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束の間

恋せば ㊤

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『ひとつ賭けをしましょうよ』
『なんでいつもそう争い事にしたがるのかな。とてもそんな気分じゃ』
『何か賭けなきゃつまらないじゃない。ね、この勝負、もし私が勝ったら。お願いしたい役があるの』
『どうせまた脇役でしょ』
『ううん、むしろ主役級ね。貴方にしか出来ない役』
『じゃあ僕が勝ったら?』
『あ、ご心配なく。どうやっても私が勝つから』
『それはたいそうな自信をお持ちで――』


 明星はとうに姿を消し、いまや夜半の月を遮るものは何もない。
 さやけき月かげ差し込んで、小高い丘に鳴り響くのは扇拍子と鈴の音。
 拍子に合わせて時おり交錯する二つの影は蝶か人か、螺旋を描くようにきりきりと舞った。
 
「足柄山に舞うものは、白鹿はくろく 八重霧やえぎり とらあめ、更級日記の遊女あそび三人、雨乞い池の玉手姫たまてひめ、五彩の蝶の玉依姫たまよりびめ――神霊の依りつく巫女、どこぞの山の神の権現ごんげん、いや、むしろただのなりすまし」

 白檀扇子を打ち鳴らし、少年の影はさららと舞った。
 
「舞ーへ 舞ーへ 蝸牛かたつむり! 舞ーはぬもーのーなーらーばー 馬の子ーや 牛の子ーに 蹴ゑさせてむ 踏み破らせてむっ」
 
 檜扇片手にひらひらと、蝶のように舞いはやすのは女人の影。

「と思ったけどここには子馬も子牛もいないし。うーん、やっぱりデコピン百回の刑♡」

 ふふっと笑ったその拍子、踊る女人の足元で赤々と、鈴が小刻みにゆらゆら揺れた。

「はー夢が台無し」

 マヌーは白檀扇子を打ち鳴らす手を止めて嘆きの声を漏らした。

「まったく。せっかく踊る気になったってのに、とんだ妖怪夢覚まし――」

 ふと、くずおれるようにごほごほと咳き込むマヌー。かわりばんことはいえ、夜通し歌い続けて喉でも痛めたのだろう。
 しゃがみこむマヌーのまわりをくるくると、女人の影が妖しく舞った。

「まあ、大丈夫?」
「おかげで喉まで潰れそうなんですけど」

 マヌーは苦悶の色を浮かべて見上げたが、檜扇片手にクスクス笑う彼女は汗ばむ気色さえ見えない。目の端で鈴が赤くゆらめいた。

「はぁ、なんでそんなに元気なの」
「変わらないねとは言われるわ」
「でしょうね」
「あんまりそういうの顔に出ないみたい」
「これだから年齢不詳って」

 枯芝の上に座り込みながらひと息つくと、マヌーは少しやつれた顔で星降る山を見つめた。

「あーぁ、神ならばゆららさららと降りたまへいかなる神か物恥はする」
「いま何か仰って? それも梁塵秘抄?」
「えぇ、今の貴女にぴったりだと思って」
「なんて意味?」
「神だというのなら、どうぞゆったりと降りてきてください。いったいどんな神様が、恥ずかしがることがありましょう」
「あらそんな」
「意訳:僕の恋い慕う可憐でたおやかな女神様にはいったいいつになったら会えるんでしょうか? まったく、この巫女さんさっきから全然神様降ろせな――」

 スパン、と鋭い音が小高い丘に鳴り響いた。

「その右腕切り落としてやろう」
「ちょっと。エボシごっこならよそでやってよ」

 鋭く檜扇を振り下ろした巫女の一撃を、マヌーは柳に風と白檀扇子で受け流した。

「ふふ、曇りなき眼で見定めちゃう?」
「わるいけど今そんな気分じゃないから」 
「はぁ、つれないったら」
「相変わらずしつこいね」
「もうちょっとでデコピン出来たのに」
「そう何度も同じ手に引っ掛かるわけないでしょう」
「ふふ、それは残念」

 ところが、受け止めた拍子に檜扇のかなめが爪の付け根にでも当たったのだろうか、不意に激痛に襲われたマヌーは、理不尽な痛みに弱音を吐いた。

「泣きたい……」
「どうぞどうぞ」
「……。どうぞと言われると泣けないんですけど」
「まあ、とんだあまのじゃくがいたものね」
「なんとでも言えば」
「泣きたいときは泣けばいいじゃない」
「あーあ、他人事だと思って。好き勝手言ってくれるね」
「そりゃあ、他人事ですもの」

 女人の影はひらりと身を翻すと、ふたたび月明かりの下で楽しげに舞った。

「むしろ泣いてる姿を見るとほっとしない? この人は痛みを感じるような優しい心をちゃんと持ってるんだなって」
「それは、とんだサイコパスですね……」
「そうかしら。限りなく神視点じゃない? 私はその弱さをむしろ愛おしく思うわ」 
「いとおしい……?」

 楽しげに舞い踊る女人の影を、マヌーはしばらく心ここにあらずで眺めていた。
 枯芝の冷たさにようやく気がついたときには、月は少し傾き、けれども雲がかかることもなくこうこうと輝いて。
 マヌーは俯き加減に視線を外しながら、おもむろに白檀扇子を広げると、要を指で覆うように持って気だるげに額にかざした。

「もうちょっと闇夜だったら会えたのかな」
 
 透かし彫りから漏れた月の光が真っ白い服の立ち襟に反射して、琥珀の瞳がほんのり煌めいた。

「あら、私は月夜の方が好き」
「想像の余地がなくない?」
「むしろロマンがあるじゃない」
「そうかな」
「だんぜん月夜のがいいわ」

 つれない彼女がどことなく眩しい月の光と重なって、マヌーは静かに目を伏せた。

「いっそ椀久わんきゅうになりたかったよ」
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