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雨季前 2
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「ユミルさん、賄い作りの続行、承諾して下さいました。
私たちが彼女の事情を知っているとは気付いてらっしゃらないと思うのですけど、ホッとされてましたよ」
就寝の支度を終え、ハインが退室した後、サヤは俺の髪を櫛付けつつ、そう言った。良かった……。
「今日のマルとの話で、ユミルに料理人となる道が開けた。
工事の期間が終わったら、食事処をそのまま引き継いでもらっても良いと思うんだよ。
村の農家の女性で運営していけば、良いのじゃないかと思って」
「ああ! それ、私の国にもありますよ!
自家生産した食材を使って料理を振る舞う食事処。低コストで回せますし、分担できますし、良いと思います!」
「えっと……コストって?」
「ええと……燃費が良い? みたいな意味です。野菜や穀物を、中間業者を通さず仕入れることが可能でしょう?」
「ああ、仲買人を省けるということか。その方が、鮮度も上がるから、味も良いしな」
「そうなんです。美味しくて安い、庶民の味方です」
サヤの声が弾んでる。彼女も、俺と同じだけ喜んでくれているということが分かる。それがまた嬉しい。
まだこれから先、どうなるかは分からないけれど、それでも最悪の状況は回避できた。そう思えたから、俺も少し、気持ちが楽になっていた。
「はい、お終いです」
「ありがとう」
櫛付けてもらった髪に指を通すと、するりと根元まで指が通る。
相変わらず、サヤの櫛で梳いてもらうとサラサラでツヤツヤになる。梳くだけでこんな風になるツゲグシは、本当に魔法の櫛だと思う。
「明日から七の月だ。まだ雨が始まる雰囲気じゃないけど、近日中に降り出す。
振り始めたら後は、ほぼひと月止まない」
「そうなんですか。空気はジメジメして来てる感じですよね」
「暑さは大丈夫? もうそろそろ本格的な夏だ」
「大丈夫です。日本よりは、湿度も苦痛になるほどではありません。
それに、雨が降り続けるなら、気温もあまり高くならないでしょう?」
「そうだけど……」
「ふふ、心配して下さって、ありがとうございます」
サヤは、何も言わず、笑って無理をするところがあるから……心配だ。そんな風に考えてたら、俺の身支度を終えたサヤが、長椅子の方に行き、防具を身につけようとし始めたので、ちょっと待ってと声を掛ける。
なんとなくずるずると渡せないまま来てしまったから、 もう今晩、渡してしまおうと思っていた。
寝室を出て、執務机の引き出しから、例の小箱を取り出す。残りの一つ、サヤの襟飾を持ち出した。
「これをサヤに」
「え……私、もう頂きましたよね?」
こてんと首を傾げて言うから、ちょっと困った。
「う、うん。その襟飾はね……ギルが、急ぎで用意してくれたものなんだ。
俺、襟飾が引き抜き防止策だってこと知らなくて……サヤを連れ帰るのを拒んでた俺に、これを渡してくれた。だからその……お、俺がちゃんと、用意したかったんだ」
形はどんなものであっても良いらしかったけれど、俺の配下となってくれた人たちだ。俺の気持ちを込めたかった。
だからサヤにも……。ちょっと、ギルに対する嫉妬もあったのだけど……。
「月夜……?」
サヤの襟飾りは三日月を模していた。銀色の月に、青玉を飾ってある。
そして、月の欠けた部分には、濃い色合いの瑠璃をはめ込んであった。夜空を表しているのだ。
サヤは不思議そうにそれを眺めてから、何故月夜なのですか?と、問うた。えっ、な、何故って……分かんない?
「だってサヤ……サヤの名前、貴き夜だって……」
「えっ⁉︎」
「違う⁉︎ 嘘っ、だってマルがそう聞いたって言ってたから!」
間違えたのだと思った。それで慌てたのだけど、サヤは違うとかぶりを振った。
「まさか……ご存知だと、思わなくて……。マルさんに話したことすら、忘れてて……」
そう言って、俯いてしまった。
手の上に、襟飾を乗せたまま、動かない。
もしかして……嫌だったのだろうか……。どうしよう。何も言わない……。
どんどん居心地が悪くなってきた。もういっそ謝ろうかと思い始めた頃、サヤがやっと、小さな声で「おおきに」と、囁くように言った。
「どうしよ……なんか、もの凄ぅ、嬉しくて……びっくりした」
そう言いつつも、顔を上げない。
なんでだろう……? 言葉ではそう言ってるけど、何かものすごく、がっかりしてて、顔を上げられないとか、そういうのじゃないんだろうか……。
「ああ、うん……」
不安だった。
だからつい、誘惑に負けて、サヤの顔を覗き込んだ。
もしがっかりした顔だったら、サヤの好きな意匠で作り直すからと、そう言おうとまで考えていた。
しかしサヤは…………。
泣きそうなくらい、目を潤ませていて、頬を朱に染めていた……。
唇を、キュッと引き結んで、震わせていた。
また、初めて見る表情の、サヤだった。
手が動いたのは自然で、頬に触れ……視線が絡み合っ……たところで、我に返った! 何してんだ俺‼︎
「い、……嫌だったら、そう言って良いんだよ?」
捻り出した。
頬に手をやってしまった理由を。
ごめんっ、ほんとごめんサヤ、俺は今凄く、不埒なことをしようとしてた!
