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獣 12
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フェルドナレンは、この大陸において、二番目に長い歴史を持つ国だ。
とはいえ、一番長いといわれる国も、内乱により、一度名が変わり、また戻されていたりするので、正確に一番とは言い難い。
大国なので、その言い分が通ってるといった感じだ。
フェルドナレンの歴史は、一九七二年続いているとされる。今の王は百六十七代目。本当であるのならば、大災厄の後、直ぐに起こされた国ということだ。
そんな古い国の神話集は、当然、大災厄のことにも触れられており、更にその前の神話も書かれている。それは、一人の神が、二つに分かれ、さらに無数に分かれていく話。この世界の創世記だ。他国では、元から神が二人だったりもするそうなのだが。
かつて読んだことのあるものであったけれど、俺はそれをもう一度、一から読み直した。
途中で思い立って、気になる記述を書き出すことにする。
長椅子を離れ、執務机に移り、ひたすら読み、気になれば書き写した。後でもう一度前後が確認しやすい様、頁と行数も書き留めておく。
そんな作業を繰り返していたら、いつの間にか時間がかなり経過していたのだろう、肩にそっと触れられて、びっくりして視線を上げたら、サヤが遠慮がちに「夕食のお時間です」と告げた。
うわっ。嘘、外が真っ暗だ。
気付けば行燈にも灯りが入り、俺の手元が照らされている…灯りをつけてくれたことにも気付かず没頭していたらしい。
「作業中ですのに、申し訳ありません……」
「いや、ありがとう。気付かずにいたから、助かった。
こんな日にする必要無い作業なんだ。つい思い立ってしまっただけで……」
たまたま手に取らなかったら、俺はこれが気になったかな?と、考えると、やはり神の采配な気がした。
栞を挟んで、本を閉じるけれど、本棚には戻さず、引き出しに書き出したものと一緒にしまっておくことにする。
「行こう。遅れてしまうと困るしな」
サヤと共に、食堂に向かった。
すると、なにやら賑やかだ。どうしたんだろうと思っていたら、サヤが「胡桃さん方が、到着されています。それで、夕食も共にとなりました。宜しかったでしょうか……」と、聞いてくる。
俺としては、出来るだけ親睦を深め、約定を交わしたいと思っているので、願ったり叶ったりだ。
「うん。むしろ有難い。食事の量は、問題無かったのか?」
「少し足りない感じでしたので……もう一品追加しました」
「そうか。手間を掛けたね、ありがとう」
「いえ」
と、いうことは、サヤはずっと寝ていたわけじゃなく、途中から護衛を交代してたのかな。
食堂に入ると、全ての窓に帷が下ろされ、胡桃さんと、見知らぬ面々が計六名。
目元に仮面を付けていたが、男性が三名。女性が三名。といった様子だ。
「悪いわねぇ。ちょっと早めに来ちゃったのよぅ」
人型の胡桃さんが、部屋に入るなりそう声を掛けて来た。
それで、視線が俺に集中する。値踏みされているのはすぐに分かった。けれど、特別敵意めいたものは無いように思ったので、気にしないことにする。
「いえ、歓迎しますよ。むしろ、嬉しいくらいです。
うちの食事は自慢なんですよ。是非食べて頂きたいと思っていたくらいで」
「マルクスがまともに食事してるっていうんだものねぇ。耳を疑ったわぁ。
だから、結構興味があったのよぅ。楽しみにしてるわぁ」
昨日のクッキーっていうのも美味だったしねぇ。と、自慢げに言う彼女に、一番幼く見える女性が、キュっと口をへの字に曲げた。悔しがっているのだろうか……?目元が仮面で隠れているし、いまいちよく分からない。
ギルも席に着いており、マルは胡桃さんの隣に座っていた。
いつもなら、座席は奥側を使い、両側に分かれて座るのだけれど、今回は、窓側にマルと、兇手一同。反対側に俺たちとなっていた。
俺は一番奥、胡桃さんの向かいに案内されたので、その席に着く。
「あらぁ、賄いと一緒って聞いたのに、違うのねぇ」
……そんなことまで知ってるんだな……。
運ばれて来た食事に、胡桃さんがそう声を上げた為、俺が説明を加えることにする。
「予定外の人数だったみたいで。ちょっと付け足されたんですよ。
いつもなら、同じものを食べてますね」
「……これなぁに?」
