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束の間
Can shee excuse
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「ひどいよ」
「ごめんそんなつもりは」
「2度も刺すなんて」
「ごめん。でも元はと言えばキミが」
「許さない。きみはそうやっていつも自分を犠牲にして」
白黒の床の上、少年は力なく横たわる王子から今度こそ血まみれの短剣を奪い取るともう一度馬乗りになった。
「しかも2度とも手元をろくに見もせずに刺して」
王子の顔めがけて振り下ろした短剣の切っ先はわずかにそれて、ガチンと音を立てて大理石の床を穿った。
王子の顔に舞い落ちた花模様のレースがふわりとそよいだ。
「そんなんじゃ自分が手にしていたものが本物かどうかもわからない」
少年はレースを引っ掴むと血まみれの短剣を王子の眼前にかかげた。
刃をうちに秘めた短剣の柄はひしゃげ、つくりものの刃が元にもどることはなかった。
「え」
「なに」
「つくりもの……?」
「だからずっとそう言ってる」
「でもそんなはず。ならキミは本当に本当のオフィーリア……?」
少年は嘆息をもらしながら立ち上がると両膝を軽くはたいた。
「残念なお知らせがあります」
「はい」
少年は王子に手を差しのべた。王子はきまりが悪そうに手をとり黙って立ち上がると琥珀の瞳で少年を見つめた。
「大変申し訳ありませんが僕はオフィーリアじゃありません」
「うん。知ってる」
「僕はオフィーリアじゃなくて、チアキ」
「キミがチアキなのはとっくにわかってる」
「いいえまだわかってないです」
「……」
「僕はチアキ。オフィーリアじゃない。きみだってハムレット王子なんかじゃない。きみの本当の名前は……結局教えてくれなかったから知らないけど。でもきみは本当は」
「本当って、何」
「え?」
「僕に本当も何もないよ。気づいたらここにいて自分がどこから来たのかもわからない。自分の本当の名前すら」
王子はチアキから血まみれの短剣を受け取ると壊れた刃を触りながら小さく嗤った。
「よく聞かれるんだ。本当のあなたはどんな人間ですかって。自分でも舞台から引きずり下ろされるたびに思う。僕がさっきまであの舞台の上で真剣に演じていたのはどんな人間だったろうって。時には好きなチェスの駒、時には瓜二つの影、時にはみんなの哀しみを一手に引き受けるピエロ。もちろんどれも自分の一部であることにかわりはない。でも」
王子はつくりものの刃があったであろうあたりをチラと見て、ひしゃげた短剣の柄をそっと撫でた。
「一度我に返ったら最後、どんなに熱心に演じても元の自分には戻れない。観客席から常に冷めた自分が見つめてるから」
「別によくない?」
「独りでいるぶんにはね。なんの問題もない。ありのままでいればいいんだから。でも舞台の上で他の役者と言葉を交わすとなるとそうはいかない。もちろん元の自分を演じることはできるけど。それこそ僕にとってはただの嘘でしかない」
「じゃあありのままで舞台に上がれば?」
「そんなことしたら周りの人は困っちゃうよ。昨日まで一緒にいたあの人がなんだか今日は全然別人みたいだとなったら。全然一貫性がないんだから。元気がないのかなとか、病み上がりなのかなとか、今日はなんだか別人みたいだねとかさ」
「えっとその。なんだかゴメンね」
「まったく、本当も何もないよ。舞台を降りた時点で僕の心を形作っていたものは一度解かれてるんだから。また最初から編み直してふたたび舞台に上がったときにはもう中身は全然別人に生まれ変わってるってのに」
王子は秘密主義者のヴェールを脱ぎ捨てた。
「そんな気にしてるなんて思わなくて。申し訳なかったよ」
「僕は本当は何者で何の為に生まれて来たんだろう。僕は誰かの影でしかないんだろうか。永遠に本物になんてなれなくて。だったらドッペルゲンガーらしく消えるのも悪くない。あるいは皆の心の闇が人の姿形になったとか? ねえ教えてよ。僕は本当は誰なのかな」
「いやそれは僕も知らない」
「冷たいな。キミがこの秘密主義者って言ったから正直に話したのに」
「王子はわりと根にもつタイプだったんだね」
