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帰還 2

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 元気が出たので執務室に向かう。
 まずは報告書の確認……。セイバーン領内から寄せられる、たくさんの書類に目を通す。
 この時期は、ここを離れられないと皆知っているから、視察を請う様な内容のものは無い。
 少し気になったのは、山賊紛いの傭兵団についての報告書だ。
 セイバーンは、ここ数十年隣国との諍いを起こしていない。だから、傭兵の様な稼業の者はあまり多くない。特に、傭兵団のような大所帯は養うにも金がいるから、殆ど居ない。仕事が無いからだ。
 たまたま移動のために通過してるだけなのか……。しかし、山賊紛いというのが良くない響きだな……。
 場所を確認すると、セイバーンの南西部、他領に程近い地域だ。
 視察しようにも、往復するだけで二週間掛かるな……。やはり、雨季が終わらないと動けそうにない。
 それ以外は目立つ内容は見当たらない。あと、麻袋発送の報告書がやたらと多い。
 氾濫対策のために集めているのだが、メバック行きの荷物や商隊がある場合は、在庫の麻袋を便に追加するよう手配しているのだ。他の便に便乗させて経費を浮かせる為の手段だ。
 報告書の確認は、一時間程で片付いた。一息ついていると、マルが一仕事終えて帰って来たので、丁度良いから席を立った。お茶を入れることにしたのだ。

「お疲れ様、マル。お茶にする?」
「いやいやいや、レイ様手ずから入れないで下さいよ」
「自分のを入れるついでじゃないか。お前が入れるよりマシだろ」
「いや、だから……自分のを入れるのもどうかって話なんですよ。
 あと、飲めたもんじゃないお茶でいいなら僕が入れますよ。湯呑割ったり溢したりしても微笑ましく見守ってくれるならね。でも嫌でしょう?」
「……じゃあやっぱり俺が入れるしかないんじゃないか?」

 不毛なやり取りをして、結局俺がお茶を入れる。
 ハインは忙しいので、わざわざ手を煩わせたくないのだ。それにお茶くらい、飲みたい奴が入れたらいいと思う。
 というか……学舎で寮生活してれば自然と身につくことだと思ってたのに……マルは、掃除も何も、身につけていない……なんでだ。むしろそれが不思議でならない。

「レイ様って、本当そういうところが庶民的というか……。並の貴族はほっとくと死んでそうですけど、貴方は普通に暮らしていけそうですよねぇ」
「……お茶を入れるって、そんな特殊な技能じゃないと思うよ……」

 平和なやり取りだなと思う。
 雨季は日々迫ってきているけれど、あまり心配していない。日程通り、順調に進んでいるからだ。
 ただ、明日からが本番だ。人足達に土嚢作りを教え込む。そこが一番の難関だ。
 一足先に来てくれている土建組合の面々に、物資の受け取りと、こっそり土嚢作りの練習をしてもらっていたのだが、どうにも大きさが揃わないで難儀した。
 結果、土の量を一定量に定めるために、器を用意することにしたのだが、その器作りで浮かせたぶんの氾濫対策費用をほぼ使い切ってしまう結果となった。
 土嚢作りの手順が一つ増えるし、ただでさえ手間なものがより手間に感じるようになってしまったが、形が揃わなければ話にならない。致し方ないと、発注書を先日サヤに送ったのだが、翌日すぐに、サヤから待ったの返事が送られて来てびっくりした。
 辿々しい歪な文字ながら、もっと効率良いやり方があるから任せてほしいと綴られていたので、これに関しては一任してある。そして今日、そのサヤに任せた器作りの結果も届く予定だった。

 ……はぁ、サヤか……。順調なら明日あたり、帰ってくる筈だ……。
 まだ異母様が館にいらっしゃる。それを考えると、急に身体が重くなる。
 本当は、もう少しメバックでゆっくりして欲しい。
 異母様方が出発した後に、安全が確認できてから、戻って欲しいのだ。
 俺たちがこちらに帰還した後、異母様からの探りがあった。サヤはどうしたのかと。
 その時は、ハインが即座に、メバックにて荷物の移送手続きを担っています。と、答えてくれたが、この方はやはりサヤを狙っているのかと考えてしまうと、心臓が潰れそうだった。
 サヤが戻っても……襟飾りがある……だから引き抜きはもう出来ない。
 だが、引き抜けないとなったらどう出る?    見切りを付けたら、手段を選ばなくなったら……?

 と、扉がトントンと叩かれ、思考が遮られた。
 後ろ向きな思考に浸りかけていたので助かった……。相変わらず、悪夢の後はこのざまだ。
 入れ、と、声を掛けると、ハインだった。ハイン以外いないのだけれど。

「待ち望んでいた出立が来たようですよ。明日です」

 そう言われ、俺の中に膨れ上がりつつあった恐怖感が、幾ばくかは薄らいだ。
 明日……。なら、サヤと鉢合わせする心配は無さそうだ。

「あ~……やっと緊張から解放されますねぇ」
 ハインの報告に、マルが安堵の溜息をつく。お前緊張してたのか……。全然そんな素振り無かったけど?

