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54. マルコのお宅拝見と師匠たちのフィッティング②
しおりを挟むレオンは、マルコの双子の兄、カイトとカリム、そして後方から付いてくるチコリ師匠と一緒に邸宅を出て武道館に向かっていた。
「ぶ、武道館?武道館があるのか?」
コンサートをするためではない。師匠たちの訓練場としてマルコの父が建てたのだ。日本の武道館に匹敵する大きな建物。庭先に武道館のある家など、ここだけだろう。
「そうなんです」とカイト。
「師匠たちは日頃、訓練を怠らないんです」とカリム。
ちなみに兄がカイトで、カリムが弟。一卵性双生児なので顔立ちはそっくりだが、マルコにはあまり似ていない。そして体格も二人ともマルコよりは大きいものの、レオンと比べるとだいぶ小さい。年齢はレオンより一つ上の23歳だ。
「僕らは小さい頃、ほとんど武道館で過ごしたんです、ねえ兄さん」
「ええ、そうなんです。僕たち、乳母はいなくて、師匠たちが乳母で家庭教師だったんです、ね、チコリ師匠!」
レオンの首がゼンマイ仕掛けの人形のように、ガクガクと動いて後方からついてくるチコリ師匠を捉えた。
100メートル先で見かけた時、その体格に驚いたものだが、近くで見るとさらに圧倒された。
鎧と勘違いした筋肉と、意味不明の呪詛?は今日も健在。
1日ぐらいなくなってもいいんじゃないか、せめて自分と一緒にいる時は、その筋肉を脱いでほしい…。そんなアホな事を思うレオンだ。
チコリ師匠は、カイトとカリムがいるから、きっと表情は柔らかいはず。はずだが、どうみても睨んでいるように見えた。
「チコリ師匠は、剣はもちろん、体術や弓矢もすごくて、なんでも強いんです!武道大会では3年連続で優勝!圧勝だったって、他の師匠が言ってました。あまりにも強いから、主催者側が3年連続優勝したら、『殿堂入り』するシステムにしたんだって!そうしないと大会が盛り上がらないからって!」
「強いだけでなく、なんでも知ってるんです。かあさんがチコリ博士って呼ぶのも、納得の博識ぶり!」
兄たちがチコリ師匠について話す様子は、マルコの表情と同じだ。尊敬、敬愛、憧憬が混ざるキラキラした目。
どうやっても自分には無理じゃないか。自分はマルコの事を大事に思っているが、チコリ師匠に勝てる自信は、これっぽっちもない。
別に勝負する必要はないのだが、なぜかレオンはチコリ師匠に拘っていた。
「あの…」
双子の兄が同時にいう。
二人して同じ眼差しでレオンを見た。
「マルコは師匠たちに憧れて、入れ墨が大好きなんです。もう入れ墨に目がないというか…」
カイトの言葉が身を抉り、レオンは土中に埋没。彼にとってこれは致命傷だ。
いや、むしろ自分も墨を入れればいいのか。しかし公爵でもある自分が入れ墨などあり得ない。
町奉行でありながら、遠山の金さんは入れ墨していたが、レオンにその選択はなかった。
「そんなマルコが、副団長のこと、すっごいかっこいいって。優しくて面白いって。何度も言ってました。副団長、入れ墨してないですよね?」
カリムの声が風を運んで、レオンを高く持ち上げ始めた。
「…ない…。入れ墨なんてない…」
カイトが笑う。
「入れ墨のない人のことを、マルコがかっこいいなんて言ったことないです」
カリムも笑う。
「入れ墨ある人とない人で、無意識に分けちゃうあの子がですよ?」
ヒューっと、さらに追い風が吹いてきた。
「だからマルコの事、宜しくお願いします」
二人が同時に頭を下げた。
「そ、それは、その、色々と期待していいというか…」
そして二人は同時に顔を上げ、「ええ、期待していいと思います。師匠たちは何でも教えてくれたけど、こと恋愛についてのレクチャーはなかったし。ね、チコリ師匠!」と言った。
チコリ師匠は無言だった。不機嫌な顔に見えるのは通常運転。ただその目が実はとても優しい眼差しであることに、やっと気づいたレオンだった。
「あとチコリ師匠に勝とうとか、それは思わない方がいいです!」と、カイトが断言。
「レオン副団長は人間だし、チコリ師匠と比較すること自体が間違ってます。1歳の子供は、本気で大人と喧嘩しようなんて思わないでしょ?それと同じです」と、カリム。
この場合の1歳児は自分なんだろうなと、なんとなく分かるレオンだ。舞い上がっていただけに、いきなりの急降下。しかし、ヘタレでもここは踏ん張る。
「カ、カイト兄上、カリム兄上と、呼んでもいいだろうか?」
いきなりの兄上呼び。カイトもカリムもチコリ師匠から「ちっせーことは気にするな」と言われて育った。呼び方なんて気にしない。
「もちろんです!」
久しぶりに見る満面の笑顔のレオンだ。
さて、同時刻。
大広間に通されたデザイナーは困惑していた。
ココ・ファネル。
有名ブランドの並行輸入品ではない。
