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マルクス 3

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 俺の言葉に、マルの顔がこちらを向いた。一瞬で、マルの表情が戻ってくる。

「引き寄せた……?
 サヤくんは自分でここに来たわけじゃないってことですか?    もっと意味が分からなくなったなぁ。なんかもう、ただの偶然って以外の結論が見えて来そうにないんだけど……。
 うーん……分かった。
 降参します。
 サヤくんの情報操作と管理、あと水害対策の総指揮、引き受けるんで、答えを教えてもらえるかな?」

 なんか話の流れのついでみたいに結論を出されて、俺はなんとなく、ぐったりと疲れた気分になってしまった。
 あの無表情の時のマルって感情が読みにくいから、つい過剰反応してしまってる気がする。
 サヤは微笑んで「ありがとうございます」と答えている。
 それにしても……あれやこれや用意する必要もなかったな……マルにとってサヤの素性というのが一番価値のある情報だった様子だ。

「守るって、要するにサヤくんの国の情報をこちらで利用する際に、情報元を特定できないようにすればいいんでしょう?    まさか僕を、実戦の戦力として加えたいわけじゃないだろうし。
 水害対策の総指揮っていうのも、サヤくんが発案者だってことを伏せる為ってことだよね?
 当然、サヤくんなんでしょ?    あれを言い出したのって」

 マルの問いに、サヤはこくりと頷く。

「私の国では昔から行われていたことなんです。
 私の国の首都はかつて湿地で、人の住める状態じゃなかったのを、永い年月をかけて埋め立て、川の位置を修正して整えてきた経緯があります。なので、圧倒的に経験を積んでたってことなんでしょうね。
 数百年以上が経った今でも、その方法が有効とされ、利用され続けてます。
 ですから、ここでも使えるのではと、考えました」

 湿地を埋め立て、川の位置を修正?
 なんだかとんでもない事を言ってやしないか……。
 しかも、それが数百年も前に行われていたというのだ。話が大きすぎて、もう何に驚けばいいのかも分からない…。

「ふーん…。それで、サヤくんの国は、何処にあるの?それも教えてくれる約束だよね」
「ええ、教えますよ。
 私の国は日本と言います。それは前回お話した通りです。
 どういう訳か……泉の中からここにやって来ました。
 私は多分、異世界の人間です。
 私の世界では、黒髪は溢れるほどにいます。青や緑や紫みたいな、髪の人は存在しません。
 帰り方が分からないのも本当です。泉の中には、戻れませんでしたから」

 淡々と、サヤは穏やかに話す。
 膝の上の拳は握られたまま。その肩に、少し力が入っているように見える。
 サヤの言葉に、マルはええぇ⁉︎   と、素っ頓狂な声をあげた。

「それはちょっと、意表をつく話すぎるよ。信じれると思う?
 確かにサヤくんは特殊な知識を持っていて、特殊な黒髪をしてるけど、前回の海の向こうの島国の方が、話としてはまだまともだったよ?」
「ですよね。私もそう思います。
 ですが、本当ですよ。レイシール様は、私が泉から出てくる瞬間を知ってらっしゃいます」
「ああ……サヤは確かに、あそこから出て来た。寝転がったって、全身が浸かるのは無理なくらいの、浅い小さな泉なのに……。手首から先だけを出して、手を動かしてたんだよ」
「うわぁ……なんか呪いの泉って感じですねぇそれ!    僕なら気絶してる。さすがレイ様、胆力が半端ないといつも感心するんですよねぇ」    

 マルが頭を抱えて震え上がる。
 いうほど禍々しい光景でもなかったんだけどな……。サヤの手首は、細くて、しなやかで、とても綺麗だったし。
 俺はそんな風に思ったのだけれど、口にはしなかった。
 そんなことを考えている俺の横で、サヤが伏せてあった紙を表にひっくり返す。
 マルへの餌。もとい、報酬にする予定だった文字の一覧だ。

「正直、言葉で説明しても疑わしいだけでしょうから、これを、マルさんに差し上げます。
 私の国の文字を、この国の文字に当てはめたものです。
 一番表現できるのが片仮名だったので、そちらにしましたけど、このほかに平仮名、漢字という文字がありまして…」

 先ほど俺たちがサヤから聞いた、文字の話が、マルにも繰り返された。
 そしてそれは、思った通りマルの興味を鷲掴みにしたようだ。

「素晴らしい!   素晴らしいよサヤくんは‼︎
 三種類の文字を織り交ぜて文章を構成⁉︎    そんな方法があるなんて聞いたことがないよ⁉︎
 確かに異質だ!   こんな形状に差がある文字を、何千文字も君がでっち上げたとも思えないね!    うん、信じる。確かに君は異世界の人間だと思うよ!」

