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1.セオドア王太子殿下
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空はどこまでも青く晴れ渡り、そこに一羽の白い鳥が飛んでいます。
「鳥、好きなの?」
目の前におられる、日差しより眩しい殿下が声を掛けてきました。
好きとか嫌いとかいうわけでなく、会話が続かないので目で追っていただけなんですが。そんな理由はいえるわけなく、ほんの少し躊躇したら、それが命取り?
殿下がわずかに片手を上げると、後ろに控えていた家令が庭に餌を撒きだすではありませんか!
ぎょっとする僕の周りに、どこから現れたのか、一羽どころか、わさわさと白い鳥が餌を目当てに飛んできて、あっという間に鳥の楽園状態!
チラっと見た殿下は満足そうに頷きました。
いまさら鳥に興味がないなどと、もはや言えません。
今の僕の状況は、どういうことだろう…。
僕は、ラミエル・ラザフォード、ラザフォード侯爵家の五男です。侯爵家とはいえ、最近、伯爵家から陞爵したばかりの新興侯爵家です。
両親の仲の良さに加えて、健康な母のお陰で子だくさん。上はアルファの兄が4人、僕は末っ子で我が家初のオメガです。
うちの領地で目立つのは山ばかり。産業は細々した農業で、また両親には商才もなく、貧乏子沢山を絵にかいたような家だけど、愛情だけはたっぷりと。薄いスープと少しの肉、領内で採れた野菜多めの食生活に、心優しい使用人たちに囲まれ、家族は前向きに明るく生きてきました。
ちょっと前までは…。
それが半年前、我が領地で貴重なダイヤモンド鉱山が発見され、その採掘権に途方もない金額がつき、あっという間に、うちは国一番の大富豪に様変わり。
この発見は王家の鉱物開発チームの功績ですが、採掘権は我が家にあるため、こうなりました。そのうえ採掘契約においても、王家から派遣された専門家が、我が家に有利になるよう主導してくれ、「今後、数百年、ラザフォード侯爵家の繁栄は約束されました」と、宣った!
さらに鉱山警備のために、これまた王家が大隊を派遣してくれたので、兵士用宿舎と賄い使用人用宿舎の建設、また大陸一の商会が採掘権を得たため、早々に現場事務所と作業員宿舎も出来たことで人口が倍増。それに伴い税収がうなぎ上りで、資産増加に拍車がかかりました。
しかし、長年染みついた両親の貧乏性はすぐに払拭されるはずなく、食生活の改善と使用人たちへの待遇改善及び給料アップはしたものの、変わらずにこれまでの屋敷を少し改築して住んでいます。お金を使うのは難しいです。
変わったことといえば、結婚していた跡取りの長兄と、同じく結婚して長兄を補佐している次兄は、それぞれ同じ敷地内に邸宅を建設し、周囲を気にする事なく義姉を愛せるようで、もう少ししたら僕に甥か姪がやってきそうなことですかね。
五人兄弟で未婚は15歳の僕だけです。貴族で15歳といえば、我がガリア王国では婚約者がいるのが当たり前ですが、僕に限っては両親とものんびりしていて、長兄と次兄に至っては、ずっと家にいればいいとか、真顔で言い出す始末。そういうわけにはいかないので、僕としては結婚したいと思っています。
僕はオメガですが、優秀なアルファの高位貴族は、ほとんど幼少時に婚約者ができるので、高位貴族など高嶺の花だと思ってます。ベータが圧倒的に多い世界なので、嫡子がベータという貴族も多く、高望みはしません。
僕は、体が小さいところがオメガらしいといえばらしいのですが、オメガ特有の庇護欲をそそる美少年タイプではなく、平凡な顔立ちに赤が強めの濃い橙色の髪と瞳、十把一絡げで印象の薄い容姿。特段の才能はなく、貴族らしい押しの強さや顕示欲のなさも加わり、具材の少ない薄いスープのよう。そんなわけで、来年16歳で迎える社交界デビューも、あまり期待できないと思ってました。
そう思ってました!この間までは!だから今の状況がほんとに理解できません!
今、僕は王国の西側に位置するアンドラ地方の王家の季節外れの離宮にきています。季節外れというのは、ここは山間部のため、王家の皆様方は夏の御静養に訪れていらっしゃるからです。
今は秋。少し冷えた空気の中、僕は山を背にした巨大な池の前に設えた、外庭のガゼボの中に座っています。
池といっても外周を散策したら1時間は掛かり、開花シーズンには我が国の国花、白蓮華が水面を覆い尽くす風光明媚なところで、別名「蓮華離宮」と呼ばれているそうです。これは先ほど、殿下を待っている間、家令が教えてくれました。
そう、殿下です。
まさに目の前におられるのは、我が国が世界に誇るセオドア王太子殿下。若干14歳。
僕より一つ下ながら、先月の外交デビューで恙なく隣国の外交団をもてなし、ほぼ我が国の条件を飲ませる形で条約を締結。
先々月は、貴族院でお歴々揃う高位貴族の長老らを唸らせる演説を披露して、堂々たる内政デビュー。
そのうえ、濃厚な蜂蜜色した金髪に、二重を彩るエメラルドグリーンの瞳、整った鼻筋で、少し薄めの上唇と厚め下唇。詩心のない僕でさえ、「太陽神の末裔ですか?」と言い出しそうなご容貌。実際、気づかれないように隠れて見ただけの僕が、こんなに語っちゃうくらいなんです!
天下無敵の天才アルファ、顔面破壊力満点!幼少時より鍛えた剣は、騎士団の手練れが唸るほどの腕前だとか。性格は穏やかながら、切れ者の評判に違わぬ博識を、謙虚のオブラートで包んだ人好きする笑顔で、長身痩躯。政治の舞台に登場以降、我が国の「最終兵器」と呼ばれているそうです。こんな14歳、世界中探してもいませんって!
それがどうして、僕の目の前にいるのでしょう?