オリアナの王室御用達デザイナーで、オリアナ一の売れっ子。70歳を過ぎても若々しいセンスは健在で、王妃に認められ、妃殿下にも高く評価されていた。
ファネル登場以前のオリアナ貴族の婦人は、ゴテゴテした装飾品を多用し、やたらと頭に羽飾りを付けるため、遠目に見ると小島が浮いているように見えるファッションが主流だった。このスタイルは非常に歩きにくい上、頭部をモリモリに盛るので首への負担が大きく、肩こりに悩む夫人が多かった。
そんな時流の中、ファネルはシンプルで動きやすく、それでいて小さな宝石を縫い付ける手法で、豪華さも兼ね備えたドレスを発表。
これが王妃に受けた。王妃はオリアナのファッションリーダーだ。王妃が身に着けるものが流行するのだ。瞬く間にファネルのドレスは上流階級を席巻し、今や頭に羽を付ける夫人はいない。
これまでファネルはあらゆる体形の紳士夫人の正装をデザインしてきた。巨漢と言われる伯爵、背の高い御令嬢など、本人がマイナスと思い込み、それが自信のなさにつながった要素をカバーするデザインで依頼主の期待に応え、貴族たちから信頼を得た。
それは、生地をえり分ける目を養い、お針子より上手にドレスを縫うテクニックを磨き続けた弛まぬ努力の賜物だった。
才能だけでなく、努力に裏打ちされた天才デザイナー、それがファネルだ。
そのファネルの自信が打ち砕かれたのは、王妃に書類作成補助係の制服のデザインを依頼された時だった。
王妃とマルコの母からの情け容赦ない指示。一切の妥協を許さず、とことん極めようとする二人の姿勢に、最初は感銘を受けたものの体力が追いつかず、疲弊していった自分。しまいには「どうかこれでお願いします」と懇願する有り様。
この経験がファネルをさらに強くした。初心忘るべからず。自分は売れっ子になって慢心していたのではないか。彼女はさらに精進した。
そんなファネルだから、王妃から夏の晩餐会の桟敷席に招待した傭兵たちの正装のデザインを依頼された時、迷わず引き受けたのだ。
それがどうだろう。
堅牢な屋敷へ着き、フィッティングのための大広間へ移動して待つこと30分。この屋敷の馬車寄せに降り立った時に見かけた魔王軍?のごとき一団が入室してきた。
王妃様は傭兵といったわ!傭兵と言ったら人間でしょう!そう思うわよね!?
心中で叫ぶファネルにお構いなく、筆頭侍従長ガイ・ホールが「では採寸を始めましょう」と抜け抜けという。
連れてきたフィッターは今にも倒れそうだが、職人のプライドでどうにかメジャーを手に立っていた。
「ではまず、ピッコラ先生からお願いします」
その場を仕切り始めたガイが、先頭に立つ腹の出た大男?の名を告げる。ピッコラ、オリアナ語で「小さい」。名は体を表していない。しかも睨んでいる。ものすごく睨んでる。
「私は親の敵でしょうか?」。ファネルは、そんなことを聞きたくなった。
「で、ではまず肩幅から」
気丈なフィッターがピッコラの背後に回ろうとすると、「俺の背後に行くんじゃね!」と恫喝された。
「そ、そんなことを言われましても、背後に行かないと測れません!」
ガイは内心でため息。やはり無理か。ここは私がと、そう思った時に、救世主登場。マルコだ。
レオンを家族たちに紹介していたため、ちょっと遅れてやってきたのだ。
「ピッコラ師匠!師匠の正装、楽しみだな!」
そういってマルコはにこにこ顔で近づいた。
「よせやい、マルコぼん!」
途端にピッコラの表情が変わる。
「これまで一度も正装を着たことないでしょ?なめし皮のチェニックと、ズボンしか見たことないもの。その姿も最高にかっこいいけど、正装した師匠も、絶対、かっこいい!」
ピッコラは顔を赤くした。
「そうかな」
「そうだよ!この日焼けした肌に深緑の唐草の入れ墨でしょ。きっと白いシャツが映えるよ!」
ファネルが瞠目。確かにあの肌なら白いシャツがいい。それに入れ墨が深緑なら、かぎりなく黒に見える深い緑の生地を使うのはどうだろう。しかもその生地に入れ墨と同じ唐草模様を入れる!似合う、絶対に似合う!
「ええ、ええ、そうです!マルコ様のおっしゃる通り似合いますわ!ちょっと待って!」
ファネルは生地サンプルの中から目指す色を選んで、ピッコラの肌にあてた。
「すごい!ぴったりだ!」
マルコの声にピッコラも満更ではない様子。
いける!できるわ!私は魔物の正装もデザインできる!
ファネルの自信が蘇り、それがフィッターにも伝播。400人の師匠のうち、半分の200人の採寸を本日中にやり遂げるため、猛然と彼らは仕事を始めた。
「マルコ様!マルコ様は終わるまで、ここにいらっしゃって下さいますね!」
「はい!もちろんです!」
こうしてファネルは二日で400人をさばききったのだ。
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