「俺も初めて見ますから、何でしょうね」
「あ、えっと……だし巻き玉子です」
「だそうです」
賄いは、十数種類の献立を入れ替えつつ繰り返されている為、食べたことのあるものであったけれど、その追加された一品は初めて見るものだった。
溶いた卵を焼いたものであるのは、見た目でなんとなく分かるのだが、それが何か、いつもと違う。通常なら刻んだ具材などが一緒に入れてあったりするのだけれど、卵のみの様だ。しかし、それにしては色が薄い……。
汁物を調理場で温めてきたハインが戻り、椀によそわれ、配られた。机の上に用意された今日の献立は、牛肉のケチャップ炒めに麺麭、細切り野菜の汁物だ。そして謎の卵料理。
「巻いてある……のかな?」
「なんでこんな、ぶわぶわしてるんだ?」
「和風出汁は作れないので、洋風です」
サヤがそう言うのだが、ワフウもヨウフウも分からないので感想もへったくれもない。そもそもダシ時点でよく分からない……。
とにかく卵が何故か、何か色が薄く、ふわふわプルプルしている感じなのだ。
「簡単に説明すると、汁物の汁を混ぜて焼いた卵です」
「はぁ? 汁を焼いただぁ⁇」
「卵と混ぜると、焼けます」
「お前……もうそれ料理じゃなくて、魔術かなんかだろ……」
「いやぁ、面白いですねぇ。どんな味なんでしょう」
胡乱な目をしたギルが卵をつつきながら、食うのかこれ……と慄いている。
マルはとても楽しそうだ。ワクワクと卵を観察している。
俺も興味が湧いて、手元の卵を肉叉で少し押さえると、じゅくじゅく汁が湧き出してきた。わっ、本当だ。どうやってるのか、汁が入ってる……。ちょっとびっくりだな……。
因みにハインはギラギラした目で興味津々だ。
「出汁の量が鍵です。多過ぎると纏まりません。でも多い方がふわふわで美味しいんです。ですから、どれだけの出汁を含ませられるかが、腕の見せ所です」
にこにこと笑ってサヤが言う。それを聞いたギルが苦渋に満ちた顔になった。美味だと言われると食べたくなるが、形状が奇怪で苦悩しているといった様子だ。
「ま、見てても冷めるし、頂こうか」
「……お前ほんとこんな時、無駄に胆力発揮するよな……」
悩んだところで食べないという選択肢は無いのだから、悩むだけ無駄だと思う。
そういった割り切りを胆力と表現されるのもなんかなぁと思いつつ、俺はダシマキタマゴを肉叉で割って口に放り込んだ。
まず俺が、食べてみせるべきだろう。切って分けられたものだから、兇手の面々にも信用してもらえるだろうから。
それに、形状はともかく、味は美味に決まっているのだから、恐れる必要もないわけだし。
案の定、ダシマキタマゴは美味だった。これはなんと表現すれば良いのかな……卵から溢れるダシ?からも、ちゃんと旨味を感じられるのだ。そして、口の中でホロリと解ける様な卵。この食感も面白い。
隣に座るサヤに「とても美味だよ」と、伝えると、嬉しそうに微笑んだ。
「分かってたけど、確かに美味だ……けどやっぱり形状が不可解過ぎる……」
「四角くて平たい鍋があれば、形ももうちょっと綺麗になるんですけどね」
ギルの嘆きにサヤがそんな風に言う。四角い鍋なんて見たことがないな…サヤの世界は調理器具まで独特な様だ。
「本当は、和風出汁と、お醤油と大根おろしとあれば、もっともっと美味なんですよ。
出汁巻き玉子は、やっぱり和風が一番美味しいと思うんですよね。
もっと、食べてもらいたい料理が沢山あるんですけど……日本の調味料は独特で……きっとこの国には、無いのでしょうし……作れないのが残念です」
「前に言っていた、大豆で作る調味料か?」
「はい。正確には、大豆と米麹ですね」
「……お嬢ちゃんが、遠い異国出身っていうの、本当なのねぇ。初めて食べる食感だし、初めて聞く調味料だわぁ。味も不思議。なのに美味……。面白い料理」
胡桃さんは、なんの躊躇もなくひょいひょい口に運んでいる。
彼女が一通りを食した辺りから、他の兇手らも食事に手を付けた。
はじめは恐る恐るであったけれど、そのうち勢いが増す。
彼らにとっても美味なのだと思うと、顔が綻んだ。
「気に入られた料理があるのなら、作り方を書いてお渡しできますよ。
ちょっと特殊で不思議な調理方法だったりするので、戸惑うとは思うのですが……手順通りにして頂ければ、まあ、作れるようなので」
何気にそう言うと、何故か兇手一同の顔が、バッとこちらを向いた。な、何⁉︎
「……ねぇ、本当に坊やなの? 世間知らず?
