89 / 115
束の間
phantasia:幻想、空想、想像力、現れてくるもの、表象
しおりを挟む「おめでとうございます」
カエルは全身で喜びを表現するかの如く飛び跳ねた。水かきには見つけたばかりの大きな花束。
「受け取ってくれますか? 私からの最後の贈り物。もう選びきれないので五彩のバラの花束にしました。色とりどりでほんとうに綺麗なんですよ」
サイドテーブルにそっと歩み寄り、花束を差し出すカエル。
「え? なんのお祝いって。ただなんとなく。そんな気分だから。目に見えないものは一切信じないというのなら先ずは私から形にしてみせようというわけです。もしかしたらプロデューサーにはまだ見えないかもしれませんが……はい……?」
カエルはサイドテーブルの言葉に耳を傾けた。
「なるほど、俺には人の心がわからないんだからしょうがないと。確かにそういう一面もあるでしょう。自分ではどうにも出来ない苦しみというものが。
ですが、ふふ、言い逃れしようったってムダですよプロデューサー。私はあなたの孤独を知っている。自分では一切感じられなくとも理性で間接的に推し量ることは出来るでしょう? 人々が心や愛と呼んで大切にしてるものが確かにそこにあるらしいと。
たとえば……そうだな。このバラ、深みを帯びた緑色なんです」
カエルはおもむろにバラを1本引き抜いた。深みを帯びた緑に託す物語を添えて。
「この世に筋書きがあるのなら、いずれあなたも愛を知るでしょうプロデューサー。たとえば自分独りでは立ち上がれないほど、己の弱さを知ったときに。
ですがこんな台詞もあります。O, beware, my lord, of jealousy; It is the green-eyed monster which doth mock The meat it feeds on; 確かシェイクスピアのオセローだったと思いますが。
嫉妬はときに人の心を弄び、餌食にする、と。どうぞ、緑色の目をした怪物にはご用心を、プロデューサー」
緑のバラを花束に戻しながら、カエルは五彩の光を宿した瞳に想いを馳せた。
「嫉妬に駆られる瞳を緑色と表現したくらいです。きっとシェイクスピアは知っていたんじゃないでしょうか。榛色の瞳は光の加減で緑っぽく見える瞬間があるって。そしてその美しさに嫉妬する人間の瞳に映り込むのは一体何色なのかも。
おもえば最初にhazel eyesという表現を使ったのもシェイクスピアだったような。確かロミオとジュリエットに登場する町のごろつきに絡まれる役の人だったかしら……あれ、引き抜いたはいいけど戻しにくいんですけどこのバラ」
カエルは詰めの甘さを補うように、内心焦りながら不器用に頑張っている。
『然し無暗にあせつては不可ません。たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です』
それから。歯車に悩む若者に文豪が送った励ましの言葉がカエルの脳裏を過った。
「だいたい、酷い頭痛持ちの人というのは一瞬の光に異様に惹かれますよね。眩しすぎる光は突き刺さるばかりだし、少し憂いを帯びたような中にキラッとした変化を見せるものにことさら弱くって。
おもえば五彩という言葉に最初に出会ったのも偏頭痛持ちの文豪の作品でした。芥川龍之介と夏目漱石。どちらも光の描写が異様に細かいし。そう思えばシェイクスピアがヘーゼルアイに惹かれた気持ちもわかるような気がするんです……あ、やっと戻せた。ふぅ」
カエルは深みを帯びた緑の花びらを水かきでそっと整えると、今度は別のバラを1本、途中まで引き抜いた。
「それからこれはティリアン・パープル。古より王族を虜にしてきた色だそうです。レッドカーペットの起源とも言われる色。
ギリシャ悲劇の英雄、暴虐の限りを尽くしたと言われるあのアガメムノンでさえ踏むのを躊躇ったという絨毯の色です。
実際は、躊躇うだけで歩くんですけどね。絨毯の上。いまさら貝を大量虐殺してまで染める気にはなれませんが、幻想ならばありでしょう?」
赤みを帯びた紫色の花びらが、花束の真ん中で微かに煌めいた。それから紫のバラをさらりと元に戻すと、カエルは五彩の花束に顔を寄せた。
「はあ、いい香り。ご存知ですかプロデューサー。映画って、すごい力を持ってるんですよ。これはどこの辞書にも載っていない、夢を失ったことのある人でなければたどり着けない境地」
カエルの脳裏に浮かんだのは、かつて名声を博した道化師が舞台から落ちる姿。チャップリンの映画『ライムライト』のワンシーンだ。
「たとえもう自分の人生に夢も希望も持てなくとも、映画館にいる間だけは、誰かと一緒に夢が見られるんです。束の間の夢を」
