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束の間
見果てぬカエル
しおりを挟む〝だって、あきらめるしかないさ。奇跡なんてほんとはこの世にないんだから〟
無事に映画も完成し、制作現場も落ち着きを取り戻したある日曜日。
カエルはとある荻窪のアパートの一室で昼間からぐったり横になっていた。
「はーもたなかったー……」
天井を見つめながら布団の上で大の字になってぐったりするカエル。
なんとか映画が完成するまで意地だけで生き抜いたものの、最後の最後で力尽きた。
制作作業が山場を越えていたことがせめてもの救いだ。
「まあでも。あの映画を観て笑顔になってくれる人がどこかに一人でもいるのなら、それこそ命を削った甲斐もあるというもの。ええ、所詮ただの下っ端の下っ端のいちスタッフに過ぎなくてもね」
『監督には体調崩してること絶対言わないで』というプロデューサーの言葉はむしろカエルにとっても好都合であった。
ただでさえ忙しい監督に己の体調ごときで気を煩わせるなど制作の風上にも置けないという、認知の歪み満載のカエルの最後のやせ我慢である。
「……あーこの歯車ほんと邪魔だな」
視界の歯車を追い払うように目を閉じて、肘をついて昼間からゴロゴロ横になるカエル。
目を閉じたせいで余計歯車がくっきり見えたことは言うまでもない。
音で痛みを誤魔化そうとおもむろにつけたテレビから聞こえてきたのはいつかの曲だった。
『……お願い 想いが届くようにね……』
神様(仮)をやってみると痛感するのが、どうやって役者に間接的にメッセージを届けるかということで。こんなに難しいことは中々ない。
『……お願い 想いが届くといいな……』
「だって、あきらめるしかないじゃないですか。奇跡なんてほんとはこの世にないんですから」
返事でもするようにお気に入りのキャラクターの台詞を呟いて、すっかり悲劇を気取っているカエル。結局のところ、ハムレットに限らず悲劇と独白はとても相性がいいのだろう。
カタルシス。悲劇と感情の浄化を最初に論じたのは古代ギリシャのアリストテレスではなかったか。
「――奇跡なんてないんだよ……」
演出という視点から見ても、実際は黙って考えながらゴロゴロしてただけの死にかけのカエルをそのまま白黒映像に映したところで何のドラマも起きない。せめて内面の呟きを独白形式にするのでなければ、放送事故になること請け合いである。
「あの台詞を言ったとき、有栖川先輩は一体どんな気持ちだったのでしょう。もしかして◯◯カツヨさんならば知っているでしょうか。わたくしの敬愛する演出家。彼女の演出好きだったな」
住めば都とは言うもので、もともと〝役者〟志望だったカエルにとって演出助手(仮)としての日々はむしろ新鮮な驚きのが多かった。
「泣きのカツヨという言葉もあるくらいです。そりゃあ橋本◯◯◯さんの演出はキレッキレで。しびれるものばかり。ですがわたくしが心惹かれたのはもっと根本的なこと。橋本カツヨ◯◯の演出にはいたるところに映画愛を感じる。たとえばドイツ表現主義の映画のひとつ『カリガリ博士』に登場する背の高い椅子と花の演出とか。あるいは同じくドイツのサイレント映画『メトロポリス』の踊りのワンシーンとか。いろいろ。まあ私が勝手にそう思ってるだけですけど」
相変わらず肘をついて横になったままおもむろにチャンネルを変えはじめるカエル。
けれどもたいして気になるチャンネルがないのでエンドレスでリモコンのボタンを連打するだけ。
「はあ、それにしてもこの歯車いったいなんなんだろ。最近鎮痛剤も効かなくなってきたし」
歯車が見える現象を閃輝暗点と呼ぶのだとカエルが知るのはもっと後のこと。
同じように歯車に悩まされた文豪がいたことなど知る由もないカエルは、まさに彼と同じ行動を取ろうとしていた。
「1錠2錠3錠4錠5錠6錠……そう言えば睡眠薬を沢山飲んでって話は聞くけれど」
おもむろに鎮痛剤を取り出しながら、視野狭窄に陥ったカエルはハムレット気取りで独白を続けた。
「このまま生きながらえてなんになるというのでしょう。やる気と体力だけを頼りに生きてきた正直者の潔いカエルがそれをすべて失ってしまったら? 罪悪感と羞恥心でいまにも押し潰されそうなカエルはいったい何を頼りに生きていけばいいんです。
よくわからない歯車が四六時中ちらついてこれでは日常生活もままならないじゃないですか。運転できなきゃ演出助手どころか制作としても終わってる。人様に嘘までついて。むしろ人としても終わってる。都会まで出てきて一体何やってるんでしょう。むしろ拙いカエルなりにいままで投げ出さずによく頑張ってきた方だと思うんですよ」
能力評価主義の最大の欠点は、自分が誰の役にも立たない存在かもしれないと思ったときにどうするか? というところにあるだろう。
客観的に見れば、何も出来なくともその人がそこに生きて存在してくれているだけで心から嬉しい〝愛〟というちゃんとした理由があるのだが、この頃のカエルは自己肯定感も皆無の自己犠牲的なカエル。
あのときの電話がなければカエルが独りでこの壁を乗り越えることなど到底出来なかっただろう。
『ドラマじゃあるまいし。嘘のような本当の話ってあるんだな』と、カエルは何度思ったかわからない。
「あれ、誰だろこんな時間に」
明滅する携帯の着信ランプに手を伸ばすカエル。
「え……監督……? 休日に珍しいな」
重すぎる責任感ゆえにTo be, or not to beしてしまう人はたいてい間際になってもうっかり携帯に出てしまうものである。
「あ、スミマセン今日はちょっと頭痛が酷くて。せっかく連絡くださったのに申し訳……え? あ、そうなんです。実は頭痛持ちで――」
うっかり休日で気が緩んでいたというよりは、正直何もかもどうでもよくなっていたので演じようとも思わなかったというのが一番大きい。
ガラケーをパチンと閉じながら思わず呟くカエル。
「しまった……体調崩してることは監督に秘密……」
あのとき監督が『演出仲間と飲んでるから一緒にどう?』と誘ってくれたのは、きっと体調の悪さを隠していたことを鋭い観察眼でとっくに見抜いていたのだろうと、だいぶあとになってから気づいたカエルだった。
「…………」
親切はときに人の命すら救う力を秘めている。
「…………なんだ、独りじゃなかった」
どんなに情けなくてもこんな自分にも優しくしてくれる人がいるんだなと思うと、自然と口元が緩むものである。『ああ、自分にも味方が沢山いるじゃないか』と。
「ははは……本当に……何やってたんでしょう」
カエルはふっと笑うと、水かきで顔をぐしゃぐしゃっとして、布団から起き上がった。
「別に今すぐ白黒つけなくたっていい。時間をかけて変わっていくものもあるし。ねえ、そうでしょう? カツヨさん」
部屋の明かりをようやくつけて、気だるそうに動き出したカエル。
「まあ、まずは引っ越し作業という現実があるけれど……。別に一気に全部出来なくたって。少しずつ。そうやっていけば」
かくなるうえは是非もなし。カエルとして生まれたからには『なんだか急に冷める』という己の特性を活かしてなんとかかんとか生き抜いていくほかあるまい。
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