料理って、凄い価値があるって、ご存知無いのかしらぁ?」
「いや、無論知ってますよ。けれど、サヤがそれで構わないんです。それに、彼女は料理人ではありません。秘匿する必要は無いんですよ」
「いやいやいや! あるだろうよ‼︎」
一言も口を利かなかった兇手が声を張り上げたので、今度は俺たち側の視線が、そちらに集中する。
その兇手の彼も、つい、口を開いてしまったといった様に、そこでハッと、我にかえる。
暫くそこで、気まずい沈黙となった。
「あの……構わないんです。本当に。
実際、村の方々にも伝えてますから……。
私は、皆さんが食べてくれていることの方が、嬉しいので」
「や、それ、変だろ?だってお前さん、下手したら、一攫千金もんだぞ?」
「お金は、従者をしてますから、それで得られますし、困っていません。ここに置いて頂いているので、衣食住に不自由もありませんし」
「あんたの料理で、他の奴が儲けることになってもか⁉︎」
「同じものは出来上がりません。その人の手が作るなら、その人の料理です」
サヤの言葉に呆然とする兇手。
うーん、サヤの価値観は、この世界にはどうにもそぐわないよなぁ……。
「まあ、例えば貴方が、この料理を他国で作って儲けても、サヤは困らないんですよ。
この娘は、沢山の人が、美味しいと言ってくれることに、価値を感じる様なので」
「…………あ、あんた、あんたもそれで良いって言うのか?」
「サヤが良いのに、俺が悪いわけがないでしょう。
俺はこの娘のしたいようにしたら良いと思ってますよ。争い事にさえならなければ、特に困りません」
「……………………あんた、なんで俺らに、貴人に対するみたいな口調なんだ?」
「ん? 失礼ない様にしたいので……お嫌でしたか?」
あれ。もしかして、なんか兇手一同に警戒されている様子だったのは、この喋り方の所為か?