「なんとでも言ってくれ」
「きみが誰なのか僕は知らない。むしろきみが誰なのかなんてどうでもいい」
「冷たい。冷たいぞ」
「だって僕が哀しいときにいつも一緒にいてくれたのはきみでしょう」
チアキは王子を優しく抱きしめながら思った。ああ僕は名前も知らないこの人を笑顔にするためにこそ旅に出たのではなかったか。
「きみはきみだよ」
「なにそのありきたりな台詞」
「いいじゃん。ありきたりだろうがなんだろうが。僕の気持ちをきみに伝えるにはこの言葉が一番しっくりきたんだから。むしろ自分で決めちゃえば。自分が何者かなんて」
「また適当なこと言って」
「きみには適当なくらいでちょうどいいでしょ」
「あーもうハムレットが台無しだ」
不意にこぼれ落ちた涙を誤魔化すように王子は憎まれ口を叩いた。
「台無しで結構。僕たちには僕たちの物語があるもの」
「こんな勝手なことして怒られる」
「誰に?」
「……あれ。誰だろう」
「むしろこっちのが怒りたいくらいだ」
「いやそこは穏便に」
「なんで? 怒りたければ怒ればいいじゃん。生き生きと動き回る人間の情を誰にも支配する権利なんてない」
「それは。まあそうだけど」
「僕なら後先考えず瞬間的に爆発させるより怒りはそのままに長い目でみて手を打つね」
「……キミってそんなにしつこかった?」
「しつこくて何か問題が? 僕だってずっと同じままじゃないよ。いろんな人に出会ったもの。少しは大人になったんだきっと」
「そう、じゃあもう許してくれるよね。大人だもんね」
王子は壊れた短剣をチアキに手渡した。
するとチアキは胸ポケットから血まみれのバラを取り出しながら言った。
「許さない」
「大人なのに?」
チアキは王子に血まみれのバラを差し出しすと不敵な笑みを浮かべた。
「きみが幸せであることを諦めたら許さない。化けて出てやる」
◇
「あの人は許してくれるだろうか。こんなどうしようもない僕の過ちを。穢れた枯木に美徳を接いでくれるだろうか。なんで礼拝堂になんか来ちゃったんだろ。思い出したくはなかったこんなこと。エセックス伯でもあるまいし英雄が聞いて呆れる。毒蛇だったのは、僕のほうだ」
礼拝堂の裏側で見えないねずみが独りごちた。
「ごめんそんなつもりは」
「2度も刺すなんて」
「ごめん。でも元はと言えばキミが」
「許さない。きみはそうやっていつも自分を犠牲にして」
白黒の床の上、少年は力なく横たわる王子から今度こそ血まみれの短剣を奪い取るともう一度馬乗りになった。
「しかも2度とも手元をろくに見もせずに刺して」
王子の顔めがけて振り下ろした短剣の切っ先はわずかにそれて、ガチンと音を立てて大理石の床を穿った。
王子の顔に舞い落ちた花模様のレースがふわりとそよいだ。
「そんなんじゃ自分が手にしていたものが本物かどうかもわからない」
少年はレースを引っ掴むと血まみれの短剣を王子の眼前にかかげた。
刃をうちに秘めた短剣の柄はひしゃげ、つくりものの刃が元にもどることはなかった。
「え」
「なに」
「つくりもの……?」
「だからずっとそう言ってる」
「でもそんなはず。ならキミは本当に本当のオフィーリア……?」
少年は嘆息をもらしながら立ち上がると両膝を軽くはたいた。
「残念なお知らせがあります」
「はい」
少年は王子に手を差しのべた。王子はきまりが悪そうに手をとり黙って立ち上がると琥珀の瞳で少年を見つめた。
「大変申し訳ありませんが僕はオフィーリアじゃありません」
「うん。知ってる」
「僕はオフィーリアじゃなくて、チアキ」
「キミがチアキなのはとっくにわかってる」
「いいえまだわかってないです」
「……」
「僕はチアキ。オフィーリアじゃない。きみだってハムレット王子なんかじゃない。きみの本当の名前は……結局教えてくれなかったから知らないけど。でもきみは本当は」
「本当って、何」
「え?」
「僕に本当も何もないよ。気づいたらここにいて自分がどこから来たのかもわからない。自分の本当の名前すら」
王子はチアキから血まみれの短剣を受け取ると壊れた刃を触りながら小さく嗤った。
