96 / 115
束の間
恋せば ㊤
しおりを挟む
『ひとつ賭けをしましょうよ』
『なんでいつもそう争い事にしたがるのかな。とてもそんな気分じゃ』
『何か賭けなきゃつまらないじゃない。ね、この勝負、もし私が勝ったら。お願いしたい役があるの』
『どうせまた脇役でしょ』
『ううん、むしろ主役級ね。貴方にしか出来ない役』
『じゃあ僕が勝ったら?』
『あ、ご心配なく。どうやっても私が勝つから』
『それはたいそうな自信をお持ちで――』
明星はとうに姿を消し、いまや夜半の月を遮るものは何もない。
さやけき月かげ差し込んで、小高い丘に鳴り響くのは扇拍子と鈴の音。
拍子に合わせて時おり交錯する二つの影は蝶か人か、螺旋を描くようにきりきりと舞った。
「足柄山に舞うものは、白鹿 八重霧 虎が雨、更級日記の遊女三人、雨乞い池の玉手姫、五彩の蝶の玉依姫――神霊の依りつく巫女、どこぞの山の神の権現、いや、むしろただのなりすまし」
白檀扇子を打ち鳴らし、少年の影はさららと舞った。
「舞ーへ 舞ーへ 蝸牛! 舞ーはぬもーのーなーらーばー 馬の子ーや 牛の子ーに 蹴ゑさせてむ 踏み破らせてむっ」
檜扇片手にひらひらと、蝶のように舞い囃すのは女人の影。
「と思ったけどここには子馬も子牛もいないし。うーん、やっぱりデコピン百回の刑♡」
ふふっと笑ったその拍子、踊る女人の足元で赤々と、鈴が小刻みにゆらゆら揺れた。
「はー夢が台無し」
マヌーは白檀扇子を打ち鳴らす手を止めて嘆きの声を漏らした。
「まったく。せっかく踊る気になったってのに、とんだ妖怪夢覚まし――」
ふと、くずおれるようにごほごほと咳き込むマヌー。かわりばんことはいえ、夜通し歌い続けて喉でも痛めたのだろう。
しゃがみこむマヌーのまわりをくるくると、女人の影が妖しく舞った。
「まあ、大丈夫?」
「おかげで喉まで潰れそうなんですけど」
マヌーは苦悶の色を浮かべて見上げたが、檜扇片手にクスクス笑う彼女は汗ばむ気色さえ見えない。目の端で鈴が赤くゆらめいた。
「はぁ、なんでそんなに元気なの」
「変わらないねとは言われるわ」
「でしょうね」
「あんまりそういうの顔に出ないみたい」
「これだから年齢不詳って」
枯芝の上に座り込みながらひと息つくと、マヌーは少しやつれた顔で星降る山を見つめた。
「あーぁ、神ならばゆららさららと降りたまへいかなる神か物恥はする」
「いま何か仰って? それも梁塵秘抄?」
「えぇ、今の貴女にぴったりだと思って」
「なんて意味?」
「神だというのなら、どうぞゆったりと降りてきてください。いったいどんな神様が、恥ずかしがることがありましょう」
「あらそんな」
「意訳:僕の恋い慕う可憐でたおやかな女神様にはいったいいつになったら会えるんでしょうか? まったく、この巫女さんさっきから全然神様降ろせな――」
スパン、と鋭い音が小高い丘に鳴り響いた。
「その右腕切り落としてやろう」
「ちょっと。エボシごっこならよそでやってよ」
鋭く檜扇を振り下ろした巫女の一撃を、マヌーは柳に風と白檀扇子で受け流した。
「ふふ、曇りなき眼で見定めちゃう?」
「わるいけど今そんな気分じゃないから」
「はぁ、つれないったら」
「相変わらずしつこいね」
「もうちょっとでデコピン出来たのに」
「そう何度も同じ手に引っ掛かるわけないでしょう」
「ふふ、それは残念」
ところが、受け止めた拍子に檜扇の要が爪の付け根にでも当たったのだろうか、不意に激痛に襲われたマヌーは、理不尽な痛みに弱音を吐いた。
「泣きたい……」
「どうぞどうぞ」
「……。どうぞと言われると泣けないんですけど」
「まあ、とんだあまのじゃくがいたものね」
「なんとでも言えば」
「泣きたいときは泣けばいいじゃない」
「あーあ、他人事だと思って。好き勝手言ってくれるね」
「そりゃあ、他人事ですもの」
女人の影はひらりと身を翻すと、ふたたび月明かりの下で楽しげに舞った。
「むしろ泣いてる姿を見るとほっとしない? この人は痛みを感じるような優しい心をちゃんと持ってるんだなって」
「それは、とんだサイコパスですね……」
「そうかしら。限りなく神視点じゃない? 私はその弱さをむしろ愛おしく思うわ」
「いとおしい……?」
楽しげに舞い踊る女人の影を、マヌーはしばらく心ここにあらずで眺めていた。
枯芝の冷たさにようやく気がついたときには、月は少し傾き、けれども雲がかかることもなくこうこうと輝いて。
マヌーは俯き加減に視線を外しながら、おもむろに白檀扇子を広げると、要を指で覆うように持って気だるげに額にかざした。
「もうちょっと闇夜だったら会えたのかな」
