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束の間
“Words, words, words”
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「ステンドグラスの教会? あぁ、それならこの螺旋階段をおりてすぐ大きな黒い扉があるから、押してみな。見かけほど重くはないから」
螺旋階段をくだる途中、給仕と思われる少年がガラス張りの扉から顔を覗かせて言った。
少年は黒い腰エプロンで濡れた手を拭うと、白いブラウスの袖をまくり上げながら階下のほうを指差した。
「この螺旋階段は一方通行だから、迷わず行けると思うよ」
「一方通行?」
そもそも階段を上るときにこんなガラス張りの扉あったかなと不思議に思って見やれば、どうやら奥は厨房か洗い場のようだった。
「そうそう、この螺旋階段二重になっててさ、出入口も違う場所に通じてるから驚く人結構いるんだ。確かに同じ場所を通ってきたはずなのにここはどこ? って。もう何回同じこと聞かれたか」
少年はハハっと笑いながら言った。
「あ、なんだかスミマセン」
「いえいえ、むしろ声かけたのこっちだし。その薔薇、届けに行くんでしょ?」
少年は僕の胸ポケットを指差して言った。
「ええ、まぁ」
「まあ大丈夫でしょ」
「大丈夫って、何が?」
「まあ行けばわかるよ」と言いながら差し出したお別れの握手を、少年は一向に離す気配がない。
「あのー……?」
僕が戸惑いの声をあらわにすると、少年は僕の瞳を食い入るように見つめながら言った。
「あー……ゴメン、いまのちょっと間違い」
「はい?」
「僕、よく間違っちゃうんだよね。どうやら案内するのは僕の役目だったみたい」
「間違い?」
少年は「まいったまいった」と片手で頭を掻きながらしばし考え込んだ。
「そうだな。たとえば目の前に困ってる人がいたとするでしょう? そのまま通りすぎようとしてふと思う。僕が誰かを助けるなんておこがましい。きっとそのうち誰かが、もっと適した誰かが助けてくれるだろうって」
「あぁ、誰か」
「で、通りすぎてみて初めて気づく。あの人が必要としてたのはいつか通りすぎるかもしれない誰かなんかじゃなくて、たった今通りすぎたばかりのどうしようもない僕だったんじゃないかって」
「はぁ、そうですか」
「きっとその人は僕を責めはしないでしょう。君が気にすることじゃない、しょうがなかったんだよって。でも、もしそうなることがわかってたとしたら? たとえば今その人が目の前に立っていたとしたら?」
少年は両手で僕の手をぎゅっと握りしめて言った。
「ああ、僕に出会わなければこの人はきっと……」
何を思ったのか少年は、込み上げる想いを飲み込むように俯くと、声を詰まらせながら目頭をぬぐった。まくったばかりの白いブラウスの袖は雫に少しよれたものの、汚れるどころかむしろ輝いて見えた。
「ちょっと待ってて」と言い残して少年は扉の奥に消えた。すると今度は急ぎ足にやってきて、何やら古い本を差し出しながら言った。
「案内するよ、教会まで。とりあえずこの本持っててくれる?」
「えーと、そこまでしてもらう訳には。というか何ですかこの本」
「いいんだよ。僕は君に借りがあるんだから」
「借り?」
「そう、借りなんて言葉じゃすまされないけど。君、この劇場に来るの二度目でしょ」
「え、僕を知ってるの?」
「まあそんなとこ。今度こそ君を助けようと決めてたんだ。もちろん同情でも罪悪感でもない。これは僕なりの覚悟」
「なんかちょっと大袈裟じゃあ」
「そうかな?」
少年は黒い腰エプロンを外しながらつぶやいた。――
「ところであの、この本は?」
「ああ、これね」
少年は古い本を手に取ると表紙を開いた。『Hamlet』という文字が見えた気がした。
「あ、ハムレット? 悲劇なんですよね? 筋書きでも書いてあるんですか」
「Words, words, words.」
「はい?」
少年は古い本をパタッと閉じると悪戯っぽい微笑をうかべた。
「この本に書いてあるのはただの言葉。そう、言葉だよ」
「いやあの、内容のことです」
「内容? あると言えばあるような」
「ちょっと、真面目に聞いてるんですけど」
「僕だっていつになく真剣だよ」
「失礼ですけど。ちょっとズレてるって言われません?」
「ズレてる? 僕が? 誰と? Between who? ああ、君と僕は確かに……ズレてるね! まるで二重螺旋階段のようだ」
何かが少しずつズレているような気はしていた。でも違った。この人はただ、思いきりズレていた。それだけだ。
「この劇場って不思議だよね。ラジオみたいなものでさ、いくら同じ場所に立ってても周波数が合わないと会えないんだから」
螺旋階段をくだりながら少年がぼやいた。
「誰がつくったか知らないけどさ、落ち込んでるときに限って出会うのはトゲトゲしい言葉や出来事ばかり。こっちはそういうときこそ優しい出会いを求めてるのに。まずは自分から周波数を合わせないと出会えない。なんて厳しい世界だろう。
There is nothing either good or bad, but thinking makes it so: to me it is a prison.