「あの、どうして僕はここにいるのでしょうか?」
僕はたまらず、目の前のティーカップを見ながら尋ねました。まるでカップに話しかけているような有様。情けないけど正面から殿下を直視できません。
「セオドアだよ、ラミィ」
ラミィ?今、ラミィとおっしゃいましたか?ラミィは家族が呼ぶ僕の愛称です。いきなりの愛称呼びに、僕は耳まで赤くなった自覚があります。ふと、耳にヒヤッとした感触が!殿下、殿下が僕の耳を触ってます!
「赤いから、これで冷えるかと思って」
「いやいや、もっと赤くなりますって!殿下!」
「セオドア」
「…セ、セオドア様」
「様(さま)は要らないけど、すぐに無理なら今日だけは許してあげる。明日からはセオドアと呼ぶんだよ」
は、早い!期限が早すぎます!
「この状況か…。そうだね」といって、セオドア様は遠くの空を見上げ、「これはお見合い?」と言いました。
「はえ?」
セオドア様の前で変な声が出ました。お見合い?王都から馬車で半日以上かかる離宮でお見合い?王家からは、今日は帰れないけど、何も用意しなくていい、全てこちらで準備してあるから1泊二日だと言われたけど、1泊二日のお見合いなんてありますか?
事の始まりは二日前。
突然、王家から僕指定で離宮への呼び出しがありました。王家からの呼び出しなんて、貴族にとっては一大事!何か僕が粗相をして罰を与えられるのかと、両親と兄たちは真っ青になったけど、勅使は「罰ではない」と、断言しました。
「そうだよな、ラミィは王宮にほとんど登城したことがないから、罰せられる事情があるはずがない、あははは」と、皆で笑って一安心。
しかし、「それならなぜラミィなんだ?」という至極真っ当な家族の質問に、勅使は笑顔で「ラザフォード侯爵家の癒しであるラミエル様を、王家としておもてなししたい」と、おっしゃった。
そうですか、そうですか、それならばと、家族は笑顔で送り出してくれたけど、理由が怪しすぎだし、誰か突っ込んで欲しかった!僕だけがオタオタしてたのに、「粗相のないようにな~」とか、あり得ないでしょ!
「お見合いなんて言ったら、ラミィは来ないかもしれないと思って、はっきり言えなくて」
そういってセオドア様が頭を下げるではありませんか!まずい!王太子殿下に頭を下げされるわけにはいきません。
僕はやはりカップに話しかけます。
「いえ、王家の呼び出しに応えるのは臣下の務めですので、え、えっとお見合いでも行きます。で、ですが、殿下、いえ、セオドア様には既に御婚約者がおられましたよね?」
確かいたはず。いたよ、どこかのオメガの伯爵令息が!
「あ、いたね…。でも、つい最近、破談になったんだよ」
セオドア様は事もなげに言いました。
「そう、そうなんですか」
それは残念ですねと続けようとしたけど、セオドア様の声がやたら嬉しそうなので、言っていいのか判断できません。
「それでね、新たな婚約者はラミィなんだ」
「は、はい?」
「今日はお見合いという名の顔合わせで、婚約は正式決定だからね」
僕は理解が追いつきません。ここで初めて正面を向いて、ちゃんとセオドア様の御尊顔を拝見しました。聞きしに勝る美形ぶり!14歳とは思えない落ち着きと威厳。それでいて穏やかで気品溢れる佇まい!向き合った時間はわずか数十秒!
「決定事項ではあるけれど、ラミィに僕を知って欲しくて、陛下にお願いして場を設けてもらったんだ。ラミィは私をどう思う?」
どうって、どうって。
また僕は、カップとのおしゃべりに戻ってしまいました。
「い、いずれは銅像になられる方だと思います」
消え入りそうな僕の声に被って、ぶっと紅茶を吹き出す音が!思わず顔をあげると、セオドア様がむせておられました!
「せ、セオドア様?」
「ごめん」
家令の差し出すハンカチで口を拭いながら、目に涙を溜めて笑いをこらえるセオドア様。
「ど、銅像ってどういう意味?」
僕は俯いて、小さい声で答えました。
「さっき、セオドア様が来られるまで池の周りを散策していたら、初代アレクシス王の銅像がありました。さらに進むと、勇猛王セルゲイ様の銅像も。だから、いずれはセオドア様も銅像になるのかなと」
セオドア様は、お腹を抱えて笑い出しました。
セオドア様の御父上、現国王であられるセルゲイ王は、僕が生まれる前に起きた隣国との戦争において、それは勇猛果敢な戦ぶりだったそうで、勇猛王と呼ばれる英雄です。
ひとしきり笑ったセオドア様は「やはり私の妃はラミィしかいない」とおっしゃいました。
その晩は湯あみもそこそこに、僕は離宮の客間のベッドに倒れ込み、現実逃避してただ眠りたかった。僕が王太子妃なんてあり得ない!これからどうなるんだろう。豪華な天蓋つきベッドは僕一人では大きすぎて不安が広がります。モゾモゾと布団に潜り込みはしたものの、疲れているのに、寝付けません。
僕に王太子妃が務まるとは到底思えず、いろんなことを考えていたら、ドアをノックする音が。
「はい」
セオドア様を待っている間に世話をしてくれた家令でした。
「王太子殿下がいらっしゃいます。ご婚約前ですので、ドアは開けたままに致しますが、人ばらいさせて頂きます。廊下には私が待機しております」
「はい?」
僕のとまどいは、現れたセオドア様の雰囲気に飲まれました。昼間は髪を後ろに流しておられたのに、今は湯あみの後だからでしょう、前髪が額にかかり、昼間とはまた印象が変わっています。
「そのままでいいよ」
そういわれても僕はベッドにいられるはずがなく、上に軽い室内着を羽織ってセオドア様が座る前のソファに腰を下ろしました。
「気を遣わせたね」
「いえ、眠れませんでしたから、構わないです」
夜は偉大です。
昼間は見ることができなかったのに、今ならセオドア様と対面で話せそうでした。
セオドア様は組んだ足の上に片手を置き、僕を見ようとはしません。
「…ラミィとは8年前に王宮で会っているんだ。僕が6歳、ラミィは7歳だった。王宮で王妃主催のお茶会があった。伯爵家以上の貴族は全員参加で、お茶会だから、7歳以上の令息令嬢も登城したんだ」
そのお茶会のことは覚えています。田舎で、ましてや貧乏な伯爵家では見たこともない豪華な食事やお菓子の数々に僕の目は釘付けで、母が皿に取ってくれたお菓子はどれも美味しくて、テンション上がりまくりでした。
でも、そこでセオドア様に会ったという記憶がありません。
「王宮の裏庭で顔をグチャグチャにして泣いていた子供」
王宮の裏庭?
