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幕間Ⅲ 【竜殺し】編

襲来 ★

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      ◆◇◇◆◇◇◆


 風の強い夜だった。
 離れた場所にいても耳に届くそれは、故郷の荒れ野に吹く波音のようなざわざわと葉を鳴らす風ではなく、もっと荒々しく草の根近くまで倒して揺らすような、ビルンの大草原に吹き渡る豪風の音だ。

 ──『天』は静かだ。だが、地を覆う空が荒れている。

 意識を高次にまで飛ばす癖は、幼い頃からあった。
 はるか昔の話、竜人種の原種には空を飛べる者がいたと伝わるが、今はその異能も絶えて久しい。原種から血脈が繋がり続けている純血のジオルグにも、当然ながら飛行の異能はない。

 ──『純血』でさえ、『人間』に近づいてきている。

 精霊種とてもはや似たようなものだろう。彼らの異能の一つでもあった、竜種に並ぶほどの大型幻獣種を召喚する力も、今ではほとんどなくなったと聞く。今の世界に現存しているモノは、ある一人の精霊種が世界に産まれ落ちた瞬間から憑いていることが多い。
 蒼天鏡ソウテンキョウ蛟竜ミズチも然り。
 昏迷の森オルラント火蜥蜴サラマンドラも然り。
 俗にいう『幻獣憑き』は召喚よりさらに厄介な代物で、魂そのものに憑いて顕現してしまった幻獣種からは生涯離れることが出来ない。
 例えば、パノン王国の第二王子。蒼天鏡ソウテンキョウの精霊種を母に持つ彼に憑いた蛟竜ミズチは、王宮の守護を担う結界石の礎が組み込まれた次元に顕現してしまったため、サファイン自身も王宮から長く離れていることが出来ない。そのかわり、王宮内において彼がジオルグを凌ぐほど無双に魔法を使えるのは、蛟竜ミズチからの魔力供給が無限にあるためだった。
 ……まさか、部屋まで作らせて囲うほど主人サファインに懐いているとは思わなかったが。

 ──だが、おかげで安心してシリルをロームに置いていける。

 ジオルグから見ても、徴が現れたばかりのシリルはまだまだ危なっかしい。彼にも影形カゲナリという魔物もどきが憑いているが、アレもまだかなり不安定な状態だ。
 ジオルグが王都にいなくとも、精霊種の血を半分引いているサファインが王宮にいれば間違いなく月精ラエルは守られる。

 ──今の王宮に、月精ラエルを害そうという者はさすがにいないだろうが。

 市街地での一件以来、ジオルグもさらにシリルを守るために打てる手は全て打っている。サファインやゼフェウス、カイルにヒュー・グラッツなどはシリル自身がなりゆきも交えて築いた人脈だが、彼ら以外にも陰ながらシリルを守っている者は大勢いた。名と顔を知れば身構えるかもしれないとシリル自身には明かしていないのだが、勘が良いので何人かには気づいているだろう。