この世に良いも悪いもない。考え方がそうさせてるだけで。僕にとってはこの世界は何だろう。やっぱり、牢獄かな。ハムレット王子とは気が合いそうだ」
少年は古い本の表紙をそっと撫でた。
「よく映画やお芝居で『悲しいときは私のことを思い出して!』ってあるでしょ?」
あったようななかったような。
「あれは僕に言わせれば『悲しいときは私に周波数を合わせて!』だね」
「はぁ、そうですか」
「なんだって分解してみればそんなものだもの。だからこの本に書いてあるのは悲劇なんかじゃない。ただの、言葉だよ」
少年はもう一度古い本を差し出して微笑んだ。それから何処か遠くを見つめるように、最後にもう一度ぼやいた。
「悲しい知らせを伝える言葉なんて、もう二度とゴメンだよ。人魚のように美しく、あの小川を漂うオフィーリア……」
螺旋階段をくだる途中、給仕と思われる少年がガラス張りの扉から顔を覗かせて言った。
少年は黒い腰エプロンで濡れた手を拭うと、白いブラウスの袖をまくり上げながら階下のほうを指差した。
「この螺旋階段は一方通行だから、迷わず行けると思うよ」
「一方通行?」
そもそも階段を上るときにこんなガラス張りの扉あったかなと不思議に思って見やれば、どうやら奥は厨房か洗い場のようだった。
「そうそう、この螺旋階段二重になっててさ、出入口も違う場所に通じてるから驚く人結構いるんだ。確かに同じ場所を通ってきたはずなのにここはどこ? って。もう何回同じこと聞かれたか」
少年はハハっと笑いながら言った。
「あ、なんだかスミマセン」
「いえいえ、むしろ声かけたのこっちだし。その薔薇、届けに行くんでしょ?」
少年は僕の胸ポケットを指差して言った。
「ええ、まぁ」
「まあ大丈夫でしょ」
「大丈夫って、何が?」
「まあ行けばわかるよ」と言いながら差し出したお別れの握手を、少年は一向に離す気配がない。
「あのー……?」
僕が戸惑いの声をあらわにすると、少年は僕の瞳を食い入るように見つめながら言った。
「あー……ゴメン、いまのちょっと間違い」
「はい?」
「僕、よく間違っちゃうんだよね。どうやら案内するのは僕の役目だったみたい」
「間違い?」
少年は「まいったまいった」と片手で頭を掻きながらしばし考え込んだ。
「そうだな。たとえば目の前に困ってる人がいたとするでしょう? そのまま通りすぎようとしてふと思う。僕が誰かを助けるなんておこがましい。きっとそのうち誰かが、もっと適した誰かが助けてくれるだろうって」
「あぁ、誰か」
「で、通りすぎてみて初めて気づく。あの人が必要としてたのはいつか通りすぎるかもしれない誰かなんかじゃなくて、たった今通りすぎたばかりのどうしようもない僕だったんじゃないかって」
「はぁ、そうですか」
「きっとその人は僕を責めはしないでしょう。君が気にすることじゃない、しょうがなかったんだよって。でも、もしそうなることがわかってたとしたら? たとえば今その人が目の前に立っていたとしたら?」
少年は両手で僕の手をぎゅっと握りしめて言った。
「ああ、僕に出会わなければこの人はきっと……」
何を思ったのか少年は、込み上げる想いを飲み込むように俯くと、声を詰まらせながら目頭をぬぐった。まくったばかりの白いブラウスの袖は雫に少しよれたものの、汚れるどころかむしろ輝いて見えた。
