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獣 6

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「私のことは、胡桃と呼んでちょうだいな。あたしたちは、豺狼さいろう組と名乗ってる。受けた仕事は必ずこなすし、約定が破られない限り、こちらから破りはしない。その代わり、いくら金を積まれても、信用出来ない相手とは取引しないのよぉ」

 棒を括り付けられた左脚を投げ出すようにして長椅子座り、交渉役はそう言った。

「今回は、マルクスのこともあるし、彼の上役ですものねぇ。
 マルクスが、今までの借り、全部チャラにして良いって言うしぃ、一度限りの約定を、許してあげる。貴方とは、この一回限りの縁にしてあげるわぁ」

 それは言外に、一度だけ、良いように使われてやる。そして関わったことは忘れてやる。と、言われたことになる。あり得ないような破格の待遇だ。マルの貸しが、それだけ大きく、信頼を得ているということかもしれないが。
 しかし、一度限りの関係を望んでいない俺は、首を振る。

「いえ……。そのつもりはありません。
 貴女方と取引をする。それは、俺の一生を賭けるという意味ですよ」

 俺の言葉に、胡桃さんは目を眇め、値踏みする様に俺を見た。

「貴方みたいな人は、あまり裏と関わらない方が、身の為だと思うけどぉ?」

 そんな軽いものじゃない。そう言われているのは分かる。けれど……ハインのこともある以上、俺は彼女との縁を、なんとしてでも繋げたいと考えていた。
 獣人は、孤立する。人より身体能力が高く、頑強だと言われているが、気が荒く、人を傷つけることも厭わないとされる。その為恐れられ、何もしないうちから、石もて追われることもあると聞くのだ。
 ハインがどう思っていようと、獣人だと知った以上、同族との縁は持っていた方が良い気がした。九年間俺たちと共にあったということは、ハインには同族との接点が無いということだ。特にこいつは、自分個人の時間というのを、全くと言って良いほど持っていなかったのだから。
 それに、押し付けるつもりはないが、人の命を断つことを糧とするしかない。という兇手の生き方に、選択肢を……という気持ちも、捨てたくなかった。

「裏社会と関わる気は、確かにあまり、ありません……。ですから貴女方に、こちら側に来て頂きたいと、思ってるのですが」
「マルクス、この坊や、何を言ってるのぉ?」

 あ、坊やに戻った……。
 ふざけたことを言っていると思われたかな。
 けれど、戯言ざれごとを言っているわけではないので、分かってもらえるまで話をするしかない。
 と、そこでマルが、助け舟を出してくれた。

「胡桃、レイ様はね、まだこの大陸に無い、新しい役割を、貴女方に担ってほしいと思ってるんですよ。『兇手きょうしゅ』ではなく『しのび』を所望しているのです。
 あ、今回の依頼も、殺しではありません。それどころかねぇ、貴女方との約定も、人を殺すことを求めない。に、すると仰ってます」
「はぁ?   この坊やも変人なのぉ?   兇手に人殺しさせなかったら、何させるのよぅ」
「ですから『忍』を、してもらうのですよ?」
「だから『忍』って何よぅ」

 気心知れた馴れ合いみたいな会話だ……。間延びした口調も相まって、胡桃さんが兇手ということを忘れてしまいそうになるな。
 心なしか、ギルとハインも緊張感を削がれた様で、嫌そうな顔をしている。
 サヤはせっせとお茶を配り、お茶菓子を配り、甲斐甲斐しく働いてくれていた。

「んふふ、サヤくんの国にある役職です。今から説明しますね」

 まず、胡桃さんに『忍』というものについて説明することとなった。
 諜報活動を主に行う集団であり、そのためにありとあらゆる手段を駆使するということをだ。
「それって、マルクスがあたしたちにさせてること、そのままなんじゃないのぉ?」と、聞く彼女に「極めて似ていますね」と、マルも答える。

「情報を持ち帰ることが最優先事項です。
   敵地に潜入するなど、過酷な任務もありますが、とにかくその場に溶け込み、より多く情報を得るために技術を駆使します。
   貴女方くらい手練れで、僕の依頼に慣れているなら、造作もないことだと思うのですが」
「まぁ、随分と煽ててくれるのねぇ。で、今回は、どんな情報を得て来れば良いのかしらぁ?」
「今回の情報は人型をしてますね。本館に軟禁されているエゴンです」
「ええっ⁉︎」
「あ、これ美味ですね。サヤくん、干し果実入りのクッキーおかわりください」
「……貴方、いつの間にそんな、食い意地張った奴になったのぉ?」

 どこか緊張感に欠けた会話だ……。
 植物みたいに、水と光で生きていけたらって言ってたのにぃ……と、呆れ顔の彼女であったが、マルの摘んでいたと同じ、干し果実入りクッキーを口に運んで、あら。と、口元に手をやった。そのまま無言で食べ続ける。
 その間に、口を空にしたマルが、また言葉を紡ぐ。

「そりゃぁ、今までと全く同じではありえませんよ。
   忍はとても高度な技術を有する必要のある集団です。間者であり、狩人であり、斥候であるのですから。
   ああ、時には影であったりもする様です。サヤの国では、一種の英雄ですらあるそうですよ」
「……麺麭パンじゃないのねぇこれ。確かに美味。草が入れ込んでたのはこれなのねぇ」
「ちょっと胡桃……聞いてます?   食い意地はってるのはどっちですか。あと、草が気に入ってるのはラングドシャです。これじゃありません」
「マル……脱線しかけてるから、話を戻すよ」

