
武器を構えていた騎士らが、慌ててそれをしまい、俺たちから距離をおいて整列する。
その様子を見て、少しピリリと張り詰めていた近衛隊の気配が、若干和らいだと感じた。
先頭のルオード様が、数歩先に進み出る。そして、威厳漂う低い声で、言った。
「近衛部隊が一つ、クリスティーナ・アギー・フェルドナレン様直属、ルオード・フォル・マイザーと申す。
この度、こちらの水害対策にいたく興味をもたれた姫の命により、暫く滞在させて頂く。
訓練の一環としての派遣である為、こちらで適当にやらせて頂くので、歓待等も不要。
宜しく頼む。
……レイシールとは、久方ぶりだな。息災か」
……うわ、本気で前から居るのを伏せる気でいる。
しかもさっきのあの会話の後なのに……綺麗に爽やかな笑顔を向けられてしまった。
わざわざ外套まで纏って、一団と共にやってきたといった雰囲気だ。だが、俺に声を掛けたってことは、学舎での知り合いだって部分は示す気でいるのだよな?
「お久しぶりです、ルオード様。この度は、有難うございます」
「なに、この対策が成功すれば、国益にもなろう。期待しているのだよ、姫も。
ところで……これは、どういった状況だ?」
涼しい顔で、血を流すマルを見る。
「おや、まさかマルクスか」「学舎以来ですねぇ、ルオード様」などと、白々しい会話まで披露してみせた。
先程のサヤを巡るギスギスした会話を知らないとはいえ……マルの心臓も相当な剛毛だな。
「いえ、大したことじゃございません。僕のはちょっと、転けて怪我をしちゃっただけですから。
えっと、セイバーンのご領主様を見舞った、ご家族のお戻りが今日であった様子で、ただ今お迎えに上がったところです」
お迎え……。この状況でよくそんな白々しいことを口にする。そう思ったが、ルオード様もそれで押し切ることをご了承の様子だ。当然のことの様に受け入れた。
「おお、セイバーン夫人であられたか。この様な場でお会いできるとは。
ご領主殿は長らくご病気だと伺っているが、献身的であられるな」
にこやかな笑顔のルオード様に、異母様も鉄の仮面を貼り付ける。場の雰囲気など微塵も匂わせない、見事な笑顔を見せた。
「お初に御目文字致しますわ、マイザー様。夫は一進一退を繰り返しておりますが、問題御座いません。この様な場所で、お見苦しい姿を……申し訳ございませんわ」
「何を仰います。遠征訓練の一環の為、我々こそ、この様な砂埃にまみれた状態で申し訳ない。
雨季の間、訓練を兼ねて、土嚢壁の経過観察に滞在させて頂く。
細かいことは、領主代行のレイシール殿に任せていると伺っているので、そちらで纏めるが、宜しいか」
一瞬だけ、異母様の笑顔が引きつった。しかし、マイザーと名乗ったルオード様に、否やと言う訳にもいかず、貴婦人のお手本とばかりに微笑む。
「……ええ……」
「では、詳細については後ほどお伝えしたい。旅の後で申し訳ないので、明日改めてお時間を頂けると有難く思う。我々も、本日到着したばかり故、少々準備と休息が必要なのでね。
ああ、その前に……レイシール、君はマルクスの怪我を見てやってもらえるか。我々も後で伺わせてもらうから。
相変わらず君は間が抜けているな、マルクス」
友人に接する様に、言う。学舎では、さして親密でもなったルオード様とマルなのだが、マルを守る為に友人然としているのだということは、言われずとも分かる。
肩の傷が、手拭いで押さえているとはいえ、転けて出来るような怪我ではないことくらい、お見通しだろう。
「えへへぇ、じゃあちょっと、失礼させて頂きますねぇ……っ、ぅわ! サヤくん……っ」
俺に支えられていたマルを、サヤがすくい上げるように横抱きにした。
女装も見たくなかったが……女性に横抱きされるマルも見たくないな……怪我人であるとしても。
心の中で思うに留めたが、近衛部隊を借家まで送ろうとしていたハインは、明らかに顔を歪めた。
最悪なもんを見た。顔がそう言ってる。
「お気になさらず。横抱きがお嫌でしたら、背負いましょうか?」
「うん、そっちがいい……お願いします」
「肩の傷に、障りませんか? まあ、マルさんが良いなら、良いんですけど……」
「うん、僕もあまり気にしない方なんだけど、横抱きは流石に……男の矜持がね……。痛い方が我慢できると思うんだよねぇ」
どこか虚ろな瞳でマルが言う。
マルが男の矜持なんて言葉を口にする日がくるとは思ってなかったな……。
まあとにかく、せっかく離れられるようにとルオード様が取り計らってくださったんだ。従っておこう。
「では後程。別館にてお待ちしております」
ハインと言葉を交わすルオード様にそう声を投げかけると、笑って手を振って下さった。
ほんと……さっきの様子が嘘のように、ルオード様らしい爽やかなお姿だ。
ハインが少し心配そうに俺を見ていたが、さっきは置いていってしまって悪かったと、目で謝っておくと、仕方ないなという顔をされた。
状況が気になるだろうが、後で説明するから我慢してくれ。
異母様方に背を向け、歩き出すと、マルが無事であったことへの安堵が胸に広がる。もし、サヤが賄い作りの為に、近くを通らなかったら……彼女の耳が特別で、いち早く騒ぎを聞き分けてくれなかったら、マルはどうなっていたろう……。
「……サヤ、ありがとう……」
「偶然ですけど……良かったです。間に合って。
もう少し早かったら、マルさんを怪我させなくて済んだのですけど……」
「いやいや、充分ですって。僕もう死を覚悟してたしねぇ。今は痛いのすら、生きてて良かったって喜びに変わる心境だし。
やあもぅ、騎士が吹き飛んだ時は、人も飛べるのかってほんと、目を剥きましたけど」
どんな状況だったんだ……。後で俺も聞こう。
とりあえず、まずはマルの手当てだ。
遠巻きにしていた人足や組合員たちが、申し訳なさげに輪を縮めてきたので、笑って気にするなと言いながら、俺は足を進めた。
本当に良かった。マルが無事で。
冗談を言えるくらいの怪我で済んだ。失わずに済んだ。奪われずに済んだんだ!
「ところで、賄い作り遅れちゃいますけど、良いんですか?」
「この状況でそんなこと気にしてられるか!」
「し、下ごしらえはみなさんがきっと、頑張って下さってますから……ちょっと遅くなるのは許して下さい」
そんな俺たちの様子を、ルオード様が振り返って眺めていたのだが、俺はそれには、気付いていなかった。
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