僕はひとしきり食べた後、母上たちの目をかいくぐり、会場から抜け出すと、あちこち一人で歩き回って、そのうち人のいない裏庭に入ってしまいました。そこで僕はポケットにしまい込んだお菓子を食べようと目論んだのです。母上から「食べすぎはだめ」と言われたから、隠れ食いしようと思ったわけで、要するに食い意地がはっていたんです。
そこで、木陰に隠れて泣いている小さな子を見つけました。
え?あの子?顔が涙と鼻水でグチャグチャになってた、ちっさい子?うずくまって、ヒックヒック泣いてた、あの子?あの子がセオドア様?
「あの子が殿下だったんですか?」
「殿下に戻った」
「すみません。あの子がセオドア様だったんですか?」
「そうだよ」
「でも、なんで泣いておられたんですか?」
セオドア様は寂しそうでした。この部屋に入ってから、セオドア様は一度も僕を見ようとしません。
「大事に飼っていた子犬が死んだんだ」
「それは…辛いですね。病気ですか?」
「いや、池に浮いていた。家令が見つけてくれたんだ」
「子犬だから、池に落ちてしまったんですね…」
「…喉が切られていた。殺された」
僕は衝撃で二の句がつけません。
「その前は、大事にしていたぬいぐるみが切り刻まれて池に落ちていた」
「王太子の身の回りの者は何をしていたんですか!」
思わず僕は大きな声が出ました。
「犯人は分かっている…。王妃だ」
衝撃でした。
今の王妃様は、セオドア様が5歳の時に王が迎えられた方で、オレルアン侯爵家のソフィア様です。現王妃とセオドア様は血の繋がらない継母と継子の関係で、現王妃はセオドア様の弟殿下、ベータのキール殿下をご出産されました。
セオドア様をお産みになった前王妃はセオドア様が4歳の時にお亡くなりなりました。前王妃はオメガでドランスバルノ公爵家の御令嬢、そして国王とは番の関係だったはずです。その相思相愛ぶりは有名で、田舎の僕の領地にすら、国王の王妃に対する溺愛は吟遊詩人に歌われているという噂が伝わってきたといいます。
そんな前王妃が儚くなって、王の落胆は政務に影響が出るほどだったそうです。しかし、王国中枢から一刻も早く次の王妃をという声が出て、王は王妃の女官をしていた中からオレルアン侯爵家のソフィア様を王妃に迎えられたのです。
ソフィア様はベータでしたが、有能で才気に富み、何より当時は国一番の富裕領地を抱えるオレルアン侯爵家との縁組だったので、これで国内情勢は落ち着いたと聞いています。ちなみにオルレアン侯爵家がお金持ちなのは、領地にある銀鉱山の採掘と輸出のおかげです。
セオドア様は、犯人は王妃とおっしゃいました。
継母とはいえ王妃が犯人というからには、よほどのことでしょう。ただ単に血のつながりのない継母だから嫌うというレベルなら、僕に話したりはしないと思いました。
「私の味方は国王陛下と、家令、それにクリメイソン宰相だけだ」
クリメイソン公爵家の現当主であり、宰相でもあるクリメイソン公爵は清廉潔白なお人柄で有名です。
「侍従は王妃の息のかかった者がいるから安心できない」
だからここには、家令だけしか連れてこられなかったんだ。家令は男性使用人のトップで、家令自らが廊下に立つなどあり得ないのです。
「国王陛下は、王妃不在を長期化してはならないという首脳陣の声を聞き入れ、泣く泣く次の王妃を娶った。王妃がベータだから弟もベータだった。そして王妃は、弟に次の王位を継がせたいんだ」
キール殿下が王位に就くには、セオドア様が一番の障害です。
「王妃は、表立ってはけっして私を貶めるようなことはしない。そんなに愚かではない。そこで…、王妃は私を洗脳しようとした」
僕は聞きなれない「洗脳」という単語に、絶句して相槌が打てません。
「王妃の選んだ家庭教師たちは、王太子教育に相応しい知識と教養が得られるとは思えない、偏った連中ばかりだった。
最初は、それでも何かしら得るものがあるから、彼らを選択したのだと思うようにした。
しかし、かつて王家に反旗を翻した元侯爵家の遠戚の者を家庭教師として選んだと分かった時、『これはだめだ』と確信した。
さすがに国王も怒り、それを王妃に伝えたら、『過去に罪を犯した者の遠戚とはいえ優秀だから選んだのです。しかもこの者を重用すれば、処罰されし者たちの怨念も安らぎ、王家は評価されますでしょう』と抜かして、教師を変えようとはしなかった。
その家庭教師たちの根底には王室不要論があったから、教育の端々に自己の主張が見え隠れし、まるで私に国王を討てと匂わせるものだったんだ。
王妃は、私が国王に刃を向けることを望んでいる、そう思った。そして乱心した王太子は、颯爽と登場した弟殿下によって討たれる。英雄は遅れてやってくる。…王妃には、そういうシナリオがあったと思う。
それを私は国王に言った。そしたら国王は『次の王位は絶対にセオドア殿下でなければならない。セオドア殿下しかいないと言われるくらい成長しろ。長子だから王太子ではなく、お前自身の力で周囲を黙らせろ。もしそれが出来たなら、あとは全て私が良きように計らう』と、おっしゃって下さった。
王妃の実家は、銀鉱山の恩恵で我が国有数の資産家貴族だ。王家といえども簡単に切るわけにはいかない。国内が混乱するからね。…それが国王たる父上の精一杯ならば、その言葉を信じようと思った。
だから私は努力した。邪な考えで私を教育しようとする教師たちの授業は、聞いているふりして頭に入れず、家令の教えと王宮の図書館での学習が全てだった。
それで気が付いたよ。洗脳というのは、確固たる強い自分があれば、洗脳されることはないんだとね。必死だった。剣も勉強も、人一倍努力した」
