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第九章 魔女は無知を嗤う
72. 言伝(ことづて)
しおりを挟む「……ボロボロで、」
──不完全で、とても可哀想な……月精。
又聞きとはいえ、あまりの言われように途中で言葉が継げなくなる。
だけど何か、しっくりとはくるような。誰に言われるまでもなく、自分には月精としての何かが足りないのではないかと。頭の片隅で漠然とそう思っていたのかもしれない。
──それはおそらく……、記憶。
もともと、シリルというキャラクターには記憶の在り方そのものに瑕疵がある。それ故、月精として完全な存在にはなり得なかったのだろうか。
──それとも、この世界に生まれ落ちる前から。
あ、と声が出た。
ん? とセオが不審げに目を細める。
「いや、その……、大丈夫か? 悪い、今のは言わなくてもいいことだったよな……」
「いいえ。そのおかげでちょっと思い出したことがあって」
「思い出す? 何を?」
「聖竜神殿の地下にある、石像です」
「石像?」
んん? とセオはさらに怪訝そうに首を傾げる。
「そこに、この国で唯一の月精の石像があるそうです」
その話を俺にしてくれたのは、アイリーネだった。
「アイリーネ様は女神の石像や絵画を見るのがお好きで、王宮内にあるものはほとんど全部ご覧になったのだとか。そのことをアイリーネ様のお世話をしている女神官から聞き及んだ神官長が、アイリーネ様のためにだけ、普段は非公開となっている神殿の地下の礼拝室を特別に開かれたそうなのです」
アイリーネが話してくれたことによると、そこには十体の像が安置されていた。その内の八体は、この国に召喚された歴代の聖女たちだった。ちなみに、本来なら九人目の像が置かれるとおぼしきところには台座のみがぽつりと置かれ、その上には聖女像がなかったそうだ。その空の台座の隣にはもう一つ真新しい台座が据えられていて、そこにはいずれ十人目の聖女であるアイリーネの像が建つ。
聖女たちは、地下水が湧き出して出来た泉を取り囲むようにして、それぞれに祈りを捧げるような姿で建っていた。そして、泉の中央には不気味に黒光りする巨大な竜種の像があり、その正面には黒い竜と対峙するように一人毅然と立ち向かう乙女の像があった。
「つまりそれが、魔竜と戦う月精の像ってことか」
「……その像をご覧になったときは、アイリーネ様は月精についてはまだご存知なかったのですが」
しかしアイリーネは泉の中に建つ乙女の顔を見た瞬間、この世界に来てから初めて、ようやく腑に落ちた心地になったらしい。
『シリル様は、わたしがこの世界に召喚されたときに導いて下さった女神様……のよう方に、とてもよく似ているんです。だからその像はどなたの像なのかと神官長様にお尋ねしました。今まで見てきたレンドラ様の像とはかなり様子が違いますね、と。あのときは、いずれおわかりになりますとしか言われませんでしたが』
「で、その石像がどうしたって?」
「わかりませんか? そこに聖女像は八体あるんです。でも、月精はたった一体しかありません」
それでやっと思い至ったのか、セオもさっきの俺みたいに「あ」と声を出して固まった。
不意に俺は、これまでジオルグに言われてきた言葉を思い出す。
そうだ。彼はいつも疑っていた……。
『とぼけるな。月精のことだ。いつからそんな風に思っていた?』
『まるで、ずいぶん前から月精を知っていたような口ぶりだが』
『本当に、徴が出るまで、月精については何も知らなかったのか?』
脳裏に蘇る宰相閣下の言葉は、あの強い視線に射抜かれる感覚をも呼び覚ます。
前世の記憶があるという特殊な事情のせいで、俺は勘違いをしていたのかもしれない。
あれはおそらく今までこの国に現れてきた月精が、全て同一の存在であることを知っていたが故の問いかけだったのだろう。
そう、ジオルグはそれを知っていた……。
「え、それはつまり、そういう、ことなのか?」
「はい。公爵夫人が言う通り、俺はやはり不完全な存在のようです。過去の魔竜討伐のことなど何も知らないし、ましてや憶えてもいない」
「シリル……」
セオは完全に俯いてしまった。そして、はーっと長いため息をついた。
「なるほどな。あの女、全部わかってたのか。だから、あんなことを……」
「あんなこと?」