「してましたよ緊張!魔女のお膝元ですよ?視界に入らない様、ほんと気を使ってましたよ!
 まあ、別館にいれば基本出会わないと伺ってたので篭ってただけですけど」

 そうだね……。一度メバックに戻って商業会館の仕事に行った時と、土嚢壁を作る範囲を決定した時だけしか外に出なかったよな。まあ、仕事に支障が無いなら良いんだけど。
 因みに現在マルは、別館の客間を利用中だ。サヤ用の新しい家具が届く度に元の家具は戻してあったのである。ただ、寝台はまだ届いていない為、寝台がわりの長椅子をハインの部屋から借りている。
 マルは寝具に拘りがない。……というか、意識が飛んだ場所が寝る場所だ。どこでだって寝れる。
 河川敷が出来上がるまで、一年間以上はこちらが主になるわけだから、部屋も決めて掃除もしてあるのだが、まだ家具が届いていないのでその様な状態だ。因みに、場所にも内装にもこだわりは無いらしく、場所はハインが適当に決めた。

 それはそうと、前々から気になっていたのだが、マルは異母様のことを『魔女』と呼ぶ。
 聞くと、一部では『ジェスルの魔女』と呼ばれているとか。
 社交界の華っていうのは聞いたことあったんだけどな……。

「まあ。魔女の話してると魔女を召喚しそうだからやめましょう。
 そんなことより、サヤくんです。サヤくん、もうそろそろ帰還時期なのでは?    何日の予定なんです?    それによって作戦が変わってくるんですけど」

 マルが急に妙なことを言い出した。
 作戦……って?    なんの作戦……。意味がわからず、ハインと顔を見合わせた。

「そんなの、人足達の人心掌握作戦に決まってますよぅ。人足達は今日到着なんですよ?
 姫役はレイ様確定として、鬼役をどうするかって話なんですよ。まあ、ハインは鬼確定してるんですけど、サヤくんの立ち位置がね」

 姫やら鬼やら出てきたので嫌な予感がする……。
 学舎時代に、散々それで模擬戦とか、討議戦とかやった覚えがあるぞ……。
 姫鬼というのは、懐柔役と威圧役。防御と攻撃のことだ。それを例えてそう言う。
 あと、もう見たまんま、護衛対象と護衛側という風に例えたりもする。

「ちょっと待て……、なんで選択権無く姫決定なんだ。これでも身長はハインを超えたんだよ?」
「身長の問題じゃないですって。性質的な問題です。
 レイ様に鬼は無理ですよ。武力行使しない。威圧しない。どこにそんな、間を取り持とうとする鬼が居るんですか」
「顔からしても姫ですよ」

 ハインにそう付け足されてグサリとくる。
 か……顔って今関係あるかな⁉︎    そう言い返そうと思ったのだが、物音が耳を掠めて、俺の動きが止まった。
 今、部屋の外で何か音がしたのだ。同じく気付いたらしいハインの目に、剣呑な光が宿る。
 この別館にいる人間は、全員ここに揃っている。なのに外で音。
 と、執務室の扉がガチャリと鳴って、ハインが腰の剣を抜刀し、突き付けたのは同時だった。

「……おおい、なんで俺、来るたびに剣突きつけられるんだ?」
「扉を叩かないからですよ!」

 ハインがギッと睨み付け、怒った先にいたのはルカだ。
 訪いも無しに扉を開けるから、ハインがいつも臨戦態勢で迎えることになるわけだが、まだ理解してくれない。苦笑するしかない俺だが、ルカは気にも留めないのだ。ハインの剣先を指で摘んで押し退けてから、ズカズカと部屋に入ってくる。

「私の話を聞いていますか⁉︎」
「もう何回も聞いたじゃねぇかよ。それよりもよぅ、いつもと毛色の違う馬車が来やがったから、知らせに来てやったんだろ。文句言うんじゃねぇよ」

 耳を指で塞ぎながら、ハインの話を聞き流すルカが、聞き捨てならないことを言った。だから、ハインを手で制して、俺は口を開く。

「毛色の違う……?」
「おぅよ、二頭立て四人乗りの馬車。人足は乗ってねぇだろ、あれには。
 先に知らせたほうがいいかと思ってよ」

 ルカの言葉に眉が寄った。
 今日届く荷物に特殊なものは記載が無かった筈だ……。来客予定も聞いてないな……。
 異母様方の来客か?

「馬車に紋章は?」
「んー?    わかんねぇよ。御者一人だったし、周りを護衛が固めてるってわけでもなかったぜ」

 紋章は不明。護衛無し。じゃあ、貴族の来訪って可能性は低いか。
 なんにしても、目で見て確かめるのが確実だ。

「ありがとう、ルカ。確かに気になる。様子を見に行くことにするよ」
「おぅ。んじゃあ、俺たちはいつも通りだな。馬車が来たら、荷物と人足の誘導やっとくしよ」
「おねがいする。……あ、人足たちだけど、手荷物も、疲れもあるだろうから、集会場に案内したら、先ずは休憩で良い。召集時刻は後で連絡する」

 ひらひらと手を振って帰って行くルカに、ハインは舌打ちをして剣を鞘に戻す。
 毎回抜刀されてもビビらないルカも凄いけどなぁ。やっぱりそれくらいの礼儀は身につけてもらわないと困るな。気付けば死んでそうだ。組合長の心労が伺えてしまった。

「とにかく、確認しに行こう。……あ、マルは留守番しておいても……」
「行きます。待望の、僕の荷物かもしれませんし。
 あ、異母様方が居れば、隠れさせてくださいね」
「はいはい、隠れられるなら好きにして良いから」

 そんな風にあしらってから、三人揃って執務室を出た。
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