セオドア様は最初から天才ではなかった。もちろんアルファだから、一般人よりも才能はあっただろうけど。僕は茫然とセオドア様を見つめました。
「ラミィ、そんな私の希望はラミィだった。いつか将来、絶対にラミィと番となり、幸せになってやる。その思いが私の支えだった」
「僕?なんで僕?」
その時、今夜初めてセオドア様が僕を見つめました。
「あのお茶会の日。王妃は私を出席させまいと必死だったんだ。貴族の令息令嬢が集まり、私の婚約者を選定する意味合いのあるお茶会だったからね。
だから、私の子犬を殺して池に捨て、私の情緒を不安定にしてお茶会不参加を目論んだ。
実際、それはうまくいったんだよ。私は子供だったから、友達が死んだショックで、とてもお茶会に出られる状態ではなかったからね。
王妃は嬉々として私の部屋にきて言ったよ。『セオドア、そんな顔では今日の参加は無理ね。大丈夫よ、キールが参加するから』とね。それで、友達との思い出のある部屋にいるのが辛くて、裏庭で泣いていたんだ。
結果はラミィと出会えたから、王妃には感謝している。これだけはね」
僕はあの時のことを思いだそうとしました。でも、泣いている小さな子を、やたら励ましたという事しか覚えておらず、特別、何かした覚えはありません。
僕は、俯いて言いました。
「僕はただ励ましただけです」
「…恋に落ちるのに、何か特別なことが必要なのかな」
「え?」
セオドア様は少しお顔が赤くなりました。あ、照れているんだと分かります。だんだん分かってきました。
「私はすぐに分かったよ。この子は私のオメガだって。この子と絶対に番になるって。一生懸命に慰めてくれて、ポケットに入れていた沢山のお菓子を『これ、美味しいからあげるよ。一緒に食べよう』といって、私にくれたんだ」
僕は食欲の権化でしょうか。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
「そんなふうに言ってくれた人はいなかったしね。ちっさい手でお菓子を私の口に入れてくれた、あの時のラミィの可愛さといったら」
そういって、さらに顔を赤くされ、うっとりと僕を見つめるセオドア様。それは餌付けであって恋ではないような…。
いたたまれない僕は、思わず話を変えました。
「あの、その、婚約者だった方とは?」
「ああ、元婚約者ね」
とたんにセオドア様の空気が冷たくなります。
「王妃が選んだのは、伯爵家のオメガの令息だ。完全に王妃の言いなり、子飼いだったよ。
もし僕が国王陛下に刃を向けたら、王太子妃の実家も潰されるだろうが、たとえ潰されても王妃も王妃の実家も、痛くも痒くもない伯爵家さ。そういう家を選んだんだ。
ただ伯爵家(むこう)にとっては、王太子妃というのは、最高に魅力的な餌だ。だから、それをぶら下げて、どんなことでも王妃の言いなりさ。
さっさと、そんな家の令息(オメガ)と私を結ばせて、大貴族の令息令嬢との縁は避ける目的があったのだと思う。
三日前、その元婚約者は二人のお茶会の席で、私にアルファのラットを誘発する薬を盛ろうと企んだ。
もちろん、王妃の入れ知恵だろう。
私は先週、外交団との交渉、先々週には貴族院での演説と、政治の表舞台に出る機会があり、殊の外、貴族たちの賞賛を得られた。それで、王太子妃にはもっと相応しい貴族家から迎えるべきだという声が出たらしい。
王妃と元婚約者は焦ったんだろうね。
私は飲まなかった。家令が気づいて、私が飲むはずの紅茶を元婚約者のものとスリ替えたのさ。
アルファのラット誘発剤は、オメガのヒート誘発剤と同じなんだ。私は、いつもより早くお茶会を切り上げ、さっさと元婚約者にはお帰り頂いた。
そしたら、なんと元婚約者は邸宅に帰る途中の馬車の中でヒートを起こし、街中で馬車を止めさせ、興奮して外に出てしまった。そして、たまたま通りかかった、商家の長男がヒートに巻き込まれ、あえなく番になったそうだ。
今では伯爵家から追い出されて、商人の妻になってるはずだよ。先方有責での婚約破談だからね。当然、王家に多額の賠償金を支払うはめになり、伯爵家自体が風前の灯。私は、心の底から『やった!』と叫んだというわけだ」
僕はすっと席を立ち、セオドア様の隣に座りました。
そして渾身の力を振り絞って、セオドア様の手を取り、「セオドア様、泣いていいですよ」と言いました。
継母とはいえ、母と呼ばれる人に、こんなにひどいことされて、それでも心が折れずに、必死で努力して…。
セオドア様は驚いた顔をしましたが、僕をぎゅっと抱きしめてくれました。
「私はまだ泣かない。全てが終わったら、ラミィの腕の中で大泣きする。陛下には全部、伝えた。そしたら『あとは任せろ』と言ってくださった。…だから、だから、ずっとそばにいて。お願い」
…僕は子供のころから、お願いばかりしてきました。「ちちうえ、おねがい」、「あにうえ、おねがい」。そういえば、みんな僕のお願いを叶えてくれた。
でも、…今まで誰かのお願いを叶えたことがあっただろうか。
どうか、僕にセオドア様のそばにいさせてください。僕にセオドア様を守らせてください。
そのためなら僕は、どんなことでもします。
僕は何かに縋る思いで、セオドア様をぎゅっと抱きしめました。
王太子の新しい婚約者発表まで、あと2か月。
「鳥、好きなの?」
目の前におられる、日差しより眩しい殿下が声を掛けてきました。
好きとか嫌いとかいうわけでなく、会話が続かないので目で追っていただけなんですが。そんな理由はいえるわけなく、ほんの少し躊躇したら、それが命取り?
