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第六章 ジオルグの求愛

51. 主の留守に② ☆

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    * * *


 カミツレをメインにブレンドされたお茶をシリルに供してから、クリスチャードは転移装置で王都の屋敷に戻った。
 早速、邸内の魔導通信で厨房前にルイーズを呼び出す。

「お待たせしてごめんなさい。お呼びですか、クリスチャードさん」

 急ぎ足でやってきた彼女に、シリル様のご夕食についてなのだが……と切り出すと、ルイーズははっと目を見開いた。

「ではもう、回復なさったんですか?」
「あ、ああ。もう起き上がっておられる……」
「ああ! よかったですわ!」
「…………」

 手を合わせて涙ぐむ彼女に、クリスチャードは止むを得ず話を中断する。

「ああ、お話の途中にすみません、それで?」
「……今からシリル様のご夕食をお持ちするのだが、召し上がりたいものがおありだそうで」
「まあ、でしたらすぐ厨房に行って、シェフに作ってもらえばいいのでは?」
「それが……、どうもご自分の記憶に自信がないらしい」
「というと?」
「十年ほど前、シリル様がこのお屋敷にいらしたばかりの頃、一、二ヶ月ぐらい体調が優れなかった時期があっただろう」
「ええ、ありましたわ。つい今し方までお元気だったのに、急に倒れてしまわれたりして。あの頃は、そんなことが何度も……」

 改めて当時のことを思い返せば、数時間前までのシリルの状態とよく似ているようにも思える。だが、クリスチャードは頭に過ぎったその予断を振り払った。

「そのときによく、ルイーズに食べさせてもらっていたスープを、久し振りに召し上がりたいそうだ」
「──あ」

 ぽんと手を打ち合わせ、ルイーズは大きく頷いた。

「ええ、はい、わかりましたわ。お待ちください、すぐに作ってもらってきますから!」


 あの頃のシリルは、この王国ではほぼ一般食ともいえる燕麦粥ポリッジが苦手で、消化にいいからと、寝込んでいるときに出してみてもほとんど口にしなかったという。

「それ以外のものでも、何を差し上げてもあまり召し上がってくださらなくて……、何度もシェフに相談しましたの。試しにいくつかお料理を作ってもらって、ようやく美味しそうに召し上がってくださったのが、このスープですわ」

 しばらくして、陶製の小さな両手持ちの鍋を持って厨房から出てきたルイーズは、クリスチャードが手にしていた蓋付きのバスケットをちらっと不安そうに見た。

「それに入れて持って行かれるんですか?」
「この中には空間魔法が展開されているので、冷めたりこぼれたりする心配はない。食材の大きさや重さ、鮮度についても気にしなくていい」
「まあ、すごい! あ、そうそう、ジャムは? 持って行きませんか? シリル様がお好きなアルバ産のコケモモのジャム! それから、鹿肉のパテに、きのことルッコラとチーズのキッシュも!」
「……わかった。すぐに用意出来るのなら持っていく」
「はい! ありがとうございます、クリスチャードさん!」

 蓋をしっかり閉めた鍋をバスケットの中に入れたルイーズは、また勇ましく厨房へと戻って行く。
 三日前、シリルが護衛師団本部に泊まり込むと言って急に屋敷を出て行って以来、元気がなかったのが嘘のように、はずんだ足取りだった。


    * * *


「ただいま戻りました、シリル様」
「──あ、おかえりなさーい」

 声が居間の外から返ってくる。もしやと思いながらキッチンを覗くと、中央に色硝子のモザイクがある小さなテーブルを水拭きしているシリルの姿があった。

「シリル様? 一体何を……」
「このテーブル、すごく素敵なので、ここで食事をしようと思って。本当は、このキッチン自体も使えたらいいんですけど、食材はおろか調理器具もほとんどなくて、水道以外は長い間使われていないんだろうなあ、って」