「普通に喋る方が、皆さんの心地が良いと言うのなら、その様にしますが……」
「レイ様。普通はそういうの、確認しないんですよ」
「いやだって、彼らは俺に服従する立場じゃ無いだろう?」
「それでも上から目線なのが貴族ですって」
マルにケタケタと笑われる。
いやまぁ、一般的にはそうなんだろうけど、それだと俺の居心地が悪いんだよ……。
「昨日あたしにもずっとそんな口調だったのは、そういった理由だったわけねぇ。
でも坊や、それなら、貴方とあたしたちは、どういった立ち位置なのぅ?」
にまにまと笑われ、そう聞かれた。
どういった立ち位置……うーん。
「じゃあ、対等で、良いでしょうか? 俺としては、それが一番、心地良いのですが」
「じゃあ決まりねぇ。ここの一同、普通に口を利いても不敬にはならないわけよね?」
「昨日だって、胡桃さんに不敬だと言った覚えは無いんですけどね」
「そうだわねぇ。ほら、あんたたち、もうかしこまらないで良いみたいよぅ」
胡桃さんにそう言われ、先ほど口を利いた男性がまた口を開いた。
「じゃあ……この、この赤いのは、なんなんだ?」
「ケチャップという調味料なんです。材料は、赤茄子、玉葱、塩、あれば胡椒、あと酢を使います。唐辛子、大蒜、生姜は入れたり入れなかったり……好みによりますね。作り方は……」
兇手の男性は食に興味が強いらしい。質問が止まらない。
先程、クッキーが美味だったと言った時に口をひん曲げていた少女は、脇目も振らずに食事に集中している。
そして、さらに隣の女性が、ハインをずっと見ていることに、気が付いた。
ハインは、その視線に気付いている様子なのだが、無視を決め込んでいる。
彼女も、獣人なのだろうか……。一見すると、ハイン同様、特徴は見当たらない様に思える。
延々無視をさせておくのもどうかと思ったので、つい、ハインの名を呼んだ。
「ハイン……」
「ご命令ですか」
「……違うよ」
「ならば、私の自由であるはずです」
「……そうだけど …………」
頑なに、獣人を拒否して、自分を否定して、そんな風にしているのは、苦しいことなんじゃないのか?
お前の魂が汚れてるだなんて、俺は思わない。
汚れの果てが獣人だなんて風にも、思わない。
だってお前は、義理堅くて、情に熱くて、全然汚れた様には見えないじゃないか……。
お前がそうなんだから、他の獣人だって、きっとおんなじだ。
言葉にすることは簡単であったけれど、口にはしなかった。
ハインがそれを望んでいるとは思えなかったからだ。
今のハインは、なんであれ受け入れることは出来ないのだと思う。けれど、俺が縁を繋いでおけば、いつか、ハインの気持ちが変わる時も、来るかもしれない。
俺たちの沈黙を、どう受け取ったのか……暫くすると、胡桃さんが口を開いた。
「今日の予定だけれど、夜半に出発するわぁ。
その前に、お嬢ちゃんの力量を測りたいし、着替えもしてもらわなきゃならないから、十時辺りから支度に取り掛かりましょうか。
でぇ、それまでの潜伏場所は、ここで良いのかしらぁ?」
「ああ。問題無い。
使ってない部屋が山とあるから、好きに使ってもらうのも構わないんだけど……掃除してないからな……」
「気にしないわぁ。周りに気付かれる様なヘマはしないから、じゃあ好きにさせてもらうわねぇ」
「……客間の隣の部屋だけですが、床は掃除してあります」
「あの、女性の方は、私の部屋を利用して下さい。支度もあるでしょうし」
ハインとサヤが、そんな風に言う。
あれだけ頑なに拒否しているのに、部屋の掃除だけは済ませたと言うハインに、天邪鬼だなぁと、つい笑みが零れた。
「なぁ、サヤ……考え直さないか」
女性らを案内しようとするサヤに、ギルがそう口にした。心配でたまらないのだろう。
「大丈夫ですよ。心配しないで下さい」
サヤは、そう言って笑う。
眉間にシワを寄せるギルに、胡桃さんが言った。
「お嬢ちゃんの安全は、私が保証するわぁ。
マルクスはああ言ったけれど、これはあたしら兇手の仕事だもの。怪我をさせる様な目には、合わせないわぁ」
しかし、その言葉を聞いても、ギルの顔色は晴れない。それがなんの保証にもならないのだと、ギルは知ってるものな。
「……関係ねぇんだよ……。
あんたらがサヤを守ると言ったって、こいつは自分で勝手にしやがるんだ」
「まぁねぇ。兇手相手に、飛び道具で狙われて、主人に逃げる様に言われても、留まっちゃう娘ですからねぇ」
