異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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知識 1

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 勉強は嫌いじゃなかった。できることならもう少し……あそこに居たかった。
 通常なら八歳から入学する学舎なのだが、俺は家庭の事情で六歳から。
 同学年で入学した中では一番小さく、初めは女の子と思われていた。母親似だしね。
 とはいえ、女子寮に入らないのだから、誤解はすぐに解けた。女顔だろうと脱げば男だし。
 寮に入ってしばらくは、何か遠巻きにされていたのだけれど、あることが切っ掛けでそれは氷解した。寮に入ってきた蝶を捕まえて、外に逃がしたという、それだけのことだったのだけど。
 田舎育ちなうえ、元庶民の俺はそれがとても得意で、ある意味、学舎内の小さな英雄だった。
 貴族は虫を良いものと思わない。嫌がるのが常だ。
 町人や役人の子たちは平気だから、虫なんていちいち気にしない。
 だが俺は、家で兄上や異母様の反応を知っていたから、それが当たり前の行動だった。
 そうしたら、何か気に入られてしまった。嫌なものを排除できるあいつは勇者だぞとなったのだ。ちょっとその程度でなんなのって感じだが。
 それが切っ掛けで、なおかつ幼さも手伝って、俺は貴族たちにやたらと可愛がられることとなった。妾腹なのに、気にせず優しくしてくれる貴族たちに、初めは戸惑ったものだ。そして、俺みたいな出生のものは別段珍しくもないと知ったのも、ここだった。

 学舎は特殊な環境だ。
 王都にある、国の運営する機関で、正式名称は王立総合学習舎。長いし、学舎と呼べるものはここしかないので、略して学舎と呼ばれている。
 身分に関係なく、一定以上の学力があり、学費と生活費が払えるなら入学ができる。
    学業に武術、生活に関する基本的な事が叩き込まれる場だ。そして、優秀な成績が王族の目に止まれば、引き抜かれる。王家の側近として。そう。立身出世を望む者は、学舎に入るのが最も有効な手段なのだ。
 一応八歳から十八歳が標準的な在学期間なのだが、例外も多々認められている。
 例えば俺のような、家庭の事情も含まれる。偶に、奇特な姫君が入学することもある。それ以外でも、貴族の次男以降は箔をつける為、学舎に行く事がままあった。婿養子に入る場合、卒業資格を持っていると有利なのだそうだ。
 順調に進学できれば十年で卒業だ。

 商人の子や、役人の子……貴族以外が結構当たり前にいるこの環境が、俺は好きだった。
 当時俺は貴族が苦手だったのだ。貴族の代表が兄上や、異母様で……父上とはほとんど接点がなかった為、逆らってはいけない、怖い人たち……という認識だった。
 だから、優しくしてくる貴族連中がちょっと不気味だった。それもあって、余計町人たちとつるむ事が増え、俺は奇姫というあだ名がつく。貴族なのに奇行が多い。そして女の子みたい。という理由でだ。町人とつるんでる時点で奇行扱いなんだから……身分関係なく入学できるとはいえ……やはり身分差は、存在したとも言える。
 しかし、それでも特別な環境であったことは確かだ。ここでは対等に喧嘩ができた。身分差を理由に、ひき下がる必要はなかったのだ。学ぶ場だから対等……。そんな場所だった。
 で、庶民の学生からしても、ちっこい俺は気になって仕方がなかったらしい。
 細いし女の子みたいだし、風が吹いたら飛ばされそうな気がしてハラハラしたと、言われた事がある。そして、三歳までは庶民として暮らしていたのだというのも、馴染みやすさの原因の一つだったのだと思う。他の貴族よりは、随分とっつきやすかったのだろう。
 貴族の中では野生的と見なされる、虫や蛇に強い俺でも、庶民の子供からしたらか弱く見える。
    やはり、貴族としての生活をした三年間で、力仕事は格段に減った。周りがしてくれる生活になったから、体力は格段に衰えてた。更に二歳若いので、武術など、すぐにへばってしまった。そこがか弱いと認識されたのだと思う。
 長い休日にも実家に帰らず、ずっと学舎にいるのだから、家庭の事情もすぐに知れた。妾腹だということも、別段隠したりしていなかったし……。だから、王都に実家のある子らは、休みの時は俺を家に誘ってくれた。一緒に遊びに行ったり、家族同然に扱ってくれた家もある。
 学舎は本当に、俺にとって楽園だった。そして、ハインに出会ったのだ。
 友人宅からの帰り道。小雨の降る日に。

 今でこそ並の従者より相当優秀なハインだが、当時は垢で汚れ、傷だらけで路地に転がった小さな孤児だった。俺より三つ年上であったのに、俺と変わらないくらい、小柄な子供だった。
 それがこんな風に……なるなんてなぁ……。そう思うと感慨深い。
 あ、いかん。せっかく教科書開いたのに、また脱線してた。これを見ると、あの頃を思い出してしまうな。

 何を考えてたんだっけ……。そうそう、ハインのことだ。
 ハインは、全ての工程を計算し、組み立てて、全く無駄がないように作業している。それはもう、俺の友人が「あいつは人間じゃない」と言うほど、徹底的に。
 頭の中に秒針が入っているんじゃないかと思うほど、自分がどの作業にどれほど時間がかかるかを細かく把握しているのだ。そして、それを計算し、合間合間に他の作業を追加する。効率よく動くため、たまに全く関係ない作業が途中で挟まれていたりするのだ。はたから見たら全く意味が分からないのだが、後になって相当綿密な時間のやりくりをしていると判明する。
 そこに俺が入ると……ハインの計算が狂うのである。
 思う時間で料理が完成しない。そうなると他の作業にも影響が出る。
 俺の手伝いはむしろ邪魔。その結論に至った。
 俺も料理やってみたいのにな……。
 サヤなら手伝わせてくれるだろうか……三人になれば、今までよりは余裕が出るんじゃないかな……。