殿下がわずかに片手を上げると、後ろに控えていた家令が庭に餌を撒きだすではありませんか!
ぎょっとする僕の周りに、どこから現れたのか、一羽どころか、わさわさと白い鳥が餌を目当てに飛んできて、あっという間に鳥の楽園状態!
チラっと見た殿下は満足そうに頷きました。
いまさら鳥に興味がないなどと、もはや言えません。
今の僕の状況は、どういうことだろう…。
僕は、ラミエル・ラザフォード、ラザフォード侯爵家の五男です。侯爵家とはいえ、最近、伯爵家から陞爵したばかりの新興侯爵家です。
両親の仲の良さに加えて、健康な母のお陰で子だくさん。上はアルファの兄が4人、僕は末っ子で我が家初のオメガです。
うちの領地で目立つのは山ばかり。産業は細々した農業で、また両親には商才もなく、貧乏子沢山を絵にかいたような家だけど、愛情だけはたっぷりと。薄いスープと少しの肉、領内で採れた野菜多めの食生活に、心優しい使用人たちに囲まれ、家族は前向きに明るく生きてきました。
ちょっと前までは…。
それが半年前、我が領地で貴重なダイヤモンド鉱山が発見され、その採掘権に途方もない金額がつき、あっという間に、うちは国一番の大富豪に様変わり。
この発見は王家の鉱物開発チームの功績ですが、採掘権は我が家にあるため、こうなりました。そのうえ採掘契約においても、王家から派遣された専門家が、我が家に有利になるよう主導してくれ、「今後、数百年、ラザフォード侯爵家の繁栄は約束されました」と、宣った!
さらに鉱山警備のために、これまた王家が大隊を派遣してくれたので、兵士用宿舎と賄い使用人用宿舎の建設、また大陸一の商会が採掘権を得たため、早々に現場事務所と作業員宿舎も出来たことで人口が倍増。それに伴い税収がうなぎ上りで、資産増加に拍車がかかりました。
しかし、長年染みついた両親の貧乏性はすぐに払拭されるはずなく、食生活の改善と使用人たちへの待遇改善及び給料アップはしたものの、変わらずにこれまでの屋敷を少し改築して住んでいます。お金を使うのは難しいです。
変わったことといえば、結婚していた跡取りの長兄と、同じく結婚して長兄を補佐している次兄は、それぞれ同じ敷地内に邸宅を建設し、周囲を気にする事なく義姉を愛せるようで、もう少ししたら僕に甥か姪がやってきそうなことですかね。
五人兄弟で未婚は15歳の僕だけです。貴族で15歳といえば、我がガリア王国では婚約者がいるのが当たり前ですが、僕に限っては両親とものんびりしていて、長兄と次兄に至っては、ずっと家にいればいいとか、真顔で言い出す始末。そういうわけにはいかないので、僕としては結婚したいと思っています。
僕はオメガですが、優秀なアルファの高位貴族は、ほとんど幼少時に婚約者ができるので、高位貴族など高嶺の花だと思ってます。ベータが圧倒的に多い世界なので、嫡子がベータという貴族も多く、高望みはしません。
僕は、体が小さいところがオメガらしいといえばらしいのですが、オメガ特有の庇護欲をそそる美少年タイプではなく、平凡な顔立ちに赤が強めの濃い橙色の髪と瞳、十把一絡げで印象の薄い容姿。特段の才能はなく、貴族らしい押しの強さや顕示欲のなさも加わり、具材の少ない薄いスープのよう。そんなわけで、来年16歳で迎える社交界デビューも、あまり期待できないと思ってました。
そう思ってました!この間までは!だから今の状況がほんとに理解できません!
今、僕は王国の西側に位置するアンドラ地方の王家の季節外れの離宮にきています。季節外れというのは、ここは山間部のため、王家の皆様方は夏の御静養に訪れていらっしゃるからです。
今は秋。少し冷えた空気の中、僕は山を背にした巨大な池の前に設えた、外庭のガゼボの中に座っています。
池といっても外周を散策したら1時間は掛かり、開花シーズンには我が国の国花、白蓮華が水面を覆い尽くす風光明媚なところで、別名「蓮華離宮」と呼ばれているそうです。これは先ほど、殿下を待っている間、家令が教えてくれました。
そう、殿下です。
まさに目の前におられるのは、我が国が世界に誇るセオドア王太子殿下。若干14歳。
僕より一つ下ながら、先月の外交デビューで恙なく隣国の外交団をもてなし、ほぼ我が国の条件を飲ませる形で条約を締結。
先々月は、貴族院でお歴々揃う高位貴族の長老らを唸らせる演説を披露して、堂々たる内政デビュー。
そのうえ、濃厚な蜂蜜色した金髪に、二重を彩るエメラルドグリーンの瞳、整った鼻筋で、少し薄めの上唇と厚め下唇。詩心のない僕でさえ、「太陽神の末裔ですか?」と言い出しそうなご容貌。実際、気づかれないように隠れて見ただけの僕が、こんなに語っちゃうくらいなんです!
天下無敵の天才アルファ、顔面破壊力満点!幼少時より鍛えた剣は、騎士団の手練れが唸るほどの腕前だとか。性格は穏やかながら、切れ者の評判に違わぬ博識を、謙虚のオブラートで包んだ人好きする笑顔で、長身痩躯。政治の舞台に登場以降、我が国の「最終兵器」と呼ばれているそうです。こんな14歳、世界中探してもいませんって!
それがどうして、僕の目の前にいるのでしょう?
