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不届き者
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「あのう、僕ちょっと急いでるんですけど」
マヌーは内心イライラしながら、うわべだけは申し訳なさそうに呟いた。
「はは、急いでるようには見えませんでしたよ。呑気に歌ってたじゃないですか」
「そりゃ歌くらい歌いますよ。まさか」
マヌーは小さく息を呑んだ。
「音痴に歌う権利はないとでも?」
そのうわべの薄っぺらさにマヌー自身も辟易していたが、一方で滅多に見抜かれないことも知っていた。
「いやいや。そういう意味で言ったんじゃ」
気さくな警官は困ったように胸の前で両手を軽く振った。
天探女ならいざ知らず、現より夢を優先させて生きてきた者の演技を一瞬で見抜ける人などはたしてこの世にいるのだろうか。
「そんなには音痴じゃなかったですよ」
「そんなには」
「ええ。ただちょっと全体的に薄いなってくらいで」
「薄い」
マヌーは縋るような琥珀の瞳で気さくな警官を見つめた。
「ほんとに……?」
「ほんとほんと。気にするほどのことじゃないですよ」
「だって僕……。僕、いつだったか鼻歌まじりにオムライス作ってたら突然言われたんです。あんた鼻歌まで音痴だねって」
「はは」
消え入るような愛想笑いを一つして、気さくな警官は面倒そうに振りむくと、後ろで待機していたバディの警官にちらりと意味ありげな視線を送った。
「でもなんでこんな街中で呑気に歌ってたんです。急いでるんでしょ?」
「だってそんなの」
かさり、と音に気をとられてマヌーが見やれば、気さくな警官の後ろに隠れるようにして、バディの警官が何やらクリップボード片手にペンを走らせている。「あ、間違った」チッと舌打ちなど一つして、バディは紙を丸めるや一枚捲った。新人さんだろうか?
「そんなの、焦ったところでたいして時間変わらないじゃないですか」
「あーそういう」
トントン、とボールペンの先を時折ボードに叩きつけながら、バディは相変わらず慣れない手つきで紙を捲っている。
「焦ったってろくなことないんですから」
「ですよねー。焦ってるときに限ってーって。ありますよねー」
と、思いきや。バディはやにわに慣れた手つきで立て続けにチェックしたかと思うと最後に勢いよく丸を描いた。あれ、これってもしかして……?
「まさか」
マヌーはあり得ないとばかりに首をふった。
「職質するの? この僕を? いままで一回しかされたことないのに!」
その一回とて都落ちする前に働いていた会社でボコボコの社用車を深夜に走らせていた頃のことである。
「ああいや、そんなたいそうなものでは。というか一回あるんじゃないですか」
「え、いや、その」
「ハハハ」
ガンダムに乗りたそうなスタジオから海賊王になりたそうなスタジオへ向かう途中で道に迷ってうろうろしちゃった、それだけのことだ。マヌーは遥か遠い昔を思った。新人なりに結構頑張っていたのではないか?
「もう、急いでるのに」
「申し訳ありません、ちょっとお話聞かせてもらうだけですから」
◇
知らぬ間に街に出来たバーのカウンター席で、マヌーは気さくな警官相手にくだを巻いていた。
「結局いつも僕は届かない、届かないんだ!」
「まあまあちょっと落ち着いて」
「うぅ」
半泣きになりながらカウンターに突っ伏すマヌー。手には空になったグラスを握りしめている。
「だってそうでしょう? 元書道師範格に元演出家の助手、それから元神様役。ついでに最後の二つは(仮)ときてる、ははは、ほんとうに。結局いつも僕は最後の最後で掴めない、届かないやつなんですよ」
気さくな警官は半ば呆れながらマヌーの肩に手を置いた。
「ちょっと飲み過ぎですよ」
「飲んでいいって言ったのはそっちでしょう」
「そりゃ言いましたけど」
「まったく僕はなんでこんなとこに……あぁそうだ、たしか街で突然職質されてそれで」
「ハハハ、人聞きのわるい。言ったでしょう? ちょっとお話したいだけだって」
気さくな警官は不自然にマヌーの二の腕をさすった。
まさか少年になってまで二の腕をさすられることがあろうとは。マヌーは心の底から冷めた視線を向けた。恋心があればまだしも、出会ったばかりの赤の他人に? なんだか妙なやつ……。
「いいねえその目」
ところが、妙な警官はあろうことか前のめりに話しかけてきた。蔑むような視線を向けたときに限って絡んでくる輩というのはいったいどんなメンタルの持ち主なのだろう?
マヌーは喉元まで出かかった長年の疑問を飲み込むと、なんだか急に冷めたようなていで顔を上げた。ついでに手も払いのけた。
「僕は急いでるんです」
「そうは言ってもあのまま向かってたら広場には入れなかったでしょう? 良かったじゃないですか。鍵を開けられる人がここにいて」
妙な警官は胸ポケットから鍵のようなものを取り出した。
「まあ鍵といっても形だけで、中身は電子キーですけどね」
マヌーは内心イライラしながら、うわべだけは申し訳なさそうに呟いた。
「はは、急いでるようには見えませんでしたよ。呑気に歌ってたじゃないですか」
「そりゃ歌くらい歌いますよ。まさか」
マヌーは小さく息を呑んだ。
「音痴に歌う権利はないとでも?」
そのうわべの薄っぺらさにマヌー自身も辟易していたが、一方で滅多に見抜かれないことも知っていた。
「いやいや。そういう意味で言ったんじゃ」
気さくな警官は困ったように胸の前で両手を軽く振った。
天探女ならいざ知らず、現より夢を優先させて生きてきた者の演技を一瞬で見抜ける人などはたしてこの世にいるのだろうか。
「そんなには音痴じゃなかったですよ」
「そんなには」
「ええ。ただちょっと全体的に薄いなってくらいで」
「薄い」
マヌーは縋るような琥珀の瞳で気さくな警官を見つめた。
「ほんとに……?」
「ほんとほんと。気にするほどのことじゃないですよ」
「だって僕……。僕、いつだったか鼻歌まじりにオムライス作ってたら突然言われたんです。あんた鼻歌まで音痴だねって」
「はは」
消え入るような愛想笑いを一つして、気さくな警官は面倒そうに振りむくと、後ろで待機していたバディの警官にちらりと意味ありげな視線を送った。
「でもなんでこんな街中で呑気に歌ってたんです。急いでるんでしょ?」
「だってそんなの」
かさり、と音に気をとられてマヌーが見やれば、気さくな警官の後ろに隠れるようにして、バディの警官が何やらクリップボード片手にペンを走らせている。「あ、間違った」チッと舌打ちなど一つして、バディは紙を丸めるや一枚捲った。新人さんだろうか?
「そんなの、焦ったところでたいして時間変わらないじゃないですか」
「あーそういう」
トントン、とボールペンの先を時折ボードに叩きつけながら、バディは相変わらず慣れない手つきで紙を捲っている。
「焦ったってろくなことないんですから」
「ですよねー。焦ってるときに限ってーって。ありますよねー」
と、思いきや。バディはやにわに慣れた手つきで立て続けにチェックしたかと思うと最後に勢いよく丸を描いた。あれ、これってもしかして……?
「まさか」
マヌーはあり得ないとばかりに首をふった。
「職質するの? この僕を? いままで一回しかされたことないのに!」
その一回とて都落ちする前に働いていた会社でボコボコの社用車を深夜に走らせていた頃のことである。
「ああいや、そんなたいそうなものでは。というか一回あるんじゃないですか」
「え、いや、その」
「ハハハ」
ガンダムに乗りたそうなスタジオから海賊王になりたそうなスタジオへ向かう途中で道に迷ってうろうろしちゃった、それだけのことだ。マヌーは遥か遠い昔を思った。新人なりに結構頑張っていたのではないか?
「もう、急いでるのに」
「申し訳ありません、ちょっとお話聞かせてもらうだけですから」
◇
知らぬ間に街に出来たバーのカウンター席で、マヌーは気さくな警官相手にくだを巻いていた。
「結局いつも僕は届かない、届かないんだ!」
「まあまあちょっと落ち着いて」
「うぅ」
半泣きになりながらカウンターに突っ伏すマヌー。手には空になったグラスを握りしめている。
「だってそうでしょう? 元書道師範格に元演出家の助手、それから元神様役。ついでに最後の二つは(仮)ときてる、ははは、ほんとうに。結局いつも僕は最後の最後で掴めない、届かないやつなんですよ」
気さくな警官は半ば呆れながらマヌーの肩に手を置いた。
「ちょっと飲み過ぎですよ」
「飲んでいいって言ったのはそっちでしょう」
「そりゃ言いましたけど」
「まったく僕はなんでこんなとこに……あぁそうだ、たしか街で突然職質されてそれで」
「ハハハ、人聞きのわるい。言ったでしょう? ちょっとお話したいだけだって」
気さくな警官は不自然にマヌーの二の腕をさすった。
まさか少年になってまで二の腕をさすられることがあろうとは。マヌーは心の底から冷めた視線を向けた。恋心があればまだしも、出会ったばかりの赤の他人に? なんだか妙なやつ……。
「いいねえその目」
ところが、妙な警官はあろうことか前のめりに話しかけてきた。蔑むような視線を向けたときに限って絡んでくる輩というのはいったいどんなメンタルの持ち主なのだろう?
マヌーは喉元まで出かかった長年の疑問を飲み込むと、なんだか急に冷めたようなていで顔を上げた。ついでに手も払いのけた。
「僕は急いでるんです」
「そうは言ってもあのまま向かってたら広場には入れなかったでしょう? 良かったじゃないですか。鍵を開けられる人がここにいて」
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