セオは心做しか憔然とした顔で俺を見た。そして小さく、ごめんと呟く。
何を謝るのかと訊ねようとしたとき、彼はまたぽつぽつと話し始めた。
「僕とティナは……わざわざ、絶対に月精にしか解けない呪いをかけられた上で、あの魔法石を使うための実験台にされたんだと思う」
そしてセオは顔を歪めつつも、『竜種の守護を受けし者を呪う』という術式がかかった例の石の真なる用途について淡々と語り始めた。
持ち主から完全に魔力を奪った後、その場から消滅する石は、実は魔竜の元に転移するようになっているのだと。そして、吸収したその魔力は──。
「──全部食わせているんだ。あの女は多分、どこかで魔竜を育てている」
「魔竜を、育てている?」
震えを帯びた俺の声が、部屋中に響いた。
「強化している、という方が正しいか。荒唐無稽な話をしていると思うかもしれないが、間違いないと思う。僕と妹は、そのための実験台……いや、というよりは敵である者たちに暗示を与える為の装置、かな。だけど、あの石は王国のどこかでとっくに実用化されていて、その企みを止めることはもう出来ない。手遅れなんだ」
「そんな! だからって何も手を打たないわけには……」
「うん、その通りだ。でも見たところ、お前は自分の敵のことをあまりにも知らなさすぎる。あの女の正体すらもわからないまま、魔竜に立ち向かっていくのははっきり言って無謀だと思う」
公爵夫人──メリジェンヌは、さすがに自らの正体を完全には明かさなかったらしい。だがもしもこの先、月精に出会うことがあれば伝えて欲しいことがある、とセオにある伝言を託していったそうだ。
「伝言……公爵夫人から、俺に?」
「たった今まで、もう少し様子を見るつもりだった。今はさらに迷っている。あの女からの伝言なんて、不完全だと認識したばかりのお前に聞かせても悪い影響を与える気しかしない。それに、内容が内容だしな。だから、僕も本当はこんな伝言はしたくないんだけどさ……、どうする?」
伝言を聞くかどうかは自分で決めてくれ、とセオは完全に俺に決定権を委ねてきた。
それを聞けば、何かわかるのだろうか。
セオの話を聞いていると、メリジェンヌはどうやらかなり自己顕示の欲求が強いタイプのようだ。それに、十年前にビルンの大草原で俺を襲ってきたあの女ともしも同一人物だとしたら。俺が……、シリル・ブライトが月精であると知っている可能性も高いのだ。
それなのに何故、今になっても俺の前に姿を見せないのか。
──魔竜が現れるのは、黒夜。つまり今日から六日後の新月の夜。
ゲームの世界であった討伐戦のように、本当にただ迎え撃つだけでいいのか。
この世界の魔竜の手先は、こちらがわかっていることだけでも十年もの年月をかけて入念な準備をしている。
──罠? 挑発? いや、それとも自信か。
誰かに……ジオルグに相談をと思いかけ、今はそれが無理なことを思い出す。
彼は今、二つの隣国から派遣されてきた使節と会談すべく完全中立の地、聖都レンドリスに赴いている。魔竜討伐戦が行われる前後の期間、パノン王国の国境線上に各地を守る王立騎士団を配置する、という旨を申し入れる為だ。それぞれの領土を脅かすつもりは毛頭なく、あくまでも安全上の理由であるという主張を宰相自らが念を押しに行く形での会談だった。
その後は、確かセラザへ。誰かを迎えに行くというようなことを、今朝クリスチャードが話していた。王宮の転移装置を使っているはずだから、夜には帰ってくるだろうか。
──でも、それじゃあ間に合わない気がする。
何故だろうか。いやに気持ちが急き立てられている。
自分自身の無知と蒙昧さを、俺はこのあとたっぷりと思い知らされることになるのだが。
「確かに、セオの言う通りだと思います。公爵夫人からの伝言を聞かせてください」
「……本当にいいんだな? あの女、最凶に最悪な性格はしてるけど、嘘は言わないからな。だから本当に、後悔、するなよ……いいか?」
セオは目を閉じて息を吸い、まるで公爵夫人の声色を真似るように、その伝言を口にした。
「どうやら、あの子は全部忘れてしまっているようなの。でも何も知らないのは気の毒だから、セオが代わりに教えてあげて。──八回目の魔竜討伐のときに、月精を殺めたのは竜人種。それも、竜を祀る祭壇の祭司なのよ……って」
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