「あの、どうして僕はここにいるのでしょうか?」
僕はたまらず、目の前のティーカップを見ながら尋ねました。まるでカップに話しかけているような有様。情けないけど正面から殿下を直視できません。
「セオドアだよ、ラミィ」
ラミィ?今、ラミィとおっしゃいましたか?ラミィは家族が呼ぶ僕の愛称です。いきなりの愛称呼びに、僕は耳まで赤くなった自覚があります。ふと、耳にヒヤッとした感触が!殿下、殿下が僕の耳を触ってます!
「赤いから、これで冷えるかと思って」
「いやいや、もっと赤くなりますって!殿下!」
「セオドア」
「…セ、セオドア様」
「様(さま)は要らないけど、すぐに無理なら今日だけは許してあげる。明日からはセオドアと呼ぶんだよ」
は、早い!期限が早すぎます!
「この状況か…。そうだね」といって、セオドア様は遠くの空を見上げ、「これはお見合い?」と言いました。
「はえ?」
セオドア様の前で変な声が出ました。お見合い?王都から馬車で半日以上かかる離宮でお見合い?王家からは、今日は帰れないけど、何も用意しなくていい、全てこちらで準備してあるから1泊二日だと言われたけど、1泊二日のお見合いなんてありますか?
事の始まりは二日前。
突然、王家から僕指定で離宮への呼び出しがありました。王家からの呼び出しなんて、貴族にとっては一大事!何か僕が粗相をして罰を与えられるのかと、両親と兄たちは真っ青になったけど、勅使は「罰ではない」と、断言しました。
「そうだよな、ラミィは王宮にほとんど登城したことがないから、罰せられる事情があるはずがない、あははは」と、皆で笑って一安心。
しかし、「それならなぜラミィなんだ?」という至極真っ当な家族の質問に、勅使は笑顔で「ラザフォード侯爵家の癒しであるラミエル様を、王家としておもてなししたい」と、おっしゃった。
そうですか、そうですか、それならばと、家族は笑顔で送り出してくれたけど、理由が怪しすぎだし、誰か突っ込んで欲しかった!僕だけがオタオタしてたのに、「粗相のないようにな~」とか、あり得ないでしょ!
「お見合いなんて言ったら、ラミィは来ないかもしれないと思って、はっきり言えなくて」
そういってセオドア様が頭を下げるではありませんか!まずい!王太子殿下に頭を下げされるわけにはいきません。
僕はやはりカップに話しかけます。
「いえ、王家の呼び出しに応えるのは臣下の務めですので、え、えっとお見合いでも行きます。で、ですが、殿下、いえ、セオドア様には既に御婚約者がおられましたよね?」
確かいたはず。いたよ、どこかのオメガの伯爵令息が!
「あ、いたね…。でも、つい最近、破談になったんだよ」
セオドア様は事もなげに言いました。
「そう、そうなんですか」
それは残念ですねと続けようとしたけど、セオドア様の声がやたら嬉しそうなので、言っていいのか判断できません。
「それでね、新たな婚約者はラミィなんだ」
「は、はい?」
「今日はお見合いという名の顔合わせで、婚約は正式決定だからね」
僕は理解が追いつきません。ここで初めて正面を向いて、ちゃんとセオドア様の御尊顔を拝見しました。聞きしに勝る美形ぶり!14歳とは思えない落ち着きと威厳。それでいて穏やかで気品溢れる佇まい!向き合った時間はわずか数十秒!
「決定事項ではあるけれど、ラミィに僕を知って欲しくて、陛下にお願いして場を設けてもらったんだ。ラミィは私をどう思う?」
どうって、どうって。
また僕は、カップとのおしゃべりに戻ってしまいました。
「い、いずれは銅像になられる方だと思います」
消え入りそうな僕の声に被って、ぶっと紅茶を吹き出す音が!思わず顔をあげると、セオドア様がむせておられました!
「せ、セオドア様?」
「ごめん」
家令の差し出すハンカチで口を拭いながら、目に涙を溜めて笑いをこらえるセオドア様。
「ど、銅像ってどういう意味?」
僕は俯いて、小さい声で答えました。
「さっき、セオドア様が来られるまで池の周りを散策していたら、初代アレクシス王の銅像がありました。さらに進むと、勇猛王セルゲイ様の銅像も。だから、いずれはセオドア様も銅像になるのかなと」
セオドア様は、お腹を抱えて笑い出しました。
セオドア様の御父上、現国王であられるセルゲイ王は、僕が生まれる前に起きた隣国との戦争において、それは勇猛果敢な戦ぶりだったそうで、勇猛王と呼ばれる英雄です。
ひとしきり笑ったセオドア様は「やはり私の妃はラミィしかいない」とおっしゃいました。
その晩は湯あみもそこそこに、僕は離宮の客間のベッドに倒れ込み、現実逃避してただ眠りたかった。僕が王太子妃なんてあり得ない!これからどうなるんだろう。豪華な天蓋つきベッドは僕一人では大きすぎて不安が広がります。モゾモゾと布団に潜り込みはしたものの、疲れているのに、寝付けません。
僕に王太子妃が務まるとは到底思えず、いろんなことを考えていたら、ドアをノックする音が。
「はい」
セオドア様を待っている間に世話をしてくれた家令でした。
「王太子殿下がいらっしゃいます。ご婚約前ですので、ドアは開けたままに致しますが、人ばらいさせて頂きます。廊下には私が待機しております」
「はい?」
僕のとまどいは、現れたセオドア様の雰囲気に飲まれました。昼間は髪を後ろに流しておられたのに、今は湯あみの後だからでしょう、前髪が額にかかり、昼間とはまた印象が変わっています。
「そのままでいいよ」
そういわれても僕はベッドにいられるはずがなく、上に軽い室内着を羽織ってセオドア様が座る前のソファに腰を下ろしました。
「気を遣わせたね」
「いえ、眠れませんでしたから、構わないです」
夜は偉大です。
昼間は見ることができなかったのに、今ならセオドア様と対面で話せそうでした。
セオドア様は組んだ足の上に片手を置き、僕を見ようとはしません。
「…ラミィとは8年前に王宮で会っているんだ。僕が6歳、ラミィは7歳だった。王宮で王妃主催のお茶会があった。伯爵家以上の貴族は全員参加で、お茶会だから、7歳以上の令息令嬢も登城したんだ」
そのお茶会のことは覚えています。田舎で、ましてや貧乏な伯爵家では見たこともない豪華な食事やお菓子の数々に僕の目は釘付けで、母が皿に取ってくれたお菓子はどれも美味しくて、テンション上がりまくりでした。
でも、そこでセオドア様に会ったという記憶がありません。
「王宮の裏庭で顔をグチャグチャにして泣いていた子供」
王宮の裏庭?