「いっ、嫌やない。嬉しいっ。ほんまや、嘘は言うてへん……」
サヤもそう言う。
何かちょっと、慌てた様子だった。俺の考えてたことが見透かされているような心地になって、誤魔化しの様に、頬にやってた手で、サヤの頭を撫でた。
そしてそのまま、言葉を続けようがなく「じゃあ、おやすみ」と、当たり障りないことを言って、寝台に逃げ込む。
もう俺、ほんと馬鹿、変態!
頭まで上掛けを引き上げて、顔を隠して悪態を吐く。心の中だけで。
もう流れのままに口づけしようとしてた! 我に帰らなかったらほんとヤバかった‼︎
もし実行に移してたら、次の瞬間サヤに敵認定されていたに違いない。
だってサヤは男性が怖くて、女性として見られることが苦痛で、カナくんという、好きな人がいる……。俺のことが好きってわけでもない。どこにも唇を許す理由が無い。
そして……そしてこの世界の住人でもない……。いつかどこかへ行ってしまう人だ……。
それを思い出すと、苦しさが増した。
自分を律するために、あえてそれを心に刻みつけたけれど、意識してしまうと、辛さで心臓が、潰れそうだった。
馬鹿らしい。なんで、こんな思いしなきゃならないんだ……。初めから何の望みもないって分かってたのに……。苦しいだけって分かってたのに、なんでこんな……こんな……あんまりだ…………。
俺が勝手に惹かれたのだ。自業自得なのだけど、神でも恨まなければ、この苦しみのやりどころが無かった。
アミ神、貴方は何故、交わる筈も無かった彼女の歯車を、俺と噛み合わせたのですか……。
幸せな分、辛いです。出会えて良かった……でもきっと、後で恨みます。
失ってしまった後、きっと、もう、貴方を……恨まずにはいられない…………。
私たちが彼女の事情を知っているとは気付いてらっしゃらないと思うのですけど、ホッとされてましたよ」
就寝の支度を終え、ハインが退室した後、サヤは俺の髪を櫛付けつつ、そう言った。良かった……。
「今日のマルとの話で、ユミルに料理人となる道が開けた。
工事の期間が終わったら、食事処をそのまま引き継いでもらっても良いと思うんだよ。
村の農家の女性で運営していけば、良いのじゃないかと思って」
「ああ! それ、私の国にもありますよ!
自家生産した食材を使って料理を振る舞う食事処。低コストで回せますし、分担できますし、良いと思います!」
「えっと……コストって?」
「ええと……燃費が良い? みたいな意味です。野菜や穀物を、中間業者を通さず仕入れることが可能でしょう?」
「ああ、仲買人を省けるということか。その方が、鮮度も上がるから、味も良いしな」
「そうなんです。美味しくて安い、庶民の味方です」
サヤの声が弾んでる。彼女も、俺と同じだけ喜んでくれているということが分かる。それがまた嬉しい。
まだこれから先、どうなるかは分からないけれど、それでも最悪の状況は回避できた。そう思えたから、俺も少し、気持ちが楽になっていた。
「はい、お終いです」
「ありがとう」
櫛付けてもらった髪に指を通すと、するりと根元まで指が通る。
相変わらず、サヤの櫛で梳いてもらうとサラサラでツヤツヤになる。梳くだけでこんな風になるツゲグシは、本当に魔法の櫛だと思う。
「明日から七の月だ。まだ雨が始まる雰囲気じゃないけど、近日中に降り出す。
振り始めたら後は、ほぼひと月止まない」
「そうなんですか。空気はジメジメして来てる感じですよね」
「暑さは大丈夫? もうそろそろ本格的な夏だ」
「大丈夫です。日本よりは、湿度も苦痛になるほどではありません。
それに、雨が降り続けるなら、気温もあまり高くならないでしょう?」
「そうだけど……」
「ふふ、心配して下さって、ありがとうございます」
サヤは、何も言わず、笑って無理をするところがあるから……心配だ。そんな風に考えてたら、俺の身支度を終えたサヤが、長椅子の方に行き、防具を身につけようとし始めたので、ちょっと待ってと声を掛ける。
なんとなくずるずると渡せないまま来てしまったから、 もう今晩、渡してしまおうと思っていた。
寝室を出て、執務机の引き出しから、例の小箱を取り出す。残りの一つ、サヤの襟飾を持ち出した。
「これをサヤに」
「え……私、もう頂きましたよね?」
こてんと首を傾げて言うから、ちょっと困った。
「う、うん。その襟飾はね……ギルが、急ぎで用意してくれたものなんだ。
俺、襟飾が引き抜き防止策だってこと知らなくて……サヤを連れ帰るのを拒んでた俺に、これを渡してくれた。だからその……お、俺がちゃんと、用意したかったんだ」
形はどんなものであっても良いらしかったけれど、俺の配下となってくれた人たちだ。俺の気持ちを込めたかった。
だからサヤにも……。ちょっと、ギルに対する嫉妬もあったのだけど……。
「月夜……?」
サヤの襟飾りは三日月を模していた。銀色の月に、青玉を飾ってある。
そして、月の欠けた部分には、濃い色合いの瑠璃をはめ込んであった。夜空を表しているのだ。
サヤは不思議そうにそれを眺めてから、何故月夜なのですか?と、問うた。えっ、な、何故って……分かんない?