 そんな風に考えて、視線を彷徨わせた時、壁に立てかけた衝立に目が行く。
 あっ、しまった。洗濯物をすっかり忘れてる……。
 さっきも片付けようとして忘れていたのだ。できるなら洗濯しておいてあげたいところだけど……これ……俺が勝手に触ると変態だろうしなぁ……。

 仕方がないので、洗濯物の入った籠を持って調理場に向かうことにした。
 時間は程々潰したと思うし……大丈夫だろう。

「あー……ごめん二人とも。サヤの服はどうする?
 これ、このままにしとくと良くないかなと思って」

 食堂から、調理場を覗き込み、声をかける。
 中に入らないようにして、顔だけ突っ込んで伝えると、サヤが慌ててやって来た。
 大丈夫、見てない見てない。俺の上着が一番上だし。

「私としたことが……忘れてましたね。
 仕方がない。昼食が終わってから、洗いましょう。
 湯を沸かしますから、それですすいでください。汚れは大体落ちると思いますから。
 外に干すのは控えた方が良いですね。
 サヤの空き部屋に、後で物干しを持って行きますから、窓辺に干すことにしましょう」

 包丁を握り、馬鈴薯の皮をむぎながらハインが言う。
 サヤは「はい」と返事して、石鹸はお借りでかますか?と、聞いてきた。

「石鹸⁉︎」

 咄嗟に聞き返してしまう。あれは結構高価だ。あるにはあるが、基本社交界の時期に、身を清めるのに使うくらい。普段は滅多に使えない。ましてや、洗濯物には使わない……。

「サヤは……実は王族だったり、しないよな?」

 もしそうなら結構酷い扱いをしてしまってることになる。俺は恐る恐る聞いてみた。
 服を洗うのに、石鹸を使うのが当たり前のように言うのだ。あんな高価なものが普段使いできるなんて、相当な金持ちか、王族、一部の上流貴族ぐらいだ。
 だが慌ててサヤは違うと首を振った。自分はただの一般市民だと。

「私の国では、石鹸は安価で、ありふれた道具なんです。おかしなほど沢山種類があって、体を洗うもの、洗濯に使うもの、掃除に使うもの……掃除でも場所によって種類が違ったりとかして、清潔好きな民族みたいに、外国では言われてるんです。
 ……あの、石鹸でもう一つ気になったんですけれど……お風呂とかって、毎日どうされてるんですか?
 案内……されませんでしたよね……」

 なんだか恐る恐る聞いてくる。
 顔に若干恐怖がにじみ出てるようにすら感じる。
 でも風呂は……やはり高価だぞ?

「そのようなものは上流貴族の家庭にしか無いのでは?
 我々はせいぜい、水で濡らした布で身体を拭くとか、たらいに溜めた湯に浸かって洗うとか、それくらいですが」
「あ、本館にはあるけど……。異母様とかは、たまに使ってるんじゃないか?
 けど、伯爵家でも毎日は使わないと思うよ。月に一度くらいか……な」
「月に、一度……」

 サヤがヨロリとよろめいた……。相当衝撃だったようだ。「嘘……そんな……」と、恐怖に顔を引きつらせている。
 綺麗好きな民族って言ってたしな……サヤも御多分に洩れずそうなのか……困ったな……。

「服は……お風呂の時に、一緒に洗わせてもらおうと思ってたんです……。洗濯機が無いっておっしゃってたから、そこは覚悟してたんですけど……石鹸もお風呂も無いなんて……」
「サヤの所は、毎日風呂に入るのかい?」
「うちは毎日でした。髪も体も、洗わない日なんてほとんど……風邪を引いたときくらいしか……。
    ああ、でも……でも慣れないといけませんよね。申し訳ありません、贅沢なことなんですね……」

 暗い顔で、一生懸命自分に言い聞かせるようにサヤが謝罪する。
 それを見て、俺とハインは顔を見合わせた。
 だんだん申し訳なくなってきた……。
 今日二回目の衝撃だよな……。ここに迷い込んでしまっただけでも結構な心労だと思うのに、生活習慣の差は相当キツイと思う。
 俺も、三歳かそこらの記憶だけれど、何かするたびに怒られて、すごく怯えてた憶えがあるのだ。貴族となった途端、求められることが増え、それまで当たり前だったことができない苦痛…よく、分かる。
 ハインも、孤児から、従者になろうと決意したとき、きっと辛い思いを沢山したと思う。
 全く違う世界に足を踏み入れるというのは、決意だけでどうこうできるものではない問題が、多々あるものだ。
 どうしよう……大きな盥に湯を張るくらいならしてやれるから、湯浴みぐらいならできるけど……それとは違うんだろうなぁ……。俺が逡巡していると、ハインが不思議そうにしつつ、サヤに疑問を投げかけた。

「何故サヤの国は、そのような習慣なんですか?」
「習慣……?」
「何故、身綺麗にすことにこだわるのでしょうか。正直、娼婦でもないなら、毎日身体を磨いておく必要はありませんよね?」

 はっハイン……っお前……っ、よりにもよってそれを引っ張り出してくるな!
 娼婦なんて単語を出すんじゃないと目で怒りを表すが、ハインは気にしていない。
    気にしようよ!
 サヤは、いまいち言葉が理解できていないのか、小首を傾げて考えているようだ。
 暫く沈黙してから顔を上げ「健康の為……ですね」と、言った。

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