 あっさり掌を返してサヤが異界の人間であることを認める。
 それを見計らって、俺の後ろに直立していたハインが、はじめて口を開いた。

「サヤが異世界の人間であることを知るのは、ここの面々と、ワドル師だけです。
 今の所、それ以外の人間に知らせるつもりはありませんから、そのつもりでおいてください。
 更に、サヤは性別も偽っています。セイバーンでは、十四歳の少年となってますので、こちらに何か連絡をする際は、気をつけて下さい」
「ああ、はいはい。それで従者の格好してたんだね。
 うん、その方が良いと思うよ。警戒するに越したことないよねぇ。
 それに、レイ様の側にいないと、いざという時の対処が遅れるし」

 サヤが男装していた理由は察してくれたらしい。
 一応メバックにおいては、出来るだけ目立たないようにはするけれど、男装を解除することも説明を付け加えた。マルは、黒髪さえ隠しておけば、大丈夫だと思うよと請け負う。
 異母様や兄上はメバックを利用していない。従者や使用人、騎士らはその限りではないが、バート商会は多く従業員を抱えている大店だ。人の出入りも多い。男装の状態で黒髪を晒してしまっているので、女性の服装の時は髪を隠すようにすれば、特別目立ちもしない。大丈夫だろうと言う。

「サヤくんが外出したら、僕には時間もどこに寄ったかも、まる分かりだよ。
 それくらい黒髪は目立つ。逆を言えば、黒髪さえ隠してしまえば、目立たないんだよ。レイ様は全然頓着してないみたいだけど、奇異なものは目を引くのが普通だからねぇ。
 だから、女性のサヤくんが髪を晒せば、メバックには黒髪が二人いることになる。
 それが同一人物だとなるのは時間の問題だよ。
 バート商会の従業員は大丈夫なんだろうね?    貴族相手の仕事をしてる人たちが、口が軽かったら務まらないだろうし、大丈夫だと思うけど。
 まあ、誤魔化すように努力するけどさ、些末なことに情報操作の時間を割くのは有意義じゃない。だから、極力隠してね」

 マルの忠告に、俺もサヤも、神妙に頷いた。
 つまり、ここに残った場合も、サヤは男装を続けるしかないってことか……。
 俺は気持ちが沈んだ。
 サヤを楽にさせてやりたかったのに……それが叶わない。
 結局、街に出る時や、店の手伝いをする場合、サヤは自分を偽るしかないのだ……。
 隣のサヤに視線をやる。
 内心の伺えない、穏やかな表情に変わりはない。膝の上の手を、握りしめたまま座っている。
 右隣にいる俺に、サヤの左腕の包帯は見えない。
 女性らしい服装で、今のサヤは、間違っても少年には見えない。

 ごめん……。

 心の中で謝る。
 結局、サヤを振り回しただけだ……。
 異母様や兄上がいないぶんだけ、ここの方がマシな程度。
 サヤは、ここでも、気を張りつめたまま、生活するしかない……。
 そう思うと、また腹の奥底で、いつものモヤモヤしたものが首をもたげる。
 出てくるな。
 苦しいのは俺じゃなくて、サヤなんだから。
 俺が自分にそう言い聞かせていると、ギルがパンッと、手を打った。な、なに?

「マルとの話は終わったな。
 これでお前は晴れて、俺たちと一蓮托生ってわけだ。
 じゃ、それを祝って…てんサヤの料理を食おう!    もういい加減、待ちきれなかったんだ」
「そうですね。私も味が気になります。では、準備をしましょう」

 ギルとハインが、終わったとばかりにさっさと席を立ち、お茶の準備を進め出す。

「ま、まだ終わってないよ。土嚢と、河川敷の話が……」
「それは食いながらでも良いだろうが!」
「そうですよ。レイシール様は、朝食もあまり取られなかったのですから、食べて下さい。
 頭が働きませんよ」

 いや、昼食はほどほど食べたんだけど……。
 そう思ったものの、ギルとハインは聞く気が無いようだ。
 ギルはさっさと、待機するルーシーたちにお茶の用意をするようにと指示を出しにいき、ハインは机の上を整えていく。

「レイシール様、もうお二人とも、おあずけは無理そうですよ。
 お茶をしながら、話をしましょう」

 サヤにもそう言われ、渋々と席を立つ。
 そんな俺に、サヤはニコリと笑いかけてきた。

「良かったですね。やっと川の話を進められます。
 村の皆さんが、安心できるように、私も頑張りますね」

 朗らかに、そう言う。
 その顔は、もうセイバーンに戻ることしか考えていないように見える。
 俺は、サヤはここに残るようにと言いかけて……やめた。
 今それを言っても、また喧嘩になるだけな気がする。
 サヤの言う通り、水害対策の話を進めてから、改めて話をしよう。
 幸い、マルは責任者となることを引き受けてくれたのだ。なら、サヤを連れ帰らずとも、水害対策は行える。
 内心でそんなことを思いつつ、口は勝手に「うん、そうだね」と、答えていた。
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