「だってサヤ……サヤの名前、貴き夜だって……」
「えっ⁉︎」
「違う⁉︎ 嘘っ、だってマルがそう聞いたって言ってたから!」
間違えたのだと思った。それで慌てたのだけど、サヤは違うとかぶりを振った。
「まさか……ご存知だと、思わなくて……。マルさんに話したことすら、忘れてて……」
そう言って、俯いてしまった。
手の上に、襟飾を乗せたまま、動かない。
もしかして……嫌だったのだろうか……。どうしよう。何も言わない……。
どんどん居心地が悪くなってきた。もういっそ謝ろうかと思い始めた頃、サヤがやっと、小さな声で「おおきに」と、囁くように言った。
「どうしよ……なんか、もの凄ぅ、嬉しくて……びっくりした」
そう言いつつも、顔を上げない。
なんでだろう……? 言葉ではそう言ってるけど、何かものすごく、がっかりしてて、顔を上げられないとか、そういうのじゃないんだろうか……。
「ああ、うん……」
不安だった。
だからつい、誘惑に負けて、サヤの顔を覗き込んだ。
もしがっかりした顔だったら、サヤの好きな意匠で作り直すからと、そう言おうとまで考えていた。
しかしサヤは…………。
泣きそうなくらい、目を潤ませていて、頬を朱に染めていた……。
唇を、キュッと引き結んで、震わせていた。
また、初めて見る表情の、サヤだった。
手が動いたのは自然で、頬に触れ……視線が絡み合っ……たところで、我に返った! 何してんだ俺‼︎
「い、……嫌だったら、そう言って良いんだよ?」
捻り出した。
頬に手をやってしまった理由を。
ごめんっ、ほんとごめんサヤ、俺は今凄く、不埒なことをしようとしてた!
「いっ、嫌やない。嬉しいっ。ほんまや、嘘は言うてへん……」
サヤもそう言う。
何かちょっと、慌てた様子だった。俺の考えてたことが見透かされているような心地になって、誤魔化しの様に、頬にやってた手で、サヤの頭を撫でた。
そしてそのまま、言葉を続けようがなく「じゃあ、おやすみ」と、当たり障りないことを言って、寝台に逃げ込む。
もう俺、ほんと馬鹿、変態!
頭まで上掛けを引き上げて、顔を隠して悪態を吐く。心の中だけで。
もう流れのままに口づけしようとしてた! 我に帰らなかったらほんとヤバかった‼︎
もし実行に移してたら、次の瞬間サヤに敵認定されていたに違いない。
だってサヤは男性が怖くて、女性として見られることが苦痛で、カナくんという、好きな人がいる……。俺のことが好きってわけでもない。どこにも唇を許す理由が無い。
そして……そしてこの世界の住人でもない……。いつかどこかへ行ってしまう人だ……。
それを思い出すと、苦しさが増した。
自分を律するために、あえてそれを心に刻みつけたけれど、意識してしまうと、辛さで心臓が、潰れそうだった。
馬鹿らしい。なんで、こんな思いしなきゃならないんだ……。初めから何の望みもないって分かってたのに……。苦しいだけって分かってたのに、なんでこんな……こんな……あんまりだ…………。
俺が勝手に惹かれたのだ。自業自得なのだけど、神でも恨まなければ、この苦しみのやりどころが無かった。
アミ神、貴方は何故、交わる筈も無かった彼女の歯車を、俺と噛み合わせたのですか……。
幸せな分、辛いです。出会えて良かった……でもきっと、後で恨みます。
失ってしまった後、きっと、もう、貴方を……恨まずにはいられない…………。
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