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第八章 荊棘の虜囚

65. 禁呪 ①

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 ──『エル・ローインの書』。
 大陸の古い言葉で、やくとしてもっとも近いのは『禁じられた呪いの書』。簡単に禁呪の書と言われることもある。文字通り、古い時代に編み出された強力な呪いばかりを集めた魔法書だ。
 原本は魔法学の総本山、アーマにある魔術研究機関『賢心院』の書庫で厳重に保管されているが、その古写本を合わせてもこの世にたったの数冊しか存在せず、魔術学的な価値が非常に高い書物としても知られている。そのうちの一冊が第二王子サファイン・ルーヴェの書架に収められていると聞けば、流石だと唸らざるを得ない話だった。
 そして。例の凄まじい量の蔵書が収められている天井が異様に高い例のあの部屋は、第二王子の従属である【蛟竜ミズチ】の中にあった。ルーの母方にあたる精霊種のさる血筋には、強大な力を持つ幻獣種『蛟竜ミズチ』が生まれながらにして者が往々にして現れるのだ。
 もっと正確にいえば、蛟竜ミズチの【顕現領域】内に創り出された魔法による心象結界である。防御結界、封印結界、隠蔽結界……、結界魔法の主な種類といえば大体そのあたりになるのだが、心象結界というのは、その中でも最上級の魔術式を用いる大魔法だ。術者本人の意志や目的、あるいは心象風景そのものを魔法によって対象の空間に投影し、それを現実世界に固定させるもので、その供給源となる魔力量は計り知れないほど膨大な量となる。この部屋に限っては、ルーが使役する蛟竜ミズチの魔力に頼る部分がかなり大きいそうだが、それを差し引いたとしても、ルー自身が注ぎ込む魔力量は相当なもののはずだった。
 加えて蛟竜ミズチの領域内では、そこに立ち入る全ての者に対して正邪の選別が行われ、あるじにとって邪悪であると裁定された者は、そのまま蛟竜ミズチの贄となってしまうという伝承がある。事の真偽はともかく、ゲームの世界のシリルが第二王子との接触を徹底的に避けていたのは、その由縁ゆえんを嫌った為であった。


「シリル様から幻獣種のだと伺っていたので、一体どのような場所なのかと思っていたのですけれど。意外と快適なのですね」

 部屋の中を見回しながら、アイリーネが感心したように言う。

「まあ、色々と目眩ましの魔法もかけてあるけどね。それと、君たちは実際に蛟竜ミズチの中にいるわけじゃないから、そこは安心して欲しい」
「まあ。ではここは胃袋の中ではないのですか?」
蛟竜ミズチの中であることには違いありませんが、腹の中だと申し上げたのはあくまで比喩です。竜種と同様、大型の幻獣種のほとんどはこの世界では半霊体で顕現します。そうでないと魔力の供給が追いつかないですから」

 俺が横から補足すると、小首を傾げていたアイリーネもようやく納得がいったように頷いた。

「するとここは、蛟竜ミズチがこの世界に顕現するための魔力供給源そのものなのですね。聖女召喚の儀では、召喚されたわたしの中にたくさんの魔力が入ってきましたが、蛟竜ミズチの場合は実体が伴っていないので……、逆にここには純粋な魔力だけがたくさん溜まっているのではありませんか?」
「そうそう。そんな感じで大体合っているよ、アイリーネ。かつて大型の幻獣種で完全に実体化したのは、セラザの火蜥蜴サラマンドラぐらいじゃないかな」
「それが本当だとしたら、出てきた瞬間に、あそこの大草原ごと焼き払われてしまいそうだ」

 アイリーネの横で、これまたもの珍しげに書架を眺めていたエドアルドがぼそりと言う。

「ええそうなんです、兄上。草原どころか大陸そのものが大変なことに……ってまあ、今はそんな大昔の話はいいや。それより今は、スタウゼン邸の捜索および、公爵とオリーゼ嬢の保護について話し合うのでしょう?」

