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束の間

ガス燈

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 石段の先に見えたのは二つ目の広場。ようやくたどり着くやチアキは首を傾げた。

「あれって」

 かがり火に取って代わるように広場の真ん中を照らすのは古いガス燈。
 硝子製の球体の火屋の中で炎が一瞬揺らめいて暗くなったのを、光に過敏になっているチアキは見逃さなかった。

「いま暗くなったような。あれ、気のせい?」

「うん確かに暗くなった。もちろん、気のせいなんかじゃない」

 ルキアッポスは黄色いメガホンで二つ目の広場の突き当たりを指しながら言った。

「さあ次はあの鏡」

 樹齢不詳の月桂樹に代わりガス燈が、さらに黒曜石の石版が3枚に増えているほかはとくに大きな変化は見当たらなかったが、視界の隅で再びガス燈の炎が一瞬揺らめいて、チアキの痛む頭にズキッと響いた。



「それではカエルさん、スミマセンがまたよろしくお願いします」

 ルキアッポスはさっそく鏡をコツコツと叩くと、黄色いメガホン越しに鏡の向こう側へと声を掛けた。

『あ、了解です』

「今回は黒曜石の鏡を横に3枚分なので、画面の比率は4:3……正方形より少し横に長い程度でしょうか」

『あ、スタンダードサイズって感じですね。了解ですー』

「ははは、詳しい役者さんがいると助かります。もうこっちも臨時でいっぱいいっぱいで」

 発光した石版に映ったのはもはやカエルの影絵ではなかった。まるで白黒映画のスターのように石版に映る懐かしい面影に、チアキの麻痺した心がチクリと痛む。

「やっぱりカエルくん……」

 けれどもメガホンなしに呟いたチアキの声がカエルに届くことはなかった。

『あ、そしたら流れはどうしましょうか。上手から下手に流れる感じでいきますか?』

「そうですね、映像の流れとしては右から左……上手から下手へ進んでいく感じにしようかと思ってます」

『了解です。では物語が進むときは下手へ向かって順当に。逆に心理的に葛藤があるときなんかは流れに逆らう感じで上手の方を向きますね』

「あ、もうバッチリな感じです。あと相手役の人はちょっと迂闊に近づくと危険なので今回はコピーを投影するだけにしました。安心して演じてくださいカエルさん」

『あ、了解です』

「ではまたタイミングが来たら合図送りますので。はい、そんな手筈で。よろしくお願いしまーす」

 黄色いメガホン片手に指示を出すルキアッポスに、チアキは尋ねずにいられなかった。

「流れとは?」

「え?」

 知的好奇心に燃えるチアキの瞳にガス燈が揺らめく。

「映像の流れがなんちゃらって。演出の一つですか?」

「ああ、あれは」

 ルキアッポスは黄色いメガホンを弄びながら考えた。

「映画でも小説でも頭に思い描いたイメージでも。一つ一つのカットを前後で繋げて観たときに初めて一定の流れが発生するものでしょう? 映像って」

「そうですか?」

「直接目には見えないけど。心や肌で感じる類いのもので。時間と呼んだり物語と呼んだり。あるいはリズムとかメロディーとか緩急とか。シェイクスピアの言葉にも一定のリズムがあるし」

「シェイクスピア……」

「カットの繋ぎ方次第では、小川のような一定の流れを映像作品の中にも発生させることができる」

 ルキアッポスは黄色いメガホンを石版の上手から下手へ向かって一直線に動かした。

「視覚的にも整理してあげれば観客に余計な混乱や違和感を与えずに済むし。逆にストーリーに合わせて映像で物語ることもできる」

「わかったようなわからないような」

「ね。そもそも臨時のバイトに説明しろって方が無理があるんだよ」

 ルキアッポスは天を見上げたが、とくに何の答えもないのでなんとか頑張って説明することにした。

「なんとかって言われてもね」

「え?」

「あ、いやただの独り言で」

 ルキアッポスはコホンと咳払いすると黄色いメガホン片手に考え込んだ。

「さっきのはつまり」

「つまり?」

「目の前に小川が流れてるとして。その川の流れに乗っていくのはそこまで苦にはならないでしょう? オフィーリアみたいに流れに身を任せてさ」

「オフィーリア……」

 ルキアッポスは気づいていなかった。チアキが怪訝な顔で白い仮面の奥を見定めようとしていることに。

「いやいまのはなんというか……ちょっとした例えで」

 ルキアッポスは慌てて視線をそらして仕切り直すと、何もなかったように言葉を続けた。

「逆に。小川の流れに逆らって進むとなったらそれだけで負荷がかかるでしょう? 想像しただけで。重力みたいに普段から無意識に感じてることというか」

「無意識……オフィーリア……シェイクスピア……」

 チアキはなにやら考え込みながらぶつぶつと呟いた。

「その無意識の感覚を、映像にも取り入れてより観客の心に視覚的に訴えようという作戦。そんな話もあるんだなぐらいに思っていただけると幸いです」

「幸いと言われましても」

「好きこそもののって言葉あるでしょう? あれなんだっけ……たぶんあと何か5モーラ分」

 ルキアッポスは天を見上げた。神様はまだ次の舞台を直接見たことがない何も知らない役者に親切に答えをそっと呟く。

『……よいちょまる……』

「え?」

『……好きこそもののよいちょまる……』

「ああちょうど5モーラ。なるほど言われてみればそんな言葉だったような」

「あのー?」

 サイコパス顔負けの疑り深い眼差しを向けるチアキ。
 ルキアッポスは誤魔化すように慌てて言葉を継いだ。

「よいちょまる」

「え、なんて?」

「ほら、好きこそもののよいちょまるって言うんでしょう?」

「よいちょ……丸……?」

「まずは自分がどう感じたか。その好きって感覚があるからいくら分解しても元に戻せるわけで。そうでなきゃ答えのない迷路に迷いこむだけ」

「迷路に……」

 チアキは混乱していた。絶対あの人だと思ったのに。でもあの人があんな摩訶不思議な言葉使うわけないし。やっぱり気のせいか。

「よいちょ丸なんて言葉いままで使ったことないんですけど……。ルキアッポスさんは誰から聞いたんですか? その言葉」

「え、誰って、ふつうに神様」

「神……様……?」

 チアキはいよいよ頭を抱え込んで苦悩し始めた。

「あ……! いや、神様というか。友だちもそう言ってたし」

「友だち……まで……? あれもしかしておかしいのは僕のほう……?」

 絶対的な権力を持つ者が嘘をさも本当のことのように言ったとき。閉鎖空間でそれが正しいとされるとき。握りつぶされた真実を片手に己の判断力を信じ続けられる人は一体どれだけいるだろう。
 そんなのはおそらく、はなから神様になんの期待もしていないような、孤独に慣れた執念深い罰あたりくらいだということを、神様(仮)は身をもって知っていた。

「いや何ですかよいちょ丸って。好きこそものの上手なれ、でしょう? 騙されてますよルキアッポスさん」
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