五彩に煌めく幻想の花束をいっぱいに抱え、カエルは銀幕の世界に想いを馳せた。
「ふふ、決めました。五彩のバラの花言葉。願わくばプロデューサー、あなたにもいつかこの花束の美しさが届きますように。そんな祈りを込めて。幻想を愛するカエルから夢みる者たちへ贈る言葉。どうぞ、お受け取りください」
カエルは五彩の花束をそっとサイドテーブルの上に置くと、胸に手を当ててお辞儀をした。
天板の上の白黒の舞台は幻想で夢のように煌めく。
「美しい夢を、あなたへ」
カエルは持っていたものをすべてサイドテーブルと背の高い椅子に託すと、ふたたび下手に向かって歩きだした。
その足取りは心なしか軽やかだ。
「あ、そうだ。言い忘れてた」
舞台からはける寸前。カエルは不意にふり返り、上手に向かって声を掛けた。
「さっきの話、全部つくり話なんです。だって幻想ですから」
カエルはくっくと笑った。
「なんだかんだ世の占い師の皆さんは色々勉強なさってるでしょう? 四柱推命、九星気学、占星術、手相、その他色々。
その点カエルが使ったものと言えばただの幻想だけ。もはや確固たる証拠がどこにもありません。なんという清々しい幻想でしょう。
ですから、くれぐれも信じてくださらぬよう重ねてお願い申し上げますプロデューサー」
カエルはふふっと笑うと、ふたたび前を向いた。
「もちろん、幻想を愛するカエルにとっては全部ほんとうの話ですけどね」
歩きながら思い浮かべるのは心惹かれるあの瞳。
「ほんとうに、美しいんですから。現実ってものは。ねえ? 皆さんもそう思いませんか」
カエルの影は去りゆく。夢の舞台にむせかえるほどの小さな愛を託して――
「うわっ」
なんということだろう。格好よく決めるつもりが、足元の小石につまづいたカエルは、もんどり打って転んでしまった。最後の最後でカエルも予期せぬ出来事。
「…………」
地べたに突っ伏したまま身動きひとつしないカエル。もしや夢から覚めてしまったか。
「…………」
そのとき、どこかから黒曜石の石版を黄色いメガホンで叩く音が響いた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
私はただ自由に空を飛びたいだけなのに!
hennmiasako
ファンタジー
異世界の田舎の孤児院でごく普通の平民の孤児の女の子として生きていたルリエラは、5歳のときに木から落ちて頭を打ち前世の記憶を見てしまった。
ルリエラの前世の彼女は日本人で、病弱でベッドから降りて自由に動き回る事すら出来ず、ただ窓の向こうの空ばかりの見ていた。そんな彼女の願いは「自由に空を飛びたい」だった。でも、魔法も超能力も無い世界ではそんな願いは叶わず、彼女は事故で転落死した。
魔法も超能力も無い世界だけど、それに似た「理術」という不思議な能力が存在する世界。専門知識が必要だけど、前世の彼女の記憶を使って、独学で「理術」を使い、空を自由に飛ぶ夢を叶えようと人知れず努力することにしたルリエラ。
ただの個人的な趣味として空を自由に飛びたいだけなのに、なぜかいろいろと問題が発生して、なかなか自由に空を飛べない主人公が空を自由に飛ぶためにいろいろがんばるお話です。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【完結】君の世界に僕はいない…
春野オカリナ
恋愛
アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。
それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。
薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ひだまりを求めて
空野セピ
ファンタジー
惑星「フォルン」
星の誕生と共に精霊が宿り、精霊が世界を創り上げたと言い伝えられている。
精霊達は、世界中の万物に宿り、人間を見守っていると言われている。
しかし、その人間達が長年争い、精霊達は傷付いていき、世界は天変地異と異常気象に包まれていく──。
平凡で長閑な村でいつも通りの生活をするマッドとティミー。
ある日、謎の男「レン」により村が襲撃され、村は甚大な被害が出てしまう。
その男は、ティミーの持つ「あるもの」を狙っていた。
このままだと再びレンが村を襲ってくると考えたマッドとティミーは、レンを追う為に旅に出る決意をする。
世界が天変地異によって、崩壊していく事を知らずに───。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる