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知識 5

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 なんの話に飛んだんだ?
 意味が分からなくて返事もできなかった。

「サヤは、特殊なことを知りすぎている……。あまり目立たない方が良いと思うのです。
 まず女性であるというだけで、侮ってかかる者が増える……。
 それに、外聞が良くありません。ここは男所帯ですからね。サヤをレイシール様の妾だと勘違いしたり、商売女だと侮る者が出るかもしれない。
 とはいえ、サヤをここ以外に置くのは論外です。事情を知り、守ることができる者が、我々しかおりません。
 そうなると、サヤを守る為と、我々の立場を守る為に、男装が妥当だと思ったのです。
 兄上様から隠す為にも必要な処置ですよ。男なら興味も持たないでしょう。
 人目を引いてしまう、あの黒髪が難点ですが……。
 サヤの身を守るなら、それくらいの策は、重ねておく必要があるのでは?」

 それに……サヤは、確実に、私たちより進んだ文明世界の住人です。
 苦いものを噛み締めたような顔で言う。
 そうだな……。それは俺も感じていた。
 学舎という、この国で最高水準の知識を蓄える場にいた俺たちより、はるかに沢山のことを知っている。
 ここまでの料理の知識や、病気の話……風呂の話。それだけで相当おかしいのだ。
 特に料理。料理というのは特殊な能力で、技術は秘匿されがちだ。誰もが作れる料理は価値が下がる。だから、自身が身につけたものは弟子にも見せない。後継にしか伝えないと言われる。
 切る、煮る、焼くくらいの事は習うことができるが、それから先は自身で探し出すしかない。
 なのにサヤは、それをいとも簡単に伝えた。
 特殊な味付け、特殊な調理法、そして特殊な調味料。
 正直、サヤは王都で料理人として出世できるだけの知識をもう垂れ流したのだ。

「レイシール様は、サヤの知識を悪用されるような方ではない。
 今私が指摘するまで、凄いとは思っても、それがどのような影響を周りに与えるか、考えてもいなかったでしょう?
 ですが……周りはほとんど、そうではありません」

 俺を見据えてハインが言う。若干ボケてると言われた気もするが……まあいいや、事実だし。

「サヤは、良かれと思い……もしくは、あまり深く考えず、料理の知識、力が強いこと、耳がかなり良いことを簡単に私たちに知られてしまいました。
 ですが、どうも、それは宜しくない事のように思います。
 一つ二つなら、少し特別なことを知っている。少し力が強い。それで済むのですが……彼女は沢山、違いすぎます。
 正直、今からでもサヤとはもう、関わらないでいただきたい。妙なことに巻き込まれそうな気がしてなりません。
 彼女を匿うことで得られるものはかはりしれない。ですが、それは諸刃の刃です。
 レイシール様は……」
「待て、ハイン!俺は、サヤを守ると決めた。
 サヤが特別なことを知っていることも、特殊な能力を持っていたことも、たまたまだ。
 彼女は、ただの女の子だ。十六歳の少女だ。守ると決めた。それはもう覆さないぞ」

 ハインの言葉を遮って、俺は決定事項を捻じ込む。
 ハインは、そんな俺をじっと見つめ、そして大きく溜息を吐いた。

「分かっています……。貴方はそう言うのだろうと、思っていましたから。
 今までは仕方がありません。ですが、ここからは、それをできるだけ、隠すようにしませんか?
 何か、行動する時、発言する時は、まず私か、レイシール様に確認を取る。それを徹底しましょう。
 彼女はとても優しい性質のようだ。それは、この短時間でも充分、伝わりました。
 逆に、危機感が足りない。簡単に私たちのことを信用してしまいましたしね。
 ああ、すいません……脅すつもりはないのです。
 ただ、サヤは優しさから、つい自身の知ってることを呆気なく溢してしまいそうだ……。
 一度、サヤの知識はここにない特殊なことだということの意味を、きちんと教えた方が良い」

 小声で喋っているのは、サヤに聞かせない為だと、やっと理解した。
 そして、俺がサヤを守ると決めた以上、それを覆さないのも承知と言った。
 その上で、注意点を述べに来たということか。
 なんかこれ、俺にとって害になるからっていうより……純粋にサヤを心配している?

