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6、 人質とテロリスト(2)
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発生後 国立自然史博物館 1階ロビー ワシントンDC
1階ロビーの中央で、男女分けした人質の輪の端にいたハーモックの耳に、聞き慣れた言語が飛び込んできた。ソマリ語だった。
声の方を見ず、ハーモックは耳を澄ました。すると、ソマリ語だけでなく、スワヒリ語も聞こえた。
間違いない、このテロ集団はアフリカ、それも東アフリカ系だと確信した。
ケニアには42もの部族おり、その部族ごとに異なる言語を話している。はっきりいって部族間の仲は最悪といっていい。
現政権であるダニエラ・ロイ大統領は、ケニアの少数民族カレンジン族の出身であり、自部族を優遇し、他の部族を冷遇する、ほとんど一党独裁政治なのだ。当然、カレンジン族以外の部族は不満を溜め込み、彼らは幾度となくケニアでクーデターを起こした。
その最たるものが、3年前のアメリカ大使館占拠事件だった。その時は、合衆国が特殊部隊を動員してテロリストたちを一掃したのだ。
こうしてハーモックの在任中、最後の2年間は、穏やかだった。
日曜日になると、カラフルなアフリカンドレスを身にまとった大迫力のケニアマダムたちが、大挙して教会に押しかけてきた。
教会には、日本商社の奥様方もやってくるが、それがどうみても「少女」にしか見えなくて、東洋の神秘だと目を丸くしたものだった。
ケニアでは、子供を生んだ女性が一人前とみなされるという風習が根強く残っていた。日本商社の奥様方も、ほとんど子持ちなのだが、ケニア女性から見ても「少女」にしか見えないらしく、「子供扱いされた」と、不満タラタラだった。
最後の2年で、ハーモックはソマリ語を覚えた。ソマリ族のリネという女性と出会ったからだ。必死でソマリ語を覚える自身に、「これは恋ではない」と言い聞かせてきた。
自分に嘘をつき続けた行いは、リネが売春婦だったと知った時、終わった。
ハーモックは無自覚に、リネの仕事を嫌悪したのだ。顔には笑顔を貼り付けて。
それ以来、神に人生を捧げ、布教を使命だと、さらに自分を追い込んだ。自分の人生には、崇高な使命がある。神のために生きてきたのだ、大丈夫、自分には神がいる。どんな試練でも、それは神が与えたものだ――。
そう思わなければ、みっともない行動を取ってしまいそうだったのだ。
思いがけずソマリ語とスワヒリ語を聞き取ったハーモックは、ナイロビ時代に思いを馳せたが、また現実に戻ってきた。落ち着け、落ち着け。マントラのように唱えた。
このテロリストたちが、東アフリカ系だと気づいても、誰に知らせればいい?なんの手段も持たない自分が。スマホも取られているのに。
隣に派手なNASAのパーカーを着た若い男が座らせられていた。目が合うと、ハーモックはそらさなかった。そして「ソマリ語だ」と、つぶやいた。自分が気付いた、テロ実行犯を早期に特定できる重要な手がかりを、一人で抱えるのが耐えられなかったのだ。
NASAのパーカー男は、じっと目を見たまま「確かか」と聞き返してきた。
ハーモックは答えた。
「間違いない。ソマリ語とスワヒリ語を話していた」
お互いに主語を言わずに会話した。
1階ロビーの中央で、男女分けした人質の輪の端にいたハーモックの耳に、聞き慣れた言語が飛び込んできた。ソマリ語だった。
声の方を見ず、ハーモックは耳を澄ました。すると、ソマリ語だけでなく、スワヒリ語も聞こえた。
間違いない、このテロ集団はアフリカ、それも東アフリカ系だと確信した。
ケニアには42もの部族おり、その部族ごとに異なる言語を話している。はっきりいって部族間の仲は最悪といっていい。
現政権であるダニエラ・ロイ大統領は、ケニアの少数民族カレンジン族の出身であり、自部族を優遇し、他の部族を冷遇する、ほとんど一党独裁政治なのだ。当然、カレンジン族以外の部族は不満を溜め込み、彼らは幾度となくケニアでクーデターを起こした。
その最たるものが、3年前のアメリカ大使館占拠事件だった。その時は、合衆国が特殊部隊を動員してテロリストたちを一掃したのだ。
こうしてハーモックの在任中、最後の2年間は、穏やかだった。
日曜日になると、カラフルなアフリカンドレスを身にまとった大迫力のケニアマダムたちが、大挙して教会に押しかけてきた。
教会には、日本商社の奥様方もやってくるが、それがどうみても「少女」にしか見えなくて、東洋の神秘だと目を丸くしたものだった。
ケニアでは、子供を生んだ女性が一人前とみなされるという風習が根強く残っていた。日本商社の奥様方も、ほとんど子持ちなのだが、ケニア女性から見ても「少女」にしか見えないらしく、「子供扱いされた」と、不満タラタラだった。
最後の2年で、ハーモックはソマリ語を覚えた。ソマリ族のリネという女性と出会ったからだ。必死でソマリ語を覚える自身に、「これは恋ではない」と言い聞かせてきた。
自分に嘘をつき続けた行いは、リネが売春婦だったと知った時、終わった。
ハーモックは無自覚に、リネの仕事を嫌悪したのだ。顔には笑顔を貼り付けて。
それ以来、神に人生を捧げ、布教を使命だと、さらに自分を追い込んだ。自分の人生には、崇高な使命がある。神のために生きてきたのだ、大丈夫、自分には神がいる。どんな試練でも、それは神が与えたものだ――。
そう思わなければ、みっともない行動を取ってしまいそうだったのだ。
思いがけずソマリ語とスワヒリ語を聞き取ったハーモックは、ナイロビ時代に思いを馳せたが、また現実に戻ってきた。落ち着け、落ち着け。マントラのように唱えた。
このテロリストたちが、東アフリカ系だと気づいても、誰に知らせればいい?なんの手段も持たない自分が。スマホも取られているのに。
隣に派手なNASAのパーカーを着た若い男が座らせられていた。目が合うと、ハーモックはそらさなかった。そして「ソマリ語だ」と、つぶやいた。自分が気付いた、テロ実行犯を早期に特定できる重要な手がかりを、一人で抱えるのが耐えられなかったのだ。
NASAのパーカー男は、じっと目を見たまま「確かか」と聞き返してきた。
ハーモックは答えた。
「間違いない。ソマリ語とスワヒリ語を話していた」
お互いに主語を言わずに会話した。
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