透かし彫りから漏れた月の光が真っ白い服の立ち襟に反射して、琥珀の瞳がほんのり煌めいた。
「あら、私は月夜の方が好き」
「想像の余地がなくない?」
「むしろロマンがあるじゃない」
「そうかな」
「だんぜん月夜のがいいわ」
つれない彼女がどことなく眩しい月の光と重なって、マヌーは静かに目を伏せた。
「いっそ椀久になりたかったよ」
『なんでいつもそう争い事にしたがるのかな。とてもそんな気分じゃ』
『何か賭けなきゃつまらないじゃない。ね、この勝負、もし私が勝ったら。お願いしたい役があるの』
『どうせまた脇役でしょ』
『ううん、むしろ主役級ね。貴方にしか出来ない役』
『じゃあ僕が勝ったら?』
『あ、ご心配なく。どうやっても私が勝つから』
『それはたいそうな自信をお持ちで――』
明星はとうに姿を消し、いまや夜半の月を遮るものは何もない。
さやけき月かげ差し込んで、小高い丘に鳴り響くのは扇拍子と鈴の音。
拍子に合わせて時おり交錯する二つの影は蝶か人か、螺旋を描くようにきりきりと舞った。
「足柄山に舞うものは、白鹿 八重霧 虎が雨、更級日記の遊女三人、雨乞い池の玉手姫、五彩の蝶の玉依姫――神霊の依りつく巫女、どこぞの山の神の権現、いや、むしろただのなりすまし」
白檀扇子を打ち鳴らし、少年の影はさららと舞った。
「舞ーへ 舞ーへ 蝸牛! 舞ーはぬもーのーなーらーばー 馬の子ーや 牛の子ーに 蹴ゑさせてむ 踏み破らせてむっ」
檜扇片手にひらひらと、蝶のように舞い囃すのは女人の影。
「と思ったけどここには子馬も子牛もいないし。うーん、やっぱりデコピン百回の刑♡」
ふふっと笑ったその拍子、踊る女人の足元で赤々と、鈴が小刻みにゆらゆら揺れた。
「はー夢が台無し」
マヌーは白檀扇子を打ち鳴らす手を止めて嘆きの声を漏らした。
「まったく。せっかく踊る気になったってのに、とんだ妖怪夢覚まし――」
ふと、くずおれるようにごほごほと咳き込むマヌー。かわりばんことはいえ、夜通し歌い続けて喉でも痛めたのだろう。
しゃがみこむマヌーのまわりをくるくると、女人の影が妖しく舞った。
「まあ、大丈夫?」
「おかげで喉まで潰れそうなんですけど」
マヌーは苦悶の色を浮かべて見上げたが、檜扇片手にクスクス笑う彼女は汗ばむ気色さえ見えない。目の端で鈴が赤くゆらめいた。
「はぁ、なんでそんなに元気なの」
「変わらないねとは言われるわ」
「でしょうね」
「あんまりそういうの顔に出ないみたい」
「これだから年齢不詳って」
枯芝の上に座り込みながらひと息つくと、マヌーは少しやつれた顔で星降る山を見つめた。
「あーぁ、神ならばゆららさららと降りたまへいかなる神か物恥はする」
「いま何か仰って? それも梁塵秘抄?」
「えぇ、今の貴女にぴったりだと思って」
「なんて意味?」
「神だというのなら、どうぞゆったりと降りてきてください。いったいどんな神様が、恥ずかしがることがありましょう」
「あらそんな」
「意訳:僕の恋い慕う可憐でたおやかな女神様にはいったいいつになったら会えるんでしょうか? まったく、この巫女さんさっきから全然神様降ろせな――」
スパン、と鋭い音が小高い丘に鳴り響いた。
「その右腕切り落としてやろう」
「ちょっと。エボシごっこならよそでやってよ」
鋭く檜扇を振り下ろした巫女の一撃を、マヌーは柳に風と白檀扇子で受け流した。
「ふふ、曇りなき眼で見定めちゃう?」
「わるいけど今そんな気分じゃないから」
「はぁ、つれないったら」
「相変わらずしつこいね」
「もうちょっとでデコピン出来たのに」
「そう何度も同じ手に引っ掛かるわけないでしょう」
「ふふ、それは残念」
ところが、受け止めた拍子に檜扇の要が爪の付け根にでも当たったのだろうか、不意に激痛に襲われたマヌーは、理不尽な痛みに弱音を吐いた。
「泣きたい……」
「どうぞどうぞ」
「……。どうぞと言われると泣けないんですけど」
「まあ、とんだあまのじゃくがいたものね」
「なんとでも言えば」
「泣きたいときは泣けばいいじゃない」
「あーあ、他人事だと思って。好き勝手言ってくれるね」
「そりゃあ、他人事ですもの」
女人の影はひらりと身を翻すと、ふたたび月明かりの下で楽しげに舞った。
「むしろ泣いてる姿を見るとほっとしない? この人は痛みを感じるような優しい心をちゃんと持ってるんだなって」
「それは、とんだサイコパスですね……」
「そうかしら。限りなく神視点じゃない? 私はその弱さをむしろ愛おしく思うわ」
「いとおしい……?」
楽しげに舞い踊る女人の影を、マヌーはしばらく心ここにあらずで眺めていた。