よく生きてたわねぇと、胡桃さんが言うが、サヤは勇者なんですよぅ。と、マルが答える。二人のやりとりに、俺の胃に穴が開いたら、お前の責任だからな。と、ギルが八つ当たり気味に言った。
とはいえ、一番長いといわれる国も、内乱により、一度名が変わり、また戻されていたりするので、正確に一番とは言い難い。
大国なので、その言い分が通ってるといった感じだ。
フェルドナレンの歴史は、一九七二年続いているとされる。今の王は百六十七代目。本当であるのならば、大災厄の後、直ぐに起こされた国ということだ。
そんな古い国の神話集は、当然、大災厄のことにも触れられており、更にその前の神話も書かれている。それは、一人の神が、二つに分かれ、さらに無数に分かれていく話。この世界の創世記だ。他国では、元から神が二人だったりもするそうなのだが。
かつて読んだことのあるものであったけれど、俺はそれをもう一度、一から読み直した。
途中で思い立って、気になる記述を書き出すことにする。
長椅子を離れ、執務机に移り、ひたすら読み、気になれば書き写した。後でもう一度前後が確認しやすい様、頁と行数も書き留めておく。
そんな作業を繰り返していたら、いつの間にか時間がかなり経過していたのだろう、肩にそっと触れられて、びっくりして視線を上げたら、サヤが遠慮がちに「夕食のお時間です」と告げた。
うわっ。嘘、外が真っ暗だ。
気付けば行燈にも灯りが入り、俺の手元が照らされている…灯りをつけてくれたことにも気付かず没頭していたらしい。
「作業中ですのに、申し訳ありません……」
「いや、ありがとう。気付かずにいたから、助かった。
こんな日にする必要無い作業なんだ。つい思い立ってしまっただけで……」
たまたま手に取らなかったら、俺はこれが気になったかな?と、考えると、やはり神の采配な気がした。
栞を挟んで、本を閉じるけれど、本棚には戻さず、引き出しに書き出したものと一緒にしまっておくことにする。
「行こう。遅れてしまうと困るしな」
サヤと共に、食堂に向かった。
すると、なにやら賑やかだ。どうしたんだろうと思っていたら、サヤが「胡桃さん方が、到着されています。それで、夕食も共にとなりました。宜しかったでしょうか……」と、聞いてくる。
俺としては、出来るだけ親睦を深め、約定を交わしたいと思っているので、願ったり叶ったりだ。
「うん。むしろ有難い。食事の量は、問題無かったのか?」
「少し足りない感じでしたので……もう一品追加しました」
「そうか。手間を掛けたね、ありがとう」
「いえ」
と、いうことは、サヤはずっと寝ていたわけじゃなく、途中から護衛を交代してたのかな。
食堂に入ると、全ての窓に帷が下ろされ、胡桃さんと、見知らぬ面々が計六名。
目元に仮面を付けていたが、男性が三名。女性が三名。といった様子だ。
「悪いわねぇ。ちょっと早めに来ちゃったのよぅ」
人型の胡桃さんが、部屋に入るなりそう声を掛けて来た。
それで、視線が俺に集中する。値踏みされているのはすぐに分かった。けれど、特別敵意めいたものは無いように思ったので、気にしないことにする。
「いえ、歓迎しますよ。むしろ、嬉しいくらいです。
うちの食事は自慢なんですよ。是非食べて頂きたいと思っていたくらいで」
「マルクスがまともに食事してるっていうんだものねぇ。耳を疑ったわぁ。
だから、結構興味があったのよぅ。楽しみにしてるわぁ」
昨日のクッキーっていうのも美味だったしねぇ。と、自慢げに言う彼女に、一番幼く見える女性が、キュっと口をへの字に曲げた。悔しがっているのだろうか……?目元が仮面で隠れているし、いまいちよく分からない。
ギルも席に着いており、マルは胡桃さんの隣に座っていた。
いつもなら、座席は奥側を使い、両側に分かれて座るのだけれど、今回は、窓側にマルと、兇手一同。反対側に俺たちとなっていた。
俺は一番奥、胡桃さんの向かいに案内されたので、その席に着く。
「あらぁ、賄いと一緒って聞いたのに、違うのねぇ」
……そんなことまで知ってるんだな……。
運ばれて来た食事に、胡桃さんがそう声を上げた為、俺が説明を加えることにする。
「予定外の人数だったみたいで。ちょっと付け足されたんですよ。
いつもなら、同じものを食べてますね」
「……これなぁに?」
「俺も初めて見ますから、何でしょうね」