「よく聞かれるんだ。本当のあなたはどんな人間ですかって。自分でも舞台から引きずり下ろされるたびに思う。僕がさっきまであの舞台の上で真剣に演じていたのはどんな人間だったろうって。時には好きなチェスの駒、時には瓜二つの影、時にはみんなの哀しみを一手に引き受けるピエロ。もちろんどれも自分の一部であることにかわりはない。でも」
王子はつくりものの刃があったであろうあたりをチラと見て、ひしゃげた短剣の柄をそっと撫でた。
「一度我に返ったら最後、どんなに熱心に演じても元の自分には戻れない。観客席から常に冷めた自分が見つめてるから」
「別によくない?」
「独りでいるぶんにはね。なんの問題もない。ありのままでいればいいんだから。でも舞台の上で他の役者と言葉を交わすとなるとそうはいかない。もちろん元の自分を演じることはできるけど。それこそ僕にとってはただの嘘でしかない」
「じゃあありのままで舞台に上がれば?」
「そんなことしたら周りの人は困っちゃうよ。昨日まで一緒にいたあの人がなんだか今日は全然別人みたいだとなったら。全然一貫性がないんだから。元気がないのかなとか、病み上がりなのかなとか、今日はなんだか別人みたいだねとかさ」
「えっとその。なんだかゴメンね」
「まったく、本当も何もないよ。舞台を降りた時点で僕の心を形作っていたものは一度解かれてるんだから。また最初から編み直してふたたび舞台に上がったときにはもう中身は全然別人に生まれ変わってるってのに」
王子は秘密主義者のヴェールを脱ぎ捨てた。
「そんな気にしてるなんて思わなくて。申し訳なかったよ」
「僕は本当は何者で何の為に生まれて来たんだろう。僕は誰かの影でしかないんだろうか。永遠に本物になんてなれなくて。だったらドッペルゲンガーらしく消えるのも悪くない。あるいは皆の心の闇が人の姿形になったとか? ねえ教えてよ。僕は本当は誰なのかな」
「いやそれは僕も知らない」
「冷たいな。キミがこの秘密主義者って言ったから正直に話したのに」
「王子はわりと根にもつタイプだったんだね」
「なんとでも言ってくれ」
「きみが誰なのか僕は知らない。むしろきみが誰なのかなんてどうでもいい」
「冷たい。冷たいぞ」
「だって僕が哀しいときにいつも一緒にいてくれたのはきみでしょう」
チアキは王子を優しく抱きしめながら思った。ああ僕は名前も知らないこの人を笑顔にするためにこそ旅に出たのではなかったか。
「きみはきみだよ」
「なにそのありきたりな台詞」
「いいじゃん。ありきたりだろうがなんだろうが。僕の気持ちをきみに伝えるにはこの言葉が一番しっくりきたんだから。むしろ自分で決めちゃえば。自分が何者かなんて」
「また適当なこと言って」
「きみには適当なくらいでちょうどいいでしょ」
「あーもうハムレットが台無しだ」
不意にこぼれ落ちた涙を誤魔化すように王子は憎まれ口を叩いた。
「台無しで結構。僕たちには僕たちの物語があるもの」
「こんな勝手なことして怒られる」
「誰に?」
「……あれ。誰だろう」
「むしろこっちのが怒りたいくらいだ」
「いやそこは穏便に」
「なんで? 怒りたければ怒ればいいじゃん。生き生きと動き回る人間の情を誰にも支配する権利なんてない」
「それは。まあそうだけど」
「僕なら後先考えず瞬間的に爆発させるより怒りはそのままに長い目でみて手を打つね」
「……キミってそんなにしつこかった?」
「しつこくて何か問題が? 僕だってずっと同じままじゃないよ。いろんな人に出会ったもの。少しは大人になったんだきっと」
「そう、じゃあもう許してくれるよね。大人だもんね」
王子は壊れた短剣をチアキに手渡した。
するとチアキは胸ポケットから血まみれのバラを取り出しながら言った。
「許さない」
「大人なのに?」
チアキは王子に血まみれのバラを差し出しすと不敵な笑みを浮かべた。
「きみが幸せであることを諦めたら許さない。化けて出てやる」
◇
「あの人は許してくれるだろうか。こんなどうしようもない僕の過ちを。穢れた枯木に美徳を接いでくれるだろうか。なんで礼拝堂になんか来ちゃったんだろ。思い出したくはなかったこんなこと。エセックス伯でもあるまいし英雄が聞いて呆れる。毒蛇だったのは、僕のほうだ」
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