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第六章 ジオルグの求愛
44. 悪夢の先
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山ほどの夢を見た。
夢なので、全てを詳細に思い出すことは難しいが、大体はゲームの設定がそのままこの世界に置き換えられた感じのものが多かった。
例えばそのいくつかは、俺自身が経験していないはずの王都の孤児院での暮らしから。
掃除に使ったあとの黒くなった水を頭からかけられたり。食事がのったトレイごと床に落とされたり。それらは次第にエスカレートして、年上の体の大きな子供たちからは殴る蹴るの暴行を受けたりもした。
階段から突き落とされたこともあったが、それで顔に傷を負い、激怒したカイファが容赦なく報復すると、今度はより陰湿な、誰が犯人なのかが分からないような嫌がらせに変わった。
クローゼットに吊るしてあった替えのない服を切り裂かれたり、就寝中、ベッドの下に置いていた靴の中に石や泥をぎっしり詰め込まれたり。
ジオルグの計らいで、孤児院を出て王立学術院に入学してからはさらに孤立が深まった。常に差別され、人と交流することがほとんどないままで過ごしてきたシリルを、恵まれた環境に生まれ育った良家の子女たちがどう扱うのかは想像に容易い。
友人もいなかった。ちょっとした話ができる相手も。ただ一人、夢の中でカイファと語り合う以外は……。
──ではシリルは、カイファの存在を知っていた?
人格の乖離を認識できていたのか。
だがこれは、あくまで俺が見ている夢の中で展開する彼らの物語だ。
真実は分からない。
これは、回復した後に聞いた話だ。
何らかの手法によって(その詳細は何故か明かされなかった)、屋敷で俺の異変を察知したジオルグは、転移魔法でまずは王宮護衛師団本部に向かい、副団長のヒースゲイルを半ば攫うようにして連れ出した。王国一の治癒魔法師としても知られる彼は、十年前のあの夜の事件がきっかけで、シリルの主治医になっていたからだ。
ジオルグは再び転移魔法を使い、今度は俺が露天商とやり合った現場付近に跳んだ。彼らは、そこから探知の魔法で俺の所在を割り出したのだ。
司祭の館の一室で、再び意識を失った俺を診察したヒースゲイルは、俺の不調を極めて深刻な魔力不足からくるものだと断じた。
『今の状態では、ほんのちょっとした魔法でも、使えば命取りになりかねませんな』
『では、別に呪いにかかっているわけでは?』
『呪いだと?』
芯から凍てつくような目がゼフェウスを捉える。
この国の宰相であり、ロートバル一族の長でもある大叔父に睨まれてはさすがに逆らえず、ゼフェウスは、俺には言わなかった自らの任務の概要と、現場で見聞きしたこと、さらには司祭の館の部屋で俺と話したことも、全て正直に語ったらしい。
『ほぉ、ではルトが』
『はい、そうです、ヒースゲイル殿。彼の使い魔が追跡中だそうですが、今は呼び戻すことも困難なようで』
『いや、シリルの記章を使えばだいたいの位置はつかめると思いますが』
『本当ですか?』
『ルトの首輪の石と連動していますからな』
その術式を組み込んだ当の本人が、よろしいですかな、とジオルグにお伺いを立てる。
ジオルグは、俺の胸元にそっと手を伸ばして記章を外し、ヒースゲイルに手渡した。
『あとは任せる』
『心得ました』
『それとゼフィ。シリルを脅かしたというその忌わしい石を全部、ヒースゲイルに預けるように』
『は、いや、ですが……』
『シリルがこの件に絡んでしまった以上、もはや護衛師団も無関係ではなくなった。ヒースゲイルがその石について調べる間、お前も護衛師団本部に出向しろ。聖竜騎士団長には私から話をつけておく』
『……は。仰せの通りに』
団長以下、幹部のほとんどが竜人種とその血を引く者で占められている聖竜騎士団内に、ジオルグの意に背く者など皆無だった。
* * *
「……ゼフェウスが言っていた。君はまるで『人間』のようだと」
意識が浮上した瞬間に、そんな言葉をかけられる。
俺は瞼を開き、その顔をじっと見る。まだ微妙に焦点が合わないせいで、この世で一番好きな顔が、少しぼやけて見えるのが残念だった。
「ジル……?」
「ああ。少しは眠れたか?」
「はい……」
悪夢に囚われて魘されていた俺に、ヒースゲイルは複数の術式を編み合わせた回復魔法をかけ続け、意識が戻ったときには鎮静薬も飲ませてくれた。
ようやく状態が落ち着いた頃、ジオルグは俺の体をベッドから抱き上げ、そのまま館の外に出て待機させていたロートバル家の馬車に乗り込んだ。
屋敷に着いたときには、薬のせいか、また俺の意識は落ちていた。
ジオルグは俺を横抱きにしたまま、ランタンを掲げたクリスチャードの先導で地下への階段をゆっくりと降りていく。その心地よい振動が、俺に覚醒を促した。
目覚めたとき、地下特有のヒヤリとした空気が頬を包みこむ。ぶるりと小さく身震いしたとき、ジオルグに先の言葉を言われたのだった。
──はて。人間のよう、とは?
