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第七章 悪役令嬢の秘密

60. 魔法馬

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    * * *


 攻略対象者たちの中で、魔竜に操られたシリルの行動に最も早い段階で疑念を抱くのは、王宮護衛師団長、ジストルード・ウィリク・コーゼルだった。
 ジスティルートでは、主人公たちがシリルの出自や過去を調べていくうち、王立騎士団所属の翼竜乗り、ヒュー・グラッツが、実は子供のときに王都の孤児院でシリルと一緒だったことがあるという事実を知る。
 孤児院からヒューを引き取った里親が、たまたまコーゼル伯爵家に縁のある下級貴族であったことから、ジスティとヒューも顔馴染みの関係だった。
 ちょうどその頃、ヒューの相方である翼竜がセラザの翼竜隊で見合い(交配)をすることになったため、数週間以上体が空くことになってしまったヒューは、元が騎兵隊所属だったこともあり、ジスティの口利きで得意な乗馬を聖女に教える講師のお役目を仰せつかっていた。
 以降、ヒューは聖女とジスティの協力者となり、シリルを追いつめるための手助けをしていくことになる。ジスティルートにシリルの孤児院時代の回想シーンがもっとも多く収められているのはそのためだ。

 ヒューは、孤児院でシリルを虐めなかった数少ない子供の一人で、彼が里親に引き取られるまでの短い間のことだったが、シリルにとってはその生涯でたった一人、友達と呼べる存在だった。
 シリルの中にカイファという名の人格が生まれたのは、ヒューが孤児院から去った後のこと。
 数年後、ヒューはシリルと王立学術院の騎士養成学科で再会を果たす。学年はヒューが一つ上だったが、シリルの入学時に偶然、寄宿舎の部屋が一年間だけ同室になった。
 しかしその頃すでに感情が欠落していたシリルから必要最低限の接近以外を拒まれ、以来二人はほとんど口をきくこともなくそれぞれの学院生活を送る。
 のちに聖女やジスティと関わるうち、ヒューは自分が知る子供の頃のシリルと、ときに無意識的にカイファと入れ替わったり、魔竜に洗脳されて非道な行いに走っていたシリルとのギャップに最後まで翻弄され続けることになった。

 ゲームにおけるヒューの役どころは、主人公の単なる協力者というだけにとどまらない。実は、彼にはジスティルートから派生する攻略ルートが存在する。
 つまりヒューは、いわゆる『隠れ攻略キャラ』の一人なのだ。そして、俺の目下の狙いは、ジスティルートに隠されたその分岐ルートの入口までアイリーネを導くこと。
 俺がルーの誘いに乗る形で、第二王子の攻略ルートを開いたのは、王妃のお茶会に招かれたアイリーネをオリーゼの悪意から守るためだった。
 だが、ヒューの場合は違う。俺がどうしても彼に会いたかったのは、もしかしたらヒューならアイリーネが気に入るかもしれないと思ったからだ。
 相手が王侯貴族ということもあるのか、異性に対して完全に気後れをしてしまっているアイリーネ。
 彼女よりもさらに輪をかけて、どうにもやる気のないこの世界の攻略対象者たち。
 アイリーネが気兼ねなく話せる攻略対象者が、せめて一人でもいれば。たとえ恋愛にまで発展しなくても、本来のシナリオ通りに動いていないこの世界なら、聖女が途中で強制的に退去させられるという最悪の事態は回避できる可能性が高い。以前ルーがちらりと言ったように、アイリーネ聖女の選択について、この世界がゲームのような判定をいちいち行わないのであればそれはまったくの杞憂に終わるわけだが、それでも俺は、万が一にも魔竜討伐戦を迎える前にこの世界から聖女がいなくなるということがないよう、打てる手は全て打っておきたかった。
 ただ、ヒューのルートを開こうにも、肝心のジスティとは行動をともにする機会がなかった。ならばと思い、ジスティには頼らず自分だけで一か八かで直接ヒューに会いに行こうとしたら、その道の途中で例の露天商に出くわしてしまったのだ。今にして思えば、闇雲に突っ走ったりせず、彼の確実な居所を事前に調べることもできたはずなのに、あのときの俺にはそんなことを考えつく余裕さえなかった。
 
 例の秘密の部屋で初めて会った夜、ゲームのシナリオについて語るついでにと、俺がアイリーネのために描いていたその一連の計画までルーに話していたのは正解だった。
 なんとルーは、その翌日に参加した王妃のお茶会で、さりげなく聖女と悪役令嬢の進路を統制コントロールしてくれていた。ルーの巧みな誘導で木曜日に行われることになった乗馬イベントは、本来のシナリオではジスティルートで起こるはずのもの。
 そして現実においては、ジスティを介さずヒューのルートを開くべく、第二王子は自身の権限をもって直接王立騎士団本部に働きかけ、ゲームのシナリオと同様の理由から元いた騎兵隊への短期の出向が決まっていたらしいヒューを、たちまちアイリーネの乗馬講師へと仕立て上げてしまった。
 正直なことを言えば、ルーにはお茶会でアイリーネに対する最低限のフォローをしてもらえればそれで御の字だと思っていたので、この出来過ぎなほどの首尾にはかなり驚いた。同時に、昨日の自分の失態がより情けなく思えてくる。

「驚きました、殿下。まさか昨日の今日で、ヒューまでお呼び寄せくださるなんて」
「それぐらい、護衛師団長に出来て王子の俺に出来ない理由がないだろ? それにびっくりするのはまだ早い」