僕はひとしきり食べた後、母上たちの目をかいくぐり、会場から抜け出すと、あちこち一人で歩き回って、そのうち人のいない裏庭に入ってしまいました。そこで僕はポケットにしまい込んだお菓子を食べようと目論んだのです。母上から「食べすぎはだめ」と言われたから、隠れ食いしようと思ったわけで、要するに食い意地がはっていたんです。
そこで、木陰に隠れて泣いている小さな子を見つけました。
え?あの子?顔が涙と鼻水でグチャグチャになってた、ちっさい子?うずくまって、ヒックヒック泣いてた、あの子?あの子がセオドア様?
「あの子が殿下だったんですか?」
「殿下に戻った」
「すみません。あの子がセオドア様だったんですか?」
「そうだよ」
「でも、なんで泣いておられたんですか?」
セオドア様は寂しそうでした。この部屋に入ってから、セオドア様は一度も僕を見ようとしません。
「大事に飼っていた子犬が死んだんだ」
「それは…辛いですね。病気ですか?」
「いや、池に浮いていた。家令が見つけてくれたんだ」
「子犬だから、池に落ちてしまったんですね…」
「…喉が切られていた。殺された」
僕は衝撃で二の句がつけません。
「その前は、大事にしていたぬいぐるみが切り刻まれて池に落ちていた」
「王太子の身の回りの者は何をしていたんですか!」
思わず僕は大きな声が出ました。
「犯人は分かっている…。王妃だ」
衝撃でした。
今の王妃様は、セオドア様が5歳の時に王が迎えられた方で、オレルアン侯爵家のソフィア様です。現王妃とセオドア様は血の繋がらない継母と継子の関係で、現王妃はセオドア様の弟殿下、ベータのキール殿下をご出産されました。
セオドア様をお産みになった前王妃はセオドア様が4歳の時にお亡くなりなりました。前王妃はオメガでドランスバルノ公爵家の御令嬢、そして国王とは番の関係だったはずです。その相思相愛ぶりは有名で、田舎の僕の領地にすら、国王の王妃に対する溺愛は吟遊詩人に歌われているという噂が伝わってきたといいます。
そんな前王妃が儚くなって、王の落胆は政務に影響が出るほどだったそうです。しかし、王国中枢から一刻も早く次の王妃をという声が出て、王は王妃の女官をしていた中からオレルアン侯爵家のソフィア様を王妃に迎えられたのです。
ソフィア様はベータでしたが、有能で才気に富み、何より当時は国一番の富裕領地を抱えるオレルアン侯爵家との縁組だったので、これで国内情勢は落ち着いたと聞いています。ちなみにオルレアン侯爵家がお金持ちなのは、領地にある銀鉱山の採掘と輸出のおかげです。
セオドア様は、犯人は王妃とおっしゃいました。
継母とはいえ王妃が犯人というからには、よほどのことでしょう。ただ単に血のつながりのない継母だから嫌うというレベルなら、僕に話したりはしないと思いました。
「私の味方は国王陛下と、家令、それにクリメイソン宰相だけだ」
クリメイソン公爵家の現当主であり、宰相でもあるクリメイソン公爵は清廉潔白なお人柄で有名です。
「侍従は王妃の息のかかった者がいるから安心できない」
だからここには、家令だけしか連れてこられなかったんだ。家令は男性使用人のトップで、家令自らが廊下に立つなどあり得ないのです。
「国王陛下は、王妃不在を長期化してはならないという首脳陣の声を聞き入れ、泣く泣く次の王妃を娶った。王妃がベータだから弟もベータだった。そして王妃は、弟に次の王位を継がせたいんだ」
キール殿下が王位に就くには、セオドア様が一番の障害です。
「王妃は、表立ってはけっして私を貶めるようなことはしない。そんなに愚かではない。そこで…、王妃は私を洗脳しようとした」
僕は聞きなれない「洗脳」という単語に、絶句して相槌が打てません。
「王妃の選んだ家庭教師たちは、王太子教育に相応しい知識と教養が得られるとは思えない、偏った連中ばかりだった。
最初は、それでも何かしら得るものがあるから、彼らを選択したのだと思うようにした。
しかし、かつて王家に反旗を翻した元侯爵家の遠戚の者を家庭教師として選んだと分かった時、『これはだめだ』と確信した。
さすがに国王も怒り、それを王妃に伝えたら、『過去に罪を犯した者の遠戚とはいえ優秀だから選んだのです。しかもこの者を重用すれば、処罰されし者たちの怨念も安らぎ、王家は評価されますでしょう』と抜かして、教師を変えようとはしなかった。
その家庭教師たちの根底には王室不要論があったから、教育の端々に自己の主張が見え隠れし、まるで私に国王を討てと匂わせるものだったんだ。
王妃は、私が国王に刃を向けることを望んでいる、そう思った。そして乱心した王太子は、颯爽と登場した弟殿下によって討たれる。英雄は遅れてやってくる。…王妃には、そういうシナリオがあったと思う。
それを私は国王に言った。そしたら国王は『次の王位は絶対にセオドア殿下でなければならない。セオドア殿下しかいないと言われるくらい成長しろ。長子だから王太子ではなく、お前自身の力で周囲を黙らせろ。もしそれが出来たなら、あとは全て私が良きように計らう』と、おっしゃって下さった。
王妃の実家は、銀鉱山の恩恵で我が国有数の資産家貴族だ。王家といえども簡単に切るわけにはいかない。国内が混乱するからね。…それが国王たる父上の精一杯ならば、その言葉を信じようと思った。
だから私は努力した。邪な考えで私を教育しようとする教師たちの授業は、聞いているふりして頭に入れず、家令の教えと王宮の図書館での学習が全てだった。