 皆ぼーっと突っ立ってないで、とりあえず座ってよ、とルーはここに集まった面々を見渡して呆れたように言った。

「仕方ないだろう。私は何年か前にも一度来たことがあるが、シリル以外は皆、この奇っ怪な部屋に入るのは初めてなのだからな」
「王宮内で時折、蒼天鏡ソウテンキョウの『蛟竜ミズチ』の気配を感じてはいましたが。まさかその【顕現領域】を隠し部屋になさっていたとは」
「幻獣種の中に、今我々がいるという事実も信じ難いことですが。……サファイン殿下、ここにあるご蔵書は、本当に全てご自身でお読みになったのですか?」

 とりなすように言ったエドアルドに続くように、ジオルグとカイルが次々に口を開く。ジオルグは明らかに王太子と同じトーンで呆れていたが、カイルの方は、四面の壁に聳える巨大な書架に収められた膨大な書物の量に対する純粋な興味と感動で、顔や声に表れる興奮を隠しきれていなかった。
 ヒューとジスティは、言われたとおりに書物や魔導式の機械で散らかった大きなテーブルから黙って椅子を引き、一番下座の席に向かい合って座った。
 ヒューの隣りには俺が座り、そのまた隣りにはエドアルドにエスコートされたアイリーネが座った。エドアルドとルーが上座に向かい合って座り、アイリーネの向かいにジオルグ、最後まで残っていた俺の向かい側の椅子、ジスティの隣りにはカイルが座る。

 ──奇しくも、セラザの辺境伯ルート以外の攻略対象がここに揃ったな。

 ゲーム上の設定でいえば、敵方だった俺はこの場にいるはずのない異分子だ。ジオルグとカイルも攻略対象ではないが、王家や主人公の味方であることには変わりない。
 そんな俺たちが急遽集まっているのは、聖竜騎士団と王宮護衛師団の混成チームが終日見張っているスタウゼン邸に、ついに今夜、武力行使も辞さない構えで強制捜査をすることが決まったからだった。
 聖竜騎士団は、例の内輪の件についての調査を継続しているが、呪いの魔法石の件もそれに大きく関連していると踏んだらしい。ジオルグの口添えもあってか、彼らは共同の見張り捜査にも非常に協力的だった。
 スタウゼン邸での作戦行動を前に、婚約者の家の現状について詳しく知っておきたいというエドアルドに呼び出された俺たちは、はじめは王太子の執務室に集まっていた。しかし念には念を入れ、侍従や侍女たちの耳に少しでも内容が入らない場所が望ましいということになり、ならばとルーがこの部屋を提供したのだった。今日は朝からほとんど俺と行動を共にしているヒューとアイリーネも一緒について来ている。
 ルーのおかげで回避出来ているが、アイリーネは王妃のお茶会のときに一度、の標的になっている。以降、王宮内では常時交代制でついている護衛師団員の他にも、俺かヒュー、もしくはジスティかカイルの誰かが必ずアイリーネの側に付くようになった。カイルによれば実は俺も警護対象者らしいが、それはまだ宰相府の一部と護衛師団本部の者たちしか知らないことだ。
 自分の身を守る意識を強く持ってもらう為にも、アイリーネにはたとえ王宮内であっても絶対に一人で行動することがないよう話してある。
 
「さて。では、始めるとしようか」

 テーブルに肘をつき、両の手を組み合わせたエドアルドが言った。

「ここにいる者は、各々の立場でこの件に関与、もしくは事情を知る立場にあるのだと思う。まずは全員が最低限知っておくべき事柄についての整理と統一を求めたいが、誰が適任だろうか?」
「あ、じゃあまずは俺から。全体的な話の整理はあとで誰かに任せるとして、ある呪いについて先に話しておきたい」

 黒ずんだ皮の表紙がついた古ぼけた本を手にしながら、ルーが言った。

「ああ、その本がさっき言っていた『禁呪の書』とやらか?」
「そうです。俺とシリルは、ここに載っているある強力な呪いが、今回の件で使用されている可能性が高いと考えています」
「呪い?」
「ええ、兄上。だけど俺たちがそう考えるに至った経緯は、話すと長くなるので割愛します。今は手短に、皆にもその呪いについて説明する」

