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発作 2

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 六の月五日。
 力加減にもずいぶん慣れ、失敗の少なくなったサヤは、揺れる馬車でも大丈夫になったため、今も俺の横に座っている。
 舌を噛まないように注意しながらだが、会話もできる。
 前回と同じく早朝に出発し、昼の直前にメバックに着いた。
 雨季が近いせいか、人が多い気がする。普段なら流れていく旅人が、留まって職探しをしたりしているのだろう。前回同様、並足で商業広場を突っ切り、今回は騒動もなく、バート商会に到着できた。

 裏側に通され、馬車を降りる。
 すると、奥からルーシーが駆けてくるのが見えた。

「レイシール様!   サヤさん!   ハインさんも、お元気そうで良かったです!」
「ルーシー久しぶり。そちらも元気そうでなにより」
「叔父は今商談中なので、私がご案内します。いつもの応接室なんですけどっ」

 忙しく行き来する使用人達の間を通り、前回と同じ応接室へ通される。

「みなさんはまだお食事は済まされてないですよね?
 叔父が、昼食は一緒に取ると我儘を言ってるので……しばらくお茶で我慢してて下さい」

 そんな風に言われお茶と茶菓子が用意される。
 俺は苦笑しつつ、長椅子に腰を下ろした。
 今日は、商業会館に行くつもりが無いので私服だ。礼服は荷物の中にある。
 サヤは定着してきた少年の格好で、ハインはいつも通り。

「いつも急ですまない」

 そうルーシーに謝罪すると、レイシール様は良いんですと笑顔で返された。
 相変わらずこの一家には家族扱いされてる……。

「それはそうと、叔父が怒ってました。手紙。なんて書かれてたんですか?」
「手紙?」
「二通目です。意味が分からん!   とか昨日の今日に⁈   とか叫んでました。
 さっきも商談中じゃなかったらと歯噛みしてました。
 言い訳考えておく方が良いかもしれないですよ?   私を怒る時の叔父と表情が一緒でした」

 神妙な顔でそう言われ、ハインにも何を書いたんですかと目で聞かれ、あれ?   と気付く。
 何を書いたかあまり思い出せないのだ。時間が無くて、思うままを箇条書きにしたような記憶はおぼろげにあるのだが……。

「土嚢の袋にどんな材質が良いか聞きたかったからそのことと……あと何書いたかな?」
     
 うーん?……あっ、大店会議で話し合う内容が大幅に変わりそうだから、一旦止めてもらおうと思ったんだったよな。
 マルの手紙に時間をかけ過ぎてしまったから、ほとんど考えずに書いたしなぁ……。

「そういえば、マルには何を送ったんですか」
「マルには……。
 ああ、それもギルが来たら話そうか。色々、予定を変更しなきゃいけないし」

 ハインの質問に、俺はそう答える。
 マルに、サヤを隠すことを止めるのだ。一度に説明してしまいたい。
 二人は多分反対だと思う。サヤのことを思えばそうなるのだが……なんとしても、マルを取り込まなきゃならないと思うのだ。そうでなければ、今後が難しすぎる。
 ただ、サヤを隠していくだけなら良かった。一人の保護した少女でしかないなら……。
 だがサヤは良くも悪くも、規格外すぎた。ハインが言っていたように、サヤの情報は諸刃の刃となりつつある。サヤは優しく、困った人や、状況を放置できる人間ではなかったからだ。そうである以上……情報が溢れ、世間に知られるのは時間の問題だ。
 そして、俺たちの状況が、サヤの情報を、知識を、保留にしておけないほど切迫している……。

「あっ、そうだ。
 サヤさんの補整着、できたんです。ただ、微調整があるから、一度セイバーンに持って行って試着してもらわなきゃって言ってたんですけど、今時間があるようならやっちゃいますか?」

 沈みかけてた思考が、ルーシーの言葉で急浮上した。
 ああ、そういえば、今のは誰かの試作品って言ってたっけ……。っていうか、サヤ以外に男装しようとする女性がいることが驚きだ。ギルが手掛けてるってことは貴族だろうし……。
 サヤがどうしましょう?と、俺の方を見たので、どうせ待ってるだけだからやって来たらと勧めておく。サヤにとって要となる装備だろうし、ギルが言っていたように、サヤの美体を損なう前に体に合うものにすべきだと思うし……いや、断じていやらしい思惑は無い。身体に無理させてないか、心配なだけだよ。ほんと。