 あの女……今はメリジェンヌ・ディ・スタウゼンと名乗る女も、もう王都にはいない。セオデリクがそう言ったそうだ。聖女召喚の儀が行われた日以降、どこかへ発ったようだと。
 セオデリクへの継母からの指示は、スタウゼン家に出入りしていた黒衣の男たちが魔道通信で受けていたものだった。その男たちも王宮護衛師団及び、聖竜騎士団の手によって全員が捕縛、あるいは剣によってその場で処断されている。
 彼らは自分たちのことを『黒月党』の一員だと名乗っていた。
 黒月党は、古くより魔竜を崇拝する邪教である。彼らはメリジェンヌのことを、魔竜を祀る祭祀として崇めていたらしい。
 黒月党の本部が隣国のテシリアにあることは以前から取り沙汰されていたが、十年前に親テシリア派のギヨーム・セオデリク・スタウゼンが外務卿となって以降、その方面の調査は著しく滞ってしまっていた。そのような事案がいくつも重なって、ギヨームはとうとう国王からの信を失い、次期宰相候補からも外されてしまったのだが。
 その黒月党の一部の者が、商人やレンドラ教会の聖職者となってパノン王国に入り込んでいたこと、その際には例の呪いの術式がかかった魔法石を大量に持ち込んでいたことなどがこの期に及んで次々と明るみに出てきていた。だがその石の流通については未だ解明されておらず、コーゼル軍務卿の号令の下、各地の王立騎士団が一斉にその捜索にあたっている。
 今日、聖都レンドリスに入る前にジオルグは急遽、当初の予定にはなかった教皇との会見を申し入れた。
 パノン国内の各町や村に必ず一つはある教会が魔法石を売り捌くための拠点に使われている可能性があるため、万が一必要であると判断された場合には、各地の騎士団が直接、異国出身のレンドラ教会の聖職者たちを取り調べることができるよう取り計らってもらうためだった。聖都では、宰相の肩書きよりも竜を祀る祭壇リグナ・マーシャの祭司の顔が有効なのは言うまでもない。
 そのあと、元々の予定にあったテシリアとレビアの使節との会談でも黒月党の話が出た。テシリアの使節は素知らぬ顔をしていたが、ジオルグはそこでも釘を刺した。魔竜討伐戦の最中に、もしもテシリア勢が国境を越えてくるようなことがあればこちらも強硬な姿勢で対抗すると。
 だがテシリアの使節も負けてはいなかった。パノンに対して常に友好的なレビアとは対称的に、もしも魔竜がテシリアの領内に迫るようなことがあれば、国土防衛のためにこちらもパノン側への攻撃を辞さないなどと逆に恫喝してくる始末だった。

 あとの細かな交渉事は外務卿のコルテッツに任せ、ジオルグは夕刻にはレンドリスにある転移装置を使ってセラザに入っている。ロームには戻らず、伴もなく単身でこの地を訪れたのは、久々にに会うためだった。

「お、また風が強まったな」

 激しい風に打たれて一斉にガタガタと鳴り出した鎧戸の音に、ルシアは太い眉をひそめて言った。

「朝になったらちゃんと見回って確認しとかねえとな。この砦もあっちこっち増築してるんだが、古い部分は相当ガタがきてる」
「まあ、砦よりお前の方がきっと頑丈に出来ているだろうしな」
「……げえ、お前のその嫌味なんだか冗談なんだかの微妙な返し、久しぶりに聞いたわ」

 結局、砦のボロさか俺か、どっちが貶されてるのかわからんとぼやきながら、ルシアは無骨な銅杯にジオルグが持参したカルヴァラ産のワインをドバドバと注いだ。
 ごつごつした石の壁と床。ここは、セラザの丘陵地帯と昏迷の森との境にある辺境警備隊の砦だ。丘の南側に広がっているのがビルンの大草原。そのまた南にはテシリアとの国境地帯があり、そのパノン側には王立第七騎士団の砦が点在している。
 ルシアが隊長を務める辺境警備隊は、もとはセラザ領主であるリーヴェルト・アウル・ラドモンド辺境伯爵が、かつてとある目的で私的に雇い入れた傭兵たちの集まりだった。

「もう十年になるか。お前、あのときもいきなりここに現れたよな」
「たまたま私も、ダードウィンと話し合うために昏迷の森オルラントまで来ていたんだ」
「たまたま、ねえ。それであの魔物狩りにも出くわして、助けに行った子供に惚れたあげく、勝手に連れ帰っちまったわけか」

 当時は急いでいて、ろくに説明もせず振り回したので訳がわかっていなかっただろうが、あとから友であり雇い主でもある辺境伯からしっかりと事情を聞いたのだろう。ルシアは人の悪い笑みを浮かべてジオルグを見た。