 だから楽しみにしてて? カイルがジオルグに代わって俺を迎えに来たとき、そう悪戯っぽく微笑みながら、ルーは俺を部屋から送り出したのだった。


    * * *


「この薄情者が」

 護衛師団本部の馬場で再会するなり、ヒューは俺を睨みつけて言い放った。
 俺のすぐ横についてきていた真新しい乗馬服姿のアイリーネが、びっくりしたように目を見開き、身体を強ばらせた。そんな彼女の緊張が伝わったのか、ヒューはすぐに表情を改める。
 短く刈った青銀の髪に、目は銀色味の強い淡い青色の瞳。色目も見た目もまさに精霊種のような端正さだが、その表情は凛々しく、意志の強い人間のものだった。背もジスティと同じぐらい高く、暗緑色の騎士装束を纏った身体は筋肉質で引き締まっている。
 俺は、懐かしい思いで小さく笑う。
 前世でのゲームの記憶。
 そしてそれに重なるようにしてあるこの世界でのシリルの記憶は、学術院の寄宿舎で初めて出会い、十代の前半を親友同士として過ごした日々のもの。不思議な感覚だったが、ヒューとの思い出は全て生々しく今の俺の中に存在した。

「連絡出来なくてごめん。ランスから帰ってきてから、今日まで色々あったんだ。それに今住んでいる場所もわからなかったし」

 あまりに苦しい言い訳に、ヒューの片眉がまたくっと吊り上がる。

「俺の里親の家は知ってるはずだろ? だいたい、お前と手紙のやりとりしても、ちっとも続かねえし」
「だから、ごめん」
「……お前は。涼しい顔してぬけぬけと。そういうとこ、全然変わってねえよなホント」

 はあっ、とため息をつかれ、俺はまた笑う。
 従騎士の期間を終えて正式に騎士としての叙任を受けた後、ランスの離宮での任務に就くことになった俺は、王都に帰った時には必ずヒューと会うという約束をしていた。
 ……それに手紙が書けなかったのは多分お互い様だ。性分もあるだろうが、どちらもそれなりに多忙な任務についているのだから仕方がない。

「実は昨日、ヒューに会いに教会に行こうとしてたんだ。日曜日なら、ミサのあとで子供たちにも会いに行くはずだと思って」
「……らしいな。か」

 俺を気遣うその返答で、ヒューが俺の昨日の状況についてもおおよそのことは聞かされているのだと知れる。さすがに月精のことまでは説明されていないだろうが、俺がアイリーネとここにやって来ても驚かなかったところを見ると、聖女の護衛をしていることも知っているようだ。ヒューが余計なことを言わない性質なのをいいことに、俺もさっさと話題を切り替える。

「今日は休暇だからこんな格好なんだけど。ここにはルー……、サファイン殿下のお許しを頂いて来たんだ」

 俺は一歩後ろに身を引くと、改めてアイリーネにヒューのことを紹介する。アイリーネの後ろには、二名の護衛師団員が控えていた。
 アイリーネは、最初こそ驚いていたものの俺とヒューが親友同士だとわかると、はにかんだ笑顔で挨拶の言葉を口にし、その後は大きな青い瞳で興味深そうにヒューを見つめていた。怖気づいている様子は全くない。
 これはなかなか、悪くない反応ではないかと思う。ヒューも、少々無骨ではあるものの騎士らしい礼節をもってアイリーネに接した。
 元からある厩舎の隣に新設されたばかりの厩舎の前で、ルーが厩番の役人たちと何やら話をしていた。
 カイルは、一旦護衛師団本部に戻っていた。屋敷に帰るときにまた迎えに来てくれるらしい。一人でも帰れると言ったのだが、迎えの馬車に乗せるまでは決して目を離すなという宰相閣下からのご命令だからと取り合ってくれなかった。
 厩番の役人が一人やってきてうやうやしくアイリーネに礼をとり、今から厩舎へご案内致しますと告げる。ヒューの先導で、聖女の一行は厩舎の中へと入っていった。俺もその後についていく。
 不思議なことに、広々とした厩舎内には馬がいなかった。奥にいる銀のたてがみと尾を持つ一頭の美しい白馬以外には。

 ──まさか、この馬は……。

 強い魔力を放つそれは、もはや幻獣種の持つ気に近い。ヒューと厩番以外の一同が、圧倒されて言葉もなく立ち尽くしていると、ルーがそっと俺の横にやってきて囁いた。

「どう、驚いた?」
「……殿下。もしかして、この馬は」
「兄上が、正式な婚約の証としてオリーゼ嬢に贈るために用意なさった魔法馬だよ」

 ──やっぱりそうか!

「メリュグリーン、ですね?」
「そう、ご明察」

 ゲームの世界のメリュグリーンは、王太子ルートにのみ登場する。
 たった今ルーが言った通り、本来はオリーゼに贈られるはずだった雌の美しい魔法馬だ。しかし、主人公に心を奪われてしまった王太子がその約束を破ってこの馬を彼女に与えようとしたことから、オリーゼとその父であるスタウゼン公爵を激怒させ、この一件は政界をも巻き込んだ大騒動にまで発展する。
 最終的には、仲裁に入った宰相ジオルグの提案で、何故かオリーゼと主人公がこの魔法馬の主人としてどちらが真に相応しいかを競い合うことになる。その詳細は省くが、このときの不正行為が元で、後にオリーゼは売国の罪を犯していた事実が発覚した父親とともに断罪されてしまう……。

「では、この馬をアイリーネ様に? エドアルド殿下は承知なさっているのですか?」

 ヒューのルートを開くついでに、ジスティルートの乗馬イベントを使って公爵令嬢の企みを暴くことまでは、俺とルーの間である程度の摺り合わせが出来ている。でもメリュグリーンのことは本当に何も聞いていなかった。
 楽しみにしてて、というのはこのことか。
 ルーは珍しく神妙な顔つきで言った。

「オリーゼ嬢については、兄上も婚約者として思うところがおありだろうからね。ここは一枚噛んで頂くことにした」
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