 ──『荊棘いばらの冠』
 この呪いは、ゲームの世界だけじゃなく、この世界においても実在する呪いだった。
 禁呪の書に記されているところによるとその昔、罪人として捕らえた者を自白させるために使われていたという刑罰魔法のひとつだそうだ。実際に罪人の頭に荊棘を巻き付けるという風習もその当時はあったそうで、そこから名付けられたとも言われている。禁呪の書に収められていることからもわかるように、かけられた者の精神を破壊しかねないと、現在では使用が禁じられている。
 ゲームの世界でシリルにその呪いをかけたのは、ジオルグに化けた魔竜だ。サークレットについた赤黒い魔法石にその忌まわしい術式が組み込まれていた。自白どころか、術者の意にそまぬ言動や行動を取ろうとした途端、全身が激しい傷みに襲われる。この呪いは、相手に絶対的な服従を強いるための目には見えぬ矯正具だった。
 ……そして。終始その影に潜むようにして魔竜をサポートしていたのは、シリルが八歳のとき、ブライト家が暮らしていた集落を襲ったあの女。実は、魔竜の手先だという以外は最後までその正体が明かされることがなかった人物だ。魔竜に操られているシリルは、襲われたときの記憶をなくしていたため、本来なら仇であるはずのこの女とも仲間として接していた。他の男たちと同様に彼女も常にフードを目深に被っていたため、どんな顔をしていたかはゲームユーザーだった頃の俺にはわからなかったのだが。

 ──俺はこの世界に転生するまで、あの女をテシリアの間諜スパイだと思っていた。

 だから、召喚した風竜エアを剥がされ、拘束の呪文などという強力な魔法をかけられたときにはものすごく驚いたのだ。
 自分に逆らった小さな子供にも、躊躇なく恐ろしい魔法を使ったあの女。男たちが振るう白刃に、確実に俺を切り刻ませるための拘束。
 今、スタウゼン家で起こっていることを知っていくにつれ、俺は十年前に出会ったあの女のことを思い出す。直感的に、弱い者をとことんまで追いつめていたぶるがとてもよく似ている気がするのだ。

 ──せめて、スタウゼン家の後妻、を見ることが出来れば。

 俺自身は、十年前に松明の灯に照らし出されたあの女の顔を半分だけ見ている。声も、覚えていた。

 以前に俺が話したことも少し織り交ぜながら、ルーはその恐ろしい呪いの概要について淡々と説明した。
 ルーが言った通り、俺もここで『荊棘の冠』が使われているという確信に至った経緯を話すつもりはないが、ひとつゲームと現実との差異を上げるとするならば、それはセオデリクの存在だった。
 ゲームの中の彼に与えられていた役割は『告発者』。娘を王太子の婚約者にまでしておきながら、欲に塗れて帝国と通じ、祖国を平気で裏切り続ける父親の所業を見るに見かねた正義感の強い彼は、ある日とうとう留学先のアーマから王太子に手紙を送り、父の悪行の全てを暴露するのである。
 しかし、この世界ではそんな出来事イベントが起こる気配もなかった。何しろスタウゼン公爵自身が何年も前から病で伏せっていて、王国を裏切るどころか政治の場にすら立てていない。
 父と兄が完全に沈黙をしている中で、オリーゼ嬢だけがなぜかあの悪目立ちをする見た目と、癖の強い言動で衆目を集めていたが、別にそれだけだ。婚約者である王太子は聖女と浮気もしておらず、父親の権勢を傘に着たオリーゼが、悪役令嬢としてアイリーネと直接的に対立する要素はほとんど生まれなかった。
 なので公爵一家のことは、色々とゲームの設定とは違っている点が気にはなりつつも、例の呪いの術式がかけられた魔法石の事件が起こるまでは、正直言ってほとんど注視していなかったのだ。

「さて、じゃあこの呪いが使われている目的についての推測だけど……」
「ルー、待て」
 
 不意に、エドアルドが短く弟の言葉を遮った。
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