「ここに小部屋を作りましょうか?私やサヤさんの部屋でも良いですけど……」

 前回失敗してしまってるルーシーが若干慎重に、サヤにそう訊く。
 サヤはそんなルーシーに、ここでした方が作業しやすいかどうかを確認する。

「作業しやすいか?……?えっと?」
「レイシール様や、ハインさんの意見を伺いながらの方が良いなら、ここで構いません。
 私だけの問題なら、どこにでも移動します。ルーシーさんたちの、やりやすい方法で構わないですよ」

 まさか自分のやりやすさを確認されるとは思ってなかった……。ルーシーの顔にはそう書いてあった。貴族相手の仕事ってのは、得てしてそうだろうな。

「微調整だから……サヤさんだけの問題……かな。痛い場所や、摩れる場所がないかとか、緩かったりしないかとか……。なので、場所としてはどこでも困らない……?
 あっ!駄目駄目、いま、レイシール様たちのお相手を任されているから、退室したら怒られちゃう」
「なら、ここの部屋にします」
「畏まりましたっ。じゃあその……準備します。しばしお待ちください!」
「はい、お願いします」

 ぺこりとお辞儀したルーシーが、廊下の使用人に声を掛けて、小部屋の用意と、サヤの補整着を持ってくるよう指示を出す。

「小部屋というのは……お風呂の壁にしているあれのことですよね?」
「そうだよ。うちのは壁にくっつけてるから半分くらいしか無いけど」

 そんな風なやり取りをしている間に、数人の使用人に担がれた荷物が部屋に運び込まれて来た。
 衝立が立てられ、部屋の中に小さな部屋が作られていく。
 さして時間を掛けずに、小部屋はあっという間に完成した。
 さらに別の使用人が、木箱を三つ小部屋の中に持ち込む。
 ……三つ?

「じゃあサヤさん、この中にどうぞ。
 試着して頂きたいのは三つです。それぞれ形が違うので、ちょっと時間掛かりますよ?」
「はい。大丈夫です。では、お願いします」

 ルーシー以外に、二人の女中が残り、小部屋の中に入る。それ以外の使用人はさっと外に退室していった。衝立の中からは、肌着以外を脱いで下さいとか、ここに手を通してとか、やりとりが聞こえてくる。若干、居心地が悪いな……なんか想像してしまいそうで……。

「そういえば、試作品を使用されてて気になった点はありましたか?」
「えっと…少し窮屈だったのと……腰のライン……あ、ここが擦れて、ちょっと痛かったですね」
「ああ……うわっ、皮めくれちゃってますね」

 えっ⁉︎
 二人の会話に、俺は長椅子を立ち上がりかけ、ハインは動きを止めた。
 まさかサヤが怪我をしていたとは思わなかったのだ。いつもにこやかに、笑顔でいたから……。

「これ、サヤさんより小柄な方のものだったから……やっぱり擦れちゃったんですね……」
「このくらいなら、大丈夫です。あと、やっぱり毎日使うと代えが必要かな……。洗いにくいです」
「毎日……やっぱりそうなりますよね……。男装休憩の日があるのか、叔父も心配してたんですけど……」

 男装休憩?

「今、異母様たちが滞在されてますし、農作業も、これからは土木作業もありますから……。
 当面休憩はないかなと。そんな生活になるのは充分理解してますから、大丈夫ですよ」

 サヤとルーシーの会話を聞きながら、俺とハインはサヤに無理をさせていたことに改めて気付き、溜息を吐いた。
 彼女は何も言わなかった。だけど、それは理由にはならない。サヤが頑張る子なのは分かっていたことだからだ。
 更に、男装という、通常ではあり得ない状態で生活をするのは、当然何か、しわ寄せがあるのだと、理解しておくべきだった。ギルが体に合わないものを身につけることを、あれだけ怒っていたのも、こういうことだったかと今更ながら実感した。

「今……農作業なんかも手伝ってらっしゃるんですか?」
「はい。収穫は終わったので、脱穀真っ最中です。
 でも、これも私たちが帰る頃には終わってそうだから……次は川の補強ですね」
「ほぼ肉体労働なんですね……従者なのに……」
「従者見習いです。楽しいですよ?私、力持ちなので、適材適所かと」