「このあたりはもうダードウィンの縄張りだぜ? お前はあのとき以来、出入り禁止のはずだろうが」
「森に入らなければ問題はない」
「セラザにいる時点で問題有りだぞ、たぶん」
「手紙や魔導通信で話すより……直接会う方がいいと思った。お前にはな」
「ほう。じゃあ、いよいよか」

 己の役割がよくわかっている男は、鳶色の目に獰猛な色を浮かべ、上等な獲物を前に舌舐めずりをするような顔付きになった。

「で? お前の嫁は元気でやってんのか?」
「ああ……。無事にしっかり育ってくれた。まだなりたてだが、今は王宮護衛師団の魔法騎士だ」
「へえ、あの細っこいがか」
「それでも、美しかった」

 美しい? と首を捻っている男をよそに、ジオルグは彼との出会いを回想する。
 ……確かに、身体はひどく痩せていた。寝巻きだったのか、上と下がひと続きになった薄い衣を着ているだけでしかも裸足だった。衣から出ている手や足は草の葉で無数に傷つけられていて、土と血によって汚れていた。
 それでも、あの瑠璃色の大きな瞳には冒しがたい高潔さがあって。
 あの女に襲われ、毒針によって意識を失いかけていたシリルは、抱き起こしたジオルグに向けて懸命に言葉を紡いでいた。

『……助けてくれて、ありがとう、じぉるぐ、さ、ま……』


「──なぜ、知っていた?」
「は? 何が」

 ジオルグの呟きに、ルシアが鳶色の目を眇めて聞き返す。

「名前だ。ずっと不思議だったのだ。シリルは、初めて会ったときに私の名を呼んだ。会うのはあのときが初めてだった……」
「初めてって……お前、百年前にも
「私も、最初はそう思ったのだ。だが、シリルは過去世かこせを覚えていない。月精ラエルとしての記憶はあの子にはないのだ」
「まあ、あのときの月精ラエルは……、あれはほとんど生きてないっていうか。幻影みたいなモンだったしな」

 だからあのとき、【竜殺しルシア】がこの世界にとって必要だったのだ。

「なあ、ジオ。わざわざロームから迎えに来てもらってなんだが、俺はこれ以上【竜種】は殺れないんだろ?」
「ああ。このレンドリーア大陸では勘弁願いたい。他の大陸になら……探せばまだいるかもしれないが」
「了解。まあ、まだ俺にも野暮用があるもんで。しばらくはここで厄介になるつもりだ」

 ルシアがそう言ったとき、また鎧戸がガタガタと激しく鳴り出した。木と石で出来た砦そのものがグラッと一度揺れて、天井や壁がギシギシと軋むような音がする。

「城育ちのお前にはうるさく感じるだろうが、ここに泊まってくつもりなら我慢してくれ」
「いや、それにしてもこの風は尋常ではないだろう。今日は昼もこんなだったのか?」
「……確かに妙だな。嵐が来てるって話も聞いてねえし」

 銅杯からワインを一気に呷ると、ルシアは表情を変えることなく立ち上がった。

「ちょっくら物見台まで行ってくる」
「私も行こう」

 ジオルグも立ち上がる。
 轟々とうなる風の音が一段と強くなった。
 そこに、獣のなまぐささが加わったような。
 竜人種のジオルグにして、ゾッと背が粟立つほどの悪感おかんに囚われる。
 もうすぐ頭上そらに何か禍々しい、恐ろしい存在モノがやってこようとしている。

「──ッ! ダードウィンの結界は? どうなっている?」

 部屋から出るその直前、ジオルグは叫ぶように言った。
 ルシアが盛大に舌打ちする。

「知らん! 早くしろ、!」




 その刹那、

 グアワオオオォォン!!

 空と地を揺るがすおぞましい咆哮が響き渡り。
 一瞬前までセラザ辺境警備隊の砦があったその場所には、巨大な焔の塊が落ちて爆発した。


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