「あ、えっと……だし巻き玉子です」
「だそうです」
賄いは、十数種類の献立を入れ替えつつ繰り返されている為、食べたことのあるものであったけれど、その追加された一品は初めて見るものだった。
溶いた卵を焼いたものであるのは、見た目でなんとなく分かるのだが、それが何か、いつもと違う。通常なら刻んだ具材などが一緒に入れてあったりするのだけれど、卵のみの様だ。しかし、それにしては色が薄い……。
汁物を調理場で温めてきたハインが戻り、椀によそわれ、配られた。机の上に用意された今日の献立は、牛肉のケチャップ炒めに麺麭、細切り野菜の汁物だ。そして謎の卵料理。
「巻いてある……のかな?」
「なんでこんな、ぶわぶわしてるんだ?」
「和風出汁は作れないので、洋風です」
サヤがそう言うのだが、ワフウもヨウフウも分からないので感想もへったくれもない。そもそもダシ時点でよく分からない……。
とにかく卵が何故か、何か色が薄く、ふわふわプルプルしている感じなのだ。
「簡単に説明すると、汁物の汁を混ぜて焼いた卵です」
「はぁ? 汁を焼いただぁ⁇」
「卵と混ぜると、焼けます」
「お前……もうそれ料理じゃなくて、魔術かなんかだろ……」
「いやぁ、面白いですねぇ。どんな味なんでしょう」
胡乱な目をしたギルが卵をつつきながら、食うのかこれ……と慄いている。
マルはとても楽しそうだ。ワクワクと卵を観察している。
俺も興味が湧いて、手元の卵を肉叉で少し押さえると、じゅくじゅく汁が湧き出してきた。わっ、本当だ。どうやってるのか、汁が入ってる……。ちょっとびっくりだな……。
因みにハインはギラギラした目で興味津々だ。
「出汁の量が鍵です。多過ぎると纏まりません。でも多い方がふわふわで美味しいんです。ですから、どれだけの出汁を含ませられるかが、腕の見せ所です」
にこにこと笑ってサヤが言う。それを聞いたギルが苦渋に満ちた顔になった。美味だと言われると食べたくなるが、形状が奇怪で苦悩しているといった様子だ。
「ま、見てても冷めるし、頂こうか」
「……お前ほんとこんな時、無駄に胆力発揮するよな……」
悩んだところで食べないという選択肢は無いのだから、悩むだけ無駄だと思う。
そういった割り切りを胆力と表現されるのもなんかなぁと思いつつ、俺はダシマキタマゴを肉叉で割って口に放り込んだ。
まず俺が、食べてみせるべきだろう。切って分けられたものだから、兇手の面々にも信用してもらえるだろうから。
それに、形状はともかく、味は美味に決まっているのだから、恐れる必要もないわけだし。
案の定、ダシマキタマゴは美味だった。これはなんと表現すれば良いのかな……卵から溢れるダシ?からも、ちゃんと旨味を感じられるのだ。そして、口の中でホロリと解ける様な卵。この食感も面白い。
隣に座るサヤに「とても美味だよ」と、伝えると、嬉しそうに微笑んだ。
「分かってたけど、確かに美味だ……けどやっぱり形状が不可解過ぎる……」
「四角くて平たい鍋があれば、形ももうちょっと綺麗になるんですけどね」
ギルの嘆きにサヤがそんな風に言う。四角い鍋なんて見たことがないな…サヤの世界は調理器具まで独特な様だ。
「本当は、和風出汁と、お醤油と大根おろしとあれば、もっともっと美味なんですよ。
出汁巻き玉子は、やっぱり和風が一番美味しいと思うんですよね。
もっと、食べてもらいたい料理が沢山あるんですけど……日本の調味料は独特で……きっとこの国には、無いのでしょうし……作れないのが残念です」
「前に言っていた、大豆で作る調味料か?」
「はい。正確には、大豆と米麹ですね」
「……お嬢ちゃんが、遠い異国出身っていうの、本当なのねぇ。初めて食べる食感だし、初めて聞く調味料だわぁ。味も不思議。なのに美味……。面白い料理」
胡桃さんは、なんの躊躇もなくひょいひょい口に運んでいる。
彼女が一通りを食した辺りから、他の兇手らも食事に手を付けた。
はじめは恐る恐るであったけれど、そのうち勢いが増す。
彼らにとっても美味なのだと思うと、顔が綻んだ。
「気に入られた料理があるのなら、作り方を書いてお渡しできますよ。
ちょっと特殊で不思議な調理方法だったりするので、戸惑うとは思うのですが……手順通りにして頂ければ、まあ、作れるようなので」
何気にそう言うと、何故か兇手一同の顔が、バッとこちらを向いた。な、何⁉︎
「……ねぇ、本当に坊やなの? 世間知らず?