 さっきからチラチラ出てくる『草』というのが気になるけれど……話を進めないと、朝を迎えてしまいそうだ。
 俺はマルの代わりに、今回の依頼内容を話すことにした。
 俺が命を狙われていて、その狙っている張本人が、本館にいること。
 領民を一人掴まれていて、今のままだと全てがその領民の所為にされ、逃げられてしまう可能性が高いこと。
 相手がジェスル領出身の使用人である為、殺生ごとは大問題になること。
 今回の依頼は、囚われた領民を、秘密裏に奪い返して来て欲しい。一人の死人も出さずに。出来るならば、誰にも気付かれずに。という内容であること。

「貴方……今の内容、相当無茶苦茶だって自覚してるぅ?
 そもそも、坊やを狙っている奴を放置して、領民だけ助け出してどうするっていうのぉ?
 しかもその領民って、坊やにとってなんの特にもならない相手よねぇ」
「特どころか……害でしかありませんのに……」

 心底嫌そうに、ハインが剣呑な顔で呟きを零す。
 けれど、ウーヴェの父親だ。ウーヴェの為にも、助け出せるならばそうしてやりたい。それに、罪を償わせるにしても、命を失ってしまってからでは遅いのだ。

「エゴンは軟禁状態だと、マルに聞いてます。
 それはつまり、俺がエゴンをどうこうしようなどとは考えまい。という風に、相手は思っているということですよね。なら、助け出す隙はあると思うのですが」
「……まあ、坊やがそれで良いなら、こちらはそれに従うだけよぉ」
「有難うございます!」

 承諾を得られたことに礼を言うと、何故か不可解そうな顔をされた。
 あ、エゴンを助け出して、黒幕を放置することの意味を、説明していないからかもしれない。
 慌てて事情を説明する。

「黒幕はジェスルの者ですから……。下手に手出し出来ません。
 俺は、妾の子ですし、後ろ盾も持ちませんから」
「そうよねぇ……下手に殺したら、貴方が殺ったんじゃないとしても、貴方の所為になりそうよねぇ」

 面倒臭いわぁと、眉をひそめる胡桃さん。

「とまあ、ここまではレイ様の依頼ですね。
 次は僕のです。同時進行でお願いしたいのですが」

 そこにマルが口を挟み、更に嫌そうな顔になった。

「何人必要なのよぅ……」
「そうですねぇ……レイ様の方は四人……。僕の方は、僕を同行させて、二人かな?」
「えええぇぇ、貴方はお荷物以上のお荷物よぉ~」
「ちょっと待って。マルの方の話は俺も聞いてない。ちゃんと説明してくれ」

 俺がそう口を挟むと、マルも嫌そうな顔になった。

「説明は良いですけど……文句は受け付けないですよ?   これ以上の策はないと思ってるんですから」

 マルの導き出した、今回の落とし所。それはこんな感じだ。
 今回の黒幕は、異母様の使用人の一人。留守の本館を任されている、執事だ。
 どうやら、異母様の立場と、留守を任されていることを利用し、横領を繰り返しているのだという。
 そしてそれ以外にも、見つけた情報が幾つかあるのだそうだが「これはお教え出来ません。ジェスル伯爵絡みのものもあるので、万が一の時の為、知らない方が良いでしょう」と、言われてしまった。
 なので今回の作戦は、その執事のもとに不法侵入し、横領とそのネタで脅しをかけ、手を引かせるというものだった。
 執事を押さえている隙に、エゴンの身も別働隊の手により確保してしまうそうだ。

「レイシール様の命を狙った不届き者を、生かしておくと言うのですか!」
「その方が得策だよ。レイ様の立場を悪くしたくないでしょう?」

 激昂するハインに、マルはしらっとそう答える。

「今回はそれで良かったとしても、もしまた命を狙ってきたらどうするのです⁉︎   生かしておくのは危険です‼︎」
「そんな気が起きない様にするから大丈夫。二度と歯向かう気にならない様、脅し尽くしますよぅ。
 それでね、その執事くんには、魔女の、身中の虫になって頂こうと思ってるんですよ。
 魔女やジェスルの情報をこちらに流して頂くのに、とても良い立ち位置の方なので」

 怒れるハインをそよ風の様に流して、俺にそんな風に言うから呆れてしまった。

「なって頂くって……そんな簡単そうに……」
「簡単ですよ。得意ですから。反抗する気なんて起きないよう躾けますから、任せて下さい」

 ものすごく、活き活きとした顔で、マルが自身の薄い胸をドンと叩く。
 いや……得意なのは知ってるよ……。学舎でマルに心を抉られた相手がどれだけ居ると思っているの……。
 討議の授業が崩壊したのは、一度や二度じゃない……。
 マルは、学舎で鬼役を禁じられている。それは練習しなくて良い。それ以上どこに行き着くつもりなのかと、教師まで泣かせているのだ。

「同情したくなってくるな……自業自得だけどよ……」
「少し溜飲が下がりました。存分に苦しめてやれば良いと思います。死ぬ方が楽なくらいに」
「問題は、そこまでどうやって、マルクスを運ぶかでしょぉ?   運動神経皆無なんだからぁ」

 うん。それは確かに問題だ。
 正直、不可能だとすら思う。マルの運動能力は五歳児並なのだ。そのくせ図体は大人だからな。

「……あの、それでしたら、私がマルさんのお仕事に同行すればどうですか?
 マルさんくらいなら、私、苦もなく運べるので」

 それまで黙って話を聞くことに徹していたサヤが、不意に挙手して、そんな風に言いだし、俺は慌てた。
 えっ、だっ、だって運ぶとなると……触れなきゃダメだよ?
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