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第十二章 竜の正体
91. 不協和音
しおりを挟むラドモンド辺境伯の領主館は、広大な草原を見渡す丘の上にあった。
さっき俺たちが歩いてきた原生林は、丘を覆う形で領主館をぐるりと取り囲んでいる。その領主館のある丘と、隣にある小さな丘との狭間にある森が『昏迷の森』と呼称される精霊種、イサドラ・ダードウィンの領域だった。
俺たちはさっそく、堅牢な石造りの城館に招き入れられた。
セオとカイルとは一旦サロンで別れ、俺はジオルグが使っている客間がある棟へと案内される。
宰相閣下はただいまお休みになっておられます、とラドモンド家の家令は密やかながらもよく通る声で言った。それでも俺が来たら部屋には通すようにと言われているらしい。どうか御用の向きは中にある鈴を鳴らしてお知らせくださいませ、と家令は白い手袋を填めた手で部屋の扉を示して一礼すると、そのまま静かに立ち去って行く。
俺はサークレットを外した。石の色がまだ少し黒ずんでいるのを確認してから、チェーンになっている部分と留め金が絡まらないよう銀の土台を中心にして丁寧に巻いて畳み、胸ポケットにしまう。
眠っているのならノックをするのは悪いと思い、ドアノブを掴んで静かに回そうとすると、不意にガチャリと音をたてて内開きの扉が開いた。
扉を開けた彼は、廊下に立っている俺を見て一瞬愕いたように固まったが。
「……シリル」
深い声とともに伸びてきた腕に捕われ、抱き締められる。
「ジルッ」
俺も無我夢中で目の前の存在にしがみついた。そのままもつれ込むように部屋の中に入る。
踵が浮いた瞬間には、口唇が重なっていた。ジオルグは、俺の身体を抱き締めたまま何度も俺の口唇を啄む。
いつもと違って、少しぎこちないキスだった。大きな手が俺の背中や腰をゆっくりと這い回り、まさぐる動きをしている。まるで、俺の形を確かめるみたいに。
「今日は、何曜日だ?」
キスの合間に、唐突に尋ねられる。俺はちょっと顔を顰めた。こんな時に一体何を気にしているのだろう。
「土曜日の……もうじき夕方になりますけど、それが何か?」
「おかしいな。君の顔は、昨日の朝も見たはずなのに」
「でも、行ってらっしゃいの挨拶が出来ませんでした。あなたはとても急いでいたので……」
昨日、宰相閣下の予定はレンドリスでの会談を中心に、朝からみっしりと詰まっていた。慌ただしく屋敷を出立して行くのを見送ったあと、クリスチャードから今日は一日、強行軍で動き回るようだとは聞いていた。だけど夜には帰ってくるものと思っていたら、知らない間にそのままセラザに泊まるという話になっていたのだ。
主のいない屋敷には、その養子となる予定のゼフェウスが泊まってくれていたが、俺にとってはそれが幸いした。もしも今日、俺が誰にも頼れず朝から一人きりだったら、こうしてここに辿り着くことが出来ていたかどうか非常に心許ない。
「そうだったな……。だがずいぶんと長い間、君と会っていなかったような気がする」
真面目な顔で宰相閣下が呟く。俺の頬に手を当て、しげしげと見下ろされた。その手は少し冷たい。顔色もあまり優れないようだった。
どうやら、家令が言ったように今まで本当に寝ていたようだ。声も顔もどことなくまだぼんやりしていて、具合が悪そうに見えた。俺はそっと身体を離して言った。
「あの、もう少しお休みになった方が。顔色があまり良くないです」
ああ、とジオルグはまだ俺の身体に手をかけたままで頷いた。
「セレンスから、君が神殿でコリーンに襲われたと聞いてまた具合が悪くなった。それで君がここへ来ることになって。まだ時間があるから少し休めと言われて、そこのカウチで横になっていた」
改めて見回してみるとジオルグが使っている部屋は広く、置かれている調度品も王宮にある物に引けを取らないほど立派だった。おそらく辺境伯にとって最上級の貴人をもてなす為の部屋なのだろう。
奥に寝室もあるようだったが、ジオルグが言った通りバルコニーに通じる窓辺には大きなカウチソファが据えてある。そこに向かって俺はジオルグの腕を取って歩き出す。
「ふと目が覚めた時、なんとなく君が近くにいるような気がして。だから立って行って扉を開けてみたのだが」
ジオルグが話し続けるので、仕方なく二人並んでカウチに腰掛ける。
「まさか、本当に君がいるとは」
「……いたら駄目でしたか?」
ジオルグは、小さく嘆息した。話しているうちに声の調子や表情が戻ってきたようだ。
「君は、随分と無茶なことをしたそうだな。聞いた時は心臓が止まるかと思った」
「俺の場合は不可抗力です。それに、あなたにだけは言われたくありません」
「私も、不可抗力だったのだが?」
だとしても、二人して別の場所で続け様に魔竜と魔竜の手下に遭遇し、襲われるだなんて一体どういう巡り合わせなのかと思うが。
ルシアさんに似た者夫婦だと言われました、と告げると、ジオルグの片眉が吊り上がる。
「そうか。他に何か余計なことは言われなかったか?」
「いいえ。ルシアさんもラドモンド卿も、あなたに感謝していました」
「……あの時は、何かを考える間などなかった。全て咄嗟にやったことだ。だが、君にも心配をかけてしまったのならすまない」
そう言われた瞬間、俺は自分の顔が強張るのがわかった。
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