料理って、凄い価値があるって、ご存知無いのかしらぁ?」
「いや、無論知ってますよ。けれど、サヤがそれで構わないんです。それに、彼女は料理人ではありません。秘匿する必要は無いんですよ」
「いやいやいや! あるだろうよ‼︎」
一言も口を利かなかった兇手が声を張り上げたので、今度は俺たち側の視線が、そちらに集中する。
その兇手の彼も、つい、口を開いてしまったといった様に、そこでハッと、我にかえる。
暫くそこで、気まずい沈黙となった。
「あの……構わないんです。本当に。
実際、村の方々にも伝えてますから……。
私は、皆さんが食べてくれていることの方が、嬉しいので」
「や、それ、変だろ?だってお前さん、下手したら、一攫千金もんだぞ?」
「お金は、従者をしてますから、それで得られますし、困っていません。ここに置いて頂いているので、衣食住に不自由もありませんし」
「あんたの料理で、他の奴が儲けることになってもか⁉︎」
「同じものは出来上がりません。その人の手が作るなら、その人の料理です」
サヤの言葉に呆然とする兇手。
うーん、サヤの価値観は、この世界にはどうにもそぐわないよなぁ……。
「まあ、例えば貴方が、この料理を他国で作って儲けても、サヤは困らないんですよ。
この娘は、沢山の人が、美味しいと言ってくれることに、価値を感じる様なので」
「…………あ、あんた、あんたもそれで良いって言うのか?」
「サヤが良いのに、俺が悪いわけがないでしょう。
俺はこの娘のしたいようにしたら良いと思ってますよ。争い事にさえならなければ、特に困りません」
「……………………あんた、なんで俺らに、貴人に対するみたいな口調なんだ?」
「ん? 失礼ない様にしたいので……お嫌でしたか?」
あれ。もしかして、なんか兇手一同に警戒されている様子だったのは、この喋り方の所為か?