枯芝の冷たさにようやく気がついたときには、月は少し傾き、けれども雲がかかることもなくこうこうと輝いて。
マヌーは俯き加減に視線を外しながら、おもむろに白檀扇子を広げると、要を指で覆うように持って気だるげに額にかざした。
「もうちょっと闇夜だったら会えたのかな」
透かし彫りから漏れた月の光が真っ白い服の立ち襟に反射して、琥珀の瞳がほんのり煌めいた。
「あら、私は月夜の方が好き」
「想像の余地がなくない?」
「むしろロマンがあるじゃない」
「そうかな」
「だんぜん月夜のがいいわ」
つれない彼女がどことなく眩しい月の光と重なって、マヌーは静かに目を伏せた。
「いっそ椀久になりたかったよ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
殿下、人違いです。殿下の婚約者はその人ではありません
真理亜
ファンタジー
第二王子のマリウスが学園の卒業パーティーで婚約破棄を突き付けた相手は人違いだった。では一体自分の婚約者は誰なのか? 困惑するマリウスに「殿下の婚約者は私です」と名乗り出たのは、目も眩まんばかりの美少女ミランダだった。いっぺんに一目惚れしたマリウスは、慌てて婚約破棄を無かったことにしようとするが...
絶対防御とイメージ転送で異世界を乗り切ります
真理亜
ファンタジー
有栖佑樹はアラフォーの会社員、結城亜理須は女子高生、ある日豪雨に見舞われた二人は偶然にも大きな木の下で雨宿りする。
その木に落雷があり、ショックで気を失う。気がついた時、二人は見知らぬ山の中にいた。ここはどこだろう?
と考えていたら、突如猪が襲ってきた。危ない! 咄嗟に亜理須を庇う佑樹。だがいつまで待っても衝撃は襲ってこない。
なんと猪は佑樹達の手前で壁に当たったように気絶していた。実は佑樹の絶対防御が発動していたのだ。
そんな事とは気付かず、当て所もなく山の中を歩く二人は、やがて空腹で動けなくなる。そんな時、亜理須がバイトしていたマッグのハンバーガーを食べたいとイメージする。
すると、なんと亜理須のイメージしたものが現れた。これは亜理須のイメージ転送が発動したのだ。それに気付いた佑樹は、亜理須の住んでいた家をイメージしてもらい、まずは衣食住の確保に成功する。
ホッとしたのもつかの間、今度は佑樹の体に変化が起きて...
異世界に飛ばされたオッサンと女子高生のお話。
☆誤って消してしまった作品を再掲しています。ブックマークをして下さっていた皆さん、大変申し訳ございません。
異世界でゆるゆる生活を満喫す
葉月ゆな
ファンタジー
辺境伯家の三男坊。数か月前の高熱で前世は日本人だったこと、社会人でブラック企業に勤めていたことを思い出す。どうして亡くなったのかは記憶にない。ただもう前世のように働いて働いて夢も希望もなかった日々は送らない。
もふもふと魔法の世界で楽しく生きる、この生活を絶対死守するのだと誓っている。
家族に助けられ、面倒ごとは優秀な他人に任せる主人公。でも頼られるといやとはいえない。
ざまぁや成り上がりはなく、思いつくままに好きに行動する日常生活ゆるゆるファンタジーライフのご都合主義です。
異世界楽々通販サバイバル
shinko
ファンタジー
最近ハマりだしたソロキャンプ。
近くの山にあるキャンプ場で泊っていたはずの伊田和司 51歳はテントから出た瞬間にとてつもない違和感を感じた。
そう、見上げた空には大きく輝く2つの月。
そして山に居たはずの自分の前に広がっているのはなぜか海。
しばらくボーゼンとしていた和司だったが、軽くストレッチした後にこうつぶやいた。
「ついに俺の番が来たか、ステータスオープン!」
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
追放令嬢は隣国で幸せになります。
あくび。
ファンタジー
婚約者の第一王子から一方的に婚約を破棄され、冤罪によって国外追放を言い渡された公爵令嬢のリディアは、あっさりとそれを受け入れた。そして、状況的判断から、護衛を買って出てくれた伯爵令息のラディンベルにプロポーズをして翌日には国を出てしまう。
仮夫婦になったふたりが向かったのは隣国。
南部の港町で、リディアが人脈やチートを炸裂させたり、実はハイスペックなラディンベルがフォローをしたりして、なんだかんだと幸せに暮らすお話。
※リディア(リディ)とラディンベル(ラディ)の交互視点です。
※ざまぁっぽいものはありますが、二章に入ってからです。
※そこかしこがご都合主義で、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる