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束の間
お玉三番叟
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「昔は石の傍で修行する巫女のことをトラと呼んだんですって。もちろんほんとのところはどうか知らないわ。でも私あるとき気づいてしまったの。
寅年っていつにもまして弱肉強食だからぼーっとしてると陰から飛び出してきた虎にとって食われるって言うでしょう? まぁ、怖いわ、なんて怯えていたけれど……。
もしかして私、とって食う側の方だったんじゃないかしら?」
物騒な言葉を口にするなり自由に舞い囃す女人の影を怯えたように見つめながら、マヌーは枯芝の上でオタマトーンをぷわぷわと鳴らしつづけた。もし僕の人生にも筋書きがあるのなら、今後の旅は一体どんなものになるんだろう?
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
まぁあったところで、僕の知ったこっちゃないけど。でも、思い描くなら……? ぷわぷわと頬を膨らませるオタマトーンの如く、マヌーは過去へ未来へ想像を膨らます。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
昔の夢に縋るつもりはない。もうそこに追い求めた夢はないから。あの世界を去るときに、自由と引き換えに何もかも置いてきたつもりだ。
……いや、ほんとはちょっと夢見ていた。元気になったら、強くなったら、力をつけたら。またあの世界に戻ることもあるかもしれないと思って捨てられずにいたものもほんとはちょっとあった。でも、
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
いつだったかふと思い立ってハサミを入れてみれば、なんのことはない、もうとっくの昔に手放せていたみたいだ。ハサミで人差し指と中指の皮が剥けるほど一心不乱に切り刻んだ。断捨離はわりと得意な方だ。見えない世界を身近に感じるようになったらなお捗る。
じゃあようやく手に入れた自由とともに何処へ行こう。今度こそ新しい夢を探す? マヌーは弱々しくかぶりを振った。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
それもない。そもそも命かけてもいいと思えるほどの夢にはめったに出会えない。それどころか新しい役をお願いされてしまった。じゃあ、答えなんてとっくに出ているじゃないか? くるくると自由に舞い囃す女人の影を目で追いながら、マヌーは手の内の現実を力強く握りしめた。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
たとえどんな旅であろうとも、限られた時間で手に入れた現実を武器に、想像力の赴くところ未知なる領域へと切り込んで行く――。
そんな旅になるだろうという確信が、夜風に舞うなりすまし女神の如く軽やかに、マヌーの心に飛来した。
「おおさえ おおさえ よろこびありや」
檜扇片手に袖を返し、大地を踏み鳴らすように舞う女人の影。いつの間にやら天の羽衣のような白い千早を羽織り、大地に向かって何やらシャンシャンと一心不乱に振りつづけている。
よく見ればもう一方の手にはいつの間に懐から取り出したのか、鈴なりの稲穂のような神楽鈴を握りしめていた。
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
異様な光景になかば狂気すら感じながら、マヌーは拍子をとった。別名三番叟鈴とも呼ばれるくらいだ。さしずめ新しい年を寿ぐ舞「三番叟」のつもりだろう。たしか鈴のつき方が十字型か巻立型かで島の東か西か見分けられるはずだけど……
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
うーん、螺旋に連なる鈴に十字型の金具がかろうじて見える神楽鈴なんて見たことないよ。どうせあの人のことだから『ここは東でも西でもないわ、いやむしろどっちも私のものね』とでも言うんだろうけど。いや、待てよ……
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
そういえば昔は足柄峠から東の地を坂東と呼んだんだっけ。じゃああのどちらともつかない鈴はもしかして東と西のちょうど境にある足柄山と掛けている……? マヌーは首をかしげて女人の影を見つめた。
「舞ーえ 舞ーえ オタマトーン! あはは 神妙なり 神妙なりっ」
まさかね……。マヌーはかぶりを振った。
あんな狂ったように舞い囃すなんて。とても正気とは思えない。いくらなんでも考え過ぎだ。
小高い丘に響き渡る狂ったような鈴の音に、マヌーは思わず我に返った。
「よろこびありや わがこのところよりほかへはやらじとぞおもふ」
鈴と檜扇を天高くかざして舞い囃す女人の影。この喜びを、幸いを、私はどこへもやりたくはない――。
五穀豊穣を祈る予祝の舞も、役者次第でこんなにもジャイアニズムが醸し出されるのはなぜだろう。
なかば隠しきれない暴力性を感じながら、マヌーはふたたび拍子をとった。
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
まったく、憧れの女神の姿で舞い囃すのほんとやめてほしい。ついつい重ねて夢見ちゃうじゃないか。本当に神様がいたらこんな風に舞うのかなって……。
「ぷわゎゎ~ ぷわゎゎ~」
オタマトーンの口がしゃくれるほど握りしめながら、マヌーは幻想を振り払うように勢いよくかぶりを振った。
思い掛けずビブラートのかかった神妙な音色が足柄山に木霊した。
寅年っていつにもまして弱肉強食だからぼーっとしてると陰から飛び出してきた虎にとって食われるって言うでしょう? まぁ、怖いわ、なんて怯えていたけれど……。
もしかして私、とって食う側の方だったんじゃないかしら?」
物騒な言葉を口にするなり自由に舞い囃す女人の影を怯えたように見つめながら、マヌーは枯芝の上でオタマトーンをぷわぷわと鳴らしつづけた。もし僕の人生にも筋書きがあるのなら、今後の旅は一体どんなものになるんだろう?