「普通に喋る方が、皆さんの心地が良いと言うのなら、その様にしますが……」
「レイ様。普通はそういうの、確認しないんですよ」
「いやだって、彼らは俺に服従する立場じゃ無いだろう?」
「それでも上から目線なのが貴族ですって」
マルにケタケタと笑われる。
いやまぁ、一般的にはそうなんだろうけど、それだと俺の居心地が悪いんだよ……。
「昨日あたしにもずっとそんな口調だったのは、そういった理由だったわけねぇ。
でも坊や、それなら、貴方とあたしたちは、どういった立ち位置なのぅ?」
にまにまと笑われ、そう聞かれた。
どういった立ち位置……うーん。
「じゃあ、対等で、良いでしょうか? 俺としては、それが一番、心地良いのですが」
「じゃあ決まりねぇ。ここの一同、普通に口を利いても不敬にはならないわけよね?」
「昨日だって、胡桃さんに不敬だと言った覚えは無いんですけどね」
「そうだわねぇ。ほら、あんたたち、もうかしこまらないで良いみたいよぅ」
胡桃さんにそう言われ、先ほど口を利いた男性がまた口を開いた。
「じゃあ……この、この赤いのは、なんなんだ?」
「ケチャップという調味料なんです。材料は、赤茄子、玉葱、塩、あれば胡椒、あと酢を使います。唐辛子、大蒜、生姜は入れたり入れなかったり……好みによりますね。作り方は……」
兇手の男性は食に興味が強いらしい。質問が止まらない。
先程、クッキーが美味だったと言った時に口をひん曲げていた少女は、脇目も振らずに食事に集中している。
そして、さらに隣の女性が、ハインをずっと見ていることに、気が付いた。
ハインは、その視線に気付いている様子なのだが、無視を決め込んでいる。
彼女も、獣人なのだろうか……。一見すると、ハイン同様、特徴は見当たらない様に思える。
延々無視をさせておくのもどうかと思ったので、つい、ハインの名を呼んだ。
「ハイン……」
「ご命令ですか」
「……違うよ」
「ならば、私の自由であるはずです」
「……そうだけど …………」
頑なに、獣人を拒否して、自分を否定して、そんな風にしているのは、苦しいことなんじゃないのか?
お前の魂が汚れてるだなんて、俺は思わない。
汚れの果てが獣人だなんて風にも、思わない。
だってお前は、義理堅くて、情に熱くて、全然汚れた様には見えないじゃないか……。
お前がそうなんだから、他の獣人だって、きっとおんなじだ。
言葉にすることは簡単であったけれど、口にはしなかった。
ハインがそれを望んでいるとは思えなかったからだ。
今のハインは、なんであれ受け入れることは出来ないのだと思う。けれど、俺が縁を繋いでおけば、いつか、ハインの気持ちが変わる時も、来るかもしれない。
俺たちの沈黙を、どう受け取ったのか……暫くすると、胡桃さんが口を開いた。
「今日の予定だけれど、夜半に出発するわぁ。
その前に、お嬢ちゃんの力量を測りたいし、着替えもしてもらわなきゃならないから、十時辺りから支度に取り掛かりましょうか。
でぇ、それまでの潜伏場所は、ここで良いのかしらぁ?」
「ああ。問題無い。
使ってない部屋が山とあるから、好きに使ってもらうのも構わないんだけど……掃除してないからな……」
「気にしないわぁ。周りに気付かれる様なヘマはしないから、じゃあ好きにさせてもらうわねぇ」
「……客間の隣の部屋だけですが、床は掃除してあります」
「あの、女性の方は、私の部屋を利用して下さい。支度もあるでしょうし」
ハインとサヤが、そんな風に言う。
あれだけ頑なに拒否しているのに、部屋の掃除だけは済ませたと言うハインに、天邪鬼だなぁと、つい笑みが零れた。
「なぁ、サヤ……考え直さないか」
女性らを案内しようとするサヤに、ギルがそう口にした。心配でたまらないのだろう。
「大丈夫ですよ。心配しないで下さい」
サヤは、そう言って笑う。
眉間にシワを寄せるギルに、胡桃さんが言った。
「お嬢ちゃんの安全は、私が保証するわぁ。
マルクスはああ言ったけれど、これはあたしら兇手の仕事だもの。怪我をさせる様な目には、合わせないわぁ」
しかし、その言葉を聞いても、ギルの顔色は晴れない。それがなんの保証にもならないのだと、ギルは知ってるものな。
「……関係ねぇんだよ……。
あんたらがサヤを守ると言ったって、こいつは自分で勝手にしやがるんだ」
「まぁねぇ。兇手相手に、飛び道具で狙われて、主人に逃げる様に言われても、留まっちゃう娘ですからねぇ」
よく生きてたわねぇと、胡桃さんが言うが、サヤは勇者なんですよぅ。と、マルが答える。二人のやりとりに、俺の胃に穴が開いたら、お前の責任だからな。と、ギルが八つ当たり気味に言った。
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『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
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