意味を考えているうちに、一番奥の黒い扉の前に辿り着く。クリスチャードが持っていた鍵で扉を開け、俺を抱きかかえたジオルグだけが中へと進んだ。
「ここは……」
知らない部屋だった。
地下には、倉庫とワインセラー、食品貯蔵庫などがあるのは知っていたが、そこにさえ立ち入ったことがない。
中は小部屋と言ってもいい狭さだ。天井も、屋敷にあるどの部屋よりも低い。調度類は何も置かれておらず、地下なので当然ながら窓もなかった。部屋の外にいるクリスチャードが持つランタンの灯がなければ、本当に何も見えないほど暗い。
「……まさか」
ふと嫌な予感がした。闇に侵食されたジオルグの顔を見上げ、その服を掴む。
──まさか、ここに閉じ込められるのか?
それこそ、さっきまでかわるがわる見ていた夢の続きのようだった。
孤児院でシリルを虐めたのは、子供たちだけではない。中にはひどい仕打ちをする大人もいた。取るに足らない理由で食事を抜かれたり、窓に鉄格子が嵌った半地下の暗くて狭い部屋に何日も閉じ込められたり……。
「どうした?」
俺の怯えに気づいたのか、肩を抱くジオルグの手の力が強まる。その逃がさないといわんばかりのタイミングに、思わずもがいた。バタンッと大きな音を立てて部屋の扉が閉まる。
「……ッ!」
びくりと大きく震えた俺を宥めるように、ジオルグが俺の体を強く抱き締め、ゆっくりと揺すった。
「大丈夫だ。そんなに怖がらなくていい」
「でもこの部屋は……?」
「まあ、見ていなさい」
ジオルグは長身を屈めると、ようやくそっと俺を降ろした。
目に手をかざされたかと思うと、すぐに離れる。視力強化の魔法だ。途端、暗闇の中でも辺りが見えるようになった。
ジオルグは突き当たりの壁の前に立ち、宙に指で術式を書いていた。すると、その壁の中央が仄青く光り出す。
今にも壁の向こうに引き込まれていきそうな、勁い波動を感じる。
それは、俺にとっても馴染みのあるものになりつつあった。例えばルーが、あの青い扉の絵の中に仕込んでいたような。
「転移装置……ですか?」
「そのとおり。今の君の体では、馬車の旅は相当辛いだろうからな。かと言って、転移魔法でもきっと酷い魔力酔いを起こす」
ヒースゲイルの治癒魔法による施術は、あくまでも応急処置にすぎないと、ジオルグは諭すように言った。
「君の魔力量を完全に元に戻すには、私とのある契約が必要となる」
「契約?」
「他に方法がないとは言わない。が、それを今教える気はない」
「そんな……」
「シリル、君に訊くのはこの一度だけだ。私と共にこの先に行けば、もう二度と引き返すことは出来ない」
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