「ちょっと待ってて」と言い残して少年は扉の奥に消えた。すると今度は急ぎ足にやってきて、何やら古い本を差し出しながら言った。
「案内するよ、教会まで。とりあえずこの本持っててくれる?」
「えーと、そこまでしてもらう訳には。というか何ですかこの本」
「いいんだよ。僕は君に借りがあるんだから」
「借り?」
「そう、借りなんて言葉じゃすまされないけど。君、この劇場に来るの二度目でしょ」
「え、僕を知ってるの?」
「まあそんなとこ。今度こそ君を助けようと決めてたんだ。もちろん同情でも罪悪感でもない。これは僕なりの覚悟」
「なんかちょっと大袈裟じゃあ」
「そうかな?」
少年は黒い腰エプロンを外しながらつぶやいた。――
「ところであの、この本は?」
「ああ、これね」
少年は古い本を手に取ると表紙を開いた。『Hamlet』という文字が見えた気がした。
「あ、ハムレット? 悲劇なんですよね? 筋書きでも書いてあるんですか」
「Words, words, words.」
「はい?」
少年は古い本をパタッと閉じると悪戯っぽい微笑をうかべた。
「この本に書いてあるのはただの言葉。そう、言葉だよ」
「いやあの、内容のことです」
「内容? あると言えばあるような」
「ちょっと、真面目に聞いてるんですけど」
「僕だっていつになく真剣だよ」
「失礼ですけど。ちょっとズレてるって言われません?」
「ズレてる? 僕が? 誰と? Between who? ああ、君と僕は確かに……ズレてるね! まるで二重螺旋階段のようだ」
何かが少しずつズレているような気はしていた。でも違った。この人はただ、思いきりズレていた。それだけだ。
「この劇場って不思議だよね。ラジオみたいなものでさ、いくら同じ場所に立ってても周波数が合わないと会えないんだから」
螺旋階段をくだりながら少年がぼやいた。
「誰がつくったか知らないけどさ、落ち込んでるときに限って出会うのはトゲトゲしい言葉や出来事ばかり。こっちはそういうときこそ優しい出会いを求めてるのに。まずは自分から周波数を合わせないと出会えない。なんて厳しい世界だろう。
There is nothing either good or bad, but thinking makes it so: to me it is a prison.
この世に良いも悪いもない。考え方がそうさせてるだけで。僕にとってはこの世界は何だろう。やっぱり、牢獄かな。ハムレット王子とは気が合いそうだ」
少年は古い本の表紙をそっと撫でた。
「よく映画やお芝居で『悲しいときは私のことを思い出して!』ってあるでしょ?」
あったようななかったような。
「あれは僕に言わせれば『悲しいときは私に周波数を合わせて!』だね」
「はぁ、そうですか」
「なんだって分解してみればそんなものだもの。だからこの本に書いてあるのは悲劇なんかじゃない。ただの、言葉だよ」
少年はもう一度古い本を差し出して微笑んだ。それから何処か遠くを見つめるように、最後にもう一度ぼやいた。
「悲しい知らせを伝える言葉なんて、もう二度とゴメンだよ。人魚のように美しく、あの小川を漂うオフィーリア……」
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