 棚から見つけたのはたったこれだけ、と指し示されたのは、テーブル上に置かれたオリーブの実の塩漬けが入った瓶だった。

「上の部屋にお酒があったし、これはジルのおつまみかな? 食事はいつもそうやってクリスチャードさんが運んでいるんですよね?」

 提げているバスケットを見て言われ、クリスチャードは頷いた。

「はい、仰るとおりです。旦那様のお食事も、屋敷で作られたものをお持ちします」

 今や宰相閣下の隠れ家となって久しいこの家のキッチンも、それ自体がもうかなり年季の入った代物だった。
 家全体の手入れは常に十全に行われているが、誰も使わなくなった古ぼけたキッチンには、湯沸かし用の薬缶と最低限の食器やカトラリーがあるだけで、この古家の中で機能することなくただ『在る』だけの空間だった。
 クリスチャードですら、水を使ったり清掃する以外の目的で足を踏み入れることはほとんどない。
 、と呟いたシリルは、今度はオーブン付きの旧式の焜炉こんろを指差した。

「オーブンの中とか魔石焜炉の状態も見たんですけど、かなり前に使われてたっぽい形跡はあって、でも煤や灰はびっくりするぐらい綺麗に取り去られていました。床の埃もそんなに溜まってないし、掃除はもうどこも完璧で」
「それは……」
「ええ、ジルがそんなことをするわけがないし、家の隅々までクリスチャードさんの管理が行き届いていて流石だと思って」
「……恐れ入ります」

 わざわざオーブンの中まで覗いたという彼の意図はよくわからないものの、褒められて悪い気はしなかった。

「で、それはそれとして。うーん、じゃあ、この家のは、どこなんだろう……」

 眉を寄せ、真剣な顔つきでキッチン内を見回すシリルの様子を見て、ああ、と閃くものがあった。

「……シリル様。もしかして、さきほど暖炉の前にいらっしゃったのも」
「ああ、はい。あれは魔法で火を焚いて、魔力反応を見ていました。煙突も怪しいなって思ったんですけど、残念ながらどちらも違いました」

 まあそんなわかりやすいわけないですよね、と呟いて、布巾を流し台で洗ってから干し、肘までまくりあげていたシャツの袖を元に戻す。全ての動作に無駄がなかった。

「ジルが戻ってこないうちにと思って、この家の中を色々見て回ってたんですけど、やっぱりこんな短い時間では無理だな。お手上げです」

 この家の主人に内緒で、結界の起点とやらを暴くことに何か意味があるのだろうか。別に咎めだてる意はなく尋ねてみると、こちらを向いた瑠璃色の瞳が、ちらっと悪戯っぽく笑ったように見えた。

「うーん、意味ですか? まあ、単純に興味深いのと、あとは……、意趣返しのようなもの、かな?」
「──それは穏やかじゃないな。一体、私が君に何をした?」

 振り向くと、戸口に長い銀の髪を高く結い上げた美丈夫が立っていた。
 城にある転移装置で戻ってきたのだ。クリスチャードは主人に挨拶の口上を述べて一礼し、一歩下がった。

「おかえりなさい、ジル」
「ああ、急に出かけたりしてすまなかった。……それで、意趣返しとは?」
「ここののせいで、ルトを俺の元に召喚よびもどすことができないんです」
「──あの影形カゲナリのことか。アレなら、護衛士団本部で預かっているそうだ」

 さっき、城から魔導通信でヒースゲイルと連絡を取り合ったとジオルグが伝えると、シリルはぷんと頬をふくらませた。

「そもそもこの家には魔導通信がないし、俺の記章も見当たらないんですが?」
「それもヒースゲイルに預けてある」
「ああ、そうだ。そういえば、さっき俺が倒れたとき、誰も知らせていないのに、どうしてヒースゲイルさんを連れてすぐに来ることができたんです?」
「それはだな……」

 何やら釈明の必要が生じたらしく、ジオルグは彼を手招いて居間へと戻っていき、シリルも渋々といった様子でついていってしまう。
 少し時間がかかるかもしれないと思いながら、クリスチャードはバスケットの蓋を開け、ゆっくりと夕食の配膳を始めた。

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