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Dreaming Spires

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「吐きそう」

 日没前、千秋は空の上で飛行機に揺られていた。

 頭が割れるくらいかと思いきや鼓膜が尋常じゃなく痛くなるのは千秋にも予想外であった。

 朦朧とした意識のなか両耳を抑えて俯いていると、千秋の視界の端で赤いヒールが鮮やかに踊った。

「お客様、よろしければこちらを」

 そう優しく微笑みながらパイン飴を差し出した彼女の姿は、まるで女神のようだと千秋は思った。

 途中、何度かアナウンスのようなものも聞こえていたはずだが、朦朧としていた千秋にその記憶はほとんどない。

 馴染みがない国の言葉は千秋にはさっぱりわからなかったが、着陸した時の衝撃と拍手に目が覚めてみれば、そこはすでに異国の地であった。


    *

Ladies and gentlemen, we have landed at London, Heathrow Airport. 
This flight will be arriving at Gate 51 of Terminal 1.
Thank you for flying with MANU a member of Star** Alliance. 
We hope you enjoy the rest of your stay!
 
Thank you.

    * 


 黄昏時、千秋はオックスフォードの街の真ん中にいた。

 遺跡がそのまま街になったような歴史ある街並みは、ロマンが漂い、入り日に煌めく石造りの通りは観ているだけでも飽きなかった。

 三日もあれば歩いて回れるほどには小さな街だが、真ん中を流れるテムズ川には白鳥がおり、晴れた日には、ボートを漕ぐ学生たちや川沿いに寝そべって読書をする人々もいた。

 街中で学生らしき青年たちに道を尋ねられたときには、さすがに千秋も途方に暮れたが、いつも通っていた道沿いにある川べりのお洒落なレストランだとわかるや、over there! を駆使してなんとか案内したこともあった。

 今日も思うがままに一日歩いた――。

 ほどよい疲れに幸せを感じながら、千秋は夕日に煌めくショーウィンドウを眺めていた。

 ファンタジー映画に出てきそうな年季の入った外観に惹かれてふらっと入ってみれば、そこは地下まで続く巨大な本屋であった。

 翻訳前のハリー・ポッターを抱えて店を出る頃には、空は黄金に輝き、鮮やかなピンクが差し込んだ流れるような雲の向こうには、天鵞絨ビロードのように青く深い星空がどこまでもつづいていた。

 行き交う人々はたえず、街灯が灯る頃になっても、マジックアワーの街は人影で賑わっていた。

 帰国の日、朝霧の中に浮かぶ石造りの家々や尖塔が日の出とともに一斉に輝きだしたあの黄金色の瞬間を、千秋はいまも忘れない。
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