 女の子の会話じゃない……。
 ルーシーの声に、どことなく怒気も含まれているように感じる……。
 俺は心の中でサヤに謝罪し、帰ったらもう少し、役割分担を考えようと決意した。
 数日ごとに休憩の日を入れるとか……何かしら。
 そして、そのことに気づかせてくれたルーシーにも、後でお礼を言っておこう。

「まあそれで。同じ形のものをずっと身につけておくと弊害が多いって、叔父が言っていたので、補整着は形の違うものを三つ作ったんですよ。用途によって分けられるように。
 腰までのものと、胸の下までのものとその中間ですね。
 服装によって、選べます。
 あと、今からは暑くなって汗も増えると思うので、下着の上に肌着、その上に補整着とした方が良いと思います。汗が増えると、蒸れるし、擦れてしまうから」

「ずいぶん、厚着になってしまうんですね……」

 ボソリと、ハインが零す。
 夏はこれからだ。服の下に三枚も着込んで……サヤの場合、体型を隠す必要もあるので、どうしても袖や裾が長くなりそうだ。体調が心配だな……。不安が募る。やはり……男装は無理があるかもしれない……。
 従者としてそばに置くのは厳しいかもな……。と、そんな風に暗い気分になっていたら、応接室の扉が叩かれた。

「失礼致します。
  お食事の準備が整いましたので運ばせて頂きます。
 主人の方も、間も無く顔を出せるとのことです」

 ワドだ。相変わらずにこやかに、優しい笑顔で挨拶をする。彼が来たということは、ギルも……ああ、来た。

「……ホントだ、怒ってる」

 ズンズンと大股で歩いてくるギルが怖い。そして部屋に踏み込んで来たかと思うと、俺の頭に拳を落とした。

「お前な!   意味が分からんにも程があるぞ!
 水に強い繊維に土を入れるって何だ⁉︎
 水のことを聞いてるのか土のことを聞いてるのかどっちだ!」
「ご、ごめん……早馬を出せる、ギリギリの時間だったから……咄嗟に走り書きで……」
「しかも説明全部すっ飛ばして大店会議は待てだとか、明日来るかもといいつつ来ないとか!
 こっちは何かあったのかとヒヤヒヤしたんだからな‼︎」
「どんな内容だったんですか、手紙」
「三行だ!   水に強い繊維って何がある?   土を入れるんだけど。大店会議ちょっとまって、内容変わりそう。近いうちに行くのは一緒。明日かも。
 こんな文章で意味がわかる奴がいるなら連れてこい‼︎」
「すいません。私が貰っても意味が分からないです」

 ハインすらギルの肩を持つとは……。しかも衝立の向こうから、複数の笑い声まで聞こえる……。
 俺が項垂れていると、補整着の調整が終わったらしいサヤとルーシーが出て来た。

「叔父様、今、調整が必要なかった一番短い補整着を使って貰ってます。
 やっぱり、二枚ずつは必要かと思います。それから……聞いてください!サヤさん帰ってからほぼ連日男装ですよ!   しかも農作業三昧‼︎   従者の仕事じゃないですよ、農家の仕事です‼︎」
「はああぁぁ?   護衛じゃないと思ったら農作業だああぁ⁈」
「ご、ごめん……サヤも楽しそうにしてるし……仕事も捗るし……全然気が回ってなくて……」
「大丈夫ですよ?   私楽しくやってましたよ?   農家の皆さんともとても仲良くなれましたし!」

 殺されそうな俺をサヤが必死で庇う。しかし、ルーシーの次の言葉でギルの雷は結局落ちた。

「サヤさん、補整着が擦れて腰の部分の皮膚がめくれちゃってたんですよ!」
「この野郎!   女性の柔肌を全く理解してやがらねぇとはな!   こっち来やがれ‼︎」
「理解できないよ!   俺の人生で女性と触れ合うような時間は社交界しかないんだぞ⁉︎」
「言い訳すんな!   てめえよりか弱いかどうかは見た目で判断できんだろうが‼︎」

 結局ギルに羽交い締めにされてこめかみを拳でグリグリと圧迫されつつ女性が如何にか弱いかについて懇々と諭された。
 ううう、ごめんなさい。もうしません。ちゃんと考えます……。
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