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【行雲流水】瑞気集門 暁光和輯
しおりを挟む件の小説とはあまり関係ないけれど、年越しを前に長年の心の澱を払っておくのもいいかもしれないと掲載することにした。
瑞気集門(冒頭部画像参考)
と
暁光和輯(最下部画像参考)。
瑞気とは、めでたい兆し・瑞兆・厳か・神々しい等のイメージがある言葉らしい。
そのめでたい気が家の入り口なのか庭なのかはわからないが、そこら辺に集まり、満ちている。そんな光景かもしれない。
私自身この言葉にはどこか、現在もしくは未来を言祝ぐようなイメージを抱いている。
暁光とは、明け方の空の光。最近は調べるとスパコン(スーパーコンピュータ)の名前でもあるらしい。
和輯は一見よくわからないが、輯を現代の集に置き換えれば想像もつきやすいのではないかと思った。
明け方の空を眺めながら集い和む。集うのは人かもしれないし、光や気そのものであるかもしれない。そんなイメージを抱いている。
二つの言葉は元々は書道の先生から頂いた言葉で、いつか映画の背景用に頼まれて書いたとことがあった。
画像はいつか新規に書き下ろしたものなので、少し古くて画像が粗いことを除けば特に問題はないし、別に口止めされていた訳でもないのだが、当時の監督の依頼が『パッと見たときに意味が出ないように』だったので(視線誘導とか色々な問題があるのだろう)、なんとなく自分の中で説明するのが憚られて、ポートフォリオ用に作った個人サイトにもスタジオに確認したうえで一度は載せてみたが、なんとなく個人的に落ち着かず削除したきりだった、という経緯がある。
もう10年以上前のことだからそろそろ時効かな、などと思っている。
別段命に関わる病にかかっている訳ではないが、人間いつ死ぬかわからないというのは真理であろうから、動けるうちにしたためておくのもいいだろうとも思った。
畢竟、もはやあの文字の意味するところ――あの文字に関する物語――を知っている人は私以外、この世界にいないであろうから。
ところで、あの文字の経緯には少し続きがある。
その後ポイピク村で供養したこともあったが、ものぐさ故に(ちょっとリアルでつきまとい化した人にネットの海で遭遇してしまったということもあり)Twitter(現X)を半年ともたずに辞めた際、使わないGmail等も合わせて何も考えずに諸々削除したら、見事にアカウントにログイン出来なくなってしまい、問い合わせもアカウントがなければ出来ないとなり、面倒でそのまま放ってある。そのうち休眠アカウントとして削除されることを期待している。
他力本願ではあるが、重荷は少しでも軽くしたいたちである。
そういえばいつか、重荷になるくらいなら置いていく近江商人風の田原さんを書いたとき、こんなにも自分と同じような思考をする人がいるのかと驚いたことがあったが、よくよく考えてみれば似てないことの方が多いだろうと我に返った。
ただ例の短編は見た目こそ田原さんと門番の男を装っているが、中身はもろそのまんま私自身であるので、ある意味今まで書いたキャラの中では一番演じやすかったといえる。
反対に一番演じにくい、自分と正反対のキャラクターは小袖さんであろう。私は本来石橋を叩きもせずに勘だけで渡るたちである。なんというのか、安全だとわかった途端に進む気が失せてしまうのだ。
計算も大変苦手である。あんな頭を使う作業、仕事でもないのにいつもやってられるかというのが根底にある。今後私の執筆活動が影を潜めて自然と読み専になっていくだろう事は想像に難くない。
そういえば先日、たまたまスピンオフで書いた短編が応募規定を満たしていたので、記念に円城塔賞にエントリーしようと思い、しかし碌に読んだこともないのにエントリーするのもあれだなと思って(そもそも文芸をあまり読まない)、アッピールととられかねない危険を承知でカクヨムでえんしろさんの短編集を拝読していたら、面白かった。件の江戸時代風な小説を書く前だったので、最後に好き勝手書いてやろうと思った。
とくにギミックとクズオのシリーズが好きなのだが、なんというのか、そのクズっぷりに親近感を覚えた。
今は私もだいぶましになったと思うが、以前はメールも碌に返さないしLINEも既読スルー。開いたときの瞬発力を利用すればなんとかそれなりに返せるが、間を置くと途端にプライベートでは返さない。
なんというのか、納得した時点で頭の中から消えてしまうようなところがあるのだろう。
先日も短編にレビューを頂いて、和三盆の産地で生活したことがあるなんて素敵な経験をお持ちだな思ったのも束の間、肝心のコメントに載せるのを忘れてしまった。
私の作品やレビュー自体には人目を引くような華やかさこそないが、間接的に人の心や現実(レビューであれば作品)を照らす鏡のようなものであればいいと思っているので、作品をきっかけに読んでくださった方が思い思いに楽しんでくださる姿というのは、一番の喜びである。
といったコメントを載せるのもまた、忘れてしまった。
私がちゃんと読んだことのある文芸といえば芥川龍之介ぐらいだが、それとて断片的であり(頭痛持ちその他持病のある人は物量をこなすという生き方がそもそもできないのだろう)、偶然出会った作品を心に留めて繰り返し読んでいた頃に執筆を始めたものだから、私が何も考えずに綴るときにはちょくちょく彼の文体が顔を出している気がしてならない。
畢竟、創作とはどこまでも真似るところから始まっているのであろう。
奴書になるか独自のものになるかはひとえに、己の眼差しを反映出来るかどうかにかかっている気がしないでもない。
世に流れてきた歴史を横軸とするなら、いま自分が生きている一点、この縦軸の物差しと合わさったところにこそ新たな創作が生まれるのであろうと思わなくもない。
そういえば前述した二つの言葉は私にとって長年の不思議でもある。
私は新しいことに出会うと『最初にそれを考えた人は誰なのだろう?』と気になるたちで、調べているうちにオリジナルにたどり着くなんてことがちょくちょくあるのだが、この言葉に関しては何度探してみてもよくわからなかった、という経緯がある。
よく掛軸や新装開店祝いなどで書かれそうなめでたい言葉にありがちなのだが、人々に親しまれていながら出典がよくわからないといった言葉の一つだ。
もう先生に聞くことはできないし(私が就職で上京した当時、先生はすでに御年98歳であった。もしかしたら89歳であったかもしれない。俳句を嗜むお茶目な黒柳徹子さんみたいな素敵な方だった)。
もしかしたらどこかにいる専門家の人なら知っているかもしれないが、アマチュア作家のはしくれである私にはそれを調べるだけのツテも物理的余裕もないというのが正直なところだ。
似た言葉で『瑞気梅花に満つ』なる言葉があるらしいとか。
夏目漱石の漢詩に『瑞気門庭に満つ』なる言葉があるらしいとか。
その辺りが限界であった。
漢詩というくらいだから書道や梅と同じく中国由来の言葉なのだろうか?
〝令和〟のもとになった『万葉集』巻五「梅花歌卅二首并序」
初春令月 気淑風和
梅披鏡前粉 蘭薫珮後之香
が、王羲之の『蘭亭序』
永和九年 歳在癸丑 (省略)
是日也 天朗氣淸 惠風和暢
を下敷きにしているだろうことは知っている人なら一目でわかるのだが、そんな感じだろうか?
古人云へり 死生亦た大なりと
豈に痛ましからずや
その日、いつか答えに出会うことがあれば嬉しく思う。
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