「彼女の知識が特別だということは、俺も充分分かった。
 それをあまり知られない方が良いというのも、理解した。後で、サヤにも伝えよう。
 それはともかく、男装ってのは突飛すぎないか?
 サヤは結構な美女だと、俺は思うんだけど……男に見えないだろう?」

 発言の一番初めに話を戻す。
 男装して男に見えるのか?身体は……ほら、その……なんやかんやで誤魔化すんだと思うが、顔は美女でしかないと思うけどな。
 俺がそう言うと、ハインは何言ってやがると言いたげな渋面になった。

「美女みたいな顔の人が何言ってるんですか……」

 ……ちょっと待て。

「最近はちゃんと男らしくなって来たと思うんだけど!」
「体格が男らしくなってきただけでしょう。顔は変わりません。
 レイシール様の横にいるなら誤魔化せます。貴方が男なのだから、サヤも言い張れば男に見えます」
「何それ!なんかとても傷つくこと言った!」
「事実です。今更傷つかれても困ります」

 今までの真剣な話し合いが一瞬で白けた。そして俺は傷ついた!背も伸びたし、髭だって生えるようになったし、肩幅も足も大きくなったのに!
 ハインにそう言うと、髭以外ほぼ体型の話じゃないですかと言われた。
 髭にしたって似合わないから伸ばさないでくださいよとダメ出しされる……。
 その上で、真面目な話をしているんですから、真剣に聞いてくださいと注意された。なんか納得できない……っ。

「彼女の知識を良からぬ相手に知られてしまったら……下手をすると、奴隷より酷い扱いを受けることになる。命の危機すら、あるのではと、思ってしまったのです。
 だってそうでしょう?病気というものはある種の呪いだ。なのに、サヤは病気になるには理由があると言った。それだけでも、神殿に知られたら厄介ですよ。
 正直、はじめは冗談か何かだと思いました。ですが……それにしては、色々なことに辻褄が合ってしまう……。サヤの言うことが、この世界ではまだ知られていない真実なのだとしたら……サヤは狙われますよ。知りすぎている」

 いつになく饒舌に、ハインは言う。考えをまとめる時間すら惜しむように。
 そして、またしばらく逡巡してから言ったのだ

「王都の孤児には……王都の孤児の知識があります……。
 例えば、水に関すること、病に関することは沢山あります。
 我々が、経験上蓄えた、いくつもの命を犠牲の上で、得た知識です。
 サヤの言ったことは、我々が漠然と知っていたことを、きちんと説明していた。
 前世の行いの所為ではない、悪行故に不幸な生を神に指示されたわけでもない。
 環境が、孤児を不幸にしているだけだと、そう言ったのです」

 ハインの発言に、目を見張った。
 喋った……。孤児の時のことを、全くと言って良いほど語らないハインが。
 そして思った。ハインは、サヤに救われたのかもしれないと……。
 あの短時間で、サヤの口にした言葉で、ハインは孤児であった自分が、救い上げられたと感じたのだ。
 孤児は、前世の悪行故に、苦難を与えられた者だとされている。
 だから、彼らが不幸なのは当然なのだ。孤児はまともな方法で生きていけない。盗んだり奪ったりをせざるをえない。雨風にさらされ、保護してくれる大人もなく、そうして悪行を重ね、また来世も堕ちる……。
 そんな孤児が救われるには、神に奉仕し一生を終えるしかない。そうすれば、来世は救われると言うのだが……前世の記憶もなければ、来世が約束されているわけでもない。真実を知る者はいないのだ。

 九年より前のハインを俺は知らない。
 俺が出会ったハインは、痣だらけ、傷だらけで、路地の片隅に崩折れていた。
 明らかに、暴力に晒された跡で、自身で立つことも出来ず、虚ろな目で虚空を見ていた。小雨の降る中、身を守る術など無く、ただ静かに濡れていた。
 俺が話し掛けても反応せず、ただ自身の終わりを待っているように見えた。
 その姿はただ、暴力に晒された子供でしかなった。前世がどうだろうが、子供を痛めつける行為が、なぜ正しいことになる?あの時俺は、そんな風に思ったのだ。
 俺も、孤児と変わらない。異母様から夫を奪った悪魔の子だと、言葉や拳で、躾と言う名の暴力や暴言を与えられた。それを甘んじて受けなければならないと教えられた。
 だが、俺は助けられた。そこから救ってくれる者がいた。
 なら、今度は俺が助ける番なのではと、思ったのだ。
 だからハインを拾った。だけど、ハインの心の傷は、きっとまだ生傷のままだったのだ。
 俺に語らなかった過去のハインを、サヤは……。

「ハインはハインだ。俺はハインの前世がなんだってどうでもいい。
 今のハインがハインの全てだよ。俺の好きなハインだ」

 なんとなくそう声をかけたら、何を言いだすんだこの人⁉︎   みたいな愕然とした顔をされた。
「言いたいことは伝えました」と前置きして、さっさと執務室を出て行ってしまう。
 ……なんなんだよもう……。

 その後、家具の運び込みと、洗濯を終えたサヤがやって来て「ハインさん如何されたんですか?  なにか、真っ赤な顔されてましたけど」と言われ、なんだ照れてやがったかと気付き笑った。
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