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
まぁあったところで、僕の知ったこっちゃないけど。でも、思い描くなら……? ぷわぷわと頬を膨らませるオタマトーンの如く、マヌーは過去へ未来へ想像を膨らます。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
昔の夢に縋るつもりはない。もうそこに追い求めた夢はないから。あの世界を去るときに、自由と引き換えに何もかも置いてきたつもりだ。
……いや、ほんとはちょっと夢見ていた。元気になったら、強くなったら、力をつけたら。またあの世界に戻ることもあるかもしれないと思って捨てられずにいたものもほんとはちょっとあった。でも、
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
いつだったかふと思い立ってハサミを入れてみれば、なんのことはない、もうとっくの昔に手放せていたみたいだ。ハサミで人差し指と中指の皮が剥けるほど一心不乱に切り刻んだ。断捨離はわりと得意な方だ。見えない世界を身近に感じるようになったらなお捗る。
じゃあようやく手に入れた自由とともに何処へ行こう。今度こそ新しい夢を探す? マヌーは弱々しくかぶりを振った。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
それもない。そもそも命かけてもいいと思えるほどの夢にはめったに出会えない。それどころか新しい役をお願いされてしまった。じゃあ、答えなんてとっくに出ているじゃないか? くるくると自由に舞い囃す女人の影を目で追いながら、マヌーは手の内の現実を力強く握りしめた。
「ぷゎ ぷゎぷゎ」
たとえどんな旅であろうとも、限られた時間で手に入れた現実を武器に、想像力の赴くところ未知なる領域へと切り込んで行く――。
そんな旅になるだろうという確信が、夜風に舞うなりすまし女神の如く軽やかに、マヌーの心に飛来した。
「おおさえ おおさえ よろこびありや」
檜扇片手に袖を返し、大地を踏み鳴らすように舞う女人の影。いつの間にやら天の羽衣のような白い千早を羽織り、大地に向かって何やらシャンシャンと一心不乱に振りつづけている。
よく見ればもう一方の手にはいつの間に懐から取り出したのか、鈴なりの稲穂のような神楽鈴を握りしめていた。
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
異様な光景になかば狂気すら感じながら、マヌーは拍子をとった。別名三番叟鈴とも呼ばれるくらいだ。さしずめ新しい年を寿ぐ舞「三番叟」のつもりだろう。たしか鈴のつき方が十字型か巻立型かで島の東か西か見分けられるはずだけど……
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
うーん、螺旋に連なる鈴に十字型の金具がかろうじて見える神楽鈴なんて見たことないよ。どうせあの人のことだから『ここは東でも西でもないわ、いやむしろどっちも私のものね』とでも言うんだろうけど。いや、待てよ……
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
そういえば昔は足柄峠から東の地を坂東と呼んだんだっけ。じゃああのどちらともつかない鈴はもしかして東と西のちょうど境にある足柄山と掛けている……? マヌーは首をかしげて女人の影を見つめた。
「舞ーえ 舞ーえ オタマトーン! あはは 神妙なり 神妙なりっ」
まさかね……。マヌーはかぶりを振った。
あんな狂ったように舞い囃すなんて。とても正気とは思えない。いくらなんでも考え過ぎだ。
小高い丘に響き渡る狂ったような鈴の音に、マヌーは思わず我に返った。
「よろこびありや わがこのところよりほかへはやらじとぞおもふ」
鈴と檜扇を天高くかざして舞い囃す女人の影。この喜びを、幸いを、私はどこへもやりたくはない――。
五穀豊穣を祈る予祝の舞も、役者次第でこんなにもジャイアニズムが醸し出されるのはなぜだろう。
なかば隠しきれない暴力性を感じながら、マヌーはふたたび拍子をとった。
「ぷゎ ぷゎぷゎ ぷゎ ぷゎぷゎ」
まったく、憧れの女神の姿で舞い囃すのほんとやめてほしい。ついつい重ねて夢見ちゃうじゃないか。本当に神様がいたらこんな風に舞うのかなって……。
「ぷわゎゎ~ ぷわゎゎ~」
オタマトーンの口がしゃくれるほど握りしめながら、マヌーは幻想を振り払うように勢いよくかぶりを振った。
思い掛けずビブラートのかかった神妙な音色が足柄山に木霊した。
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