それで気が付いたよ。洗脳というのは、確固たる強い自分があれば、洗脳されることはないんだとね。必死だった。剣も勉強も、人一倍努力した」
セオドア様は最初から天才ではなかった。もちろんアルファだから、一般人よりも才能はあっただろうけど。僕は茫然とセオドア様を見つめました。
「ラミィ、そんな私の希望はラミィだった。いつか将来、絶対にラミィと番となり、幸せになってやる。その思いが私の支えだった」
「僕?なんで僕?」
その時、今夜初めてセオドア様が僕を見つめました。
「あのお茶会の日。王妃は私を出席させまいと必死だったんだ。貴族の令息令嬢が集まり、私の婚約者を選定する意味合いのあるお茶会だったからね。
だから、私の子犬を殺して池に捨て、私の情緒を不安定にしてお茶会不参加を目論んだ。
実際、それはうまくいったんだよ。私は子供だったから、友達が死んだショックで、とてもお茶会に出られる状態ではなかったからね。
王妃は嬉々として私の部屋にきて言ったよ。『セオドア、そんな顔では今日の参加は無理ね。大丈夫よ、キールが参加するから』とね。それで、友達との思い出のある部屋にいるのが辛くて、裏庭で泣いていたんだ。
結果はラミィと出会えたから、王妃には感謝している。これだけはね」
僕はあの時のことを思いだそうとしました。でも、泣いている小さな子を、やたら励ましたという事しか覚えておらず、特別、何かした覚えはありません。
僕は、俯いて言いました。
「僕はただ励ましただけです」
「…恋に落ちるのに、何か特別なことが必要なのかな」
「え?」
セオドア様は少しお顔が赤くなりました。あ、照れているんだと分かります。だんだん分かってきました。
「私はすぐに分かったよ。この子は私のオメガだって。この子と絶対に番になるって。一生懸命に慰めてくれて、ポケットに入れていた沢山のお菓子を『これ、美味しいからあげるよ。一緒に食べよう』といって、私にくれたんだ」
僕は食欲の権化でしょうか。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
「そんなふうに言ってくれた人はいなかったしね。ちっさい手でお菓子を私の口に入れてくれた、あの時のラミィの可愛さといったら」
そういって、さらに顔を赤くされ、うっとりと僕を見つめるセオドア様。それは餌付けであって恋ではないような…。
いたたまれない僕は、思わず話を変えました。
「あの、その、婚約者だった方とは?」
「ああ、元婚約者ね」
とたんにセオドア様の空気が冷たくなります。
「王妃が選んだのは、伯爵家のオメガの令息だ。完全に王妃の言いなり、子飼いだったよ。
もし僕が国王陛下に刃を向けたら、王太子妃の実家も潰されるだろうが、たとえ潰されても王妃も王妃の実家も、痛くも痒くもない伯爵家さ。そういう家を選んだんだ。
ただ伯爵家(むこう)にとっては、王太子妃というのは、最高に魅力的な餌だ。だから、それをぶら下げて、どんなことでも王妃の言いなりさ。
さっさと、そんな家の令息(オメガ)と私を結ばせて、大貴族の令息令嬢との縁は避ける目的があったのだと思う。
三日前、その元婚約者は二人のお茶会の席で、私にアルファのラットを誘発する薬を盛ろうと企んだ。
もちろん、王妃の入れ知恵だろう。
私は先週、外交団との交渉、先々週には貴族院での演説と、政治の表舞台に出る機会があり、殊の外、貴族たちの賞賛を得られた。それで、王太子妃にはもっと相応しい貴族家から迎えるべきだという声が出たらしい。
王妃と元婚約者は焦ったんだろうね。
私は飲まなかった。家令が気づいて、私が飲むはずの紅茶を元婚約者のものとスリ替えたのさ。
アルファのラット誘発剤は、オメガのヒート誘発剤と同じなんだ。私は、いつもより早くお茶会を切り上げ、さっさと元婚約者にはお帰り頂いた。
そしたら、なんと元婚約者は邸宅に帰る途中の馬車の中でヒートを起こし、街中で馬車を止めさせ、興奮して外に出てしまった。そして、たまたま通りかかった、商家の長男がヒートに巻き込まれ、あえなく番になったそうだ。
今では伯爵家から追い出されて、商人の妻になってるはずだよ。先方有責での婚約破談だからね。当然、王家に多額の賠償金を支払うはめになり、伯爵家自体が風前の灯。私は、心の底から『やった!』と叫んだというわけだ」
僕はすっと席を立ち、セオドア様の隣に座りました。
そして渾身の力を振り絞って、セオドア様の手を取り、「セオドア様、泣いていいですよ」と言いました。
継母とはいえ、母と呼ばれる人に、こんなにひどいことされて、それでも心が折れずに、必死で努力して…。
セオドア様は驚いた顔をしましたが、僕をぎゅっと抱きしめてくれました。
「私はまだ泣かない。全てが終わったら、ラミィの腕の中で大泣きする。陛下には全部、伝えた。そしたら『あとは任せろ』と言ってくださった。…だから、だから、ずっとそばにいて。お願い」
…僕は子供のころから、お願いばかりしてきました。「ちちうえ、おねがい」、「あにうえ、おねがい」。そういえば、みんな僕のお願いを叶えてくれた。
でも、…今まで誰かのお願いを叶えたことがあっただろうか。
どうか、僕にセオドア様のそばにいさせてください。僕にセオドア様を守らせてください。
そのためなら僕は、どんなことでもします。
僕は何かに縋る思いで、セオドア様をぎゅっと抱きしめました。
王太子の新しい婚約者発表まで、あと2か月。
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